山の本 : 「分水嶺」 森村誠一 著 ★★★ ワンツーマガジン社
投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-1-1 15:40:49 (496 ヒット)

この作品は1968年に青樹社から出版され、その後2006年まで、数多くの出版社から発刊されている。
実に40年間、その時代時代において、様々な読者層に読み継がれてきた秀作である。

小生が山を始めてまだ間もないころにも一度読んだことがあったと思うのだが、内容はすっかり忘れてしまっており、題名だけが脳裏に残っていた。その再読。

作者は、この作品を「ある先輩作家から酷評されて、私は一時、自信を失った」というのだが、自らも述べているように、小説は「評価や読み方も読者によって天地ほどに分かれる」。これほど長きにわたって読み継がれている事実をしてみれば、その「酷評」は、とある一読者の一つの見方にすぎなかったのだろう。誰がどう酷評しようとも、それ以外の読者の好みに合いさえすれば、その作品が世に出された価値があるというもの。

「分水嶺」は人生の分岐点と重なり合う。題名を「分岐点」としたならば、それこそ味気ないものになってしまっていただろう。「分水嶺」の持つ語感のよさに引き付けられ本書を手に取ったものも少なからずいるだろう。

冒頭から始まる穂高の分水嶺での山岳シーンがこの物語の成り行きを暗示する。その後、登場人物それぞれの前に様々な形で現れる分水嶺。それを右に左に分けながら話は進んでいく。

分水嶺には二通りあって、自らその進む方向を決められるものとそうでないもの。どちらも、運命を分ける重要な分岐点となるが、後者においては、選択ということで自分に裁量権が与えられている。

逆にいえば、選択は自分の人生を自ら決め得ることのできる鍵ということである。日々に下す様々な決断、その前には必ず選択がついてまわる。人生を決める大きな分水嶺に接し、決断を迫られたとき、人は何を基準に選択するのか。この作品はそんなテーマを問うている。

今自分は人生の一つの大きな分水嶺に立っている。そんな時期にこの本を読み返したのは何かの因縁なのかもしれない。

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