山旅 : 山ノ神に逢いたくて 2013/12/05
投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-12-6 18:44:35 (640 ヒット)













長年山をやっている人なら誰にでも気になる山というものがあるはずだ。
自分にとっては「大日岳」がその一つ。梅雨時から秋にかけては表口となる称名側からの山の移ろいが気になり、雪が降り始める初冬から残雪期の四月、五月までは裏口ともいえる小又川、そしてそこから突き上げる山ノ神尾根がいつも頭の中にある。今年の春、念願の山ノ神尾根を辿ることが出来てからは、一層その思いが強くなった。

今年も冷たい風が肌で感じられる頃になってから、山ノ神尾根が気になりだしてしょうがなかった。なんとしてもその尾根の今を目にしたかった。いつかころ合いを見計らってと思っていたが、なかなかその日が巡ってこなった。剱センターのゲートが閉じられている間、訪れる人も少なく、天気の良い日には剱岳を見ながら静かな道歩きを楽しめるというのも、この時期の魅力の一つだ。雪が豊富ならばこそ、右手に連なる低山の好きなところに足を踏み入れることができる。そして、そのどこからも稜線に立てば剱岳の雄姿が臨まれる。

12月に入ったというのに、11中旬に中山を登ったときよりは寒さがいくらかゆるんで、周辺の山々は再び晩秋にもどったかの様相だ。伊折周辺、剱センターのゲートにもその先にも全く雪の気配はない。ゲート前には県外ナンバーの車が一台。今月初めから剱岳に入った人たちのものであろうか。一日松尾平、二日小屋、三日停滞、四日アタック、そうすれば今日下山かな、などと想像しながらアスファルトの道路を行く。アスファルト歩きは登山靴の底が減る。なるべく道路わきの草付き帯を歩く。大熊谷も雪が無い。東山稜も下部は藪だらけでしばらくは無理であろう。

小又川出合い。ここにも全く雪が無い。河原を歩いてみることにする。だが、川の中の最初の橋を渡った直後の堰堤に来て、その乗越しが面倒くさくなり、また、そこから先の堰堤の処理を考慮して、振り出しまで戻ることにした。いくつかある堰堤は、雪が降って、山から雪が落ちてそのデブリができてからが、その乗越しが楽になる。初めて山ノ神の偵察に来た時は、核心部の堰堤にトラロープを垂らしいておいたが、本番にはそれがデブリで埋まってしまっていて、あまり役に立たなかった。トラロープを上部にまとめて置いて、本番にはそれを利用すれば有効であろう。次に来る機会があれば、トラロープを持ってこようと思った。

振り出しに戻ってから、コット谷へと延びる作業林道を行く。ここもしばらく雪がない。うっすらと雪が付き始めるのはかなり歩いてから。動物の足跡が雪面に残るが、クマの足跡も見られ、あったかいのでまだ穴に入ってないのかと思ってしまう。850くらいからようやく雪道歩きになる。ところどころ右手の急な谷からのデブリが道をふさぎ、本格的な雪となったらヤバいな、この道も使えないのかなぁ、河原の堰堤越えも大変だしな、どっちがいいかな、などと考えながら歩く。

コット谷出合いに架かる鉄骨の橋は撤去されているが、水量も少なく、渡渉は全く問題が無い。この辺からザラメ雪のつぼ足。足首からすね下まで潜るとさすがに疲れる。ゴロ岩に少しばかり積もった雪では林道のショートカットもおぼつかない。スノウシューがあればそれも可能であろうが、今日は持ってきていないので、ひたすらつぼ足。といっても山ノ神尾根まん前まではわずかの歩き。

だだっ広いコット谷に立つと清々する。ここで標高1000メートル。右手には大熊山へと昇る浅いルンゼ、ふり返れば東芦見尾根から猫又山の稜線が白く輝いている。山ノ神尾根は雪が無く黒々としている。取り付きの尾根の右斜面は50メートルほど崩れて崖ている。ここに立つとこれまで何度も挑戦して敗退し続けた思い出がよみがえる。今年の春の快適な山ノ神からの大日がついこの間のように思える。家にいてもそれは確かな記憶となっていつでも思い起こすのだが、こうやって現地に立ってみるとまた格別な思いがある。

それにしても、取り付きに至るまでが問題だ。

剱センターゲートから往復6時間

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