本棚 : 「晴子情歌」上・下 眤七亜| ★★★★★ 新潮社
投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-4-9 18:51:18 (352 ヒット)

母「晴子」から、子の「彰之」に宛てた手紙。
まさに晴子の心の内を子への手紙という形で綴った「情歌」、読んだ後となった今では、これ以外のどんな題名もピタッとくるものが思い浮かばない。

晴子の手紙は、晴子と嫁ぎ先の家系の年代記でもあり、昭和の一時代を生きた青森の名家の物語であり、晴子自身と長男の彰之がなぜ今の彰之に至ったかを知るには十分な内容である。
人、一人ひとりにはそれぞれの生い立ちがあり、そこに至る歴史がある。それを語るには、順番に過去に遡っていかねばならない。現在が一つの点であるならば、過去に遡ることはその点が線になり、その線がさまざまな時点において枝分かれし、その枝分かれした線がさらに分岐していくことを意味する。晴子はその枝分かれしたある点から語りだし、逆に未来、つまり現在へと複数の糸を紡ぎ合わせていく。

一方、母からの手紙を遠洋漁業の船の上で受け取った彰之は、断片的に紡がれていく糸に、手紙の中に出てくる自分とそのときの自分の胸中を思い出しては、自分のアイデンティティを見出したはず(読み手の自分はそう感じた)。彰之は自分のルーツがどうであろうと、現在ある自分は自分であり、それまで紡がれてきた糸に執着する様子はうかがえない。かといって、まったく無関係という“間”があるわけでもなく、自分がその糸の上にあることから逃れられないことも承知している。また、晴子の手紙にはない自分だけの糸も晴子の綴られた物語と共に存在し、それがまた彰之自身を形作っている。

とっつきは茫として、物語に入っていくのに時間がかかったが、読み進むにつれて霧のように巻いていた晴子の時間の断片が次第に繭のように形を成してくると、いつの間にか深みにはまり込んでいく。晴子の手紙と彰之自身の物語の絶妙な融合にたっぷり酔わせてもらった。

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