過去ログ : 北方稜線・ブナクラ谷〜剱岳 1999/5/2-5
投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-5-14 20:28:08 (634 ヒット)

休憩を含めたコースタイム




同行者 H

北方稜線を歩きたくてブナクラ谷から入山した。二日目、三ノ窓までは順調だったが、そこから先が急転直下、大変なことになった。
会心の山とは正反対の痛恨の山となった。

5/2 晴れ ブナクラ谷〜赤ハゲ山
目的が北方稜線踏破なので、赤谷尾根は選択肢になく、ブナクラ谷から入った。赤ハゲ山頂でテン張る。

5/3 うす曇り後雪 赤ハゲ山〜池ノ谷乗越し
天気はまぁまぁ、気になるのは本峰にかかる雲。明日は天気が崩れそうなので、少しでも先に進むべく、5時過ぎに出発。核心部と想像していた池平山もなんなく越え、最後だけ懸垂一回で小窓に降り立つ。

15時に三ノ窓に到着。ここで明日の悪天のことを考えると、このまま池ノ谷を下ってしまおうかとも思った。安全圏の二股までなら一投足だ。しかし、剱を踏んでこその北方稜線。下ってしまえという甘い誘惑を振り切って、予定通り本峰を目指すことにした。そうなれば、あとは今日の行動。ここでテン場るか、池ノ谷乗越までテントを上げるかである。三ノ窓にはすでに数パーティーのテントがある。明日朝渋滞になることも予想されたため、今日中に池ノ谷ガリーを詰めておくことにした。

ところが、この最終ピッチ終了後に私の体調が急変した。Hが上がってくるのを待つこと10分、私の呼吸はあがったままだった。Hも相当参っている様子。テントの設営に手間取るほど疲れきってしまって、最後は二人とも転がるようにしてテントに入った。

とにかく急いでお茶を沸かし、がぶがぶ飲む。そのうちHは回復してきたが、私の方は熱がでてきて、悪寒が走り、震えまで加わった。ほんの1時間前、三ノ窓にいたときには全くなんとも無かったのに、その急変が信じられない。高山病の症状なのか、風邪なのか、原因は分からないが、急に弱気になってきて、ここまでテントを上げたことを後悔し始めた。

ふり返ってみれば、きょう一日、三ノ窓までの行程は予想していた以上にきつかった。アップダウンの連続で息が切れ、水ばかり飲んでいた。これまでやって来た八ツ峰や小窓尾根以上の体力を要した気がする。休憩も15分以上とらないと休んだ気がしなかった。その間、行動食はあめ玉が中心で、数片のバナナチップとわずかな干しぶどう。

解熱剤をのむと、いくらか気分が楽になってきたので、無理やりカレーを流し込んだ。シュラフに潜り込んでも熱気と悪寒と震えは収まらなかった。断続的に咳も出る。予想通り、20時過ぎから天候が荒れだし、次第に風雪が激しくなってきた。やはり、三ノ窓に留まるべきであったか、あるいは二股まで下っておくべきだったか、私はいよいよ不安になってきた。

もしかしたら自力下山は無理ではないかと真剣に考えはじめていた。仮に明日一日停滞して、のちに天候が回復したとしても、雪が多く積もり、登るにしても下るにしても雪崩を誘発してしまうのではないか。そうなると雪が安定するまで動かない方がよいのか。はたまた、自分の体調がさらに悪化したら、どうにも身動きがとれなくなるのではないか。あげくの果ては県警への救助要請・・・。マイナス思考で頭がいっぱい。ここで私は山を放棄し、Hに以後の判断を任せた。

5/4 雪のち強風みぞれ後晴れ後再び強風みぞれ 
池ノ谷乗越〜剱岳本俸〜平蔵のコル〜剱沢〜御前小屋

長い一日が始まった。この日は本当にいろんなことが起こった。
雪が降っているので明るくなってから起き出し、とりあえず朝食をとることにした。テントの外は相変わらず風が強く雪模様。視界は100メートルほどもない。Hは早月尾根を下ると決断した。私は悪寒がいくらか引いてきたが、起き上がると頭がふらふらした。「行動中は食事がとれないと思うので、今のうち出来るだけ食べておくように」とHから指示を受ける。
しかし、食欲がまったくない私は一切れのパンとチーズをお湯で流し込むのが精いっぱいであった。解熱剤を飲んでから、あめ玉をほおばり支度にかかった。私はだるいながらも準備を終えたが、Hは妙に手間取っている。彼なりにいろいろ思いめぐらしていたのだろうか、20分はゆうに経過した。

テントから這いだすと、新雪は思ったより深かった。これでは池ノ谷ガリーを下るのは危険である。やはり登るしかない。気温がそれほど低くないのがせめてもの救い。ガスがかかり、視界はよくない。ときより強さを増す雪混じりの風が目に入り顔をそむけたくなる。だが、ハーネスを締め、冷たい空気にさらされているといくらか気力が蘇ってきた。これなら、なんとか行けそうだ。ハーネスの持つ不思議な力を感じた。

昨日までのトレースはもちろん雪に埋まり、本峰への道を見定める。いきなり急な出だしだが、もう後戻りは出来ない。1ピッチ登りきると、やや下り気味の痩せ尾根に出る。新雪に足がすくわれるかもしれなかったので、ロープを出して通過する。長次郎のコルに下りる箇所も1ピッチ長次郎谷側に懸垂し、廻り込むようにしてコルに出た。

コルは吹きだまりになっており、二人用の小さなテントが一張りあった。彼らも進退を決めかねていた。長次郎谷を降りたいらしいのだが、雪崩が心配で躊躇していたのだった。我々は最後の急登を必死で登る。傾斜が緩やかになり、頂上らしき小ピークを二つやり過ごすと、雪に埋もれた社に出た。「よくここまで来れた、来てよかった」と二人して健闘を讃え合う。

頂上付近は一層風が強く、眼鏡に雪が張り付き視界が確保できない。腰を折り雪面に顔をひっつけるようにして、下りへのトレースの痕跡を探して歩く。早月尾根と別山尾根との分岐を示した標識に出た。このときになって初めて勝利を感じた。

あとは標識の方向に下ればよかった。ただ視界が悪いため、あまりに右に寄りすぎて池ノ谷右又に入り込まないようにと注意を払った。一度下ろうとした右のルンゼは急に落ち込んでいてすぐに却下。(実はこれが早月尾根への下りとなるカニのハサミの入り口だった。屈んで歩いていたために地形全体が見えていなかった)自然に傾斜の緩い斜面へと導かれていった。

するとすぐに鎖が目に飛び込んできた。「おやっ?」と思ったが、かまわず鎖に沿ってどんどん下っていった。「カニのハサミはどこへいったのか」と思いながらも、「ルートが変わったに違いない」と本気に思い込んでいた。しかし、ステンレスのごつい梯子とその先のトタン屋根の構造物を目にして、別山尾根に“迷い込んで”しまったことに気付いた。ここで引き返せばよかったのだが、なんかずいぶん降りて来てしまったような気がして、もう登り返す気にはなれなかった。室堂が「おいで、おいで」と呼んでいた。

平蔵のコル。その先には見るからにいやらしそうな小ピークが待ち構えていた。この雪稜は手強そうで、一つ越してもその先が読めない。結局平蔵谷を下り、剱沢をつめることにした。雪崩の危険は十分考えられたが、この方法しか残されていなかったし、頭の中にもなかった。決めた以上、慎重にかつ大胆に下っていき、小一時間で安全圏に達した。この時点で、本日2度目の勝利を確信した。

剱沢に降り立ってしまうとまた少し登り返さねばならないので、少し上部からトラバース気味に進み、剱沢に合流することにした。そのとき私はHの後方20メートルにいた。右手山側でガサッと音がしたかと思うと、椅からテーブル大のブロック雪崩が私に向かって落ちてきた。「わーっ」と叫んだだけで身動きできなかった。それはスローモーションのようにやって来て、あのデカイのが当たらないようにと念じ、瞬間的に背中を向けた。しかし、そのうちのどれかが腰に当たり数メートル流された。そして2発目は左側頭部をかすめた。トラバースなどしないで、平蔵谷を完全に下っておくべきだったのだ。標高を下げるにつれて視界も効き始め、天候も回復してきたので、油断していた。

ここから御前までの登り返しのきつさは覚悟していたが、ここでも思いもよらぬことが待っていた。平蔵谷出合い付近から剱沢の小屋までが遠く、疲労が増すばかり。小屋近くのテント村に着いたときはあと少しと思ったのだが、ここから先が実に長く感じられた。平蔵谷付近での晴れ間はほんの一瞬で、天候は再び悪化しはじめた。雨混じりの冷たい風が吹きつけ、ずぶ濡れになり、寒さはこの上なかった。5歩歩いては息をつき、また5歩歩いてはハァハァと大息をつかないと歩けなかった。強風に持っていかれまいと耐風姿勢をとりながら這うようにして歩くのがやっと。10メートルごとに旗が立ててあるのだが、それを一本一本こなしていくのをノルマとして、最後の力を振り絞って歩いた。そこに小屋があるから頑張れたのだと思う。二人とも小屋に着くなりへたりこんでしまった。もう一歩も歩きたくない、歩けない。

小屋に入ってからも寒かった。Hは唇が紫色になっており、ガタガタ震えていた。すぐに私たちはストーブと炬燵のある談話室に入ったが、Hの震えは収まらなかった。彼はそのうち炬燵に潜り込み寝入ってしまった。1時間ほどたって、二人ともようやく落ち着いてきたころ、食事の時間となった。御馳走が並べられたが、相変わらず食欲のない私には量が多く感じられた。しかし、残すわけにもいかず、流し込むようにして食べた。考えてみれば、きのうの朝以来のまともに摂った食事だった。

5/5 ガス〜晴れ 御前小屋〜室堂

Hは完全に体力を回復していた。私も熱の症状は和らいたようだ。室堂は目と鼻の先。なんの問題もないと思われた。しかし、一歩小屋の外に出てみると、風はいくらか弱まったものの視界は全くない。雪と空間の境目がつかない。完全なホワイトアウト。戸惑いを感じながらも、見当をつけて下っていった。いったいどの辺を歩いているのか皆目わからない。眼鏡に張り付いた雪が邪魔をするため、眼鏡を外した方がなんとなく周りの様子がわかる。

下りるにつれて新雪の量も減り、視界も効き始め、トレースもまばらに出始めた。正面に雷鳥平を認めてようやく胸をなでおろすことができた。本当にこれで終わりだと思った。

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