本棚 : 「犬の力」上・下 ドン・ウインズロウ 著 ★★★★★ 角川文庫
投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-6-23 18:33:33 (557 ヒット)

本作品のテーマはメキシコ麻薬戦争。

メキシコの麻薬戦争は二つの側面からうかがい知れる。一つは麻薬カルテル間同士の縄張り争いであり、いま一つはメキシコ政府とアメリカ政府による麻薬カルテルの取り締まりからくる紛争である。しかも、そこにアメリカの中南米における反共支援の思惑が絡み合っているというところが、メキシコ麻薬戦争の構造をより複雑にしている。イラン・コントラ事件の真相は定かでないが、かいつまんで言うと、アメリカがイランへの武器輸出で得たお金がニカラグアの反共勢力への資金として使われた、ということらしい。メキシコ麻薬戦争にもそれと類似した側面があるようだ。遡ればベトナム戦争でアメリカが犯した悲劇にも通ずる点がある。

本作品にはその複雑なメキシコ麻薬戦争がアメリカの一捜査官を主人公として実にリアルに描かれている。カルテル間の抗争は暴力的で非情、かつ凶悪にして残虐。相手を蹴落とすためには手段を選ばない。警察や連邦捜査官との癒着は公然の事実。金を取るか鉛を取るかの選択を迫られたとき、たいていの者は金を選ぶ。そうでなければ鉛、すなわち死があるのみ。仲間の裏切りには容赦ない鉄槌、対立カルテルに嵌められた場合にはすかさず報復。いともあっさりと死人の山が築かれていく。本作品はそんな場面の連続である。

メキシコ麻薬カルテルの運用形態はメキシコトランポリンと呼ばれる。メキシコで直接麻薬を製造するではなく、中南米の国からアメリカへの流通ルートをカルテルが握り、そこでの商売のリベートがカルテルの取り分となる。つまり商売を成り立たせるようにしてやるから、その管理料をよこせというもの。いやなら取締まられても知らんぞということ。ライバルのカルテルルートを使うのなら、取締まられように仕向ける。そこでカルテル間の抗争が生まれる。完璧を期したはずの取引きなのに、なぜその現場に捜査官が待ち受けているのか?仲間からの密告なのか、ライバルカルテルの仕業なのか、鼻薬を効かせたはずの役人の裏切りなのか。メンツをつぶされたカルテルの狂乱ぶりはすさまじく、そこには当然拷問と処刑がついてまわる。

そして左翼ゲリラへのアメリカの対応。キューバを喉元に抱えているアメリカとしては、近場にこれ以上共産勢力がはびこるのは何としても阻止したい。それが麻薬カルテルといえども、反共勢力となるならばそれらと手を組む場面もあり得る。マネーの他に武器がカルテルを通して反共勢力に届くという仕組み。そこでは内戦が起こり、多くの犠牲者が生まれる。アメリカの人権侵害も見え隠れする。

日本に住む我々にとっては、メキシコ麻薬戦争は対岸の火事のようにみえる。それにしても、アメリカはなんと悩める国なのだろう。世界中の紛争を相手にしながら、国境を接するメキシコ麻薬戦争からは一時も目を離せない。手を緩めれば麻薬カルテルは勢力を広げ続け、アメリカ国内はたちまち麻薬に蹂躙されてしまう。それから比べれば、現在日本と韓国、中国との軋轢から生じている諸問題は児戯に等しいとも言える。

この本を読んでいる最中、6月21日に富山県内で実施された『薬物乱用「ダメ。ゼッタイ。」普及運動』に参加することになった。偶然とはいえ、その符号の一致に驚くばかり。

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