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  • センダ様、発作時の辛さよくわかります。アブレーション技術は目まぐるしく進歩しています。そろそろ自分もと思うのですが、ななかな踏ん切りがつきません。なにせ、なんともないとこきはすこぶる快調なのですから。お大事になさってください。 ( panawang - 2018.09.27 17:45 )
  • 私も心臓の具合悪いです、疲れると(ストレス、暑い夏)心臓が悲鳴を上げます、不整脈と息苦しさ、胸の違和感を感じます。 ( センダカツミ - 2018.09.16 10:08 )
  • Repuさん、ありがとうございます。おかげさまで、発作は収まりまして、軽快に過ごしています。ただ、寝てばかりいたせいか、筋肉がすっかり落ちてしまい、目下復調に向け励んでいます。また、雑穀でお会いしましょう。 ( panawang - 2017.06.16 17:39 )
  • 救急搬送され、その後の経過はいかがでしょうか?決して無理されませんように。 いつも美しい写真、楽しませていただき、ありがとうございます! ( Repu - 2017.06.15 21:59 )
  • float cloudさん、コメントありがとうございます。返事遅くなりました。すみません。過分なおほめを頂き、こそばゆいです。つたない文章ですが、書くことによって、自分の考えをまとめようと努めています。当HPに辿りついていただきありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。 ( panawang - 2016.05.15 19:44 )

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山の本 : 「ゴサインタン」 篠田節子 著 ★★★★★ 双葉社
投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-3-13 17:35:37 (300 ヒット)

「ゴサインタン」?どこかで聞いた覚えがあるのだが、なかなか思いだせないでいた。作品中にその名前が出て来てガッテンした。ネパールとチベット国境近くにそびえ立つ山「シシャパンマ」のことだった。

なんと緻密なファンタジーなのだろう、読んでいる最中そして読み終えてからも、そう思った。
なんとすぐれたエンターテイメントな作品なのだろうと。

NHK朝のラジオ番組で、パーソナリティーを務める高橋源一郎氏のトークゲストとして作者の篠田節子さんが出ていた。彼女は作品に対する想いやら姿勢などを語ってくれた。時間にしてそう長くはなかったのだけれど、たちまちラジオの前の彼女に共振して、ぜひその作品に触れてみたいと思った。番組中で取り上げられていたのは彼女の最新作「インドクリスタル」、それを求めて図書館検索してみたが、どこも予約がいっぱい。それまで篠田節子のことは何も知らなかったが、たいした人気作家であるらしいことがわかった。とりあえず、というか、しかたなしになんとなく手にとったのがこの作品。

物語は名家で農業後継者の主人公がネパールの女性とお見合い結婚するところから始まる。
話の展開が早く、それでいてぞんざいなところは全くない。挿話のディテイルもちゃんと押さえてあり、丁寧さを感じる。次から次へと動いて行く物語に引き込まれっぱなしで、ページをめくるのが楽しくて、あっという間に時間が過ぎて行った。

山を削って出来たとある新興住宅地の土砂災害が一つの挿話として描かれている。この場面で思い浮かんだのは、昨年広島で起きた豪雨の後の土砂災害。多くの人が犠牲になった。テレビの映像で見る限り、その場所はやはり山を削って無理やり造成してできた住宅地のように思えた。報道や私の周辺からは「あんなところに家を建てるからだ」という声も聞かれた。私も同感。災害が起こるべくして起こった地形にしか見えなかった。災害の後「災害危険地区と知っていたならば家を建てることはなかった」。と被害に遭った人たちが口にする。有史以来なぜその地に人が住んでいなかったのか?それは人が住むべき場所ではなかったからという考えには至らなかったのであろうか。

物語は人間の築き上げてきた文明とそれに付随してきた負の部分との対比を軸として描かれている。この作品はフィクションだが、ずいぶん前に読んだノンフィクション、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジの「ラダック 懐かしい未来」を思い起こした。グローバル社会になって、チベットにも近代風の様式が流れ込み、ヤクの代わりに乳を一杯出すジャージー牛が飼われ、杏の実を入れておく器は木をくり貫いて作った壷から粉ミルクの空き缶に代っていった。それが本当にチベットのためによかったのか否か。そのために失われていったものの大きさに注意を向けるべきではないか。ヘレナはそう投げかけていた。本書の凄いところは、そういう重たいテーマを背景に持ちながら、そんなに理屈っぽくなく、むしろ単純に楽しめるエンターテイメントに仕上がっているという点だ。

終盤、舞台はネパールへと移る。カトマンドゥの街の喧騒と匂いとけだるさが伝わって来る。ここでも作者の丁寧な筆運びが光る。けっしてわざとらしくはなく、理屈っぽくもなく、それでいてエキスだけは逃さず抽出している。よほど練り込んで書かれているのか、それとも作者の感性によるものなのか、やはりその両方から生みだされる作者の分身のようなものなのだろう。

こんな作品に出会うことは本読み冥利に尽きると云うもの。昨年読んだ高田大介の「図書館の魔女」以来の感動ものだった。

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