山の本 : 「空へ INTO THIN AIR」ジョン・クラカワー 著 ★★★★★ 文藝春秋
投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-28 19:12:06 (808 ヒット)

1996年5月に起こったエヴェレスト大量遭難のルポ。
この本もいつか読む機会が来るだろうと思ってとってあった本のうちの一冊。

登山家でありジャーナリストでもある著者の文章力と作品の構成には光るものがある。登山家としてのエヴェレスト登頂の記録と、記者の目から捉えた営業公募登山隊の実態、そして惨劇の当事者としての手記、そのどれらも中身が濃く、しかもよいバランスで描かれている。

邦題の「空へ」に対して、著者はちょっと違うのではないかと疑問を呈したというが、それも頷ける。その惨劇が起こりつつあったとき、彼は8000メートル以上の超高所でのTHIN AIR の中にいたのであり、何も「空へ」ともがいていたわけではない。それともこのタイトルは、エヴェレストへ登る行為を無限の空へと向かって進む道になぞらえたのか、あるいは惨劇の末に帰らぬ人となったものへの哀悼の意を表したものなのか。

当時、「エヴェレストは500万円出せば登れる、登らせてくれる」という話が巷で広まっており、エヴェレストは商売の格好の対象であった。ジョン・クラカワーはそんな営業公募登山隊の現状を取材すべく、雑誌『アウトサイド』の記者として、ガイド付きエヴェレスト遠征隊に参加する。そして、彼は登頂を成し遂げるのだが、九死に一生をえて帰還する。心身ともぼろぼろになりながら、文字通り命を張ってその使命を全うした。それ故に彼の描く詳細を極めた記述は説得力があり、真実味がある。

個人的にはガイド登山というものに対してはあまりよい印象はもっていない、というか否定的だ。それゆえ、報酬をもらってガイドをする以上、登山中での出来事のすべてはガイドの全責任である、というのが私の基本的な考え方である。一方、500万円も出してまでエヴェレストに登りたいという需要があり、そこに商売が成り立つのも事実だ。しかし、不幸にも登山中にそのガイド自身に異変が起こったとき、ガイドが正常な判断を下せなくなったとき、営業公募登山隊としての機能は消滅し、「客」は自力で対応するしかなく、そのときになって初めて登山の本質と向き合うことになる。8000メートルを超える高所において、それは死と直面することを意味し、結果は時として神の采配にゆだねられることになる。

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