はんごんたん処方箋

富山オリジナル  パナワン

足跡掲示板

  • こんばんは〜、はじめまして、はんごんたんさん。プロフィール欄がないので、いったいあなたが、どういう方なのかわかりません。 ぼくは、1948年生まれで、4年間、富山大学の薬学部に在籍していました。その間、薬学部の山岳同好会に在籍もしていました。いまも藪山登りをしていて、 3,4年前まで山中に限って、たまに心臓に異常をきたしていました。偶然、この楽しいブログに出会いました。内容もさることながら、文章もしっかりしていて、すばらしいブログだと思い、ここに投稿させていただきました。 ( float cloud - 2016.05.13 20:53 )
  • 337さんいつもどうも。歳をとるにつれて、自分の山も変わってきました。のんびり歩いていると、今まで見えなかったものが、見えてきたりします。楽しみが増えたように思います。 ( panawang - 2015.06.17 05:28 )
  • 山での体調異変は不安になりますね(>_<) ( 337 - 2015.06.12 20:59 )
  • 私は久しぶりにとんがりさんを歩いてきました(^-^)今日は暑いくらいでしたね‼ ( 337 - 2015.03.15 20:24 )
  • 337さん、ありがとうございます。本当にあのチングルマは輝いてました。風邪ですか?もうどっか行ったみたいです。ビールもまいう。 ( panawang - 2014.06.25 21:39 )

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Help にゃ〜ん♪
投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-18 13:42:41 (9 ヒット)

先にルメートルの「天国でまた会おう」を読んだとき、自分の思惑とは若干異なる彼の母国フランスの評価ぶりにいささか戸惑いを感じたが、本作品を読んで、その一因がわかったような気がした。今思い起こしてみれば、本作品や「天国でまた会おう」に限らず、彼の作品の根底には絶えずフランス一流のエスプリが強く根を張っている。そのエスプリの肌での感じ方がフランスオリジンと日本人の私とで異なるのは否めない。本作品を読み終えてふとそんなひらめきが浮かんだ。ミステリーではあるが、こういうエスプリの効いた作品をフランス人は手放しで喜ぶのだろう。それともう一つ重要なポイントは、本作品や「天国でまた会おう」は「エスプリ」と並んでフランス人にはかかせない「システムD」の王道をいっている、という点だ。ルメートルの作品はこのかみ合わせが絶妙ゆえフランスでの大絶賛となったのだろう。「エスプリ」と「システムD」はなにもフランスの専売特許というわけではなく、我々にも十分響いてきて、楽しませてくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-18 13:30:10 (8 ヒット)

「スティール・キス」に続いてまたもや★二つ。
常に新境地を切り開こうとする作者の意欲には敬服の至りだが、本作品ではそのひらめきが上滑りしている感がある。仕込まれたトリックに「してやられた」というよりは「えー、そんなのありか」という印象の方が強い。冒頭からなんとなくいつもの作品とは切れが違う、と思いつつ読み進めるが、まぁ、そのうち凄いことになるのだろう、という期待は見事に裏切られた。なんでだろうなー。もし、次の作品もこんな感じだったら、リンカーン・ライムシリーズは完全に経年劣化に陥ったとみていいだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-12 10:12:26 (11 ヒット)

なんとなく、ジェフリー・アーチャーの作品を彷彿させるトリック劇。「天国でまた会おう」の続編ということで、その前作をよく覚えていないのでちょっと心配だったが、そう思ったのは最初だけで、読み始めるとあまり前作の主要部分を引きずっておらず、すぐに本作品の筋に入っていけた。
本書の原作には、フランスの新聞、雑誌に数多くの書評が寄せられたとのことだが、それほどの賞賛に値する作品という印象はない。戦時のフランスの文化、人間模様を主題としているだけに、熱の入り方がピエールの母国フランスと自分とでは差があるのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-12 10:09:16 (13 ヒット)

山岳小説にしては山の物語が貧弱だし、サスペンスにしては仕立てが陳腐過ぎる。昨今の山ブームに乗っかって出版されたのだろうが、その内容からして、ハテナ?と疑問を抱かざるをえない。出版社の質を問われてもしかたがないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-5-29 6:41:39 (17 ヒット)

片貝川上流は片貝川南又線に入るとすぐにゲートと駐車場が設けてある。ここから先は周辺の自然環境保全の目的でマイカー乗り入れ自粛区域となっている。そのことを示す立派な案内板も設置してある。来訪者の多くはこの趣旨を理解して駐車場に車を置いてその先を散策する。登山目的で猫又山方面を目指して南又の雪渓に入るにはこの駐車場から2時間くらいのアルバイトを要する。しかし、毎年今頃になると、どこまで車が入ったとか、南又発電所まで車が入ったとか、などという情報がタイムラインに流れてくる。ゲートは施錠してないため、県外からの来訪者は自粛区域とは知らずにうっかり通り過ぎてしまうこともあろう。しかし、自然を楽しむために訪れた一般の人々が駐車場に車を止めていて、自粛要請を無視してその先に車を乗り入れているのが地元の山屋だったり、ガイドさんだったりすると、いかがなもんかなぁ、と思ってしまう。
https://www.city.uozu.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=2418


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-5-26 10:27:12 (12 ヒット)

「風の群像」「孤愁の岸」に続き杉本苑子三冊目。前作二つは軽快で読みやすく、物語に集中できたが、今回は予想が外れ、というか全く内容を知らずに手にしたのだが、前二作とは趣が異なってちょっと戸惑った。

歴史物の面白さはその時代のダイナミズムにあると思うのだが、この作品の時代、平城京の時代はそのダイナミズムが主に混迷する朝廷問題に起因し、日本を取り巻く朝鮮、中国との関係も絡み合って、ますます一筋縄ではいかない時代であったようだ、との認識を新たにした。

皇族間での婚姻が常態化していたため皇族の系統が入り乱れ、天皇と退位した太上天皇が両立し、二人による統治も普通に行われていた。このため多くの王家が並列し皇室の系統ごとの派閥争いから皇位継承問題は血なまぐささがつきまとう。そこに輪をかけて混迷さを助長させ、複雑怪奇な時代背景を招いたのが藤原氏の皇族との姻戚関係。ただでさえ複雑な皇族の系統図に藤原氏の系統が絡みあって、時代はまさにドロドロに渦巻いていたといっても過言ではないだろう。そして、仏教との関わり。これらの要素を網羅しなければ平城京の時代は語れず、それを苦心惨憺し物語に組み上げた作者はやはり並みの作家ではないだろう。複雑に入り組んだ史実を抑えながらの物語となれば、読む方にもある程度の時代背景への理解が必要で、このためた他2冊の図書を携え、なんとか読み切ることができた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-23 13:20:58 (21 ヒット)

この人はタイトルの付け方がとてもうまいなと思った。先に読んだ「風の群像」もそうであったが、作品を見事に言い表した題名だと思う。
「風の群像」を読んでから、もっと作者の作品を読んでみたいと思って出逢ったのがこの作品。辿ると長くなるが、薩摩藩に興味を抱いたのは鳴海章の「薩摩組幕末秘録」。ここで富山売薬と薩摩藩との深い結びつきを知ることになる。薩摩藩が幕府に散々いじめられて財政難どころか窮地に陥り、それを立て直したのが家老の調所広郷。そのとき昆布の密貿易によって財を蓄えるのに一役かったのが富山売薬。やがて、薩摩藩の赤字は解消し、その蓄財をもって倒幕への足がかりとなった。富山売薬の影の支え無くして、英国との戦争はありえず、倒幕への道のりもまた違ったものになっていただろう。幕府憎しの大元が関ヶ原にあったことを知ったのは山岡荘八の「徳川家康」を読んだとき。長州、薩摩共々関ヶ原を境に幕府から虐げられ、そのときの悔しさ恨みが倒幕までの長きに渡ってくすぶり続けていたようだ。この作品の舞台となっているのは薩摩藩の財政難を著しく拡大、決定せしめた世に名高い「宝暦の治水」(この作品を読むまで知らなかったのだが)。財政再建を果たした調所広郷が生まれる前の年の出来出来事というのもなんだか因縁深い。幕府が課した治水の普請事業に携わる、なんとも泣ける武士の男達の生きざまを女性の作者がここまで的確に描いているのにまずは感心。また、この作品が書かれたのは昭和37年。平成最後の年に読んでも古臭さは微塵も感じられない。それがまた不思議でたまらなかった。時代ともに小説の書き方描き方は変わってくる、というのが持論。昭和37年というと今から50年以上も前になる。なのに、文章使いも、物語の運び方も、古臭さとは無縁だ。この作品で作者は直木賞をとったというが、直木賞の持つ底力を見直した作品となった。
ここでまた興味が募る。宝暦の治水のとき、本国財政破綻寸前の薩摩では富山売薬の差止めがあったや否や。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-23 13:20:04 (16 ヒット)

北方謙三の「武王の門」を読み終えてから、その背景にある足利時代と南北朝を舞台にした作品がないかと思って、探り当てたのがこの一冊。後醍醐天皇が流刑の地である隠岐から脱出し、北条を打たんと旗を挙げたときから物語は始まる。それに呼応した足利尊氏の一生と彼を取り巻く武士達と朝廷や公家らの思惑が網目のように絡みあう時代を描いている。
真田昌幸は生き残りのために度々陣営を替えてきたことで知られるが、彼の変わり身がそれほどでもないと思えるほど南北朝時代の武士達の身の振り方は複雑を極めた。朝廷自体南へいったり北にいったりネコの目のようにくるくる変わり、同時に院政の動きも連動する。そしてその各々から見方に附けよと令司が下る。武士達はそんな動きに振り回され、己の栄達と絡み合わせて、南についたり北についたり、もうそれは大変だったようだ。
そういう複雑怪奇な時代の断片を主人公の足利尊氏を通してうまくあぶり出している。文章も平易で物語的にも破綻は無く、この頃の時代背景を知るには良い作品だと思う。ただ、登場人物の言葉使い(特に足利尊氏)が「ため口」なのがちょっと引っかかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-2 12:51:12 (14 ヒット)

九州の歴史絵巻を読んだのはこれが初めて。地名がしっくりと頭に入って来ない。
足利時代に九州を一つの国にまとめあげようとした一皇族の物語。それはまるで作者の「梁山泊」を彷彿させる。「梁山泊」にあるように小さな勢力が次第に大きくなり、時代の治世者に挑んでいく。陸地における武力衝突だけではなく、海を介した交易も重要なファクターとなっているのも「梁山泊」と同じ。物語の緩急のつけかたも「梁山泊」に似ている。平たんな部分はちょっと間延びしてしまうこともある(「岳飛伝」ではそれが著しかった)。雌雄を決する物語の山が二つあるが、そのどれも迫力があり読み応え十分。だが、すべては最後の大宰府をめぐる攻防のためにこの物語は書かれたようになもの。どう物語が収斂していくのか、終盤にきて加速度的にページをめくるスピードが速くなった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-2 12:49:01 (15 ヒット)

著者が冒頭に触れているが、天下分け目の「関ヶ原」を描くのに、いったい歴史上のどの時点から始めたらよいのか、そこはやはり悩ましいところ。山岡荘八の「徳川家康」では家康の幼少期から始まっているので、そこに行きつくまではかなり長い道のり。話の切りだしは誰にスポットをあてるのか、それも重要な点。そういうことを落語の枕のように綴りながら、少しずつ物語の中に引き込んでいく。そして、いつの間にか読み手は「関ヶ原」への時間軸上を歩かされている。司馬遼太郎著がうまいのは、いきなり本編に入らないで、そういうふうにざわざわと物語を進めていくところだろう。冒頭だけではなく、途中途中の挿話にもそういう書き方がされていて、それらがやがて壮大なスケールの終盤へと集結していくのだから、お見事。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-28 10:18:25 (20 ヒット)

星七つは高田大介の「図書館の魔女」以来か。久しぶりに爽快、痛快な作品に出逢った。
おもしろい作品に出逢ったとき、よくそれが映画化、テレビドラマ化されるシーンを思い浮かべたりするのだが、本作品ではアニメーションの映像が浮かんだ。テンポがよくて、飾らない文体がそうさせたのだと思う。
江戸時代に於ける暦の改変という主題を、囲碁的、数学的、天文学的、歴史的、政治的という様々な見地から描きながら、それらをうまくコンパクトにまとめ上げている。かつ、物語性も秀逸となれば、言うことなし。作者の天才的な技量に脱帽する。多くの人が歴史小説の傑作としてこの作品を推すのも納得。
新田次郎の「点の記」的な匂いも若干感漂うが、それを上回る作品力に圧倒された。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-28 10:08:30 (18 ヒット)

馳星周が山を始めてから作風が変わったのか、それとも前々から抱いていた作品と自分の心の内との違和感から山に新天地を求めたのかはわからないが、前に読んだ「蒼い山嶺」同様、この作品にもネット上では賛否両論が飛び交っている。私としては、初期のころの自分にはない非日常世界に浸らせてくれたノワール作品に魅かれた。だから、馳星周の作品を久しぶりに手にしたときの驚きは大きかった。「ゴールデン街コーリング」は正統派青春小説そのものだったし、「蒼い山嶺」は山のサスペンスそのもので、かつてのノワール臭はかけらもない。なまじっか、自分が山をかじっていたものだから、山岳小説には期待するものが他の分野とは違った次元のものがある。自分の山の経験値と作品中の山岳描写、心理状態を比較しながら読んでしまい、フィクションであるはずの小説にある程度以上の、極めて高いノンフィクション性を求めてしまう。なので、山の小説への評価基準はそういったものをベースにおいて、冒険性、サスペンス性、物語性を加味したものとなっている。
「神奈備」は山の度合いは高評価だが、物語的にはいま一つとの印象を受ける。もともっとおもしろい山の作品を作者は書けるはず。作者のポテンシャルはこんなものではないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-27 18:35:04 (218 ヒット)





群馬のアズマイチゲと富山のキクザキイチゲ。
双方ともフクジュソウがほきてきた頃、サクラのちょっと前くらいから咲き始める。アズマイチゲのほうが少し早いかも。富山ではアズマイチゲ見たことない。去年のキクザキイチゲは色が濃かったけど、今年のは淡い色合い。冬の寒さがきついと濃い色になるのかも。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-14 12:50:13 (23 ヒット)

山岡荘八の「徳川家康 全26巻」(昭和58年NHK大河ドラマの原作にもなった)にその台詞がある。小説の中とはいえ、はたしてその信ぴょう性はいかに?もしかしたら、売薬さん仲間ではよく知られた話かもしれないが、私としては初めて目にしたことなので、ちょっとした驚きであった。

場面は、家康仕置きの最終章ともいえる大坂夏の陣での一コマ。5月6日の戦闘は幕府方の優勢で、豊臣方は大坂城近郊に追い詰められた。しかし、家康は孫の越前公松平忠直を呼び出して、その日功を上げなかった忠直に「お前は昼寝をしていたのか」と叱りつけた。忠直は汚名をはらさんと翌日の先陣を申し出でるが、家康は「先陣に昼寝をされては勝てる戦が負けになる」と一喝した。という一節。(しかし、忠直はこれに発奮して先陣と決まっていた前田利常を出し抜いて、翌日夏の陣一番の大活躍をする)
そのとき出てきたのがこの言葉。

以下引用(安藤直次を前にして)
「よい。では葛根湯を一杯持てと言え」
「は・・・?」
「孫ばかり叱れぬ。わしも生命を捨てる気で戦う。力をつけておかねばならぬ」
「ハハ・・・・」
と、直次は笑った。
「大御所さまが、そのお齢で」
「だまらっしゃい」
引用終わり

家康のこの戦にかける決意と心のうちがこのあと語られる。そして、その最中にも「葛根湯をすすりだした」との台詞がある。

さて、この日は旧暦の5月6日、新暦では6月2日にあたる。このとき家康74歳(満72)、気力体力の衰えはさすがに隠せない。しかし、引用文から読みとれるように、家康の気力は家臣も感服するほど充実している。夏風邪を引いているふうでもなし、なぜ家康は葛根湯を飲んだのか。薬を生業としていなければ、読み飛ばしてしまうところなのだろうが、小説を読み終えてからもこの点が引っ掛ってしょうがなかった。
家康の健康オタクは有名な話で、体調には気を使い、いつも医学書と薬を携帯していたとされ、この小説ばかりでなく他の小説の中でもしばしば家康が常備していた薬のことがでてくる。しかし、その名前が、万病円、龍虎丹、銀液丹など、あまり聴いたことのないものばかり。ところが、この場面で出てきたのは我々がごく普通に使っている葛根湯だったので、驚きとともにとても新鮮に感じた。だが、風邪でもないのに、夏に、しかもなぜ葛根湯なのか、疑問は深まる。

1. 単純に考えると、家康は葛根湯に含まれる麻黄の覚醒効果をねらって飲んだのではないか
冬の陣で外堀をすべて埋め立てられた大坂城は裸同然で、戦いの帰趨はすでに見えていた。しかし、家康の気持ちはただ勝てばいいという単純なものではなかったようだ。信長、秀吉に代表される戦国武将の闘いの目的はいかに天下の覇者となるかに重きをおいていたが、家康は彼らとはいくぶん異なる人生観をもっていた。ただ敵対するものを倒していくだけならば、戦乱の世に終わりはない。人々が安心して過ごせる日々はいつになってもやって来ない。等しく万民のための泰平こそが彼が求めるもの。三河の宿なしと言われてから数十年を経てやっとここまできた。家康の夢見た戦乱の世の終結がいますぐそこまで来ている。そんな彼の集大成ともいえる一戦だから、歳がどうのこうのとは言っておられない。上手の手から水がこぼれるようなことが万が一にもあってはならず、集中力を研ぎ澄まさせ、体力も十分に保っておかなければならなかった。

そこで、葛根湯を飲んだのではなかったのか。我々配置薬業者は経験上、やはり夏に風邪でもないのに葛根湯を飲んでいる方を知っている。訊くと、肩のこわばりや体力仕事をした後の骨病みに葛根湯を飲むと体が軽くなるのだそうだ。薬オタクの家康はそんなことはもちろん承知のはずで、この正念場で葛根湯を飲んだとしてもなんら不思議ではない。

2. 山岡荘八が葛根湯を持ち出す根拠となる文献、古文書等があったのだろうか
歴史小説の難しいところは、史実を抑えながら独自の観点でそれを物語化していかなければならないということ。史実は曲げられないが、逆に言うと史実に載ってない部分は自由な発想で物語を紡ぎだすことができる。

「家康」「漢方薬」という言葉でネット検索すると、興味深い記事がヒットする。
それは「甲子夜話」という随筆集。この中に大坂夏の陣で家康が使った薬が出てくる。もしかしたら、これは大ヒットかも・・・。「甲子(かっし)夜話」は江戸時代後期、肥前国平戸藩第9代藩主の松浦静山の手になる随筆集。なんと20年間分、278巻にも及び、江戸後期の世相が日記形式で書き綴られている。その「甲子夜話」続編十六にその記載がある。

以下引用
東照宮の引起(ヒキオコシ)と云う伝御薬あり。此御方、大坂夏御陣のとき諸陣に下されしと云。水或いは白湯(サユ)にてこれを飲むに、元気をひきおこす、甚功験ありと云ふ。
葛粉二十四銭 胡椒三銭 黄柏一銭
黄連一銭 肉桂一銭 甘艸七文五輪
右六味細末
引用終わり

家康が「引起」(ヒキオコシ)という薬を戦のときに準備して、家来に分け与えていたという伝承があったらしいことはわかる。
処方として葛根湯と重複するのは「葛粉」「肉桂」「甘艸」の三味。
これからすると、発汗作用・鎮痛作用、解熱、神経痛、健胃、整腸の食欲不振などの効能が期待できるが、「胡椒」「黄柏」「黄連」を足してあるところをみると、どちらかといえば健胃薬としての効能の方が高いようだ。まず胃腸を丈夫にして病気にならない体づくりに励もうということだろうか。また、暑い夏の時期であれば、食あたりや水あたりに陥りやすい季節でもあり、それに対応する「引起」は兵士たちに強い味方であったと考えられる。
そんな「甲子夜話」のこの部分を作者の山岡荘八が知っていたかどうかは定かではないが、健胃薬に近い「引起」を葛根湯として紹介するにはやや難があるように思える。

3. 御陣薬として家康が「枇杷葉湯」という薬を準備していたというのも有名な話(出典は未確認)
その処方は、枇杷葉 一銭 肉桂、藿香、木香 各半銭、呉茱ゆ 五分 益知 五分、甘草 二分。こちらも前述の「引起」同様健胃薬という要素が強い。
江戸時代に入ってから暑気払いの妙薬として有名となった薬で、江戸では真夏になると、薬屋が店先で夏バテ防止に道行く人たちにふるまったという。釜で煮立てた溶液」を庶民たちは汗をかきつつフーフー冷ましながら飲んだ。一方、関西では行商人が薬缶に煎じ薬入れて売り歩いた。「枇杷葉湯」は江戸時代の風物詩だったらしいことがうかがえる。初夏に飲むというよりは、盛夏の暑気払いとして飲用し、弱った胃腸を整え丈夫にして夏を乗り切るために使用されたと考えられ、今で言うならば健康飲料、健康茶に近いものであったと推察される。やはり、これもここ大一番という場面で家康が所望した薬といえるかどうかとなると疑問は残る。仮に、健康飲料として飲んだのだとしたら、すなおに「枇杷湯を持ってこい」と言った方が自然であろう。

4. では当時、家康が葛根湯を使ったという史実はあったのか
これを見極めるはとても難しい。家康に関わる文献や古文書、一つ一つひも解いてみなければ真相は究明できない。一般市民にとっては至難の業。
名古屋にある徳川美術館に家康が没した際の遺品形見分けを記録したものが収蔵されている。「駿府御分物帳目録」というのがその中にあり、「尾張家本目録」「御藥種之帳」と続く。家康が尾張家に残した薬を調べれば、家康が使った薬がわかるというもの。だが、この「御藥種之帳」は一般公開されておらず、データベース化もされていない。刀剣や他の道具に関してはいくらか研究もされ、その成果をネットで閲覧することが可能だが、「御藥種之帳」は残念ながらヒットしない。そこで徳川美術館に問い合わせてみたところ、かつて「東京大学歴史編纂所」というところで研究対象になったことがあるとのことで、そこにあたってみてくれないか、ということだった。そこで「東京大学史料編纂所」のデータベースサイトに入り、「御藥種之帳」を検索してみたが、ヒットしない。もしかしたら、データベース化されなくも、文字と写真で起こしてあれば閲覧も可能かと思い、その旨を問い合わせてみたら、「駿府御分物御道具帳」という謄写本があるとの返事が返って来た。だが、この冊子は取り寄せ不可能で、現地にて閲覧するしかない。しかも、そこに収載されているのは単なる薬の原料の羅列なのか、それらを応用して処方された薬も紹介されているのかはわからない。残念ながら、ここからの線も行き詰る。

5. もう一度葛根湯に戻って
「平安時代末期、陳師文等が撰述した「太平惠民和剤局方」が輸入された。本書は治療の多数の処方と応用を詳説したもの。江戸時代の末に至るまで我が国医方に繁用された。後年「薬局方」なる名はこの書に淵源する」(「明治前日本薬物学史」)
薬オタクの家康はこの「和剤局方」を手本として自ら薬を調合していたという。この「和剤局方」に葛根湯はありや。「和剤局方」はデジタル化されネットで閲覧することが出来る。それをめくってみると、前述の万病円、龍虎丹、銀液丹も収載されている。しかし、小青龍湯、小柴胡湯、麻黄湯といった現在でもおなじみの漢方薬は出てくるが、肝心の葛根湯がみあたらない(もしかしたら私の見落としかもしれないが)。かわりに、似た名前の「升麻葛根湯」「葛根解肌湯」というのを見出すことができる。
「升麻葛根湯」は「大人小児、時気瘟疫、頭痛発熱、肢体煩疼するを治す。及び瘡疹已に発し、及び未だ発生せず、疑似の間宜しく之を服すべし」とある。成分としては、「葛根」「芍薬」「升麻」「甘草」「生姜」(「増廣太平惠民和劑局方」享保17年巻のものには「生姜」が含まれていない)。葛根湯と重複するのは「葛根」「芍薬」「甘草」「生姜」の四味。「麻黄」のかわりに使用されている「升麻」は解熱、解毒剤の効果があり、前述の「引起」よりは現存の葛根湯に近い。「麻黄」が使われていないのはやや弱いとの印象を受けるが、これを逆手にとって麻疹にはこの「升麻葛根湯」がまず第一に処方されていたらしい。麻疹の初期では熱など風邪に似た症状が出るため、安易に麻黄剤を処方するとかえって症状を悪化させる場合がある。傷寒と瘡疹と区別がつかない間はまず「升麻葛根湯」を与えて様子をみるということだ。これは、今でも通じることで、我々もきもに銘じておかなければならない。急な熱やだるさが出たとき、つい葛根湯と思いがちだが、服用後症状が重くなってきたらすぐに医師に診てもらうべきであろう。逆に言えば初期の段階で傷寒と瘡疹との区別がつくのが名医の証しの一つとなろう。また、江戸時代には流行性の風邪、今で言うところのインフルエンザには小青龍湯、麻黄湯、とこの「升麻葛根湯」の三つが主な治療薬であったらしい(現在なら、葛根湯、麻黄湯、桂枝湯が相当か)。「升麻葛根湯」は現在の局方にも収載されており、体力中等度で、頭痛、発熱、悪寒などがあるものの次の諸症「感冒の初期、湿疹・皮膚炎」に用いるとあり、麻疹や風疹の初期には有効なようだ。
「葛根解肌湯」の成分は「葛根」「麻黄」「桂枝」「芍薬」「甘草」「黄芩」の六味。葛根湯にある「大棗」「生姜」の代わりに「黄芩」が使われている。先の「升麻葛根湯」よりも、より葛根湯に近い処方と言える。桂枝、麻黄が使われていることから、関節痛や頭痛、悪寒などに有用だったと思われる。
さらに、葛根湯には「桂枝加葛根湯」他、派生したものもいくつか存在し、紛らわしい呼び名ではある。はたして、夏の陣で家康が飲んだのはどの葛根湯だったのだろうか。「升麻葛根湯」や「葛根解肌湯」を作者が知っていて、現在の葛根湯に置き換えて使ったのかもしれない。たしかに「升麻葛根湯を持て」と言うよりは「葛根湯を持て」のほうがリズム感もあり、わかり易いだろう。

6. やはり、家康は葛根湯の原典となる「傷寒論」に精通していたのだろうか
日本に現伝本と等しい「傷寒論」が伝入したのは鎌倉時代に入ってからとされる。健康、薬オタクの家康は当然「和剤局方」同様「傷寒論」を参考にしていたとしてもおかしくはない。だが、この件に関する伝承や文献はなかなかみつからない。やはり、ここは歴史のロマンというところで収めておくのがよいのかもしれない。
「徳川家康」が新聞小説として始まったのは昭和25年。それから18年の長きに渡り連載された。その間、体調の悪いこともあったろうが、そんなときでも原稿を切らすわけにはいかない。そこで作者が体調維持のために頼りにしていたのが葛根湯だったとしたらどうだろう。家康の万民泰平の夢はこの一戦にあり、作者の連載もいよいよ大詰めといったところ。もしかしたら作者は葛根湯を飲みながら家康になりきって夏の陣に想いを馳せていたのかもしれない。

蛇足ながら・・・
今回の考察をへて、富山市が構想中の「くすり関連施設」に思うこと
歴史小説に出てきた「葛根湯」、それも徳川家康が使ったという話に興味をひかれ調べてみた。いまや、ネットという便利なツールがあり、何を調べるにも「検索」一発で事が足りる。だが、そこには「ようである」「ようです」「といわれている」など、二次、三次情報が万延し、その真偽を見極めるのはとても難しい。トランプ大統領がよく使うようにまさにそれは「フェイク」かもしれず、その定かでない情報に一喜一憂させられる場合が少なくない。
家康が葛根湯を使用したか否かについては、まず、ネットを駆使して手掛かりとなる情報を集め、それを端緒として図書館の伝手を使ってより精度の高い情報にアクセスしたり、家康関連の博物館や美術館に問い合わせたり、大学の研究機関への問い合わせも試みた。しかし、実際のところそれを証明する確かな文献にまで到達することができなかった。問題は、何かを調べるには何が重要な鍵かを知り、その鍵を誰が持っているか、また何処にあるか、そしてどこを押せば鍵となるボタンに近づけるか、その点にかかっているのに、その工程をうまく構築できなかった点にあると思う。

大学の研究機関では、鍵となる文献にいきついたとしても、それが研究室貸出となっていれば、それを閲覧することは一般人には叶わない。また、研究室への問い合わせも、一般人からは原則として受け付けない、という大学もある。博物館、美術館の所蔵品はとても貴重な史料であり、ガラス越しで表紙ぐらいは見ることができるかもしれないが、中身を精査するのはとても無理。すでに大学の研究室等で分析され冊子化されているものもあるが、それを取り寄せることあたわず、コピーを有料で分けてもらうにしてもとても高価なものについてしまう。国立国会図書館ではデジタル化された文献があったが、その原本を閲覧しようにも、現地まで出向かなければならず、仮にその文献に求める史料が残されているかどうか手にとってみないとわからないとなると、わざわざ国会図書館まで出向くというのも二の足を踏んでしまう。

今般、富山市に新しく「くすり関連施設」が新設されるという。
その基本理念は「富山の薬の歴史と文化、精神を継承し、薬都の未来を市民とともに創造する」とある。もちろん売薬史料館としての機能は充実したものになると思うが、それに加えて、日本の薬文化や歴史について学術的に網羅する研究施設も併設することを希望する。先に述べたように、大学の研究機関は敷居が高く、全国に散らばる薬関係の史料を収蔵した博物館や、美術館へは今それと訪問できるものではなく、大学や他の研究機関へのアクセスも一般人ではなかなか難しい。そんなとき、この施設利用すれば探し出したい史料がみつかる、ちょっとした疑問にも答えてくれる、ここになければ、他所との連携から鍵となる案件へと導いてくれる、そういう機能とサービスがあればとても助かるというもの。「富山のくすりの殿堂」であるばかりではなく、「日本の薬文化や歴史のことも」という看板が備われば、真に薬都富山にふさわしい施設になるのではないだろうか。

主要参考文献
山崎光夫「薬で読み解く江戸の事件史」東洋経済新聞社
山崎光夫「我に秘薬あり」講談社
新村拓「日本医療史」吉川弘文館
篠田建明「徳川将軍家十五代のカルテ」新潮社
松浦静山「甲子夜話 続編2」平凡社
(財)日本古医学学資料センター「明治前日本薬物学史」臨川書店
「増廣太平惠民和劑局方」国立国会図書館デジタルオンライン
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突然の、また唐突な問い合せにもかかわらず親切に対応していただきありがとうございました。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-13 16:50:29 (31 ヒット)

「ゴールデン街コーリング」ではいささか面喰ったが、この「蒼き山嶺」ではそれに輪をかけるくらいびっくらこかされた。馳星周が山岳小説を書いていたとは。だが、これがまたおもしろい。中の上の上、くらいの出来。サスペンス的にはややダイナミック性に欠けるが、山の部分がかなりよくできている。山とサスペンスの融合は難しい分野だけに、この作品はよく出来ている方だと思う。早春の白馬稜線から日本海へ抜ける逃避行。裏社会の匂いを漂わせながらも、心温まる青春小説風の仕上がりとなっている。馳星周の転機となったのはな辺にあるのか、突っ込んで読んでみたい気になった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-19 10:24:20 (52 ヒット)

地元紙に紹介されていた一冊。すでに借り手がついているではと思ったが、ラッキーなことに書架に並んでいた。冒頭からぐいぐい引き込まれ、ボス缶2個飲み終える頃には読み終えていた。

「不夜城」に代表されるようなジェイムズ・エルロイ的なノワール世界は微塵もない。浅田次郎と石田依良を思わせるタッチはとても読みやすい。作品の中で主人公が、平井和正の作風が途中からガラっと変わって以降興味が薄れていった、という記述があるが、この作品を通してノワールから大きく方向転換した馳星周とダブって見えた。読みやすく大衆受けするのは本作品のようなハートウオーミングな物語なのだろうが、「不夜城」みたいな得体のしれないブラックな世界を作者に期待してしまうのは私だけではないと思う。

ともあれ、読者の多様性に作家の多面性がうまくマッチした良作なのは間違いなく、そのうち、映画かテレビドラマ(NHK)になるかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-19 10:15:39 (49 ヒット)

一次大戦の終局面から物語は始まる。
いきなり繰り広げられる主人公らの戦闘場面がリアルで生々しい。このあと物語はどこへ向かうのだろうか、あれやこれや想像しながらページをめくる。起承転結の承のあたりからなんとなくそれが見え始め、それが途方もなく奇想天外なのだが、以後トントン拍子に事は運んで行く。途中紆余曲折もあるが、だいたいは読者が思い描く方向に進んでいく。かといって、予定調和に陥るわけでもなく、その辺のバランスはよくとれていると思う。映画「スティング」のような心地よい読後感が残った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:22:51 (28 ヒット)

これは掘り出し物だ。
一年に何冊の小説が出版され、その中に邦訳物が何冊あるかは知らないが、海外のどこかで誰かの手によって放たれた作品が、邦訳されて一地方の書架に並べられ、そして、たまたまそこに目がって、それがまたとてつもない感動を与えてくれる、そんな幸運な巡り合わせが時としてはある。本作品もその一冊。

単なる贋作ミステリーかなと思って手に取ったら、さにあらず。物語は1630年代と現代そして1950年代、オランダとニューヨーク、オーストラリアを行き来しながら、画像としては目に見えないが、読み進むにつれて心の中に一枚の絵が形成されていく。それは読み手の一人一人の心の絵であって、本を読みながら抱く一人一人の想いにも似ている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:19:45 (35 ヒット)

アイスランドの干からびた湖から見つかった白骨死体から紡ぎだされたのは、哀しくて切なくて、そして懸命に生きた青春群像。サスペンスではあるが、それを超えた重厚な読後感に満たされた。少ない手がかりから、真相に迫っていく主人公の刑事と読み手の気持ちが見事にリンクしていくのを感じる。なので、どんどんと物語に引き込まれていった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:16:56 (42 ヒット)

元大統領が贈る小説とはどんなものであろうか、興味はひたすらその点に尽きる。政治家と小説家と二足のわらじで成功している作家と言えばジェフリー・アーチャーがまず浮かぶ。はたして、ビル・クリントンの実力のほどはいかに・・・。よくできた作品だと思う。が、「ビル・クリントンが書いた」という話題性に見合う作品かと問われれば疑問符だらけ。

まず、上・下2巻に分かれているが、この内容ならば1巻で収まるボリューム。なんで2巻しなければならなかったのか理解不能。テロに挑む大統領にしてはスター性に欠ける。ジャック・ライアンンの印象が強すぎるからだろうか。いざ、戦いとなったら、敵が弱すぎる、あっさりとやられてしまう、芸がない。なにより、肝心となる謎解きのキーワードの作り込みが不可解。一見筋が通っているようだが、自分的にはあれっ?と思いながらも物語が進行していくので、もやもやが最後まで付きまとう。さらっと散りばめられた付箋に気付かなかっただけなのだろうかと、何度も何度も振り返ってみたが、結果は同じ、やっぱり読み切れなかった。論理的な破綻はどうしようもない。大統領の身近に女性が多すぎる。副大統領、CIA長官、FBI長官代行、大統領秘書、大統領の主治医、イスラエル首相などなど。これはビル・クリントンの御愛嬌だろうか。

最後に、大統領の亡くなった夫人の名前が「レイチェル・カーソン」。冒頭に出てくるこの名前からあのレイチェル・カーソンを思い浮かべた者は少なくないはずだ。「沈黙の春」は急速に進化する文明に警鐘を鳴らした名著。ネット社会にはらむ脆弱性と危険性が本作品のテーマとなっており、本作品はレイチェル・カーソンへのオマージュ的な意味合いもあるのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:16:04 (35 ヒット)

様々な素材からなる短編集。そのどれの主人公にもトム・ハンクスがなった映画を想像してしまう。この短編集の映画化、トム・ハンクス監督・主演、を望むのは私だけではないと思う。

著者が私と同年同月生まれだったとは知らなかった。方やオスカー俳優、方やしがない日銭稼ぎ。そんなことは比べてみても何ら意味があるわけでなく、彼は彼、私は私だ。それでも不思議な因縁がないわけではない。本作品は「タイプ」が重要なキーワードとなっているが、我が家にも捨てるに捨てられないタイプライターが一台ある。この作品に出てくるような由緒ある機材でもなく、トム・ハンクスが蒐集している骨董品でもない。学生時代に手に入れた中古品で、今で言うなら、ラップトップ型とでも言うべく小型なものだ。当時何に使ったかというと、自作した音楽カセットテープのタイトルを手書きにするよりタイプ打ちした方が恰好よかったからで、ただそれだけしか使い道がなかったように思う。いずれ社会に出れば英文に接する機会があるだろうとの思いも少しはあったかもしれない。実際にタイプライターを使うようになったのは社会に出てから4年目。最初がオリベッティだった。肩番までは覚えていないが、さすが事務用本格タイプライター、私のおもちゃみたいなものとはわけが違う。確かバックスペースも付いていたような気がした。なるべく早く間違いなく打てるようにブラインドタッチを必死になって練習した覚えがある。次のマシンがIBMのものだった。これは本当にマシンと言える代物で、本作品にも出てくるが、ボール(球体)の周囲に刻印がしてあって一文字打つたびにボールが回転して印字され、しかもフォントはそのボールの交換によって簡単に変更できる、とういう感動の涙ちょちょ切れるマシンだった。それからしばらくたって、タイプ打ちとは遠ざかり、手にしているのはいつの間にかキーボードになってしまった。はたして、うちのおもちゃのようなタイプライター、今でも使えるのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-1-6 10:37:43 (45 ヒット)

正月に何冊か読もうと積んであったが、読み終えたのは結局この一冊。
ネット閲覧やら何やらでだらだらとして、正月があという間に過ぎていった。
もうちょっと、奇天烈マジックを想像していたが、読んでみると意外に素直な探偵小説。マンガチックだが、映画のシーンが目に浮かぶドラマ仕立てに想像力がかきたてられる。このシリーズ、最初から読んでみたい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-1-6 10:36:14 (36 ヒット)

久しぶりのジェイムズ・エルロイ、やっぱり難解だった。
根底に流れる壮大なミステリーに気付くのは終盤になってから。それまでは場面展開の速さについていくのがやっとで、どこがどうなっているのか、どことこがどう繋がるのか、それを探しながら手探り状態で読み進んでいく。話の大筋が見えてきてからも、断片的に描かれた挿話の辻褄合わに必死。やっぱり、しっくりこない。読み終えた後も、余韻というよりは、消化不良のもやもやとした感がぬぐえなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-12-20 20:55:10 (73 ヒット)

ある夏の日の公園。リハビリがてらカメラを持って散策しにいった。園内は季節の花を楽しむ人で賑わっている。そこへ記者の方がやってきて写真を撮り始めた。そのうち、来園者の方にいろいろとポーズを依頼して、人物が入った園内の様子を撮りだした。私は、よせばいいのに、記者に「それはやらせではないのか」と質問したら、記者は「これはやらせではなくて演出です。こうしなければ撮れない場合もあるんです」とのたまった。なるほど「演出」か、うまいことを言うもんだ、と感心した。確かに花の公園の賑わいを伝えるには、それを目当てに来る人々の様子が写っていた方がよいだろう。次の日、地元紙にその記事は載っていたが、人物を配した写真ではなく、公園の花を主体とした写真のみ。なぜ、せっかく依頼してまで撮った写真を載せなかったのだろうか。依頼された方は、もしかしたら載るかもしれない(載るかどうかはわからない、と言われながらも)と聞かされていたから、朝刊を開いてみてさぞがっかりしたことだろう。それなら、最初から演出などしなければいいのに。私の一言が記事に影響を与えたとは思えないのだが。
もしかしたら、その記者はそういうふうにしてこれまでの記事を書いていたのかもしれない。もしかしたら、いじった写真を載せていたのかもしれない。うそではないが演出された記事もあったのかもしれない。この件の背景にあるものはけっして小さなものではないと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-12-18 10:28:40 (54 ヒット)

名前だけは知っていて、人気のある武将であることを耳にすることがあったが、北条早雲についてはなんにも知識がない。それだけに、興味深く読めたのは間違いない。北条早雲こと伊勢新九郎は備中荏原荘(岡山県井原市)で幼少期を過ごし、その後、駿河、伊豆を制覇する。彼の知略に長けた戦術が次々と披露されるのが、本作品の見どころ。

著者の作品は初めてだが、とても読みやすく、さらさらと読めてしまう。
まるで、マンガの一コマ一コマを文章にした感じ。逆にいえば、文章にふくらみがなく、作品としての深みにも欠ける。脇役や敵対する武将らへの深掘りが無いのもあっさりと読める要因だが、その分、作品としての幅がなくなるのは否めない。

応仁の乱前後の将軍家の動きもうまく取り入れられており、その時代背景を大雑把に理解するには良い作品だと思う.


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-11-22 11:50:55 (60 ヒット)

地元で有名な戦国武将といえば、やはり佐々成政がダントツ。
これまで、あまりにもこの人のことを知らなさすぎた。県外の方と話をしていて、話題にのっても、私は相槌ぐらいしか打てなかった。外国人に日本のことを話せないのと感覚は同じ。

本書は膨大な史料を精査して、佐々成政の実像に迫ろうとしている。戦国時代を描いた小説もおもしろいが、こういう風に史実の積み重ねからその人物像を作り上げていくというのも楽しいものだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-11-9 11:13:33 (68 ヒット)

著者あとがきによると、この作品は当初漢方薬メーカーの月間広報誌に掲載されたものだという。
企業の広報誌にこういった作品の執筆場があるとは知らなかった。どういう広報誌なのか見てみたいと興味がわく。また、広報誌にこういう作品を載せる会社の姿勢というか度量に感心もした。
山岡宗八の「徳川家康」の再読から始まった時代小説再発見の旅は自分の中での戦国時代の総括でもある。医師の目線からみた戦国の世はこれまで読んできた武将物語とは趣が異なり新鮮だ。戦国時代の医療はどういうものだったのか、時代背景と連動し患者の身分の差や敵対関係を問わず真摯に処する主人公の姿が印象的に残った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-10-31 18:32:35 (53 ヒット)

先に読んだ直江兼続と重なりあう時代に生きた真田三代、主に昌幸と幸村を中心に、を描いている。同時代に生きた、それも接点がある人物を同じ作者が別々の作品として描くのは難しい。挿話の一貫性に矛盾があってはいけないし、似た表現の描写が出てくるのは否めない。同じ時代を別々の人物からの目線で描いていることを期待して手に取ったが、それにはハードルが高かったようだ


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-10-12 20:56:27 (73 ヒット)

上杉景勝に仕えた名将、群雄割拠する時代において名脇役とも称される直江兼続を描いた作品。直江という性は我が町内に幾軒かあって、以前からもしかしたら元々越後が本領の上杉家となにかしら関係があったのではないかと気にかかっていた。信長方との魚津城での戦いでは、直江兼続は上杉景勝とともに魚津城を望む天神山に陣取っている。当然兼続ゆかりの寄板衆直江一族も配下として加わっていたと考えられる。その流れの一部が魚津から近い我が町に根を下ろしていたとしても不思議ではない。
ともあれ、上杉家も時代に翻弄された名門のうちの一つであった。一時は越後から東北の覇者も夢ではなかったのに、戦国時代末期の見えざる糸に導かれていく様は伊達政宗のそれによく似ている。覇者への道から生き残りを賭けた政治的な戦いに力を発揮したのが直江兼続だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-30 15:05:45 (68 ヒット)

関ヶ原を描いた小説を読むのはこれで連続して5度目。
これまでぴんとこなかった「政宗」がこの作品でようやく自分のものになった。
奥州の覇王を目前にしてその潮目が変わったのは秀吉に屈したそのとき。戦わずして誰かの軍門に下るということはそれまで政宗にとって考えられないことだった。秀吉が得意とする戦乱の世の処し方に政宗も組み込まれてしまった。それが、後の家康との結びつきにも繋がっていく。

ももと、東北が蝦夷と呼ばれていたころから、かの地では中央(朝廷)からは距離を置き独自な文化を築いていた。坂上田村麻呂によって征服されたとはいえ、朝廷側のやり方を直接押しつけるようなかたちはとってはいない。
それは奥州藤原三代の統治の頃になるといっそう顕著となり、藤原氏が絶えて後も戦国時代まで続くことになる。政宗の時代までは群雄割拠というよりは小雄の小競り合いの延長のような国取合戦が延々と行われてきた。それが秀吉の出現によって、新たな国取の絵図が描かれるに至って、政宗もその渦中に巻き込まれることになる。それでも、東北は我らのもの、秀吉何するものぞ、と最後まで抵抗した九戸政実のような生き方を選んだものもいた。しかし、川の流れはあまりにも早すぎて、政宗が奥州固めを万全とするまでの時間を与えてはくれなかった。形の上では秀吉に屈した形にはなったが、心の内は東北人の矜持を失っておらず、それが政宗人気の一つになっているのかもしれない。


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