投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-2-4 10:47:39 (161 ヒット)

分厚い5巻。当初思っていたより読了まで時間がかかった。
私の「三国志」は吉川英治のそれで世界観はほぼ固まっていた。先だって、北方謙三のを手にしたとき、また別の三国志に出会った感があった。吉川英治のは劉備中心の構成で、故事もうまく活用されていて、多分多くの人はこの作品に感化され私と似たようなイメージを抱いていたのではないかと思う。それに対して、北方謙三作品は吉川英治「三国志」とは一線を画し、周瑜にかなりの重きを置いている。劉備は惨敗続きの弱小軍団に過ぎない。酒見賢一の本作品もどちらかと言えば、北方謙三に近いスタンスをとっている。劉備の終盤も淡々と描かれている。本作品の凄いのは、史実とその後に作られた三国志演義、そして「三国志」を深堀して、独自の三国志を再現している点にある。これまで多くの人がイメージとして抱いていたであろう「三国志」とは全く違った世界がそこにある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-1-9 16:05:30 (183 ヒット)

私が「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」を読んでいたころ、カミさんが本書を図書館から借りてきていた。著者のことは初めて聞く名で、ましてや日本人初の女性K2サミッター(2006年)であったことも知らなかった。そもそも日本人女性でK2に登った人がいることさえ知らなかった(実は3人いる)。そんな著者の本だけに興味津々、カミさんが読み終えたので、返却期限まで間があるので、拝借して読んでみることにした。

期待していたK2や山のことについての記述は冒頭の部分だけ。K2登頂後に挑んだシスパーレでの敗退を期に、彼女の興味は山岳僻地に暮らす人々に向いていく。その後。独りアジアの砂漠や草原を旅する中でシリアの人々に魅了されていく。本書の主題はそんな彼女が見た、経験した、シリア内戦とそこに暮らす人々の生活。砂漠に暮らす人々の生活様式やイスラム社会のことも新鮮だが、それがリアルに映るのは彼女の実体験からくるものだろう。そこにはK2登頂よりも過酷で非情な現実があるのだが、そのすさまじさをあっさりとした文体で綴られているのも本書の特色だ。そこには、そこに踏み込んだ彼女の純粋でしなやか、かつ芯の強さがうかがえる。

たぶん、彼女が本書で意図したことは、本当のシリアを、本書の題名ともなっている「人間の土地」を、より多くの人に知ってもうらうことだと思う。その意味では、見事にその役目を果たしている。だが、読み手が向き合うのは、メディアなどから伺い知れないシリアの実情もさることながら、そんな「シリア」に入れ込んだ彼女の生きざまそのものだと思う。もし彼女がK2登頂を果たしていなかったら、こんな風に「シリア」とは向き合えなかったような気がする。根底には「山」というものが根っこにあるからこそのその後の彼女人生があると思う。本当に筆舌に尽くしがたい彼女の生きざま、それを選択した彼女に尊敬の念を覚えるとともに彼女とその家族に幸あれと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-12-30 18:14:05 (186 ヒット)











前々から気にはなっていたのだが、なかなか行けずにいた。今回カミさんのリクエストがあったので行ってみることにした。ダムに至る角川沿いの鹿熊集落は思っていた以上に栄えていた。もっと閑散とした山里を想像していたが、立派な家々が連なる。意外であった。
角川ダムからも道は城跡へと続いているが、駐車スペースがあるかどうかわからなかったので、ダム沿いの広場に車を止めてそこから歩くことにした。ちょっと歩くと道標があり山道へと導かれる。城址までの道はよく整備され、ほぼ100パーセント杉の植林帯。低山なのでしかたないが、もうちょっと雑木を残しておいてもよかったのではと思う。一汗かいたころ、松倉城があった山頂に着く。
山城跡だけあって、地形をよく考えて造ってある。本丸跡はちょっとした台地になっていて、そこだけは杉がない。それどころか、立派なヤマザクラが幾本も立っていて独特の雰囲気があった。剱が見えたのは良い誤算だった。僧、毛勝、釜谷の稜線も顔を覗かせる。きょうはあいにくの高曇りですっきりとしない景色だったが、もっと好条件の日にまた訪れたいと思った。特にヤマザクラが咲くころには是非とも来てみたい。

ダム横車止め起点 登り1時間30分 下り30分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-12-28 17:47:35 (187 ヒット)

世間では、栗城がエベレストで無謀な登山をして逝った、ということになっている。私の周囲もそれまではやんややんやと岡目八目的な言い合いをしていたが、以後、ほとんど話題にのぼらなくなった。いろいろ言われているが、私としては、度重なる失敗にもめげず、可能性に賭けて挑戦し続けた彼を評価している。「栗城史多のエベレスト劇場」とこきおろされながらも、再々度とエベレストに臨むなんてなかなか出来るもんじゃない。何かを期待させる、そんな目で見ていた。8回目の挑戦で彼は帰らぬ人となってしまって、とても残念てならない。

さて、本書についてだが、ノンフィクションというには、なんだかオブラートに包まれた文面で、切れ味に掛ける印象。亡くなった者への配慮がそうさせたのだろうか。死者にムチを打ちたくない気持ちと、「栗城史多のエベレスト劇場」の真相を解き明かそうとする気持ちの中途半端さが感じられる。なので、栗城の「山」、栗城という人物像がぼやけてしまっている気がする。

本書の題名「デス・ゾーン」は安易に過ぎる。キャッチコピーとしては内容にそぐわないと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-12-24 18:16:04 (200 ヒット)





















朝起きて新聞を取りに出たときは小雨が降っていた。朝食を食べ終わるころには明るくなって来て、雲間に青空も見受けられる。天気は回復傾向にあり、雨はないだろうと思って出かけた。
伊折部落の単管ゲートからさらに除雪してあったが、本ゲートまでの状態と車を置くスペースが確保されているかどうかわからなかったので、伊折部落から歩くことにした。空は雲が広がったり、晴れ間が出たりと目まぐるしく変わる。除雪は小又橋手前300メートルくらいで止まっている。右手林道の谷止め工事がなかなか終わらなかったためだ。今日は現場に残してあった重機などを撤去して、来春また仕事にかかるのだそうだ。おかげで、ラッセル無しの歩行がだいぶ稼げた。
ここからスノーシューを履いたが、このところの冷え込みが緩かったので、雪は重たい。だが、歩くにつれて青空がだんだん優勢になってくると、心も軽くなる。一汗かいたころ、ゾロメキを過ぎてカーブを曲がった撮影ポイントに到着。撮影対象としての剱のコンディションは申し分のない好条件だった。時間帯もちょうど陽が傾き始めたころで、ちょうどよかった。この時期は遅出の方がよい場合もある。黎明の時間帯と昼過ぎのどちらかだろう。
ひとしきり写真をとってから陽の当たるところまで下って、昼食とした。

伊折単管ゲートからポイントまで2時間 帰りも2時間
膝の状態はよくない、抜ける感じと力が入らない状態が固定したまま


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-12-10 18:35:32 (194 ヒット)





















前回、土倉山へ行ったとき、装具で固めても膝の皿が下の方へずれるのを確認した。固く締めても同じで、きつさが増すだけだった。そこで今回は、テーピングで皿を上の方に引っ張るようにしてみた。膝回りの締め付けはないので、走ることには難があるが、ゆっくり歩くには装具で固定するより楽だ。
ゲートからの道中、全く雪がない。難なく中山登山口に到着。時間も早いので、試しに登ってみることにした。雪が出てくるのは頂上稜線に上がってから。山頂付近ではくるぶしまでの深さ。膝の緩みはぬぐえないが、これくらいの登行差なら、ごまかしごまかしなんとかなりそうだ。膝蓋骨と膝関節の一体感さえ戻れば御の字である。

中山登山口から山頂まで1時間20分 ゲートから往復7時間(たっぷり写真を撮った)


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-12-8 10:48:09 (221 ヒット)









故障した膝と同じ足の脛をぶってから1ケ月半。触診では靭帯に大きな損傷があるとは思えないとの診立てだが、違和感が抜けない。膝蓋骨が若干下の方に移動した感覚で、直立しようとすると、負荷を感じる。無理して膝を伸ばそうとしている感じ。寝っ転がっての曲げ伸ばしには問題はない。階段の上り下りは膝が抜ける感じで、それを無理やり保持しようとすると疲れと痛みが膝の上部を中心に出てくる。そんな症状がっ固定してしまった感がある。2年半前に骨折してからの回復過程には感じなかった不具合。器質的に異常がないのであれば、1ケ月半もすれば、大概の怪我は治ってしまうであろう。それが、不具合が固定してしまった感があるのだから、余計、深刻に思ってしまう。

となれば、いつまで待っても良くなる見込みはなく、いかにこの症状をキープしながら登る方法を確立していくしかない。もしかしたら、山行を重ねていくうちに変化がみられるかもしれない。との思いで再びリハビリ山行開始。膝蓋骨を割ったときに使っていた安定感のある装具でがちがちに膝を固めて登ることにした。

久しぶりの土倉山はしっかりと夏道が付いていた。登り始めの急登にはロープが設置しあり、目印のマーキングも要所に見受けられる。踏み後はどこまで続くのかと思っていたら、どんどん上の方まで続いている。夏道には落ち葉が溜りとても歩きやすい。膝の調子はというと、抜けはあるが、装具のおかげでなんとか行ける感じ。

取付き付近は全く雪がない。1000付近から雪が付き始め、前日のものと思われるトレースも現れる。この頃から、膝蓋骨と膝の一体感にぶれを感じ始める。装具をきつく締め直して再スタート。抜け感は和らぐが、締め付け感が強く長く持たない感じ。1100、最後の急登手前でくるぶしまでの雪となり、膝の負担も重くなってきたので行動を打ち切った。

無理をし押しての登行だったが、スタート地点に立った手ごたえはあった。2年半かけて順調に復活できたと思っていた矢先の事故だっただけに、ショックは大きいが、現実を直視してやっていくしかない。

取付き起点 1100まで1時間半 下り1時間


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-11-30 11:04:46 (171 ヒット)

「チンギス紀」が第八巻で足踏みしている間に選んだのがこの作品。
「三国志」は吉川英治の文庫本で3回は読んでおり、自分の頭の中にはある程度「三国志」が出来上がっている。そこで、北方謙三はどんな描き方をしているのか興味があった。
三国志といえば、そこから生まれた故事名言が有名だが、本作品ではそれらに執着せず表に出さず、かつそれらの逸話を作者の視点で完結させている。私のように吉川英治の三国志に慣れたものにとっては、やや拍子抜けの感もあるだろう。しかし、登場人物ひとりひとりへの思いと筆圧は作者ならではのものを感じる。特に、麦城での関羽の最期と孔明が泣きながら馬謖を切る場面はとても読みごたえがあった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-11-30 11:03:46 (193 ヒット)

「ソロ」シリーズ三部作の完結編、ということらしいのだが。
三作共、パターン化された展開は面白みに欠ける。パターン化が決して悪いということではないが、良い方向に向かうのは少ないのではないかと思う。このシリーズでも、挑む山域こそ異なるが、主人公の起承転結はだいたい同じ音色、同じ調子という印象が否めない。作者の登攀場面の描写はどの作品においてもよくできている方だと思う。しかし、本作品のように難関の単独登攀という場面を捉えるならばイージーすぎる感がある。物語の本筋だけを追って、細かなことには目を瞑るという見方もあろうが、山岳小説にあってそれは重要な要素の一つと考える。その部分をあえて省いたのだとしたら残念なことだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-11-20 18:14:32 (222 ヒット)





























10月19日、山から下りてきてから時間があったので、写真を撮ろうと思って、河原に降りた。よい撮影ポイントを探して歩いていたら、スパッツの紐が枯れ枝に引っかかって、バランスを崩し前のめりに倒れ、脛を岩角に強打した。カメラの付いた三脚を抱えたままだったので、重心が不安定になったのだ。両手が自由なら、手でかばうことも、倒れないように平衡を保つこともできたろうに。

そのときは、脛の打撲だけで、膝をぶつけないでよかった、と思っていた。痛みは打撲した脛だけで、他にはなんの異常もなかった。しかし、1週間して脛の痛みが柔らで来た頃から、膝に突っ張りを感じるようになり、そのうち、膝の外側の張りと痛ただるさが出てきて、しまいにはヤメル痛みに変わっていった。

サポーターをして歩いても膝の抜け感と外側の張りと痛みは解消しない。それどころか、一日終って、サポーターを外すと、重みと痛だるさが増してくる。

ということで、この日も1900の大岩まで上がりたかったのだが、1600まで痛みをこらえて歩くのがやっとだった。そして、降りてきてから、痛みで満足に歩くことすらままならなかった。

その後も膝の痛みと抜け、外側の張りと痛みは解消せず、むしろ悪化していく感さえあった。たまらず医師の診断を仰ぐことに。診立ては、腸脛靭帯の損傷ではないかとのこと、脛をぶった後、筋トレをのやりすぎで負担がかかり、炎症を起こしてしまっていたらしい。膝の皿を割ってから、2年半かけて順調に回復してきたが、この一瞬で振り出しに戻ってしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-10-23 10:24:26 (245 ヒット)

先だって見逃した紅葉が見たくて山に向かった。
あいにくの曇り空。空気も湿っていて、山の彩も落ち着て見える。だが、それはそれで、しっとりとした雰囲気があり、わびさびの風情が楽しめた。1900付近の葉っぱはすでに散っていて、冬をまつばかり。1600付近がちょうど見ごろだった。光のない紅葉をうまく表現できれば、新境地が見いだされるのではないかと思った。

登山口起点:1900大岩直下直下まで 2時間30分
























投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-10-23 10:16:28 (220 ヒット)

紅葉を確かめに山に向かった。
快晴のもと、いつもの場所で日の出前の清々しい姿を1時間ばかり撮っていたのがいけなかった。高度を高度を上げるにつれて、雲の筋が増えてきた。これはいい感じかなと思っていたのがまさしくぬか喜びだった。目的地1900付近に着いたときがその頂点であった。そこに休憩してた登山者と話を交わしながらザックからカメラを出していると、みるみるうちに山々はガスに包まれていった。小一時間ばかし待ってはみたものの、一向に晴上がる気配がない。もう一度来ることを胸に記して下山することにした。ナメコは例年より10日から2週間くらい遅いようだ。

登山口起点:1900大岩直下まで 2時間40分


























投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-10-6 5:59:33 (219 ヒット)

剱を見に行った。立山駅に着いたのが7時過ぎ。すでに長蛇の列。室堂に着いたのが10時45分ごろ。それでも剱を眺められたので満足、満足。久しぶりの室堂は遠い昔の山を思い出させてくれた。

今年の紅葉はハズレ。室堂から天狗、弥陀ヶ原にかけての色付く木々は葉っぱが枯れている。たぶん、8月の高温と小雨のせいだと思う。遠目には色付いているように見えるが、全体的にくすんでいる。


























投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-9-7 16:17:58 (232 ヒット)

バスク人、バスク地方の特殊性に目をつけて、それから話を膨らませていった物語。いわゆる「バスク」はスペインとフランス国境の両方に存在するということを初めて知った。バスクはそういう微妙な位置にありがながら、独自の文化を築き上げ、それを守ろうとしている。

物語は、スペインの中央政府からの独立を目指して武力による革命を探る組織とそこに紛れ込んだ日本赤軍からの協力者を主題としている。巷では日本人とバスク人には共通する点が少なからずあるという話だが、この物語を読めばなるほどと共感できる面も見いだされる。


冒頭からテロ組織、日本赤軍と出てきて、世紀末のノワール作品を想像していたが、その期待は見事に裏切られた。犯人捜しの部分もある程度予想できる範囲内で、テロ行為という破壊的思想とは裏腹に、物語としての破壊性はない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-23 16:25:56 (221 ヒット)

この作品を発表したのは作者が御年80歳のとき。おいおい、まだやっているのかという気持ちもあって手に取った。
読者を騙す手口はフォーサイス先生お手のものだが、今回は英国のコントローラーが敵対国を騙して混乱させる物語。それも、さらっとやってのける。さすがに布石を散りばめた理詰めのスパイアクションは、無理なのかなと感じた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-23 16:24:48 (260 ヒット)

馳星周が動物本で直木賞を受賞するなんて、初期の頃のノワール作品を知っているものなら誰が予想できただろうか。近年作者の作品の題材はもっぱら山や自然そして犬となっている。その犬を題材とした作品の一つ。この作品で「犬の十戒」というものを初めて知った。
犬と飼い主との様々な関係、場面を取り上げた短編集。作者の犬への接し方が伝わってくる。物語的には深堀りはしてないが、乾ききった心を湿らせてくれる要素は十分にある。直木賞に至るまでの痕跡をしばらくは追ってみたいと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-23 10:50:28 (229 ヒット)

先日探し当てたウメバチソウ。ならば、高度が同じくらいであれば他でも咲いているのではと、山一つ隔てた谷に行ってみた。

目当ては標高1000メートルくらいの水場がある場所。見当をつけてその辺を歩いてみたら、何やら白っぽい花が草地の中で群生しているのが目に入った。もしやと思って、近くに寄ってみてびっくり、そこは一面ウメバチソウのお花畑だった。それもかなり広い範囲。これは驚愕としか言いようがない。

けっして水場があってぬかるんでいるわけではないのだが、園芸用に使う鉢底軽石くらいの大きさの礫岩が堆積した上に苔が生えていて、そこにウメバチソウが乗っかっているような感じ。多分谷筋であるため、しみ込む水がなくとも常にある程度の湿度が苔を生えさせているのだと思う。腐葉土の層がほとんどないため、他の雑草が生えない環境にある。だから、風に揺られている白いウメバチソウはひときわ目だつ。

たぶん、他の谷でも標高1000〜1500の間であれば、8月下旬ごろから9月にかけて普通に見られるのかもしれない。人があまり入っていなければの話。

涼しげで、清楚な花は、見ていて飽きることがない。高山に行かなくても近くで見られる佳い花だと思う。




















投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-20 15:54:28 (218 ヒット)

先日見かけたウメバチソウの植生を確かめに行った。そしたら、あった、あった、あっちにもこっちにも。先日一株しか見つけられなかったのはちょうど咲き始めだったからなのだろう。滝場のしぶきが降りかかるそちこちに咲いていた。今年はいろんな発見があった年。初めて見る山野草をに幾度も心を躍らせた。

30年前ならこんな風にして山と接していなかった。ひたすら突っ込んでいただけ、目に写るわけないわな。
























投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-20 14:57:16 (238 ヒット)





















雷岩へと向かう道は大きく変わった。その昔、小窓尾根、池ノ谷を目指した頃はほとんど白萩川沿いのかすかな踏み後を辿り、状況によって高巻、渡渉、へつり、などほぼ水線通しで雷岩付近まで行った。それがけっこう楽しかったりもした。小窓尾根の核心部はこの過程にあると言わしめたほどの道順であった。それが今やほとんどの者が最初から高巻道を使って雷岩に向かうようになった。今回、その高巻道の様子を確かめに行くことにした。

道中はほとんど陽が当たらず、朝露がパンツを濡らす。盛夏ならかえって気持ちの良い濡れ具合。道はうまく付けられていて、なんなくゴルジュ正面近くで一旦河原に降りるがすぐにまた左へと道は進み、一尾根超えて雷岩の河原に降り立つ。渡渉して小窓乗越へのルートを探してみたかったが、水の勢いが激しく、ジャンプして滑るのもいやなので、止めることにした。

河原沿いにちょっと歩くと、きれいな蝶が葉っぱの裏で羽を広げて休んでいた。大きな羽にはステンドグラスのような縁取りがあり、逆光に透き通って輝いていた。そういえば道中この蝶が好むフジバカマに似た花がたくさんあった。そして、足元を見ると、どこかで見たことのあるウメのような小さな白い花が目に留まった。葉っぱの形状から多分ウメバチソウ。となれば他にも咲いているかと、周辺を探したか、咲いていてのはその一株だけだった。近いうちに、また確かめに来なければいけないだろう。

取水口起点 1170まで2時間 帰り1時間30分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-18 11:32:57 (233 ヒット)

「南総里見八犬伝」を読んだとき、いまいち時代背景が分からなかったので、その辺をもうちょっと掘り下げようとして、手に取った一冊。
南北朝の頃も複雑極まる時代だったが、室町後期はそれに輪をかけて混沌としていた時代だった。御所を取り巻く京都周辺の乱れのことは別に置くとして、関東では、古河公方、鎌倉公方、関東管領、山之内上杉、扇ケ谷上杉らが骨肉相食む争いを繰り広げていた。敵味方の入れ替わりが激しく日常茶飯事。節操も何もあったものじゃない。人も時代も大うねりの中、その乱れがどう収束してくかに興味が持たれるが、それは戦国時代まで待たねばならない。「南総里見八犬伝」はそこで起こった小さな戦から紬だされた、いわばスピンアウトした伝奇小説であった。
本作品の主人公長尾景信もまたその大きなうねりに翻弄された武将の一人。長尾家と上杉家との因縁の中に生き、この時代の一つの場面を切り開いた人。だがはやり、自分の中でのこの頃の時代認識が希薄なため、人物的にはよく描かれていると思う反面、どんな時代だったのか、そういう思いがどうしても頭からぬぐえなかった。そこで、以下の4冊を参考書として読み、おぼろげながらこの時代の輪郭を描くことができた、という次第。

「室町幕府と地方の社会」榎原雅治 著
「応仁の乱」呉座勇一 著
「観応の擾乱」亀田俊和 著
「越後上杉一族」花ケ前 盛明 著


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-15 19:03:30 (251 ヒット)

ときとして、題名負けという作品に出合うことがあるが、この作品はそのタイトルを裏切らない。
それぞれの事情、思惑を持って研修目的のツアー登山にのぞんだ男女らが過酷な試練に遭遇する。最低限の装備と食糧で14日間山で過ごすというプランだが、山の中では想定外のことも起こりうる。そんなとき、登場人物はどう対処するのか、何を思うのか、実際に山を経験したものには我が事のように物語は進んでいく。自然描写が豊かに描かれていて、臨場感もスリルも申し分ない。サスペンスと山の融合に成功している秀作といえよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-15 19:02:00 (209 ヒット)

なんとなく八犬伝が読みたくなって、図書館で物色してみた。最初に岩波書店の文庫版が目にとまったが、原書に忠実なせいなのか旧仮名遣いでとても読みにくい。そこで、ネット検索で調べてみたが、これが意外と作品が少ない。結構人気があるはずと思っていたのは自分だけだったみたい。源氏物語や平家物語は新訳物にはことかかないが、八犬伝は選択肢が限られる。今回手に取ったものは原作に沿って書かれているが、ただそれだけの内容といえる。物語を膨らませるのは読み手の裁量に任される。ここはひとつ「新訳」というよりは「新解釈」として独自の物語性を持った作品を期待したいところ。誰かやってくれないかな。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-11 16:45:09 (217 ヒット)

家を出てから馬場島へと向かう道中は誠によい朝焼けの雲が出ていたのだが、近づくにつれて雲が剱の周りに固まりだしてきた。山頂に着いたときは剱周辺は厚い雲の中。粘って1時間以上山頂にいたが、すっきりとした眺望は見られなかった。

登山口起点 登り1時間20分 この日平地では38.9度を記録






















投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-6 14:40:21 (258 ヒット)

泊りで山に入ろうと準備を進めていたが、あまりの物資の多さに辟易して、面倒くさくなり、結局日帰りで大日に行くことにした。

登山道ではそれなりの数の人とすれ違う。驚いたのが単独女子の縦走者が数人いたことだ。雷鳥沢から、剱沢から降りてきた人、これから雷鳥沢、そして五色へと向かう人、でかいザックを背負っての単独行。まぁ、よくやるな、てな感じでおじさんは見ていた。

調子としては、きつ過ぎず、緩すぎず、リズムよく歩くことを心掛けた。それがよかったせいか、中大日までは息も上がることなく順調に歩けた。久しぶりに目に飛び込んでくる剱。これが見たさでここに来る。ただ、薄雲が張り付いていいて、青空をバックに黒々とした雄姿とはいかなかった。

大日小屋は完全休業。水も引いてない。チングルマは数が減ったような気がした。しかし、稜線上のちょっとした草原に見たことのない小さな薄紫の花が群生していた。帰ってから調べてみると、どうもサワランらしい。トキソウと同じ湿地帯に生えているのかと思ったら、そうではなかったようだ。

下り出してから、急にガスがわいてきた。私の後から稜線に立った人たちは剱は見られなかったことだろう。運がよかった。

登山口起点 登り4時間 撮影1時間 下り3時間






























投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-14 17:33:25 (239 ヒット)

第一部とは違って、スローなスタート。
ネット上の書評では前作を上回る高評価が多いが、自分的には前作の衝撃があまりにも大きかったので、★一つ落とす結果となった。

この作品で鍵となる「面壁者」が出てきてからも大きな展開はない。4人の「面壁者」の役目は敵からその真意を読み取られることなく敵に備えること。当たり前といえば当たり前のことなのだが、その時がくるまで誰の計画が功を奏するのか、あるいはすべて敵に知られてしまうのか、はたまた他の要素が加わってなるようになっていくのか、そんなことを思いめぐらせながら、読み進めていく。

そこで、頭に浮かんだのが「待てよ、これはハリ・セルダン予測に似ていないか」ということ。すなわち、人類が危機的状態に陥ったときその被害を最小に食い止める必然的な現象が生じる。その危機に際しての最善策が心理歴史学によって予測でき、しかもその確率はかなり高い。しかし、人類はその瞬間が来るまで、それがハリ・セルダン予測とは誰も気づかず、当事者もその行動の結果、どのような結末が来るのか分かっていない。すなわち、ハリ・セルダン予測はそれが終ってみて初めてそれと特定できる。・・・というもの。「なるようにしかならない」という場当たり的とも言えなくもないが、それを確率で予測してしまうというのがハリ・セルダンの心理歴史学。

そう思いながら読んでいると、突然、文章中にハリ・セルダンが出てきて、目がテンになった。なんてこった。作者はあきらかにアシモフへのオマージュを込めてこの作品に臨んでいたのだ。自分の思いと作者の思いが同調し、共鳴した瞬間。これこそ、本読みの醍醐味。

さて、長い長い物語のわりには、あっけない結末。しかし、これもハリ・セルダン予測といえば、それも納得かな。

巻末の解説の中で「4人の面壁者のうちの誰がハリ・セルダンとなるのか」というような記述があるが、これは間違いではないかと思う。問題はハリ・セルダンは誰かということではなく、誰のどういう行動がハリ・セルダン予測となっていくのか、という点だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-13 17:04:51 (220 ヒット)

昨年日本を席巻した話題作、ようやく手に取った。
ラジオ番組の中で紹介されて以来、気になってしょうがなかった。ブームも一段落したのか、図書館の書架に並んでいるのを見つけた。家に帰って、さーて読むかと、寝転んで本を開いてびっくり。ひらりと、テッシュが舞い落ちてきた。前の人が本閉じにでも使ったのかと思ったが、それは一瞬のこと。次の瞬間唖然とした。なんとそれは使用済みのものだった。いったいどうなってんの。落書きや、棒線などはたまに見かけるが、こんなものが出てきたのは初めて。何を考えてこんなものを挟んだのか、本書への何らかのメッセージなのだろうか。

この本に出会うまで、まさか久しぶりのSFを中国発で読むことになろうとは、考えてもみなかった。中国のSF文化に疎かったどころか、SFから中国がぽっかりと欠落していた感がある。多分、そう思っていたのは私だけではないと思う。それだからこそ、受けたインパクトは物語の出来具合に加算されて強烈な印象を残すことになったのではないかと思う。

物語は文革での紅衛兵の戦闘場面から始まる。文革の忌まわしき過去を鑑みれば、この後に展開されるSFの名を借りた体制批判ともとられかねない内容を含む本書はとんでもない作品といえる。そういう面からも本書の評価は高いのではないかと思う。

サイエンス・フィクションというよりはサイエンス・ファンタジーに近く、超ハードSFでないというのも多くの人々に受け入れられた要因だと思う。ただ、ヴァーチャルの「三体世界」がだんだんややこしくなって来て、そこがちょっと自分としては読み進むのに苦労した。

中国語から英語、そしてその両方を参照しての日本語化いうのも気にはなったが、両方とも読まないのでなんなのだけれども、とても読みやすく、うまく訳されているとの印象を受けた。くだけた表現や、日本人独特の言い回しもちょいちょい出てきて、原書でどう表現されているのかな、などと思ってみたりもした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-12 11:36:13 (240 ヒット)

「アメリカ探偵作家クラブ主催のエドガー賞最優秀新人賞受賞。日本を含む30カ国以上での翻訳が決定し、2020年最高の話題作」とは知らずに手に取った一冊。
主題は二つ。「ドクトル・ジバゴ」誕生秘話とCIA勤務タイピストの給湯室話。
内容からいって、どちらかというと後者の方にウエイトがあると思うが、原題も「The Secrets We Kept」となっているし、邦題は前者に力点を置いている。

二つの物語ともとてもよくできていて、わくわくどきどきさせられる展開に引き込まれる。ところどころに出てくるウイットの効いた会話も見もの。ジバゴでは歴史の影をあぶり出し、「そうだったのか」とともにもう少し深く真相に迫ってみたいとの念に駆られる。著者であるパステルナークの身に危険が迫る中、母国語での出版がかなわず、最初の出版元となったイタリアの「フェルトリネッリ」についても興味がわく。

二つの主題の融合に成功しており、総合的な評価は高い。一度読んで二度おいしい作品だと思う。登場したタイピストのスピンアウトした物語を勝手に想像してしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-12 10:15:44 (210 ヒット)

この本に出合うまで、前田慶次郎のことは知らなかった。破天荒な人物像はまるで漫画の主人公みたい。こんな人が本当にいたのだから、驚かされるし、虜になってしまうのも無理はないだろう。

歴史通の間では「傾奇者」としての評判が定着している。いつの時代からそのイメージが植え付けられたのかはしらないが、ネットで見る限り、その印象は不変であるらしい。本作品でもその路線は踏襲されていて、膂力があって、男前、義理人情に厚く、かつ偏屈者という戦国時代に現れた希代の武将が描かれている。

彼の日常は一般人にとっては非日常で、そんな自分にない世界観を持って生きる人物にあこがれを抱くのはいつの時代も変わらないのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-12 9:13:12 (224 ヒット)

「教団X」を最後にしばらく作者から遠ざかっていたが、友達の書評にこの作品が紹介されていて、さて作者はどう変貌を遂げたのか、それを確かめたくて手に取った。

冒頭から、序盤のつかみはよくできていて、この先どのように話が進んでいくのか、興味津々でページをめくる。「いったいこの先どうなるのか、この挿話はこの先どう展開していくのか、またどのようにして回収されるのか」そういう気持ちを逸らさせないものはある。だが、いくつか組み込まれている挿話の整合性がとれないまま、物語は中盤から終盤へ向かっていく。つまり、途中で蒔かれた「ネタ」の回収がされないままページが進んでいく。それでいて、マジックリアリティーの世界かと思ったらそうでもない。

一つ、一つの挿話自体は読みごたえがあり、それはそれで短編として終結させてもよいほどの完成度がある。特に、終盤の入り口にあたる戦場のラッパ吹きの独白は鬼気に迫るものがある。しかし、「回収されない布石」ストレスの方が強く働いてしまい「よくできた作品だが、なんかしっくりとこない」という読後感となってしまう。
たぶん、映像化して、脚本でその奥歯に挟まった小骨をうまく取り除いてくれてなら、大ヒット間違いなしのエンターテインメント作品になると思う。

この作品を読む限り、「教団X」で抱いた作者の行き詰まり感からは脱したように見受けられる。けれど、私が苦手とする村上春樹に見られるような「中途半端なわけのわからない世界」を描く作風に似てきた感もあり、ちょっと戸惑っているというのが正直な気持ち。

85ページ中ごろに「金持ちの西洋人が年を取って、妻が死んでしまったりした後、・・・ふっていなくなることがあるらしい」という一文が出てくるが、この「ふって」という言い回しまたまた喉に引っかかってしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-6-26 16:48:13 (244 ヒット)

称名の滝を撮りに八郎坂に上がる。前々日の大雨で登山道が荒れていないか心配だったが、あまり影響がなかったようだ。

滝見台のベンチを過ぎてさらに先に進む。どこからも滝は見えるのだが、今回は少し上がりすぎたようだ。画角と構図に悩み、明暗差への対処に手間取り、いまいち意図した写真にならない。

弘法の草原に出ると程よい風が初夏を感じさせる。トキソウには若干時期が早かったようだが、タテヤマリンドウが盛りであった。

ウド、ウドブキの畑が随所にあり、ネマガリも太いのが出ていた。

























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