投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-12-11 18:05:36 (101 ヒット)

前日まで4,5日間雨続きで、ようやく晴れた。
気温高め、ゲートから馬場島まで全く雪はない、道路の端に3センチほどあるだけ。雪のない舗装道路の凍結が一番怖い。馬場島の駐車場も雪ゼロ。
















投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-12-4 17:27:30 (107 ヒット)







十年近く使っていたスノーシュー。一昨年ストラップが劣化のため切れてしまった。本体はまだ使用可能とみて、ストラップのみを注文して交換して使用。新品の柔軟性のあるストラップは使い勝手がいいな、とうれしがっていたのもつかの間、一年たって、今度はブーツを包み込んでストラップを保持する部分が劣化、ボロボロになってしまった。交換するには、爪の付いた金属板と一式となり、費用が3万5千円かかるとのこと。

金具だけは使えると思ったので、電動ドリルを使って、結合部を分解した。なんかよい方法はないかと考えながらも半年近くほったらかしにしていたのだが、最近になってネットで補修方法を公開してる記事を見つけた。ダメもとで、それを真似して、自分のアレンジも加えて、なんとか形にはなった。ついでに、スパッツのストラップにも応用してみた。費用は千円。

問題は、金具を止めるカシメの強度と、シートそのものの強度及び低温耐性。カシメの強度に対しては、もっと大きなスナップボタンで対応可能と考える。現場で、切れたときのことも考えて、細引を通すハトメを数か所配置しておく。シートはPVCや合成ゴムに変えてやってみる価値はあると思う。

まずは、林道歩きから始めてみよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-11-22 17:48:58 (90 ヒット)



















真逆光の時間帯を外すべく、朝遅く山へと向かった。予定地点に着くと、眼前に剱から北方稜線の大パノラマが広がる。陽はまだ若干高く、もうちょっと傾くまでラーメンをすすって待つ。そして、ザックからやおらカメラを取り出して。。。がっかり、なんと望遠レンズが付いていた。この上天気、しかも初冬の雰囲気満載の景色、そして予想通りの光の当たり具合。残念至極、この一瞬は唯一無二の瞬間なのに、それが切り取れない。まぁ、また来いってことかな。ムキタケとクリタケは半乾燥状態だったので、そのまま干して乾燥させることににした。明日、明後日、天気もよさそうだから、なんとか干しキノコになるだろう。ナメコはおろし大根にぴったりサイズ。はたして、本年中に機会は巡ってくるのだろうか。

この頃、ベストの撮影時間帯は12時30分から1時30分頃まで。そして3時30頃から4時頃なら焼けた山並みが撮れそう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-10-20 15:29:36 (101 ヒット)

紅葉とキノコの様子を見に出かけた。
足が重たく、やや時間がかかった。1600、1800で写真を撮る。これまで紅葉のモザイク模様を撮るときピンボケが多かったので、一脚プラス自由雲台を試してみた。ライブヴューで焦点合わせができるので歩留まり大分改善された。相変わらず2000の標識からが長い。小屋手前のピークに到着してしばらくすると山頂にややかすれたような雲がかかって来てよい雰囲気となる。

山を撮るとき昔辿った道のりを思い出しながら撮ることが多く、ちょっとずらした視点も必要と感じた。隆起する山肌に魅せられて、立山川からの室堂乗越付近を撮ったが、あとで見てみると、その裾野の紅葉が素晴らしかったことが分かった。見た光景の想いと写真にしたときの画面とは別に考えなければならないと感じた。

帰路、下から雲が湧いてきて、久しぶりの雲海に出会う。その先にはうっすらと白山らしきものも顔を出していて、タイミングがよかった。

ナメコは一株だけ視認できたが、状態が悪くスルー。ムキタケがちょうど出始めたところ。クリタケも一株採取。

登山串起点 伝蔵小屋まで4時間15分(途中撮影タイムと休憩30分あり)














投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-10-1 15:55:10 (132 ヒット)

稲刈りの終わった近所の2町田からの剱を撮ってから山へと向かう。剱山頂にかかる白雲が消えないうちにと、ゲート左の道に降りる。なんとか、山頂の光る雲を影できたが、あとでみてみると全て中望遠だった。一枚くらい最大望遠で撮っておくべきだった。なぜ、そのとき気付かなかったのだろ。

いつものポイントからの撮影を終えた後、1400から1600までを目標に歩き出す。思ったより足が軽かったので1800を過ぎ、1900の大岩手前まで足を延ばした。撮影には大岩からちょっと下ったあたりがダケカンバや正面の山の見晴らしがきいてよいようだ。

登山口起点 1900大岩まで 2時間20分




















投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-9-13 6:07:56 (123 ヒット)

家を出るときはオリオンが輝いて期待が持てた。馬場島は車の車列で超満員。白萩林道まで車は溢れていた。登山口に着いた時点ですでに空は明るい。陽が差して来るのも時間の問題。それまでどこまで上がれるかが勝負。ペースを上げようとするが、今日は体が重い。目星をつけておいた草地までなんとか頑張る。最初の草地を過ぎさらにちょっと行った草地で行動を打ち切った。剱上空は薄い雲が立ち込め、以後青空は望めないと判断した。登山口から50分くらいのところだったろうか。高度計ではちょうど300上がった地点。










投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-9-11 5:23:21 (99 ヒット)

先日は1400まで上がったので、今日は1600〜1800まで行こうと思った。そしたら、意外と調子がよくて伝蔵まで行くことができた。1900の大岩からが長かった。2000の標識からも長い。池を過ぎ、トウヒの中を縫う道になって、アルミの梯子段を4つ通過して、ようやく伝蔵手前のピークに立つ。

登山口起点 登り3時間40分 下り3時間






















投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-9-7 17:39:21 (110 ヒット)

家の中のいらないものを処分していたら、懐かしい西村寿行の本が出てきた。読んでいて文句なく楽しいのが彼の小説。犬もよく登場し、その活かし方もおもしろい。本作品はほとんどおちゃらけ話で、漫画で読んでいる気分にさせてくれる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-9-7 17:34:56 (112 ヒット)

山に関わるようになってから槙の名前は見知っていたが、本書を手に取るまで、ずーっと「まきありつね」だと思っていた。だが、「ゆうこう」というのが正しいようだ。本書の初版は1968年、槙有恒の生まれが1894年なので、槙が74歳のときに出された本ということになる。決して分厚い本ではないが、その厚み以上のものを物語るとても内容の濃い本だ。もしかしたら、今自分が年金をもらう年頃になったことも、この作品に傾倒した一要因なのかもしれない。

「山旅」というよりも、山と共に生きた彼の人生を振り返って書かれた自叙伝といった内容。なにしろ、少年時代から彼の行くところすべてに「山」がある。初めて兄と登った山に始まり、慶應義塾時代に過ごした山、アメリカ遊学、社会人になってから登った山、イギリスやスイスでの放浪の山、秩父宮殿下との山を通しての交流、台湾の山、アルバータ登頂話、三次に渡るマナスル登頂記、とにかく彼のへの想いがとめどなくあふれ出るように描かれている。しかも、ただ山に登ったという山行記にとどまらず、その地に過ごした日々のこと、そのときの社会情勢も端的に描かれており、まるで、彼と一緒に旅をしているかのような臨場感があり、紀行文としてもとても優れている。
さらに、山を通しての人とのめぐり合いがまた凄い。上条嘉門次、小島烏水、佐伯平蔵、宇治長次郎、志鷹三次郎、佐伯文蔵、今田重太郎、今西錦司、ウエストン、等々山のお歴々が生で登場する。
締めくくりは、昭和41年晩秋に訪れた馬場島。宵闇迫る中まだ夕陽に輝く剱は、さながら彼の山旅の余韻であるかのように映った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-9-7 17:32:51 (101 ヒット)

ジョン・アーリックマン三部作の中では一番面白い。といっても、その差わずかしかないけれど。ウルグアイで出来したクーデター問題の責任を一身に負わされる羽目になった大統領補佐官が自身の無実を訴えどこまで自分の意志を通せるのか、そしてホワイトハウスがいかにしてその問題を乗り切ろうとするのか、両者の駆け引き、というよりは対決、が見もの。大体は読み手の想定内で物語は進んでいくが、最後の最後になって大統領の発する声明がすべてを収拾し、締めくくることになる、という結末意をに意を突かれた格好。それが星一つ増やすことにつながった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-9-7 17:31:06 (128 ヒット)

CIA長官と大統領がお互いの失点を相手になすりつけようとするキツネとタヌキの化かしあいを描いたドタバタ政治小説。ニクソンを彷彿させる大統領のおバカぶりには容赦がない。私が以前から抱いていたニクソン像がそこに描かれている。こうまで、貶められたニクソンとは本当はどんな人物だったのだろうか。そんなにお間抜けな人物が大領領になれるわけがない。ニクソンという人間がどういうふうにして形成されていって、彼を囲む人々そして国民が彼をどう捉えていたのか、とても興味がわいてきた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-8-18 14:50:58 (127 ヒット)

出だしはやや読みづらい。劇中のセリフのようでもあり、詩の朗読のようでもある。読み進むにつれてこれらが霊魂たちの会話であることが分かってくる。どうやら、南北戦争中に11歳で亡くなったリンカーンの三男のウイリーの霊を成仏させたいと、墓場に集まって来てガヤガヤやっている、らしい。その会話から南北戦争の様子が垣間見られ、リンカーンの人なりもやんわりと描き出されている。

ウイリーはとても聡明で頭もよく気質も穏やかで、リンカーン夫妻はとてもウイリーのことを愛していたらしい。それだけに、リンカーンの落胆ぶりも激しい。集まってきた霊魂たちは、ウイリーの霊をリンカーンの内に入り込ませ、リンカーンに最後の別れを決意させようとする。なにしろ南北戦争はまだ続いており、リンカーンは悲しみに浸ってばかりはいられないのだ。霊魂たちの視点から見た南北戦争とリンカーン、そしてリンカーン坊やの死、というのが本作品の主題である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-8-18 14:49:51 (120 ヒット)

1971年、突然のピンポン外交から始まったように見えた、米中の急接近。そして、翌年の米中の国交回復。世間的にはキッシンジャーの表裏にわたるネゴがあったとされるが、本作品は、米中の橋渡しになったもう一人の立役者を設定し、舞台の裏側をスリリングに描き出している。
文化大革命に表される国内の無法化とソ連の脅威にさらされている中国、方やアメリカは泥沼化したベトナム戦争からの撤退に腐心し、ソ連への優位性の確保が焦点となっていた。主人公は、米中双方の利益と国際情勢を鑑み、周恩来とニクソンを相手に巧みに動き回る。秘密裏に米中を行ったり来たりする主人公の波乱万丈の冒険譚を主軸に置きながら、恋多き主人公の心の動きもうまく絡ませている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-8-9 6:02:50 (135 ヒット)



















剱を見に御前乗越まで上がろうと意気揚々としてでかけた。だが、雷鳥沢キャンプ場に着くと、雄山方面に綿をちぎったような雲が出来てきて、いやな予感がしたのでそこから引き返した。引き返した時点では申し分のない天気だったが、室堂に着いたときには空の青い部分がなくなっていた。天狗まで下って、雲が切れるのを待ったが、そのうち雨が降り出してきたので早々と天狗からバスに乗って帰路に就いた。たぶん、御前乗越目指していたらずぶぬれになっていただろう.

朝、立山駅に着くと富山県民感謝キャンペーンの看板が目に入る。バス料金は値上がりしたが、このサービスを利用すると大観峰まで往復5000円ぽっきり。すぐに手続きを済ませ切符を買う。ケーブル、バスともにすいている。

久しぶに見るみくりが池の濃い青碧に目を奪われる。周辺ではチングルマが多くみられるが、やや惚けたハクサンイチゲもぽつぽつとある。ここでどっこいしょと腰を下ろしてしまったのが後に災いした。御前乗越をあきらめ、天狗平とへ向かう道すがら剱を眺めようと思ったが、室堂に上がったときはすでに時遅し。雲が湧きまくっていた。天狗平に向かう道は人も少なくとても静かだ。途中、雷鳥の親子が何かつついているのを見ながら時間を稼ぐ。だがしかし、雲は切れる様子もない。天狗平山荘でも時間をつぶしたが、やっぱり駄目。次回への期待を胸にバスに乗った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-8-8 6:50:51 (113 ヒット)













レンゲショウマが自生してるというその山の様子をみてきた。自生してるレンゲショウマは初めてだったが、本当にあってちょっと感激。まだ花芽は小さく丸い玉ころ。開花まで2週間前後といったところか。

二度上峠の登山口の標識では山頂まで90分とある。2時間もあれば登れるだろうと、ゆっくり歩きだす。最初は背丈ほどある草地に掘られた流水溝のような道をいく。レンゲショウマはその草地をしばらくいったところに自生していた。そこを過ぎると、丈の低いシノザサに覆われた斜面に作られた登山道になる。傾斜は緩く、日も当たらず、歩きやすい。タマゴタケでも生えてないかと探したが、見当たらなかった。

眺望は最後まで効かない。しかし、山頂の稜線に出るといきなり絶景が飛び込んでくる。中でも浅間山の眺めが絶品であった。山頂付近はシモツケで賑わっていたが、アヤメ、オニユリも咲いている。久しぶりに出会ったマツムシソウが北アルプスの稜線を思い起こさせてくれた。

登山口起点 山頂まで1時間10分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-8-6 11:31:09 (114 ヒット)

とても愉快な軽サスペンス。
人気ミステリー作家の主人公は別名「ジャック・オブ・スペード」でもミステリーを発表している。主人公としてはその別名で描く方が裏側の自分、本性を具現化しやすく筆がすいすいと進む。表社会ではお堅い作家さんを演じ、社会貢献にも身を投じて好印象で認知されている。一方、ジャック・オブ・スペードでは正体不明のミステリー作家として邪悪な作品を世に出している。その裏作品がある女性によって盗作呼ばわりされたことから、表の自分も裏の自分もガラガラと音をたてて崩れていく。その崩れ方のなんとも滑稽で、ドツボにはまっていく様子が面白い。最後にもうひとひねりあるのかなと思ったが、すんんなりとした結末だったので、ちょっと残念。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-8-6 11:29:05 (141 ヒット)

フランスの農業食糧省というキャリアを持つ主人公の物語。
明らかに、題名にある「セロトニン」がキーワードだが、そのせいだかなんだか、荒唐無稽な挿話があっちこっちに飛び火する。抗うつ剤に頼る人物の心象風景(女性遍歴が中心)を描いたとしたら、こんな風になる、と思わせる一例。自分的にはそれほど高評価ではないが、フランスではどう読まれているのか気にかかる。村上春樹的な存在なのかな。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-8-6 11:28:21 (126 ヒット)

本書の紹介文として「2022年フランス大統領選で同時多発テロ発生。極右国民戦線のマリーヌ・ルペンと、穏健イスラーム政党党首が決戦投票に挑む。世界の激動を予言したベストセラー」というのがあるが、それほどスリリングな内容ではない。どちらかといえば文学的志向の強い、私が苦手とする、作品といえる。物語はゆっくりと進んでいく。フランス人のインテリな主人公がいかにして、イスラム政権とイスラム教に取り込まれていくかが描かれている。武力によらない穏健な政権移譲。カトリックに対するイスラム教、現代民主主義の破綻に忍び込む形で描かれるイスラム教。主人公は葛藤の中からイスラムへの帰順へと導かれていく。ある意味怖い、サスペンスともいえる。久しぶりに二度読みしてそう感じた。最後に作品中でカギとなった言葉を挙げておく。
「ポルト」 「イスラム政権」 「オイルマネー」 「ユイスマンス」 「O嬢の物語」


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-7-20 14:07:53 (114 ヒット)

一小節が長く、一文がとてつもなく長い文章。それが延々と繰り返され、そして続く。その長い一文節の始まりと終わりとでは別の話になっていることもしばしば。こんな書き方に出会ったのは初めて。訳者もさぞ大変だったろうと慮る。延々と繰り返される似たような挿話の連続だが、微妙な変化球が常に仕込まれていて、期待を裏切られたり、先が全く読めない「へんてこな」物語になっている。ほんとうに変な作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-7-20 14:07:10 (133 ヒット)

「ドラキュラオタク」が描くドラキュラ小説。「ドラキュラ」はファンタージーでもなくサスペンスでもなく、ホラー、ミステリーでもない「ドラキュラ」として一つのジャンルが確立している。そんな中にあって、この作品には「ドラキュラ」ファンが喜ぶ題材が随所に散りばめられている。
また、邦訳者もかなりの「ドラキュラ」マニアとお見受けした。ただ原書に忠実に訳せばよいというものではなく、原書との整合性はもちろん大切だが、邦訳者自身が本作品を楽しんでいる、そんな感じがした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-16 15:11:13 (148 ヒット)

主人公の調所広郷は江戸時代末期に藩の借金五百万両という財政難を立て直した人。とはいえ、5分だけ払って、残りは250年の割賦払い、というのだから、ほとんど棒引きに等しい。はたして、その支払いがいつまで続いていたのだろうか、気になるところ。廃藩置県となった後も返却はなされていたのだろうか。

関ヶ原以来、薩摩藩というのは特異な国だとの印象が強い。徳川の世に入ってからも、表向きは幕府に従うように見せながらも、琉球支配に見られるように独自路線もまた別に歩んでいた。江戸から遠いことも一つの要因なのだろうが、それだけでは語れない何かがある。本作品は薩摩藩のなんたるかの一端を垣間見せてくれる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-16 15:08:56 (134 ヒット)

図書館に行くたびに桜庭一樹の本を物色しているのだが、なかなか新刊が出てこない。久しぶりに新刊コーナーに立てかけてあったので即ゲット。

題名から、手塚治虫の漫画の焼き増しであることは想像できる。しかし、本家火の鳥には「大地編」はない。ウイキペディアによれば、シノプシス(構想・企画段階)のみで、作品には至らなかったとのこと。桜庭一樹はこのシノプシスをもとに、彼女得意のマジックリアリティーの世界を膨らませていった。

冒頭、登場人物の紹介が手塚治虫タッチの絵柄で紹介されている。しかし、これを見てしまうと、イメージというか先入観が先付けされてしまうので、あえて見ないで本文に入っていった。読了してからも見ていない。

舞台は日清戦争から始まる日本のドツボにハマる時代、中国奥深くに存在するという火の鳥を探す旅。「火の鳥効果」で時間の無限ループが発生し、そのたびに歴史が少しずつ書き換えられていく。なんだかキツネにつままれているような感じ。その、騙すような、そうでないような、微妙なストーリー展開が作者の真骨頂。個人の都合で歴史が変わっていいの?という素朴な疑問がわくが、それが本作品の一つのテーマにもなっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-16 15:06:58 (115 ヒット)

江戸川乱歩賞作品ということで手に取った。
冒頭のつかみは上々。だが、話が進むにつれてだんだん読むのが疲れてきた。起承転結でいえば、「承」「転」の運びが平易すぎて、スリル、推理感が湧いてこない。なので、「結」も取ってつけたような終わり方。登場する警察官らの姿も書き足りない。発想と主題がよかっただけに、残念な気がする。この人でなければ書けない作品という感じがしない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-16 14:43:15 (157 ヒット)

先だって見つけたニンニク畑がどうなっているのか、その様子を確かめに出かけた。現地に着いて、びっくり仰天。その谷はウドの畑と化していた。それも極太極上のものばかり。畑というよりは林。一目千本のウド谷だった。だが、肝心のニンニクは消え失せていた、それも一つ残らず。この前は、小さいのは残し、葉っぱが複数のものも一枚は残すようにして採ってきた。奥の方にも見えたが、泥付きの斜面はアイゼン無しでは不安だったので、それも放置してきた。しかし、それらすべてが消失していた。不思議で、不思議でたまらない。イノシシかシカか、はたまたクマの仕業か。一番考えられるのは人間の仕業だろう。

もしかしたら、私が偶然見つけたそのニンニク畑は誰かの「シマ」だったのかもしれない。私が入った直後にその人がやって来て、人の入った気配を感じ、根こそぎ採っていった。あるいは、私が夢中になって採っていたところを誰かに見られたのかも。はたまた、痕跡を残さないようにカモフラージュしてきたつもりだったのだが、誰かに気づかれたのか。

目を皿にして、谷を行ったり来たり。1時間近く探し回ったが、根っこの痕跡すら見つけられなかった。それにしても、この徹底ぶりはなんなんだ。仮に、葉っぱだけ全部採ったとして、根っこさえ残っていれば、来年また出てくる可能性もあるのに。根っこまでほじっくていくとは。とある山の話を思い出した。そこは一般の人も通る登山道の近くらしいのだが、斜面全体にニンニク畑が広がっていたそうだ。それが、たった2年で全滅した、とのこと。真実はいかに?来年またここに来て確認してみよう。

そうはいうものの、この谷は良質のウルイ、ウドの宝庫。それだけでも来てみる価値はある。



投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-16 14:28:49 (127 ヒット)





ワッハッハー、やっと見つけた。自ら見つけたのが何よりもうれしい。長年探し求めていたが、巡り合うこと能わず。しかし、ついに我が手中に。昨年、極上のマイタケに遭遇したときもうれしかったが、今回はそれ以上のうれしさ。達成感と満足感で心躍った。富山の場合、奥山でなければ無理でないかと、半分あきらめていた。それだけに喜びは大きい。

きっかけは一枚の写真。山から帰ってからデジカメ画像を見ながら一日を振り返っていた。その風景の一部に目がいった。そういう目で見なければただの草付き斜面。その一角に目がいく。画像を拡大して確かめようとするが、粒子が荒く、それらしき雰囲気はあるのだが、確信がもてない。なにしろ、自生しているところは見たことがないのだから。それと似た毒草も周辺に確認できるので、やっぱり違うのかなとの思い。これは、もう一度行ってこの目で確認してみるしかない。しかし、その場所は単独となれば雪渓の残る時期に限られる。なら今のうちだと思い、出かけることにした。ピッケルを頼りに雪渓から草付きを登り、まず肉眼で確認。この時点で99パーセント確信。そして、一葉を摘んで匂いをかいでみる。わーっ、くさい、ニンニクの香りだ、やったぞ。達成感と喜びが全身を駆け巡る。畑とは言い難いが、自生場所はそれなりの群落となっている。上部まで行って刈り取りたいところだが、事故という前科があるので、それは自重し、無理はしないことにした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-11 6:43:18 (152 ヒット)





















早月尾根で「つま先下がり」だと登りの違和感がかなり軽減されるという感触を得た。そこで、靴底に中敷きとして、踵部分だけ高くすればよいのでは、と思って、使わない古い中敷きをハサミで適当に切って、右足にだけ敷いてみた。
これがまた、大ヒット。上りの違和感はさらに軽減された。踵部に木の根や石を置くつま先下がりも手伝って、効果絶大。山頂まで、これまでにない歩き易さだった。ただ、中敷きを切って挟んだだけなので、端っこが土踏まずに押し当てられ、体重を乗せたとき、わずかの痛みというか違和感がある。
家に帰ってから、ネットで調べたら、その部分を薄くした既製品が売っていた。もう少し踵を高くしたいし、試してみる価値はある。ただ、長丁場や下りのとき大丈夫かなという思いはある。

馬場島駐車場起点 東小糸谷経由 山頂まで3時間10分
残雪を考慮して、ピッケル、アイゼンを持っていったが、必要なかった。カメラにレンズ2本も持ていったが、レンズ交換している余裕もなく、これも考え直す必要あり。水は1リットルで足りた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-11 6:35:19 (157 ヒット)





















先日大雨が降って、ブナクラ谷の支谷の状態が悪化して、渡渉に手間取りそうなので、早月尾根の散策に出かけた。今回はサポーターを付けないでどこまで行けるか、その試しでもある。これまでの経験上、2時間も歩けば、側副靭帯付近がだるさから痛みに転じてくる。そうなると先が見通せないから無理はできない。

思い出したのが、しゃがんでからの立ちこみ。左足だと手で何かに掴りながらだと、きついながらも、立ちこみはできる。それが、右足だと全く上がらない。細かくいえば、始動ができない。10度くらい持ち上がってからだと、その後は問題ない。そこで、外側内側の両方で試みた。外側で立ち上がろうとすると、同じ状態。やはり、側副靭帯の一部が切れているか、緩んでいるかしているのだろう。内側立ちだと左足同様に立ちこみは可能。

そこで、歩きにこれを応用してみた。まず、親指・踵ラインに重心を置く。急登のときは、がにまた気味にして、側副靭帯へのを負担を避ける。石や岩、木の根などがあるときは、そこに踵を乗せ、つま先下がりとする。この中で、一番効果があったのは、最後のつま先下がり。膝曲げから立ちこみの始動のときに感じていた痛みがかなり軽減された。その状態で最後まで歩き通して、下りもサポーター無しで済んだ。家に着いてからのアイシングはいつも通り。

馬場島駐車場起点 2100まで3時間10分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-11 6:20:34 (137 ヒット)


















前回、戸倉谷の大滝に出会ったとき、あまりにも豪快な滝のスケールに圧倒されてしまった。カメラの導線は自然とその滝の流れに向かう。両脇の岩壁もフレームに入れようとするのだが、落ちてくる水の流れがどうやっても白飛びしてしまう。フィルターも三脚もないので仕方のないことなのかもしれない。あれもこれも欲張った結果ともいえる。その反省を生かして、欲張らない構図でもう一度滝をカメラに納めたかった。

馬場島駐車場起点 戸倉谷まで2時間30分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-6-11 6:14:42 (153 ヒット)















ブナクラ谷に入るのは3年ぶり。昨年は小ブナクラ谷のシラネアオイを見に行っただけで、その先は気が重かった。3年前のことがどうしても引っかかる。あれは運が悪かっただけ、とはなかなか心の切り替えができない。

十年ほど前、心房細動からくる頻脈発作が出だしてから自分の山は変わらざるを得なかった。仲間との行動は控えるようになって、必然単独行が主になる。となれば、行動範囲は限られてくるし、山中で体調の変化が現れたときはすぐ撤退というパターンで来ている。それでも、多少の無理をしなければ登れない山もある。その無理がいつまで続くかだましだましの期間が続いた。事故はそんな矢先の出来事だった。もう、終わったと思った。

しかし、2年半経った昨年の秋、ようやく傷も癒えてきた頃、なんでもない平地で転んで、同じ膝をひねってしまった。皿を割ったことを思えば、たいしたことないと思っていたが、甘かった。受傷後のリハビリ過程では経験しなかった痛みと症状に悩まされた。何をどうしても改善しない。調子が上がってこない。なにしろ、走れない。2年半かけてようやく全速で走れるまでになって、あとは、体力と筋力をつけるだけ、と思っていたのに、また振り出しに戻ってしまった。あれから、半年。いろいろ試してみたが、良くなる端緒が見いだせないままの現在がある。

そんなことだから、ブナクラ谷に足を踏み入るには、モチベーションがなかなか上がらない。でも、少しずつならできるかも、ダメでもともと、深入りはしない。という気持ちで一歩を踏み出すことにした。

白萩川ゲート起点 大ブナクラ谷まで1時間 戸倉谷まで2時間
出だしから足が重かったのでスローペース。目に写るものすべて新鮮だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-5-27 10:18:30 (163 ヒット)



















カタクリ、サンカヨウは姿を消し、ツツジやコブシが緑のなかに鮮やかに映っている。ゆっくりとではあるが、足て蹴り上がるというよりは「足を置く」ことに意識して登れば、痛みを感じなく行動することができる。しかし、急登ともなればそうもいかず、違和感が増してくる。1200を過ぎてからサポーターを履く。一時的には楽になるが、だんだん締め付け感が増してくると、それが痛みに変わってくる。しかし、半年前に苦しんだほどの痛みはない。ゆっくり歩くので、心臓への負荷も少なく、心房細動を誘発する要因減にもなっているようだ。1700を過ぎると雪がべったり状態となり、アイゼンがないのでそこで行動を打ち切った。ここまでくるとダケバンバの猛々しい姿が見られる。剱日帰りの単独行者が降りてきたので話を聴くと、2700斜面が凍っていたのでそこから引き返してきたのだそうだ。そして、走るように下っていった。

登山口起点 1700から1800の間まで 3時間


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