投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-30 10:29:39 (229 ヒット)

京極堂を読みたくてたまらないのだが、近々は刊行されてなくて、昔に戻って読んでいる。
本作品は短編集だが、それまで出てきた京極堂の登場人物がそれぞれの主人公となっている。本編では触れられなかった一癖も二癖もある人物の一面が垣間見られる。というか、その人物のキャラクターを補筆している。「あー、そういうことだったのか、なるほど」と、思うことしきり。そうなれば、また「姑獲鳥の夏」から読み返してみようという気持ちが湧いてくる。京極堂はそういうループをもっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-20 10:05:23 (240 ヒット)

「烏の伝言」以来、長らく待ち望んでいた高田大介の本、やっぱり面白かった。伝奇小説の部類に入るのだろうが、単なる伝奇物に収まらないところが本書の奥深さ。鍵となる言葉が要所に散りばめられ、その鍵とも記号ともつかぬ言葉がパズルのピースのように物語に落とし込まれていく。論理的な破綻は微塵もなく、ただただ知的好奇心の向かうがままに読者を物語の中に引きずり込み、引っ張っていく。「豊富な」という一言では言い表せないくらいの語彙力が物語に魔術師的な厚みをもたらしている。日頃聞きなれないような言葉が次々と登場し、技巧に走った読みにくい文章であるかと言えば、そうではなく、逆にすんなりと腑に落ちていく。ある意味不思議な感覚。この辺の按配、空気感が「図書館の魔女」以来の著者の魅力であろう。
さらに、この作品において異彩を放っているのが、語り言葉の8割以上が上州弁で占められている、という点。それも、コテコテの上州弁。言語学者でもある著者の一つの遊びなのかもしれない。群馬でベストセラー一位になるのは間違いがないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-16 10:54:04 (246 ヒット)

弔堂シリーズの二冊目。今回はうら若き女性が物語の進行役となっていて、文章運びも新鮮に感じる。前作の登場人物を要所に配していて、読者心理を掴むのがうまい、さすが京極夏彦。伏線とまではいかないが、確かこいつは?と、記憶の糸を辿りながら読み進む。
両作品を通して、京極堂と弔堂との関係性を示すと思われる記述がさらりと描かれていて、何時しか京極堂に辿り着くのではという期待感を持ちながら読んでいたのは私だけではないと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-16 10:49:47 (248 ヒット)

憑き物落とし「京極堂」に代わって、本を供養する「弔堂」が心の窓を開けてくれる。『世の中に無駄な本など一つもない、無駄にする人間がいるだけだ』なるほど、うまいことを言う。人、一人ひとりに見合った一冊の本があるのだという。その一冊を「弔堂」が探してくれる。その本は出合ったその人によって価値が見いだされる。弔堂に言わせれば、本が成仏する、ということになる。しかし、それは逆で、悩み彷徨える人間がその本によって一筋の光を見出す、あるいは選択の道標と為す、そういうことではあるまいか。
短編の集合体の形をとっているが、それぞれに登場する人物が後の物語へと引き継がれて行き、伏線となっていく。それがこの作品に厚みを与えている。京極堂のような破壊的な理屈回しではなく、じわっとくる説教が持ち味なので、通快感は薄い。作者も年月を経て、作品にも人間性に於いても丸みが出てきたのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-16 10:48:53 (248 ヒット)

垣根涼介の作品として読んだ初めての本。本屋さんや図書館の書架にあまた並んでいる本の中から、自分の意志でこの作品にたどり着けたかどうかと思うと、友達の薦めで本書に出会ったのは幸運であった。推薦本にたがわず、とても面白かった。
けれんみのない文章は読みやすく、変なひねりもない。サクサク読めるのが今風の作家のキモなのかもしれない。主題性とプロット力が7割、あと3割が文章力。題名通り「狛犬」が重要なキーなのだが、なぜ「軌跡」としたのかなかなかわからなかった。しかし、終盤に来て、やっと合点する。この終盤の納め方がおもしろい。推理小説では終盤の一行で腑に落ちるということはままあることだが、そういう纏め方とは違うもって行き方におもしろみを感じた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-16 10:47:57 (268 ヒット)

本屋大賞というのは日本の専売特許かと思っていたら、そうでもなかったようだ。作者はこの作品でノルウエーの本屋大賞を獲っている。本屋大賞は日本の本屋の店員さんの発案で、それが地道に広がり、そして幅広く支持されるようになっていったのかと思っていたら、そうではなかったらしい。どこぞの国でウケている「本屋大賞」なるものをパクっただけのことだった。巧みでしたたかなマーケティング戦略だったのだ。

ともあれ、この作品は一見の価値があるだろう。現代、過去、未来、に登場する三人の主人公の視点でミツバチをもとにした物語が語られる。冒頭から中盤まで、三者ばらばらのストーリーはいったいどこに集結するのだろうかとの疑問符だらけ。中盤になってやっとこの物語が親と子の絆の物語であることに気付かされる。感動を呼ぶ結末はないが、ミツバチを主題として親子の不偏性、特に子を想う親の気持ち、を描いた作品だとひらめいた。難を言うなら、過去、現代の挿話はうまくミツバチの生態と絡み合って興味深かったが、未来の挿話は描きたらないというか、ストーリー性が貧弱というか、ワクワク感に欠けた感がある。もっと違ったやり方があったのではないかと思うと、ちょっと残念。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-10-31 17:49:02 (243 ヒット)

この時代はあまりにも混沌としていて掴みようがない。だから、いろいろな方面から描いた作品を通じて、その神髄に迫ろうとするのだが、おいそれとはいかないようだ。
作者も同様なことを感じていたらしく、あとがきで以下のように記している。「後醍醐天皇をどう評価するかつかみかねていたし、南北朝動乱の本質がいまひとつよく分らなかった」
それにしても、右に左に激しく揺れ動いたこの時代、朝廷や武士達の覇権争いはともかくとして、戦乱によって発生した領地や権益を巡る争いに巻き込まれた庶民はこの荒波の中どう対処して、どうやって生き残っていったのか、その点が不思議というか気になって仕方がない。

参考図書
「室町幕府と地方の社会」 榎原雅治 著 岩波新書
「鎌倉幕府と朝廷」 近藤成一 著 岩波新書


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-9-29 17:33:43 (262 ヒット)

ジェファニー・イーガン、二冊目。前に読んだ「ならずものがやってくる」よりはまともな作品。こちらは正当大衆小説。一人の少女の成長成功譚。読み始めてすぐ、ジェフリー・アーチャーを彷彿させる。そして、その雰囲気は最後まで貫かれる。エンタテインメント性てんこ盛りだが、やや纏まりすぎた感じがしないでもない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-9-29 17:33:02 (268 ヒット)

ピュリツアー賞作品ということで手に取ったが、なんでこの作品がその賞を獲ったのか最後までわからなかった。音楽を通じて関わりのある複数の人物がそれぞれの挿話の中心人物となり、全体の物語を構成する。一つひとつの挿話が時系列的に描かれているわけではなく、また場面でも重ならないこともあるため、その空間、時間を読み手が埋める必要がある。残念ながらこの作品においては、そこを汲み取る自分の創造性というか感性が全く追いついていかなかった。ピュリツアー賞を獲るほどの作品なのに、ピンとこないのはなんか置いて行かれたような気もするが、おもしろくないものはおもしろくない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-9-29 17:32:21 (252 ヒット)

極まともな社会派推理小説。移民をめぐる問題はヨーロッパでは今かなり深刻な問題となっているようだ。必ずしも、小説の中身がその国の大勢を言い表しているわけではないが、作者を信じるならば、この作品からアイスランドでの移民の置かれる立場や市民の考えが読み取れる。移民肯定派否定派両面からみた社会背景をうまく物語に乗せて、それが推理物語と表裏一体となっている。作者は移民問題をあえてこの作品で提起するつもりもないのだろうが、それを自分の立場に置き換えて読んでいたことは間違いがない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-9-29 17:31:37 (253 ヒット)

新田義貞、名前は知っていてもどんな人物なのか全く知らなかった。歴史線上のどこに当てはまる人物なのか、この作品でようやく知ることが出来た。最近になってこの時代を描いた小説を何冊か読んだが、この時代は天秤のように上げ下げする朝廷と幕府の力関係、そしてそれに翻弄される庶民と地方の武士たち、それらがぐちゃぐちゃに入り乱れていた時代だったということが自分の中での認識として定着しつつある。何がなんだかさっぱりわからない、何でもありの時代だったとの印象が強い。なので、この時代を描く小説も焦点を絞り切るのが非常に難しいのではと想像する。個々の人物を描くにはその背景や同時代に居た人物との関係も描かざるを得なく、これだけ混沌とした時代を描くには、それぞれの人物像を一つひとつきっちりと組み上げながら、それらを積み上げていくしかないように思える。単独作家が独りの目線でみた山岡壮八の「家康」のような超長編にならざるを得ないと考える。今のところそんな作品にはめぐり合っていないので、個々の人物を描いた小説をもっともっと読み込んで、この時代を自分のものにするしかないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-9-16 11:30:48 (257 ヒット)

この作品はよく練られている。三日天下と綽名される従来の明智光秀像は微塵も感じられない。序盤から中盤にかけて多くの紙面を割いているのは剣術家と腐れ坊主との挿話。そこにすーっと絡んでくるのが光秀。飄々とした僧侶のサイコロ賭博の謎かけが主題と関わっているのだろうが、どう繋がっていくのか、読んでいてなかなか解明できない。光秀の出自や幕府側との関わり、信長に見いだされてからの立ち位置もうまく描かれている。そして、終盤になるとそれまで組まれてきた挿話が一気に主題へと収斂されていく。見事しか言いようがない


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-9-16 11:28:33 (253 ヒット)

応仁の乱前夜。幕府の権威は地に落ち、市中は混沌の中にあり、強盗押し込みと取り締る側は表裏一体、土一揆なんぞは日常茶飯事。今でこそ京都は古き佇まいを残したよい街として知られているが、平安時代から江戸時代に至るまで、絶えず騒乱の中にあったといっても過言ではない。その間、農民、市民はしたたかに生き抜いてきのだと、つくづく思う。ここで描かれているのは棒術を得意とする剣術家とその師匠、そして自らを捨て駒としてでも乱世の転覆を図ろうとする武芸者の生き様。いよいよ応仁の乱へと突入していくざわざわ感が伝わってくる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-8-17 15:43:13 (278 ヒット)

「ルー・ガルー」に引き続いて少女たちが悪を懲らしめる近未来小説。とどまることを知らない人間の欲望が悪なら、少女たちの無欲さと一途さが善。こんな構図だから、善が負けるはずがない。本家京極堂への飢えが募った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-8-17 15:41:45 (228 ヒット)

京極堂の理屈っぽく、それでいてカッコよい推理物が読みたいのだけれど、作者はなかなかそれを出してくれない。妖怪小説や少しおちゃらけ感のある作品にシフトしてしまったかのようだ。近未来が舞台のSF風のこの作品も本家京極堂から外れた作品かと思ったが、読んでみるとそうでもなかったようだ。京極堂こそ登場しないが、関口君はいるし、榎津もいる。終盤のドタバタ劇はお愛嬌だが、久しぶりに京極堂の世界観に浸らされてくれた作品となった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-8-17 15:41:03 (253 ヒット)

まさかジャマイカ発の小説を手にするとは思わなかった。小説の世界はインターネットに負けず劣らずワールドワイドになってきた。それにしてもこの本、二段組みの700ページ、ずっしりと重く、読む鈍器、読む筋トレ本といっても過言ではない。しかも6000円というお値段、自分の場合は図書館で見とめて手に取ったのだが、いったいどんな人が買っていくのだろうか、気になるところ。
で、内容は、爆裂する言葉の羅列。暴力的ともいえる独白の連続。ジェイムズ・エルロイにも通ずる雰囲気。そして、場面があっちに飛んだりこっちに飛んだり、追っかけるのに一苦労。とても「簡潔な記録」とは言い難い。それでも、いったいこの物語はどこに向かっているのだろうか、との一心で、ページをめくる。だが、最後の最後まで事の真相に突き当たることが出来なかった。ただ一つ言えるのは、ボブ・マーリーがいた頃のジャマイカの暴力的で混沌とした世情がなんとなくかんじられたこと。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-8-17 15:39:54 (240 ヒット)

作品に出てくる小説が入れ子になって、作品とその小説が同調しながら一つのミステリーを形成してく。ありがちな設定だが、軽やかな文章使いも手伝ってぐいぐい作品に引き込まれていく。一人の少女の疾走がテーマなのだが、次から次と怪しい人物が登場してくる様は「ツイン・ピークス」を彷彿させる。ミステリーでいて心温まる作品に仕上がっているのも人気の一因であろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-8-17 15:37:42 (241 ヒット)

戦国時代に活躍した武将たちの短編集。
短編の寄せ集めながら、戦国時代終盤のエキスが凝縮されており、この本一冊で戦国時代の流れをおさらいできる。「天地明察」同様軽快な文章仕立てが心地よい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-18 13:42:41 (287 ヒット)

先にルメートルの「天国でまた会おう」を読んだとき、自分の思惑とは若干異なる彼の母国フランスの評価ぶりにいささか戸惑いを感じたが、本作品を読んで、その一因がわかったような気がした。今思い起こしてみれば、本作品や「天国でまた会おう」に限らず、彼の作品の根底には絶えずフランス一流のエスプリが強く根を張っている。そのエスプリの肌での感じ方がフランスオリジンと日本人の私とで異なるのは否めない。本作品を読み終えてふとそんなひらめきが浮かんだ。ミステリーではあるが、こういうエスプリの効いた作品をフランス人は手放しで喜ぶのだろう。それともう一つ重要なポイントは、本作品や「天国でまた会おう」は「エスプリ」と並んでフランス人にはかかせない「システムD」の王道をいっている、という点だ。ルメートルの作品はこのかみ合わせが絶妙ゆえフランスでの大絶賛となったのだろう。「エスプリ」と「システムD」はなにもフランスの専売特許というわけではなく、我々にも十分響いてきて、楽しませてくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-18 13:30:10 (260 ヒット)

「スティール・キス」に続いてまたもや★二つ。
常に新境地を切り開こうとする作者の意欲には敬服の至りだが、本作品ではそのひらめきが上滑りしている感がある。仕込まれたトリックに「してやられた」というよりは「えー、そんなのありか」という印象の方が強い。冒頭からなんとなくいつもの作品とは切れが違う、と思いつつ読み進めるが、まぁ、そのうち凄いことになるのだろう、という期待は見事に裏切られた。なんでだろうなー。もし、次の作品もこんな感じだったら、リンカーン・ライムシリーズは完全に経年劣化に陥ったとみていいだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-12 10:12:26 (251 ヒット)

なんとなく、ジェフリー・アーチャーの作品を彷彿させるトリック劇。「天国でまた会おう」の続編ということで、その前作をよく覚えていないのでちょっと心配だったが、そう思ったのは最初だけで、読み始めるとあまり前作の主要部分を引きずっておらず、すぐに本作品の筋に入っていけた。
本書の原作には、フランスの新聞、雑誌に数多くの書評が寄せられたとのことだが、それほどの賞賛に値する作品という印象はない。戦時のフランスの文化、人間模様を主題としているだけに、熱の入り方がピエールの母国フランスと自分とでは差があるのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-5-26 10:27:12 (294 ヒット)

「風の群像」「孤愁の岸」に続き杉本苑子三冊目。前作二つは軽快で読みやすく、物語に集中できたが、今回は予想が外れ、というか全く内容を知らずに手にしたのだが、前二作とは趣が異なってちょっと戸惑った。

歴史物の面白さはその時代のダイナミズムにあると思うのだが、この作品の時代、平城京の時代はそのダイナミズムが主に混迷する朝廷問題に起因し、日本を取り巻く朝鮮、中国との関係も絡み合って、ますます一筋縄ではいかない時代であったようだ、との認識を新たにした。

皇族間での婚姻が常態化していたため皇族の系統が入り乱れ、天皇と退位した太上天皇が両立し、二人による統治も普通に行われていた。このため多くの王家が並列し皇室の系統ごとの派閥争いから皇位継承問題は血なまぐささがつきまとう。そこに輪をかけて混迷さを助長させ、複雑怪奇な時代背景を招いたのが藤原氏の皇族との姻戚関係。ただでさえ複雑な皇族の系統図に藤原氏の系統が絡みあって、時代はまさにドロドロに渦巻いていたといっても過言ではないだろう。そして、仏教との関わり。これらの要素を網羅しなければ平城京の時代は語れず、それを苦心惨憺し物語に組み上げた作者はやはり並みの作家ではないだろう。複雑に入り組んだ史実を抑えながらの物語となれば、読む方にもある程度の時代背景への理解が必要で、このためた他2冊の図書を携え、なんとか読み切ることができた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-23 13:20:58 (266 ヒット)

この人はタイトルの付け方がとてもうまいなと思った。先に読んだ「風の群像」もそうであったが、作品を見事に言い表した題名だと思う。
「風の群像」を読んでから、もっと作者の作品を読んでみたいと思って出逢ったのがこの作品。辿ると長くなるが、薩摩藩に興味を抱いたのは鳴海章の「薩摩組幕末秘録」。ここで富山売薬と薩摩藩との深い結びつきを知ることになる。薩摩藩が幕府に散々いじめられて財政難どころか窮地に陥り、それを立て直したのが家老の調所広郷。そのとき昆布の密貿易によって財を蓄えるのに一役かったのが富山売薬。やがて、薩摩藩の赤字は解消し、その蓄財をもって倒幕への足がかりとなった。富山売薬の影の支え無くして、英国との戦争はありえず、倒幕への道のりもまた違ったものになっていただろう。幕府憎しの大元が関ヶ原にあったことを知ったのは山岡荘八の「徳川家康」を読んだとき。長州、薩摩共々関ヶ原を境に幕府から虐げられ、そのときの悔しさ恨みが倒幕までの長きに渡ってくすぶり続けていたようだ。この作品の舞台となっているのは薩摩藩の財政難を著しく拡大、決定せしめた世に名高い「宝暦の治水」(この作品を読むまで知らなかったのだが)。財政再建を果たした調所広郷が生まれる前の年の出来出来事というのもなんだか因縁深い。幕府が課した治水の普請事業に携わる、なんとも泣ける武士の男達の生きざまを女性の作者がここまで的確に描いているのにまずは感心。また、この作品が書かれたのは昭和37年。平成最後の年に読んでも古臭さは微塵も感じられない。それがまた不思議でたまらなかった。時代ともに小説の書き方描き方は変わってくる、というのが持論。昭和37年というと今から50年以上も前になる。なのに、文章使いも、物語の運び方も、古臭さとは無縁だ。この作品で作者は直木賞をとったというが、直木賞の持つ底力を見直した作品となった。
ここでまた興味が募る。宝暦の治水のとき、本国財政破綻寸前の薩摩では富山売薬の差止めがあったや否や。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-23 13:20:04 (272 ヒット)

北方謙三の「武王の門」を読み終えてから、その背景にある足利時代と南北朝を舞台にした作品がないかと思って、探り当てたのがこの一冊。後醍醐天皇が流刑の地である隠岐から脱出し、北条を打たんと旗を挙げたときから物語は始まる。それに呼応した足利尊氏の一生と彼を取り巻く武士達と朝廷や公家らの思惑が網目のように絡みあう時代を描いている。
真田昌幸は生き残りのために度々陣営を替えてきたことで知られるが、彼の変わり身がそれほどでもないと思えるほど南北朝時代の武士達の身の振り方は複雑を極めた。朝廷自体南へいったり北にいったりネコの目のようにくるくる変わり、同時に院政の動きも連動する。そしてその各々から見方に附けよと令司が下る。武士達はそんな動きに振り回され、己の栄達と絡み合わせて、南についたり北についたり、もうそれは大変だったようだ。
そういう複雑怪奇な時代の断片を主人公の足利尊氏を通してうまくあぶり出している。文章も平易で物語的にも破綻は無く、この頃の時代背景を知るには良い作品だと思う。ただ、登場人物の言葉使い(特に足利尊氏)が「ため口」なのがちょっと引っかかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-2 12:51:12 (324 ヒット)

九州の歴史絵巻を読んだのはこれが初めて。地名がしっくりと頭に入って来ない。
足利時代に九州を一つの国にまとめあげようとした一皇族の物語。それはまるで作者の「梁山泊」を彷彿させる。「梁山泊」にあるように小さな勢力が次第に大きくなり、時代の治世者に挑んでいく。陸地における武力衝突だけではなく、海を介した交易も重要なファクターとなっているのも「梁山泊」と同じ。物語の緩急のつけかたも「梁山泊」に似ている。平たんな部分はちょっと間延びしてしまうこともある(「岳飛伝」ではそれが著しかった)。雌雄を決する物語の山が二つあるが、そのどれも迫力があり読み応え十分。だが、すべては最後の大宰府をめぐる攻防のためにこの物語は書かれたようになもの。どう物語が収斂していくのか、終盤にきて加速度的にページをめくるスピードが速くなった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-4-2 12:49:01 (260 ヒット)

著者が冒頭に触れているが、天下分け目の「関ヶ原」を描くのに、いったい歴史上のどの時点から始めたらよいのか、そこはやはり悩ましいところ。山岡荘八の「徳川家康」では家康の幼少期から始まっているので、そこに行きつくまではかなり長い道のり。話の切りだしは誰にスポットをあてるのか、それも重要な点。そういうことを落語の枕のように綴りながら、少しずつ物語の中に引き込んでいく。そして、いつの間にか読み手は「関ヶ原」への時間軸上を歩かされている。司馬遼太郎著がうまいのは、いきなり本編に入らないで、そういうふうにざわざわと物語を進めていくところだろう。冒頭だけではなく、途中途中の挿話にもそういう書き方がされていて、それらがやがて壮大なスケールの終盤へと集結していくのだから、お見事。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-28 10:18:25 (248 ヒット)

星七つは高田大介の「図書館の魔女」以来か。久しぶりに爽快、痛快な作品に出逢った。
おもしろい作品に出逢ったとき、よくそれが映画化、テレビドラマ化されるシーンを思い浮かべたりするのだが、本作品ではアニメーションの映像が浮かんだ。テンポがよくて、飾らない文体がそうさせたのだと思う。
江戸時代に於ける暦の改変という主題を、囲碁的、数学的、天文学的、歴史的、政治的という様々な見地から描きながら、それらをうまくコンパクトにまとめ上げている。かつ、物語性も秀逸となれば、言うことなし。作者の天才的な技量に脱帽する。多くの人が歴史小説の傑作としてこの作品を推すのも納得。
新田次郎の「点の記」的な匂いも若干感漂うが、それを上回る作品力に圧倒された。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-19 10:24:20 (308 ヒット)

地元紙に紹介されていた一冊。すでに借り手がついているではと思ったが、ラッキーなことに書架に並んでいた。冒頭からぐいぐい引き込まれ、ボス缶2個飲み終える頃には読み終えていた。

「不夜城」に代表されるようなジェイムズ・エルロイ的なノワール世界は微塵もない。浅田次郎と石田依良を思わせるタッチはとても読みやすい。作品の中で主人公が、平井和正の作風が途中からガラっと変わって以降興味が薄れていった、という記述があるが、この作品を通してノワールから大きく方向転換した馳星周とダブって見えた。読みやすく大衆受けするのは本作品のようなハートウオーミングな物語なのだろうが、「不夜城」みたいな得体のしれないブラックな世界を作者に期待してしまうのは私だけではないと思う。

ともあれ、読者の多様性に作家の多面性がうまくマッチした良作なのは間違いなく、そのうち、映画かテレビドラマ(NHK)になるかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-19 10:15:39 (312 ヒット)

一次大戦の終局面から物語は始まる。
いきなり繰り広げられる主人公らの戦闘場面がリアルで生々しい。このあと物語はどこへ向かうのだろうか、あれやこれや想像しながらページをめくる。起承転結の承のあたりからなんとなくそれが見え始め、それが途方もなく奇想天外なのだが、以後トントン拍子に事は運んで行く。途中紆余曲折もあるが、だいたいは読者が思い描く方向に進んでいく。かといって、予定調和に陥るわけでもなく、その辺のバランスはよくとれていると思う。映画「スティング」のような心地よい読後感が残った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:22:51 (275 ヒット)

これは掘り出し物だ。
一年に何冊の小説が出版され、その中に邦訳物が何冊あるかは知らないが、海外のどこかで誰かの手によって放たれた作品が、邦訳されて一地方の書架に並べられ、そして、たまたまそこに目がって、それがまたとてつもない感動を与えてくれる、そんな幸運な巡り合わせが時としてはある。本作品もその一冊。

単なる贋作ミステリーかなと思って手に取ったら、さにあらず。物語は1630年代と現代そして1950年代、オランダとニューヨーク、オーストラリアを行き来しながら、画像としては目に見えないが、読み進むにつれて心の中に一枚の絵が形成されていく。それは読み手の一人一人の心の絵であって、本を読みながら抱く一人一人の想いにも似ている。


« 1 2 3 4 (5) 6 7 8 ... 20 »