投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:19:45 (313 ヒット)

アイスランドの干からびた湖から見つかった白骨死体から紡ぎだされたのは、哀しくて切なくて、そして懸命に生きた青春群像。サスペンスではあるが、それを超えた重厚な読後感に満たされた。少ない手がかりから、真相に迫っていく主人公の刑事と読み手の気持ちが見事にリンクしていくのを感じる。なので、どんどんと物語に引き込まれていった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:16:56 (290 ヒット)

元大統領が贈る小説とはどんなものであろうか、興味はひたすらその点に尽きる。政治家と小説家と二足のわらじで成功している作家と言えばジェフリー・アーチャーがまず浮かぶ。はたして、ビル・クリントンの実力のほどはいかに・・・。よくできた作品だと思う。が、「ビル・クリントンが書いた」という話題性に見合う作品かと問われれば疑問符だらけ。

まず、上・下2巻に分かれているが、この内容ならば1巻で収まるボリューム。なんで2巻しなければならなかったのか理解不能。テロに挑む大統領にしてはスター性に欠ける。ジャック・ライアンンの印象が強すぎるからだろうか。いざ、戦いとなったら、敵が弱すぎる、あっさりとやられてしまう、芸がない。なにより、肝心となる謎解きのキーワードの作り込みが不可解。一見筋が通っているようだが、自分的にはあれっ?と思いながらも物語が進行していくので、もやもやが最後まで付きまとう。さらっと散りばめられた付箋に気付かなかっただけなのだろうかと、何度も何度も振り返ってみたが、結果は同じ、やっぱり読み切れなかった。論理的な破綻はどうしようもない。大統領の身近に女性が多すぎる。副大統領、CIA長官、FBI長官代行、大統領秘書、大統領の主治医、イスラエル首相などなど。これはビル・クリントンの御愛嬌だろうか。

最後に、大統領の亡くなった夫人の名前が「レイチェル・カーソン」。冒頭に出てくるこの名前からあのレイチェル・カーソンを思い浮かべた者は少なくないはずだ。「沈黙の春」は急速に進化する文明に警鐘を鳴らした名著。ネット社会にはらむ脆弱性と危険性が本作品のテーマとなっており、本作品はレイチェル・カーソンへのオマージュ的な意味合いもあるのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-2-10 15:16:04 (279 ヒット)

様々な素材からなる短編集。そのどれの主人公にもトム・ハンクスがなった映画を想像してしまう。この短編集の映画化、トム・ハンクス監督・主演、を望むのは私だけではないと思う。

著者が私と同年同月生まれだったとは知らなかった。方やオスカー俳優、方やしがない日銭稼ぎ。そんなことは比べてみても何ら意味があるわけでなく、彼は彼、私は私だ。それでも不思議な因縁がないわけではない。本作品は「タイプ」が重要なキーワードとなっているが、我が家にも捨てるに捨てられないタイプライターが一台ある。この作品に出てくるような由緒ある機材でもなく、トム・ハンクスが蒐集している骨董品でもない。学生時代に手に入れた中古品で、今で言うなら、ラップトップ型とでも言うべく小型なものだ。当時何に使ったかというと、自作した音楽カセットテープのタイトルを手書きにするよりタイプ打ちした方が恰好よかったからで、ただそれだけしか使い道がなかったように思う。いずれ社会に出れば英文に接する機会があるだろうとの思いも少しはあったかもしれない。実際にタイプライターを使うようになったのは社会に出てから4年目。最初がオリベッティだった。肩番までは覚えていないが、さすが事務用本格タイプライター、私のおもちゃみたいなものとはわけが違う。確かバックスペースも付いていたような気がした。なるべく早く間違いなく打てるようにブラインドタッチを必死になって練習した覚えがある。次のマシンがIBMのものだった。これは本当にマシンと言える代物で、本作品にも出てくるが、ボール(球体)の周囲に刻印がしてあって一文字打つたびにボールが回転して印字され、しかもフォントはそのボールの交換によって簡単に変更できる、とういう感動の涙ちょちょ切れるマシンだった。それからしばらくたって、タイプ打ちとは遠ざかり、手にしているのはいつの間にかキーボードになってしまった。はたして、うちのおもちゃのようなタイプライター、今でも使えるのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-1-6 10:37:43 (326 ヒット)

正月に何冊か読もうと積んであったが、読み終えたのは結局この一冊。
ネット閲覧やら何やらでだらだらとして、正月があという間に過ぎていった。
もうちょっと、奇天烈マジックを想像していたが、読んでみると意外に素直な探偵小説。マンガチックだが、映画のシーンが目に浮かぶドラマ仕立てに想像力がかきたてられる。このシリーズ、最初から読んでみたい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-1-6 10:36:14 (273 ヒット)

久しぶりのジェイムズ・エルロイ、やっぱり難解だった。
根底に流れる壮大なミステリーに気付くのは終盤になってから。それまでは場面展開の速さについていくのがやっとで、どこがどうなっているのか、どことこがどう繋がるのか、それを探しながら手探り状態で読み進んでいく。話の大筋が見えてきてからも、断片的に描かれた挿話の辻褄合わに必死。やっぱり、しっくりこない。読み終えた後も、余韻というよりは、消化不良のもやもやとした感がぬぐえなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-12-18 10:28:40 (296 ヒット)

名前だけは知っていて、人気のある武将であることを耳にすることがあったが、北条早雲についてはなんにも知識がない。それだけに、興味深く読めたのは間違いない。北条早雲こと伊勢新九郎は備中荏原荘(岡山県井原市)で幼少期を過ごし、その後、駿河、伊豆を制覇する。彼の知略に長けた戦術が次々と披露されるのが、本作品の見どころ。

著者の作品は初めてだが、とても読みやすく、さらさらと読めてしまう。
まるで、マンガの一コマ一コマを文章にした感じ。逆にいえば、文章にふくらみがなく、作品としての深みにも欠ける。脇役や敵対する武将らへの深掘りが無いのもあっさりと読める要因だが、その分、作品としての幅がなくなるのは否めない。

応仁の乱前後の将軍家の動きもうまく取り入れられており、その時代背景を大雑把に理解するには良い作品だと思う.


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-11-22 11:50:55 (284 ヒット)

地元で有名な戦国武将といえば、やはり佐々成政がダントツ。
これまで、あまりにもこの人のことを知らなさすぎた。県外の方と話をしていて、話題にのっても、私は相槌ぐらいしか打てなかった。外国人に日本のことを話せないのと感覚は同じ。

本書は膨大な史料を精査して、佐々成政の実像に迫ろうとしている。戦国時代を描いた小説もおもしろいが、こういう風に史実の積み重ねからその人物像を作り上げていくというのも楽しいものだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-11-9 11:13:33 (298 ヒット)

著者あとがきによると、この作品は当初漢方薬メーカーの月間広報誌に掲載されたものだという。
企業の広報誌にこういった作品の執筆場があるとは知らなかった。どういう広報誌なのか見てみたいと興味がわく。また、広報誌にこういう作品を載せる会社の姿勢というか度量に感心もした。
山岡宗八の「徳川家康」の再読から始まった時代小説再発見の旅は自分の中での戦国時代の総括でもある。医師の目線からみた戦国の世はこれまで読んできた武将物語とは趣が異なり新鮮だ。戦国時代の医療はどういうものだったのか、時代背景と連動し患者の身分の差や敵対関係を問わず真摯に処する主人公の姿が印象的に残った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-10-31 18:32:35 (316 ヒット)

先に読んだ直江兼続と重なりあう時代に生きた真田三代、主に昌幸と幸村を中心に、を描いている。同時代に生きた、それも接点がある人物を同じ作者が別々の作品として描くのは難しい。挿話の一貫性に矛盾があってはいけないし、似た表現の描写が出てくるのは否めない。同じ時代を別々の人物からの目線で描いていることを期待して手に取ったが、それにはハードルが高かったようだ


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-10-12 20:56:27 (348 ヒット)

上杉景勝に仕えた名将、群雄割拠する時代において名脇役とも称される直江兼続を描いた作品。直江という性は我が町内に幾軒かあって、以前からもしかしたら元々越後が本領の上杉家となにかしら関係があったのではないかと気にかかっていた。信長方との魚津城での戦いでは、直江兼続は上杉景勝とともに魚津城を望む天神山に陣取っている。当然兼続ゆかりの寄板衆直江一族も配下として加わっていたと考えられる。その流れの一部が魚津から近い我が町に根を下ろしていたとしても不思議ではない。
ともあれ、上杉家も時代に翻弄された名門のうちの一つであった。一時は越後から東北の覇者も夢ではなかったのに、戦国時代末期の見えざる糸に導かれていく様は伊達政宗のそれによく似ている。覇者への道から生き残りを賭けた政治的な戦いに力を発揮したのが直江兼続だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-30 15:05:45 (324 ヒット)

関ヶ原を描いた小説を読むのはこれで連続して5度目。
これまでぴんとこなかった「政宗」がこの作品でようやく自分のものになった。
奥州の覇王を目前にしてその潮目が変わったのは秀吉に屈したそのとき。戦わずして誰かの軍門に下るということはそれまで政宗にとって考えられないことだった。秀吉が得意とする戦乱の世の処し方に政宗も組み込まれてしまった。それが、後の家康との結びつきにも繋がっていく。

ももと、東北が蝦夷と呼ばれていたころから、かの地では中央(朝廷)からは距離を置き独自な文化を築いていた。坂上田村麻呂によって征服されたとはいえ、朝廷側のやり方を直接押しつけるようなかたちはとってはいない。
それは奥州藤原三代の統治の頃になるといっそう顕著となり、藤原氏が絶えて後も戦国時代まで続くことになる。政宗の時代までは群雄割拠というよりは小雄の小競り合いの延長のような国取合戦が延々と行われてきた。それが秀吉の出現によって、新たな国取の絵図が描かれるに至って、政宗もその渦中に巻き込まれることになる。それでも、東北は我らのもの、秀吉何するものぞ、と最後まで抵抗した九戸政実のような生き方を選んだものもいた。しかし、川の流れはあまりにも早すぎて、政宗が奥州固めを万全とするまでの時間を与えてはくれなかった。形の上では秀吉に屈した形にはなったが、心の内は東北人の矜持を失っておらず、それが政宗人気の一つになっているのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-30 15:01:49 (302 ヒット)

「徳川家康」では伊達政宗のことがいまいち掴みきれなかった。そこで「鳳雛の夢」を手にとったのだが、これが「徳川家康」の政宗のエピソードをなぞり、端折っただけという感じだった。それではと、本家が描く政宗を読んでみたい気になった。なにせ8巻の大作、読み応え十分であろう。しかし、「家康」の焼き増し部分が多く、これだという政宗像を自分の中で構築するまでには至らなかった。期待したいただけに、ちょっと残念。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-10 14:10:24 (317 ヒット)

「家康」繋がりから、伊達政宗へ。
家康の晩年は伊達政宗との交わりを抜きにして語れない。
家康と政宗との関係は、信長と秀吉、秀吉と家康、そのどちらに近いものだったのだろうか。どうもそのどちらにも似ていないようだ。家康が夢見た万民泰平の国造りの最終仕上に政宗というピースがぴたりと当てはまる。信長、秀吉、家康それぞれにそれぞれの役目があり、政宗にも彼にしかできない役割があった。時代が求める人物がその都度現れてくるというのはなんと摩訶不思議なことなのだろう。
ただ、この作品に関しては政宗の人生をやや端折りすぎた感がある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-8 17:27:43 (319 ヒット)

「徳川家康」を読み返して思ったのは、自分があまりにもその頃の歴史を知らなさすぎたということ。そんなんで六十年以上も生きてこられたのが恥ずかしい。推理小説ばかりに入れ込んでいる場合ではないと、家康繋がりで手にとったのがこの一冊。
時代に翻弄された二人の武将、徳川秀忠と長宗我部盛親の葛藤を対比させながら描いている。年齢の差は4才だが、ほぼ同年代といってもよいだろう。関ヶ原の戦いでは敵対する大将どうしだが、二人とも主役にはなりきれなく、二人とも戦いの主筋からちょっと離れた展開を見せているところがおもしろい。
長宗我部盛親のことがもっと知りたくなった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-8-5 10:39:02 (342 ヒット)

30年以上経ってからの読み返し。脚を痛めてから何も出来ない辛い日々が続くなか、ちょうど三カ月かかって読了。

注意一秒怪我一生、とはよくいったものだ。一瞬の出来事が自分の今後の人生、生き方にこんなにも影響を与えるものだとは思ってもみなかった。階段の上り下りはもとより体重をかけることすらままならない、どうしようもない膝をかかえてやれることは限られる。山と半生を共にしてきた身にとってはとてつもなく辛い状況にある今の自分。半年後、一年後には飛んだり跳ねたりする可能性も無きにしも非ずなのだが、そんな兆候が全く見えない現時点では、ただただ悲壮感にさいなまれるばかり。お先真っ暗というのが正直なところ。

そんな折、できるのはただ本読みのみ、と手に取ったがこの作品。他にやることないので、けっこう集中して読めた。最初に読んだのが30年以上も前だから、内容は全く覚えていない。だから、一巻一巻読み進むのがとても楽しかった。家康ばかりではなく、信長、秀吉や他の戦国武将の物語ももれなく描かれている。家康を語るには、彼と同時代に生きた人々や出来事についても触れておく必要があり、全26巻は必然であったと納得した。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-4-25 13:42:04 (340 ヒット)

「新・銀河帝国興亡史」第二弾。
ここでは、二万年にわたり生きている?ロボットと人類との関わりが大きなテーマとなっている。人間のように考え、精神感応力を持つという人間と紙一重のロボットが、銀河帝国と人類の盛衰に大きく関与してきたことが語られる。気の遠くなるようなはるか昔、従来からよく知られているロボットの三原則に加え、第零法則がロボット自身の手によって「認識」されるようになる。つまり、人類存続という大きな命題の前には、小さな犠牲をも厭わない、容認する、というもの。すなわち、「人間に危害を加えてはならない」という大原則から大きく逸脱することを意味する。驚くべきは、その原則をロボットが構築したという点。そして、ロボット自身もその法則を支持する派と非支持派に分かれて生きながらえてきた。
当然、ハリ・セルダンが予測するところの銀河帝国の末期の混乱期に際して、零法則に則ったロボットは密かに人類の危機に対応を巡らす。しかし、零法則の呪縛から解かれたロボットはその路線とは一線を画した行動に出る。そして帝国内部では、セルダン計画に大きな影響を及ぼすことになる強い精神感応能力をもった者が出現してきて、彼らと帝国中枢との抗争も勃発する。それらの物語がお互いにリンクしあい、セルダン計画はいよいよ佳境へと突入していく。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-4-2 18:16:33 (408 ヒット)

アイザック・アシモフの「ファウンデーション」シリーズを題材として執筆された「新・銀河帝国興亡史」の第一弾。

ハリ・セルダンがトランターの首相に就く場面から始まる。まだ、心理歴史学が完成されてない頃の話。アシモフの「ファウンデーション」を補完している側面もある。かなり分厚い長編の単行本はなかなか前に進まない。超高度に発達した科学と精神世界との融合によって得られる疑似空間での物語が作品の大半を占めている。「模造人格」が描きだす世界観はまるで禅問答のようで、難解だ。昔のSF小説のような単純明快な筋運びとは程遠く、哲学書のような感じさえ受ける。SFも突き詰めていくと、こういう精神世界とは無縁ではいられないのだろうと思わされる作品であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-2-24 14:38:59 (362 ヒット)

「忘れられた花園」に続いてケイト・モートンの作品としては二作目。
前作よりサスペンス度合いが増し、ミステリーとしてもよくできている。
もし、この作品を最初に読んでいたら、間違いなく星五つとなっていたであろう。
冒頭から序盤に受けた印象は、何故に前作とここまで似たプロットや舞台背景、展開手法の作品にしたのかという疑問。双方の作品になんらかの関連性があるのならまだしも、その接点がない全く別の物語なのに、「忘れられた花園」を彷彿させる作品に若干の違和感があった。そこを差し引いても星四つに値する作品だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-1-6 13:38:29 (368 ヒット)

終活の一環として積んである本の読み返しに入ってから数年たつ。捨てるにしてもせっかく買った本、もう一度だけ読んでから始末したい。

さて、この正月から取り掛かったのはアシモフの「銀河帝国の興亡」。すでに二度読んだ覚えがあるから、今回が三度目。古い本なので文字も小さいが、やっぱりおもしろい。読み終えてからネットで調べてみると「銀河帝国の興亡 1」にはかなりのプレミアが付いている。捨てるのはもったいない気がしてきた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-12-24 9:50:04 (366 ヒット)

オーストラリアの作家の小説は初めてだ。

訳者あとがきによるとこの作品は『ゴシック・ロマンス』の範疇に入るらしい。ゴシック・ロマンスとは「18世紀半ばから19世紀初頭にかけてイギリスで流行した中世風ロマンスの一種」で「人里離れた古い城や大きな屋敷を舞台にした、おどろおどろしい雰囲気の怪奇小説っぽい恋愛小説」を意味するらしい。本作品には「おどろおどろしい雰囲気の怪奇小説」は当てはまらないにしても、大体の雰囲気はそれに合致している。

私は少女漫画を小説にアレンジしたという印象を受けた。演歌に男歌と女歌があるように、小説にも女小説と男小説があると思う。推理小説にしても男性作家と女性作家とではどこかしら漂う空気が違う。しいて言うならば、「凄み」が男性作家の方が勝っている。対して女性作家の方は繊細なシナリオを軸としている印象を受ける。というわけで、この作品は女小説の典型といえる。

冒頭から序盤にかけて、四世代にわたる物語が交互に語られ、登場人物同士の関係が混乱して幾たびも読み返す。そのうち第二世代と第四世代の二人の人物、祖母と孫の物語に収斂していくのだが、そこまでいくと話の筋が読めてくる。

題名となった「花園」はまさしく「人里離れた古い城や大きな屋敷」内にあって、「おぞましい事件があった」その場所にあり、二人によるルーツを探す旅から見えてくる一族に関わる数奇な物語が「ゴシック・ロマンス」というわけだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-12-9 11:22:19 (383 ヒット)

リンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場してから20年、最初のこの頃のようなときめき感は薄れ、パターンも定型化してきて、マンネリ感が否めない。

IOTが急速に進んできて、監視カメラやスマート家電、スマート自動車が手近に感じられるようになってきた。ハッキングや思わぬ通信障害によってそれらが暴走する可能性を危惧しているのは私だけはないと思う。先日も、電波障害が原因と思われる不具合でドローンが墜落するという事案があった。IOTによって世の中便利に、楽になっていくのはありがたいが、いったんそれに頼り切り、社会がシフトチェンジしてしまうと、それらが暴走したとき、機能しなくなったとき、混乱は避けられないだろう。

今回の主題は、まさしくそのスマートデヴァイス社会の脆弱性。
だが、推理小説のわりには、我々の考える範疇で物語が進み、推理する楽しみが薄れている。物語の山や谷も少なく、ほぼ平たんな調子で、考えなしで読めてしまう。リンカーン・ライムにはもっと凄みのあるサスペンスやあっと驚くような推理を期待している読者にとっては、並み以下の作品ととられてもしかたがあるまい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-12-5 11:20:54 (365 ヒット)

前回読んだ「ゴールド・フィンチ」と手法は似ている。
悪い友達仲間と一人の秀でた指導者との関わり、主人公らの悪であるが一途な生き方が根幹となっている。本作品で登場するのはアメリカ東部のカレッジでギリシャ語を専攻する学生とその指導教授。
「ゴールド・フィンチ」でもそうであったが、ドナ・タートが描く「悪ぶり」は徹底している。酒びたりで他とは距離をおいた学生グループの現実離れした日常にぐいぐい引き込まれていく。そしてその一途さゆえに起きてしまう事件。
まず映像が先にありきかのような緻密な描写と先を予見させない構成力、そして飾らない文章が作者の魅力だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-11-16 14:00:36 (345 ヒット)

薬害を主題とした社会派サスペンス。
散りばめられているプロットは平均的な着眼だと思うが、それを物語にもっていくことの難しさを感じさせてくれた作品。B旧テレビドラマのような仕上がり。物語の展開としてはオーソドックスだと思うが、古臭さも感じてしまう。心にしみ入る作品とは何かが違う。それは文章使いだったり、予定調和的な心理描写だったり、会話の調子だったり、うまく表現できないのがもどかしいが、やはりぐっと来るものがない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-11-8 12:09:08 (374 ヒット)

読み始めは、なんか変な本を掴まされたかな、との印象が強かった。それほど陳腐で定型的な出だし。たかが夫の不倫でこうもどたばたするものだろうか。結末から始まる作品にしては、本題を読み進めようという意欲が湧いてこない。もうちょっとひねりを加えた書き出しがあったのではないかと思う。

だが、中盤以降物語は着実に昇華していって、最後までひっぱっていく。しかし、いくら四国巡礼の後自殺したとされる主人公の形跡を追ったとしても、それは最後の一場面でしか過ぎず、作品中おおきなウエイトを占める主人公の側から語られる、家族の知らない、不倫相手と共に積み上げてきた人生に迫ることはできないだろう。父親の追跡劇と父親の裏の人生劇との融合性に難がある。そこのところもちょっとひっかかる作品であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-11-8 12:08:10 (345 ヒット)

新宿を拠点とする中国系マフィアの抗争劇を描いたハードボイルド。
この作品が出されたのは1996年、今読んでみると、当時の新宿はこんなにも危険な地帯だったのかと思い知らされる。なにしろ平気でバンバンと拳銃で人が殺されていく。裏切りと裏切りの連続で誰も信じられない。そのなかで必死になって窮地を脱しようとする主人公のしたたかさが光る。
作者はジェイムズ・エルロイの影響を受けたか否かは定かではないが、この作品では多分にその雰囲気が色濃く出ている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-10-23 10:18:45 (434 ヒット)

異邦人と書いて「いりびと」と読ませる。
富山弁でいうところの「たびのひと」にあたるのだろうか。この作品からはそれに近い意味合いを持っている言葉のように思えるが、微妙に違うような気もする。

途中までは絵画の世界に生きる一女性を描いた宮尾登美子風の作品かと思ったが、次第に主人公の凄みが際立ってきて、加えてサスペンス風な筋立てとなってくる。

サスペンス仕立てにしないほうが、宮尾登美子作品のような心地よい作品になったのではないかと思う。あえてサスペンス風味を加えて、そうしなかったところがこの作品の個性なのだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:27:33 (401 ヒット)

仙河海市シリーズの短編集。
あの大地震ののち、作者はもう書けないと思ったそうだ。
そんな作者があえて故郷の気仙沼をモチーフとした物語から再び描き始めた。仙河海市シリーズはどれも平易な文章でとても読みやすい。淡々とした描写ながら、心に響く物語を紡ぎだしている。
「ラッツォクの灯」を読み終えたとき、大声を上げて泣いた。心にジーンとくるとか、目頭が熱くなるとか、思わず涙がこぼれる、とかそんな次元のものではなく、まさしく慟哭そのもの。これまで生きてきた中でこれほど大声を出して泣いた記憶はあまりない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:24:40 (372 ヒット)

3年も浪人して大学を目指すというのは、かなりのモラトリアムな期間だ。なんとかなるだろう、ぐらいに思っていないととても3年間の浪人生活を送れるものではない。
作者の実体験がどのくらいこの作品に投影されているのかわからないが、世間でよく言われるところの、2、3年の浪人生活は長い人生においてはそんなにマイナスになるものではなく、むしろその後の人生に必ず生きてくる、そんなうらやましいモラトリアムの季節を生きてみたかったものだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:21:26 (364 ヒット)

大人の目線から小学生を描いた物語。
本当に小学生がそんなこと考えつくかと、自分が小学生だったころを思い出してみると、そう思う。大人が小学生を描くのはとても難しい。私が小学生のころ、なんにも考えなしで生きていて、何かをするのに理屈とかそのあとどうなるという考えは全くなかった。ましてや、世の中の動きや大人の世界に首を突っ込むという考えなどもうとうない。自分が子供だからということすら意識していなかったと思う。ただ、寝て起きて学校へ行って遊んで食べて、それだけ。子供に物語があるのは大人の目線で見るからだと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:19:59 (338 ヒット)

転校してきた半グレの中学女子の揺れる心模様はいかに。
陸上の記録会で希はそれまでの自分を振り切るかのように疾走する。
中学全国新記録も期待される中、ラストスパートに入ろうとしたその刹那、スローモーションのようにして崩れ落ちてしまう。あぁ、なんてこった。


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