投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-9 18:44:23 (488 ヒット)

久しぶりに推理小説でも、と思って手にとった。

旅行会社の主催したミステリーツアーの行先は樹海だった。
その樹海の中にある宿泊先で次々と人が殺されていく。
”そして誰もいなくなった”と”ジェイソン”と密室トリックを組み合わせたような。

推理小説の作家は常にトリックとの戦いだ。
少しのひらめきを感じて書き始めるのだろうが、ストーリーを熟成しないままに仕上がって(仕上げて)しまう場合もある。妥協した筋立てで作品としてるのだから、中途半端になってしまうのも仕方のないことだ。

本書はそんな印象を受けた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-6 6:58:34 (310 ヒット)

あいかわらず、登場人物の名づけ方が変だ。
主人公は腐野淳悟とその娘の花。

異常と言わざるを得ない親子関係なのだが、そこにくぎ付けとなり、どっぷりと浸ってしまう。
先の読めない筋立てと、それが醸し出す独特の世界は類まれのものを感じる。

最初に今があって、物語は順に遡っていく。遡るたびに語り手が変わり、それぞれの物語が先の物語を補佐する役目となっている。と同時に、全体の物語の入れ子ともなっている。言わば、この作品も桜庭一樹ワールドに満ちている。

直木賞選考の過程で、委員の北方謙三は「反道徳的、反社会的な部分も問題になったが、非常に濃密な人間の存在感がある」と、述べている。この“濃密な人間の存在感”こそが本作品のキモだと思う。

ドキドキ、ハラハラに加えて今回は生唾もの。
一度読んだら絶対に忘れない、強烈なインパクトのある作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-1 17:47:22 (319 ヒット)

本命の「下町ロケット」を予約してから半年。まだ自分の番が回ってこない。
そこで手に取ったがこの一冊。

社会人野球チームの浮沈と中堅電子部品メーカーの生き残りを賭けた大勝負。

野球の試合は八対七が一番面白いという。七対七までの攻防には様々な場面がある。その接戦を制して勝った時の喜びはひとしおであろう。企業間同士の激烈な競争もそれに似ている。

不況のおり、企業が生き残るためにはコストダウンのためのリストラが必要となることもある。だかしかし、それだけでは企業は生き残れない。企業のトップが社員のことを思い、それに社員が粋に感じて、全員一丸となった時にこそ、爆発的な力が生まれる。

息詰まる野球の攻防戦と社運を賭けた企業の受注合戦を、池井戸潤風に仕立てある。涙と笑いと、読了後の余韻はさすがだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-30 21:09:58 (385 ヒット)

「人」偏に「犬」と書いて「伏(ふせ)」と読む。
題名の由来はもちろん「伏姫」からきている。「里見八犬伝」後、江戸時代まで八犬士の末裔(犬人間)が生き延びて、それらは「伏」と呼ばれ、うまく街中にとけこみ、文字通り世の中から伏せて生きている。

本家曲亭馬琴が超長編の南総里見八犬伝をまだ執筆中のおり、その息子“滝沢冥土”が読売となって登場し、父に負けじと「贋作・里見八犬伝」を語る。

その「贋作・里見八犬伝」から飛び出した伏(犬人間)が江戸時代を背景とした本作品に登場し、入れ子になった作品中作品と本作品とで不思議な世界を形作っている。そして、本著自体が「贋作・里見八犬伝」とも言えて、なんともややこしい話。

悪女”船虫”が憎めない役柄を演じているのも、小憎い演出。

著者桜庭一樹得意のマジック・リアリズムが十分堪能できる作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-24 21:35:48 (296 ヒット)

フィリピンで活動中の「国境なき医師団」の日本人女医が何者にか拉致され、行方がわからなくなった。その捜索依頼を受けたのが、元自衛官で特殊部隊隊員だった河合。河合はかつて、通常の交戦に加え、海上、海中からの任務に秀でた精鋭部隊を率いていた。

事件の影にちらつくフィリピンマフィアのドンを追っていくうちに、舞台は与那国島へ移り、急展開を迎える。そこで河合のかつての仲間たち“バッドボーイズ”が再び徴集される。

国のため、また自分の信ずる者のため、任務のためには生死をいとわない男たちの物語。反面、国家のためと言いながら、秘密裏に悪と手を組むことを排除せず、旗色が悪くなると、自らの手を汚すことなく任務の名において事態を収拾させ、それに関わるものを闇に葬り去ろうとする組織があり、者がいる。

先に読んだ「外事警察」は捜査しているものがまた誰かに監視され、事件の裏に隠された真相にまた裏がある、という構図が幾重にも仕組まれていて、やや懲りすぎたきらいがあった。しかし、本作品では、物語をより単純にして、「外事警察」よりは気楽に読める内容となっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-22 21:25:18 (297 ヒット)

この作品は、テレビドラマの原作のための小説ということで書きおろされたとのこと。
最初に小説があってその映像化というのならすんなり理解できるのだが、その逆となるとなんか違うような気がして・・・。でも、どっちでもいいのか。

はじめから映像化を想定した小説を書くというのは作家にとってどんな心境なのだろうか。
普通の作品と同じスタンスで臨めるものなのだろうか。作り方に違いがあるのだろうか。

読みながらその場面場面を頭に思浮かべるのは本読みの常だが、この作品では、読みながら、この場面はどんな風に映像化されるのか、そんなことばかりが気になった。自分が脚本家やドラマ製作者にでもなった気がして。

ドラマはすでに放映され(NHK土曜ドラマ)、かなり人気も高かったときく。映画(「外事警察」としては二作目)も近々公開される予定だとか。こうなるとやっぱりテレビドラマを観ておかないと。と思っていたら先週から再放送が始まっていた。これを偶然と呼ぼうか、不思議な因縁と言わざるを得ない。

諜報物や対テロ物の分野が好きで、数多く並んでいる書架の中からたまたま手に取った一冊が、「外事警察」、どうも旬なキーワードだったようだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-16 18:47:16 (293 ヒット)

前作「ワイルド・スワン」に引きずられ、手に取った一冊。
おそらく誰もが同じ道を辿るだろう。それほどに、「ワイルド・スワン」のインパクトは強烈だった。

「ワイルド・スワン」同様分厚い2冊組みの本。「ワイルド・スワン」では作者と作者の家族が辿った数奇な運命に圧倒された。本書はその激動の中国の渦の中心となった毛沢東に関する、いわば暴露本みたいなもの。副題に「MAO The Unknown Story」とあるように、誰も知らなかった毛沢東の真の姿を映し出している。

「ワイルド・スワン」に出会うまでは、毛沢東とは「かつて中国共産党をひきいていた」ことぐらいにしか頭になかった。文化大革命とは、天安門事件とはどんな事件だったのか、周恩来とは、林彪とは、小平とは、テレビや新聞で見聞きはしていたが、いかなる人物だったのか。まるっきり知らなかった。「ワイルド・スワン」で初めてその一端に触れることができた。本書ではさらに踏み込んで、より詳しくその実態に迫っている。

毛沢東の生きた時代はまさに混沌とした現代中国の辿った時代と同調する。前半はまるで戦国時代の国獲り物語をみているかのような感じ。権謀術数をつかって敵を利用し、翻弄し、また味方を欺き、それがまた嘘のように毛沢東の思惑通りに進展する。

その点だけをとらえれば毛沢東はカリスマと言えなくもないが、その実態は嘘と恐怖と破壊と色で塗り固められ、残虐で悪辣で自己中心的なやり口だ。それはまさしく暴君と言う名に等しい。

三国志の中の英雄と明らかに違うのは、毛沢東には市民の幸せを願うということがなかった点。ただひたすら私利私欲のために覇権を目指したのだった。

それなのになぜ人々は、結果的に、彼になびいていくことになったのか、それが不思議でたまらない。「三反、五反運動」「走資派」「造反派」「階級闘争」「土法高炉」「スプートニク畑」「紅衛兵」「ジェット式」・・・。毛沢東は中国を徹底的に破壊し、自国の民7000万人以上を死に追いやった。そんな人物がなぜ国を牛耳ることになったのか。それでもなぜ彼は崇め奉られていたのか、そこがいかにも理解しがたい。

著者自らの体験に加え、膨大な調査と資料をもとに作成された本書は現代中国を知るバイブルとなることは間違いない。それほど本書は中身が濃く、意義深い作品である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-2 18:54:48 (312 ヒット)

題名の「ワイルド・スワン」とは著者自身の名前「鴻」(おおとりを意味する)に由来する。

分厚い上・下二巻の本だが、その長さを全く感じさせない。

『十五歳で、私の祖母は軍閥将軍の妾となった』いきなりこんな書き出しで始まるこの作品。これからいったいどんな物語が綴られていくのだろうか、その期待感を裏切らせない波瀾万丈の物語。

ときは1924年、祖母の物語から、著者の母、そして本人がイギリスへ留学する1978年まで、三代にわたる家族の生きざまが描かれている。

事実は小説より奇なりという言葉があるが、そんなうすっぺらな一言で済まされない凄まじい物語。迫力があり、それでいて文章に力が入るわけでもなく、説明的にすぎることなく、すなおな筆致で、淡々と事実が描かれている。

あまりにも信じがたい狂気と迫害に満ちた異常な世界がそこにあるのに、全編を通してこの作品に漂うすがすがしさと、あたたかみはいったいなんなのだろうか。その辺がこの作品の魅力であり、多くの人々が引きつけられる所以であろう。

この作品を読んでいる最中は、著者の数奇な運命にのめり込みっぱなしであった。しかし、読み終えて、一息ついたとき、ふと「今を生きているのは著者だけではない」(当たり前のことなのではあるけれど)ということに気付かされた。今中国に生きているすべての人々みんなにこんな凄まじい物語があったのに違いない、みんなこんな過酷な時代を生き抜いてきたのだ、と。

得体のしれない国「中国」に少しでも近付けたような気がする。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-17 18:54:26 (343 ヒット)

ネット上の書評はそんなに低くはないのだが、自分的にはいまいちの作品であった。

おそらくこの小説は会話が主題を成していると思うのだが、それがそんなにも大した意味合いをもつわけでもない。

唯一興味深いのは会話の口調が時代を反映しているということくらい。この作品が書かれたころのラジオ番組や映画はみんなこんなセリフまわしだったのだろう。

それが懐かしさと古さを感じさせる。時代がその作品を生むことは間違いがないが、この作品にはそれ以上のもが感じられなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-3-31 8:40:43 (391 ヒット)

「鑑真は何をしに、どのような経緯を経て日本にやってきたのか」そのこたえがこの作品にあった。もっと劇的で波乱万丈な展開かと想像していたのだが、以外に淡々と描かれている。

「天平の甍」以降、作者の歴史小説に対するスタンスが変わったという。彼自身の中において大きな意味を持つ作品であったようだ。

この全集に付録として載せてある、作者の妻である井上ふみさんの寄稿文がまたよくできている。著者との出逢いのころのエピソード。「文学の芽は育ち始めた」という題なのだが、井上靖に結婚を申し込まれたあたりのいきさつがおもしろい。この作家にしてこの婦人あり、といったところ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-3-15 18:29:31 (454 ヒット)

「氷輪とは月の異名、中天にかかる月は氷のごとくきびしく、そしてはるかに遠い」

どんなきっかけがあったのかは思い出せないが、永井路子という作家が気になりだした。

鑑真来日の頃の八世紀。日本のまつりごとは仏教と密接な関係にあった。中学校の授業の一コマがよみがえる。だがしかし、鑑真は何をしに日本にやってきたのか、そのへんのところはてんで覚えがない。というよりは、考えてもみなかった。ただ、「鑑真がやって来た」ということを習っただけ。

なぜ事件は起こったのか、史実の裏にどんな物語があったのか。それを解き明かすのが歴史探訪の醍醐味。学校の授業もこんなふうだったら、もっと楽しく、興味がわくのではないだろうか。

読みはじめてすぐ、はたしてこれは小説なのだろうか、と、戸惑ってしまう。どちらかといえば、論文に近い。現存する資料をもとに、作者がその時代の人物を生き返らせ、作者独自の時代観を描いてみせている。

末尾の付記に「『歴史小説とは何か』と、三十年前も今も考え続けている」と記されている。まるっきり作り物の話というわけにもいかないし、ただ単に史実の羅列では小説にはならない。史実との整合性を保ちながら想像性と創造性をいかに歴史のなかに組み込ませるか、そのあんばいが難しいのであろう。

鑑真、藤原仲麻呂、道鏡、孝謙天皇がいまによみがえる。

これを読んだらやはり「天平の甍」を読まないわけにはいかないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-3-12 8:44:31 (300 ヒット)

「レッド・オクトーバーを追え」に出合って、その魅力にひかれ、軍事スリラーにハマっていった。

以来、国内外の軍事スリラーを手にとってみたが、この分野では日本人作家は欧米の作家たちに遠く及ばないのではないかと感じていた。

もっとも、欧米の軍事スリラーでもトム・クランシーの作品に匹敵するものにはまだ出会っていない。

しかし、日本人作家の作品となると、一気にトーンダウンしてしまう。
なんとなく、もどきというか、ちゃちっぽい作品ばかり。力が入っているのはわかるのだが、物語としてはいまいち。

だが、しかし、この作品はこれまでに読んだ日本人作家のどの作品よりも完成度が高い。麻生幾自身の作品の中でも最高の出来ではないだろうか。

人物描写と心理描写、そしてよく練られたストーリー展開が、息切れすることなく最後まで続き、この作品の品質を保っている。これまでの日本人作家のレベルから一歩抜け出した感がある。

有事が想定され、敵国がそれを画策していることが明らかになったときどう対処するのか。専守防衛に徹する日本がとれる選択肢はそう多くはない。本当に、アメリカの庇護のもとにいるから安心と決めかかっていいのだろうか。アメリカが何らかの事情であるいは何らかの意図があって、行動を起こさない場合、日本はどうするのだろうか。

本作品はそんなことを想定したシュミレーション的小説ともいえる。自衛隊は、官邸は、総理はどう決断するのか。策源地攻撃は可能なのだろうか。その方法は、そしてその任にあたる部隊は・・・。

圧巻は終盤の戦闘シーン。予想だにしなかった結末が待っていた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-3-9 21:13:59 (400 ヒット)

高村薫の本はあたりはずれが、ない。

ハードボイルドでありながら、全編を通して漂うせつなさ。加えて、心の中を彷徨うまったりとした時間と空間。

そこにどっぷりと浸ってしまう。

末尾に『わが手に拳銃を』を下敷きにあらたに書き下ろしたもの、とあるように、「拳銃」が物語の副題としてある。

李欧の物語と拳銃の物語、この二つを狙った欲張りな作品でありながら、どちらも中途端に陥らず、バランスよく組み立てられている。

全体としての物語性もさることながら、拳銃についての描写も秀逸。

拳銃の構成要素となるそれぞれの部品の機械性、そしてそれには欠かせない機械加工の描写もよくできている。

旋盤やボール盤、フライス盤など、まるで著者が機械工の経験があるような書きっぷり。町工場の鉄と油の匂いがぷんぷん伝わってくる。

その工場の喧騒と対照的に描かれているのが、工場に敷地に植えられた一本の桜。これが本作品の題名と重なるという、心にくい演出。

読後感も充実している。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-1-5 18:37:16 (367 ヒット)

久しぶりに、宮尾登美子を手にとった。
平成2年に読売新聞に連載された作品。その後NHKのドラマにもなっている。

「八百善」とは、どこかにモデルとなる店があって、その実名を伏せた架空の名前だと思っていたら、実在する料亭の名前だった。江戸時代から続いているこの料亭の八代目から九代目の盛衰を描いた物語。

題名に「菊亭八百善の人々」とうたってあるように、ここでは八百善と共に暮らす「人々」が中心となっている。

その人間模様は、それはそれでよく描かれているのだが、老舗高級料亭の風情や江戸料理の神髄もあますところなく伝えている。

今でも八百善は営業を続けているが、「料亭」という形はとっていない。江戸時代から現在に至るまで、八百善の歩んできた道は、それこそ山あり谷ありの連続だったに違いない。本作品で描かれているそのほんの一幕をとっただけでも十二分にそれがうかがえる。

その時代時代においてどう世間に支持されていくのか、かつ、八百善の味と歴史をどう継承していくのか、という相反する課題が常につきまとう。

そういう意味では、店を構えないという今の商売の形態は、その一つの選択肢なのだろう。

時代にマッチさせて、絶えず変化しながら、伝統を受け継いでいく。わが身に置き換えてみると、それは並大抵のことではないと断言できる。

これから富山の薬屋さんはどう変化していくのか、どう変化していくべきなのか、そんなことを思いながら本作品を読んでいた。





投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-12-30 6:24:40 (306 ヒット)

ネット上の書評ではかなり点数が高いこの作品なのだが。

話が出来すぎというのが率直な感想。まさかねと思った結末が本当になってしまった。

新生児取り違え、戸籍入れ替えというトリックをうまく融合させ、そのテーマが静かに深く全編を通して流れている。笹本稜平は、その重々しさというか、やるせなさを描きたかったのだと思うが、そこの辺はうまく出来ており、読み手にも伝わってくる。

第18回サントリーミステリー大賞・読者賞


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-12-24 7:04:01 (336 ヒット)

今回はニューヨーク市の図書館員が主人公。

前作「驚異の発明家(エンヂニア)の形見函」と対をなす作品。そして、前作を読んだなら必ず手にしたくなる一冊。

しかし、それと比べると、というより、絶対的におもしろさに欠ける作品だ。

前作で語られた、数奇な運命の発明家の物語のような話を期待して読んだら、すっかりその期待を裏切られてしまった。

物語自体は相当手が込んでいる。図書館の分類処方に関して、そこから派生した挿話が綴られていく。いったいどこから本題に入っていくの?という感じがずーっと続く。どこで前作とランデブーするのか?その興味一心で読み進む。

始めっから関連しているのだろうが、その関連付けの設定が面白くない。というよりピンとこない。なので期待感がそがれてしまったのだ。

前作のようなファンタジックな世界を期待していただけに残念。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-12-19 18:22:27 (315 ヒット)

この小説もマジック・リアリズムの匂いがする。
ファンタジーとまではいかないが、それに似た雰囲気十分。

オークションで競り落とした年代物の箱。それがなんなのか知らいないまま、またどんな値打ち物なのかわからないで競り落とした。ただ、直感と感性がそれに秘められている何かを感じ取っていた。

「形見函」とは初めて聞く言い回しだが、18世紀中ごろに流行っていたものだという。持ち主の人生の要所要所でその鍵となった「物」を収録してある。その「形見函」によって、その持ち主の歩んできた人生を表現する、そんな箱である。

自分の部屋にもそれと似たようなものがないでもない。部屋中に散らかるガラクタの類。小学生のときに使った彫刻刀。中学に入ったとき初めて買った国語辞典。剣道の竹刀。漫画本を含め雑多な本の数々。作りかけの戦車のプラモデル。ほこりがかぶったマック。などなど、捨てられないものが山のように積んである。それはそれで自分の歴史の一ページを彩ったものに違いないのだが、ほとんどというか、ほぼ全てがお金を出して買ったもの。物に囲まれて生活しているといっても過言ではない。

しかし、「形見函」に収められているのは10個に満たないもの。それで、その持ち主の人生を語り、表現する、というのだから、昔の人は酔狂なことを考えたものだ。

「形見函」に仕切られて、収められている一つ一つが、とある発明家の波乱に富んだ人生の断片と連動している。

文中、気になった文章が一つ。
「器械は素材の持つ力と堅固さにかかるものではなく、技と創意工夫にかかるものである」
なかなか的を得た名句ではある。裏返すと「技と創意工夫」には限界がないということ。あらゆる面で行き詰まっている現在の日本を救う手立てはこれに尽きるのではないだろうか。

また、「器械体操」の語源はここから来たのではないかとも思ってみたりした。「器械」自体、ギリシャ語起源で、創意とか技芸を意味する。器具を使用するから「器械体操」なのでははく、「創意と技芸」を極める体操なのだ、と納得した。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-12-14 17:13:54 (284 ヒット)

第6回大藪春彦賞受賞

題名の「太平洋の薔薇」とは物語に登場する老貨物船「パシフィックローズ」のことだった。

一言で言って、海の男の物語。海洋大冒険活劇だ。
この作品の愁眉は最後のシーンにある。ここで涙する読者も多いのではないだろうか。この場面のためにこの小説は書かれたのであった。

日本を離れた遥か南方洋上をいく老貨物船「パシフィックローズ」。その船長柚木精一郎の最後の航海。

物語的には、旧ソ連時代の遺物の生物兵器とトルコ人によるアルメニア人虐殺がサブタイトルとなっている。

しかし、最大の見所はハイジャックされながらも、冷静に判断し荒波を乗りこなして行く柚木精一郎の活躍である。ストーリーよりも人間を描くことにおいて本作品は優れている。

脇役としてこの物語の鍵を握るもう一人の人物、アメリカに亡命したアルメニア人が登場するが、これもいい味を出している。だが、やはり柚木精一郎の一人舞台と言っても過言ではないだろう。

海の男の中の男、その柚木精一郎の最後の航海にふさわしいフィナーレを用意してくれた作者に感謝する。

また、この本はカバーに描かれた画がすばらしい。荒波を駆る貨物船が臨場感たっぷりに描かれている。本文を読みながら、幾度この表紙を眺めたかわからない。この画の描き手、横山明も一押しだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-30 18:45:43 (328 ヒット)

荒れた高校生を担任する女教師が、生徒達を人質にとって、教室に立てこもる。

これからがぶっ飛んでいる。

次々と生徒達の過去の罪をあばき出し、粛清の扉が開かれていく。

ただ、書き込みが足りなく、やや物足りなさが残った。この点についてはこの賞の選考者らも指摘している。もっと登場者の人物像や、事件の外堀を描いてほしかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-17 17:49:26 (296 ヒット)

発想はユニークだが、全体としてのバランスに違和感あり。

ジョン・グリシャム十作目、この作品も発売早々売れ行き上々。彼ほどの作家になると、作品が出るたびに中身はどうであれ、本読みは手に取ってみたくなる。はたして今回はどんな風に楽しませてくれるのか。

はっきり言って、今回はコメディだ。百十億ドルもの遺産を残して死んでいった巨大富豪トロイ・フェラン。その遺言状の衝撃的な内容を巡って話は進んでいく。

莫大な遺産に群がる親族とその弁護士たちのおバカぶりがこれでもか、これでもかと描かれる。その様はドタバタ喜劇といってもよいくらい。その対極としてあるのが遺産相続人として唯一人指名された娘の女性宣教師レイチェル。

全く想定外の彼女。居場所も不確定。わかっているのは、アマゾンの奥地で、少数民族相手に宣教師をしているらしいということのみ。

そして彼女を探す役を任されたのが弁護士のネスト・オライリー。離婚歴が二回。アル中の更生施設で治療中のところをリクルートされた。

本著はかなりの長編であるが、オライリーがレイチェルを探してブラジル奥地の湿原のパンタナルを行く場面にかなりのページが割かれている。割愛しようと思えばその十分の一くらいまでには縮められるのに、グリシャムはあえてそうしていない。大パンタナルの自然がまるまる映し出されており、それだけでも一冊の小説に仕上がるくらいの迫力を持って描かれている。

それから比べると、遺言状を巡る親族の弁護士とのネゴはおつまみにみえてしまう。親族のおバカぶりを描いたコメディ部分と大パンタナルのシリアス劇のアンマッチがどうにもピンとこない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-12 17:23:27 (312 ヒット)

この本が出版された1986年の前年、著者のジェフリー・アーチャーはサッチャー首相から保守党の副幹事長に指名されている。これには本当に驚いてしまう。日本の現役代議士でこれだけの小説を書けるものがいるであろうか。

それどころか、本作品のようなスケール感があって、エンターテイメント性豊かな冒険スパイスリラー自体、日本ではお目にかかれない。いくら頑張って、マネしようと試みても、モドキの作品となってしまうのがせきの山。

なんでだろう?残念ながらこの分野では明らかに外国の作家のセンスがはるかに日本の作家の上をいっている。もっとも、小説だけではなく、映画やテレビドラマでも似たような状況ではあるのだけれど。

舞台設定は1966年、小生がまだ小学生の頃。地理上のアメリカとソ連の位置は知っていても世界の覇権地図は知る由もない。ブレジネフ、ウ・タント、グロムイコ、リンデン・ジョンソンらの名前はテレビや新聞で見知っていたが、へんてこりんな名前だなと面白おかしく記憶していた程度。そのお歴々が登場し、当時の世相がよみがえる。

ましてや、KGBとCIAの諜報戦など知らない世界。そこにロシア皇帝が残したイコンを巡って、覇権の構図をがらりと変えるほどの事件が海の向こうで繰り広げられていたとは、びっくり仰天である。

訳者あとがきにもあるように、本書はいわゆる“巻き込まれ型”スリラー。その筋道をはずさない王道をいく作品である。

なお、「イコン」に関しては、我が町の隣にある上市町の「西田美術館」にまとまって収蔵されている。日本では貴重なコレクションとのこと。イコンの実物を鑑賞したあとこの作品を手にとれば、作品のイメージが一層深まること間違いない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-30 17:56:34 (436 ヒット)

池井戸潤の作品は類型的だ。そのパターン化された構成が心地よい。

中小規模の会社が事件に巻き込まれ、その社長はどん底を見る。まじめで一徹なのが共通項。社員や家族との語らいが涙を誘う。

しかし、事件にはとんでもない裏が。その真相をつきとめるべく社長は走る、走る。一方、裏に潜む悪の中に見え隠れする葛藤。そこに絡まるのが、これもまた絵に描いたような悪役と良い者のバンカー。皆、己の信ずるもののために動く。それが時として人間の弱さから出てくるものであっても。そして、一気呵成にやってくる最後。

パターン化されていながら、決して予定調和に陥らない池井戸潤の世界、さわやかな読後感、不思議な作家だ。

しかし、今度の悪はちと手ごわい。

事件は運送会社に起こった。配送大型トラックのタイヤが外れ、それが歩道を歩いていた親子に激突して、母親が亡くなった。事故を起こしたトラックの製造会社、ホープ自動車が今回の悪役。

このホープ自動車、財閥系として、ホープ重工、ホープ銀行、ホープ商事とともにグループを形成する。ここまで書けばあの自動車会社かと想像するのは自分だけではあるまい。というより、関連付けるなと言うのが無理な話。なにしろ車のエンブレムが楕円を三つ重ねた「スリーオーバル」。

走行中の大型トラックからタイヤが外れることが多発し、大問題となったことがあったが、その事件の裏にこんな物語があったとは。本当なのだろうか。それにしても、かの財閥系の会社に勤務する社員はこの小説をどう読むのだろう。いくらフィクションといっても、あまりにも名称や状況があからさま過ぎる。

とはいえ、池井戸潤ワールドは本当に心地よい。今回は五回泣かせてもらった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-27 17:59:10 (390 ヒット)

桜庭一樹がどんな作家なのか知らずに手に取った一冊。
真っ赤に色付いた葉っぱで全面を覆われた表紙とユニークな題名が目にとまった。ブックデザインも重要な購買の動機付けとなる良い例であろう。

鳥取の架空の村、紅緑村が舞台。
千里眼の山だしの娘、万葉が赤朽葉家に嫁ぐところから話は始まる。万葉とその子供らを中心とした、赤朽葉家の年代記。時代がちょうど小生が育った昭和と重なりあい、そのときの世相がリアリスティックによみがえる。

赤朽葉家にまつわる荒唐無稽な挿話が、その時々の時代背景と妙にうまく絡み合って、不思議な空間を生み出している。
現実ともファンタジーともつかない世界。今年になって読んで衝撃を受けたガルシア・マルケスの「百年の孤独」もそうだった。このような手法を「マジック・リアリズム」というのだそうだ。なかなか的を得た表現ではある。

他の作品も手にとって、桜庭一樹にハマってみたいと思う。

第60回日本推理作家協会賞


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-24 21:06:43 (288 ヒット)

一言で言って、切れ味鋭い。

読み物の楽しみの一つは、物語の登場人物に自分を投影させその世界に浸ること。加えて、この作品では、筆者のいきざまが作りものである小説を通して伝わって来るような、そんな気がした。彼独自の世界感が作品中に表現されている。

先に2冊続けて読んだジョン・グリシャムよりはるかにおもしろい。時代が作品を生み出すということをつくづく感じさせる一冊。比較するのも変な話かもしれないが、この作品から比べると「法律事務所」「ペリカン文書」は、若干の古臭さは否めない。

9.11以降、テロは株や経済の動向と同じように我々の生活の一部となってしまった。一昔前「あの人はもしかしたらCIAのスパイかもしれない」という会話が冗談半分にかわされていたことがあった。それが今では「隣の住人はもしかしたらテロリストの一味かもしれない」ということになってしまった。もし、仮になんの罪もない一般人がそのようにみられ、メディアからも警察からも追求を受けたとしら、その人はどんな行動に出るだろうか。本作品はそれをテーマとしており、まさしく今を切り取ったスリラーと言える。また、自分の中ではのどかで平和な都市の印象でこれまで通してきたオーストラリアの巨大都市シドニー。その陰の部分の描写が秀逸で、自分のオーストラリアについてのイメージはすっかり変わってしまった。美人といえどもオナラはするものなのだ。

原書を読んでないからなんとも言えないが、原書も日本語訳から伝わって来るのと同様なニュアンスのそぎ落とされた切れのある文体で書かれているのではと、想像する。作者の人生観をうまくのせた名日本語訳に拍手を送りたい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-20 18:21:30 (291 ヒット)

池井戸潤は業界の内幕を題材とした作品が得意だ。銀行に勤務したときの経験がものを言っているのだろう。業界のダーティーな部分をあぶり出し、それに立ち向かう主人公が痛快で、最初の二、三冊はそれが“新鮮”に映った。取り上げられた業界では必読の書となるだろうし、その業界の外の人間にとってはにわか業界通にさせてくれる。

文章、文体は平易で今風、読みやすい。悪者が完全な悪ではないのがこれまで読んだ作品の共通点。悪者の弱さ、人間味にほろりとさせられる場面もある。単なる企業小説に終わらず、読後には不思議な充足感と心地よさが漂う。この感覚は池井戸潤独特なもの。その辺が多くの読者に支持される所以なのだろうが、もっと重厚で力強さが加わった作品も読んでみたい気がする。

今回白羽の矢が立ったのはゼネコン業界。中堅建設会社一松組に勤務する富島平太が主人公。平太は学卒後三年間の現場勤務を経て業務課に転属となる。業務課の別名は談合課。二千億円の地下鉄プロジェクトの入札を巡って、業界では“調整”が影で進行していく。

この調整なくして入札は考えられない、というのがこれまでのゼネコン業界の常識。ゼネン業界は大手数社を頂点として、その下に中堅ゼネコン、その下請け、孫請け、そしてそれにつながる諸々の業者で構成さている。業界全体の生き残りのため、そしてそれらが抱える何十万人もの家族のためには、業者間の調整がかかせない、という。

その悪しきしくみは本当に業界にとってプラスとなるのだろうか。平太は悩むが、行き着いたのは企業人としての自分の位置。なんとしてもこのプロジェクトをとりたい一松組は新技術による画期的な工法でコスト削減に成功し、他社を先行する。平太は悩むが、一松組も最後の最後まで、調整に乗るかそれから外れるかで右に左に大きく揺れ動く。一方、検察特捜部も談合の匂いを嗅ぎ取り、次第に的を絞りつつあった。調整は波乱含みの相を呈し、入札の日を迎える。

生き抜くために必死に働いている企業戦士がここにもいた。長年調整役を勤めてきた業界の影のドンの苦悩。その彼と平太との交わり。また、一松組の取引銀行に勤務する平太の恋人との顛末。入札情報漏えい疑惑と政界大物との関係。収賄のために仕組まれた複雑な金の動き。おもしろみ要素がふんだんに盛り込まれながら、物語り全体としてのバランスも申し分ない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-16 7:45:53 (307 ヒット)

半沢は東京中央銀行の営業第二部次長の席にいた。
今回任されたのは年間売上八千億円の伊勢島ホテル。そこは創業一族の湯浅家による世襲制で、名門であることがゆえに時代にマッチしない社風と経営が負の遺産として顕在化しつつあった。運転資金として二百億円の融資が行われたが、運用の失敗で百二十億円の損失を計上してしまう。このままではメインバンクである東京中央銀行にも影響が及んでしまう。

一方、半沢と同期の近藤は激務につぶされ精神を病み、一戦離脱を余儀なくされていた。経理部長として出向していたそのメーカーの経理上の不正を発見し、それを探ろうとする。そのことがきっかけとなり、近藤は息を吹き返し始める。

以上、二つの物語が重なるようにして進行していく、二社合併して出来た東京中央銀行内の旧行員間の軋轢、そして金融庁検査の検査官との対決。やがて、それらがすべて一つの物語に収束する。この作品でも露になる銀行業界の知られざる世界、金融のからくり。これら筋立て自体の完成度もさることながら、悪者の描き方に独特のものがある。何故か完全に憎めない。そして、お約束の”ほろり”とする場面。そこには計算づくで仕組まれたこざかしさが全く感じられない。ごく自然体の筆運びが池井戸潤の真骨頂である。それが十二分に生かされた作品に仕上がった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-12 18:57:56 (344 ヒット)

東京中央銀行の半沢が企業悪に対して真っ向から立ち向かう。ニューヒーローの誕生だ。バブル時代に銀行に入社し、その後バブル崩壊とともに安全神話の崩れ去った銀行に勤めるバンカーの物語。

大阪西支店融資課長の半沢がつかまされたのは粉飾がもとで倒産間近の年商五十億円の西大阪スチール。債権が回収できなければ、融資した金は貸し倒れとなる。その責任を押し付けられた半沢は、債権回収に望みをかけ、西大阪スチールに一人乗り込む。相手先の悪だくみや上司の暗躍にも屈せず、同期入社組の助けもあって、粉飾の真相に近付いていく。そこに見えたのは私利私欲にうつつをぬかした企業トップと銀行との癒着の構造。たとえそれが上司であろうと半沢は容赦をしない。半沢は「バンカーとしての矜持とプライドはないのか」と言い放つ。

小説ではあるが、銀行業界のどす黒い内部を垣間見させてくれた一冊であった。世の銀行マンはこの作品をどう読んでいるのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-6 8:47:43 (349 ヒット)

標高500メートルにあるのどかな山村が舞台。

出だしは町の駐在所に着任した若いおまわりさんと女性教師の描写から。なにやら青春物語の予感が。だが、しかし、そこに描かれたものは、予想だにしなかった連続殺人。あれよ、あれよと殺人事件が起こってしまう。経営に行き詰まった老舗旅館や町の名士が経営する文房具店の裏事情が語られていく。銀行が絡んだ企業小説風の筋立てと、ダーティーな連続殺人をうまく融合させている。そして、最後は振り出しに戻り、嵐が去ったあとののどかな山の村。さわやかな余韻が残る。

作者には真に暗くておぞましい切り裂きジャックは描けない。基本性善説なのだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-10-2 18:16:00 (359 ヒット)

ネット上で、とかく前作「法律事務所」と比べられるこの作品。「法律事務所」は圧倒的な支持を受けているが、この作品は今一評価が高くない。自分的にはこちらの方が面白いと思うのだが・・・。

冒頭二人の最高裁判事が殺されることから話は始まる。誰がどんな目的でやったのか、憶測が飛び交う中で出てきたのが「ペリカン文書」。ロー・スクールの学生、ダービー・ショウが図書館にこもって、数日間で書き上げたとりとめもないレポート。ルイジアナ州の石油権益騒動とその裁判から推察された一つの仮定。これが物語の要で、大統領の立場を揺るがしかねない内容を含んでいた。

前作同様、主人公のスリルある逃走劇が見もの。すこぶるつきの美人が出てくるのも前作同様。逃走先にカリブの島々が連想されるのもまた同じ。だが、法曹界、大統領、FBI、ワシントン・ポストの記者を巻き込んでのストーリー展開とスケール感はこちらのほうが勝っているように思える。なにより、事件の鍵となる「ペリカン文書」の設定に賞賛を贈りたい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-9-30 15:27:10 (355 ヒット)

アメリカの法律事務所の激務ぶりやそれが必要となるアメリカ社会の仕組みを垣間見させてもらった。

税金逃れのため、カリブ海の島国に会社を作って、そこと取引があるかのように見せかける。法の目をかいくぐる複雑なお金の動き。そのために必要となるのが法律事務所。高額な税金を払うくらいなら、弁護士にかかる費用など安いものだ。廻す額が大きければ大きいほど弁護士報酬も大きくなる。税務専門の法律士事務所が繁盛するのはそのためかとも思わされる。もし仮にそのお金がマフィアからのアンダーグラウンドのものでも、敏腕弁護士の手にかかったら、資金洗浄はわけもないことなのかもしれない。いかにもアメリカにありそうな話。

ハーバードを優秀な成績で卒業した主人公ミッチは、破格の待遇でメンフィスの法律事務所に迎えられることになる。会社は優良な顧客を抱え繁盛しているが、良い顧客ほど要求も厳しく、そのためにどの社員も寝る間もなく、家庭を犠牲にして仕事に打ち込んでいる。税務指南役の弁護士家業は恐ろしく忙しい。しかし、やった分だけ報酬がついてまわる。違法すれすれであっても、それが儲かる職業であることは間違いない。だが、疑問なのは、なんでそんなに儲かっている弁護士事務所がマフィアの裏工作をしなければならないのか。殺人まで犯して。そんなことをすればにらまれるのに決まっているのに。その点がどうにも引っかかってしょうがなかった。“始まりは小指から”ということなのだろうか。もっとも、表家業のほうもあやしいといえばあやしいのだが。

法律事務所の裏家業を嗅ぎ付けたミッチは、事務所から、そして大元のマフィアから命を狙われる。見所はミッチと彼らとのだましあい。ミッチは犠牲となった探偵のパートナーや島のクルージング・インストラクターを見方につけて、着々と逃走の手はずを整える。頭脳明晰なミッチが次々と打ち出す作戦にハラハラ、ドキドキ。助け船を出そうとするFBIをも煙に巻いてしまう。

頭を唸らさせる伏線というものはあまりなく、比較的ストレートな話し運び。テンポのよさでぶっちぎり、といったところ。「あはは」で終わってしまうところが、ちと残念。


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