はんごんたん処方箋

足跡掲示板

  • センダ様、発作時の辛さよくわかります。アブレーション技術は目まぐるしく進歩しています。そろそろ自分もと思うのですが、ななかな踏ん切りがつきません。なにせ、なんともないとこきはすこぶる快調なのですから。お大事になさってください。 ( panawang - 2018.09.27 17:45 )
  • 私も心臓の具合悪いです、疲れると(ストレス、暑い夏)心臓が悲鳴を上げます、不整脈と息苦しさ、胸の違和感を感じます。 ( センダカツミ - 2018.09.16 10:08 )
  • Repuさん、ありがとうございます。おかげさまで、発作は収まりまして、軽快に過ごしています。ただ、寝てばかりいたせいか、筋肉がすっかり落ちてしまい、目下復調に向け励んでいます。また、雑穀でお会いしましょう。 ( panawang - 2017.06.16 17:39 )
  • 救急搬送され、その後の経過はいかがでしょうか?決して無理されませんように。 いつも美しい写真、楽しませていただき、ありがとうございます! ( Repu - 2017.06.15 21:59 )
  • float cloudさん、コメントありがとうございます。返事遅くなりました。すみません。過分なおほめを頂き、こそばゆいです。つたない文章ですが、書くことによって、自分の考えをまとめようと努めています。当HPに辿りついていただきありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。 ( panawang - 2016.05.15 19:44 )

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Help にゃ〜ん♪
投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-6-25 11:17:55 (182 ヒット)

サラ・パレツキー、二冊目。
最初、登場人物を自分の中に取り込むのに戸惑う。述語に対する主語がつかめない文章はその場面を映像化するのが難しい。いったい誰の発言なのか、誰の行動なのかつかめない。いつ、だれが、どこで、なにを、なぜ、どうした、のうちの「誰が」を想像せよというのは至難の業だ。それが本作品の随所に出てくる。作者の頭の中ではちゃんとした映像になっているのだろうが、あまりにそういう場面が多すぎると、読み手にとってはちんぷんかんぷんとなってしまう。そう思うのは自分だけで、歳をとったが故の想像力不足からくるものなのだろうか。謎解きはストーリーだけにしてほしい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-6-25 11:13:55 (182 ヒット)

1998年度「このミステリーがすごい!」、それも第一位に何故選ばれたのか不思議でならない。その帯に惹かれて手にとったのだが、それほどおもしろいミステリーとは思わなかった。映画愛好家にはたまらない本だと思うが、そうでないものにとっては、冒頭から羅列される映画のトリビアと蘊蓄は、それがミステリーとどうつながっていくのか、ひたすら我慢のしどころ。

ミステリー的な度合いが増してくるのは後半に入ってから、それも一気に加速し、壮大なファンタジーへと進んでいく。そして終盤はあまりにもとりとめもない話となって、物語の着地どころが気に懸る。
この本のどこが「すごい」のか、聞いてみたい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-6-3 15:34:29 (195 ヒット)

堂場瞬一、初めての作品。
この作品で「スポーツ小説」なる分野があることを知った。

「山」には読み物がつきもので、紀行文はもとより山を題材とした小説は多くある。山について書くことは、ふり返って登る行為を自分の中で昇華させ、その山を完結させることにある。山の紀行文を読むことは、行かずしてその山に登らせてくれる。山の小説はピンキリだが、山と人をうまく描いた作品に出会えたときは至高の喜びだ。

他のスポーツではどうだろうか、山をスポーツと捉えるにはいささか問題があろうが・・・。柔道、剣道、野球、サッカー、卓球、テニス、バスケを描いた有名なマンガはいくつかあるが、それらが束になっても、「山の本」には及ばない。それほど「山」の懐は深いのだと思う。

さて、本作品。中盤になるまで話の筋が読めてこない。うすぼんやりとベールがかぶせてあるようで、まどろっこしさに戸惑う。中盤以降一気に話が進む中、テーマとなっている「ドーピング問題」に考えさせられる。「ドーピング行為」そのものと、自分と身近な者がドーピングをやっていたとしたら自分はそれに対してどう対処できるか。

また題名ともなっている「ルール」に関しても、文中にさりげなく書かれている「ドーピングが不公平というのなら、本当の公平さを求めるなら、参加選手がすべて同じ条件の下、同じ環境下で練習しなければならい」というような内容のこと、は自分でも思うところはある。オリンピック競技場と同じ施設や器具を使って練習するのとそうでないのとでは結果に差があるのは当然だろう。それが出来るのはお金に余裕ある国に限られる。それは私に言わせれば、ドーピングと同じで反則ではないかと常々思っている。

本作品はいわば小説の下書きみたいな仕上がりで、もっと深く掘り下げた内容であればもっとよかったのではないかと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-6-3 15:32:40 (227 ヒット)

これを読めば陪審員裁判の仕組みのすべてがわかった気になる。
いわゆるタバコ訴訟を借りたフェイク小説。

「裁判は陪審員を選ぶ段階からすでに始まっている」ということは、これまでに読んできたいくつかの裁判小説を通して知ってはいたが、この作品に描かれているような凄まじい内幕があるとは思いもよらなかった。

読みはじめから「落ち」がなんとなく想像できるのだが、そこまでに至る物語が軽妙で心地いい。善玉と悪玉の対比も単純明快。分厚い本だが、一気に読めてしまうエンターテイメント作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-6-3 15:31:14 (187 ヒット)

今年になって自分の中ではじけたジェイムズ・エルロイ。「アンダーワールドUSA三部作」と「LA四部作」を読んで、エルロイの世界にどっぷりと浸り込んだ。彼の作品ならどれでもいいと思って手にしたのがこの一冊。

随筆のような、小説のような、つかみどころのない、とりとめもない散文的な短編集。エルロイのことだから、どんな爆弾を仕掛けているのかと期待して読み進んだが、それまでの作品には及びもつかない内容にがっかり。以前の作品にみられるような破壊力もなければ毒舌もない。ジェイムズ・エルロイを「いいとこ取り」するなら、やっぱり「アンダーワールドUSA三部作」と「LA四部作」だろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-5-17 10:41:57 (190 ヒット)

LA四部作の四作目であり、最終作。
第四作目にしてJFケネディが登場し、「アンダーワールド USA 三部作」への序章的な含みも感じられる。これは「アンダーワールド USA 三部作」を先に読んでいたからそう思うのであって、順番にLA四部作から読んでいたとしたら、そんな深読みはしないだろう。しかし、エルロイのこと、当然アメリカの闇を描いた次のシリーズを念頭においていたに違いない。さらに、「アンダーワールド USA 三部作」の第一弾「アメリカン・タブロイド」に見られる、破壊的で投げ捨てるような文体がこの作品ではこれまでの三作になく顕著である。

LA四部作の最終作だけあって、話の筋も凝りに凝っている。ちょっとした読み飛ばしもできないくらい、居眠りしている暇もないくらいの緻密さ。暴力性の裏に潜む繊細な物語性。ただ、これまでの作品同様登場人物がやたらと多く、推理小説的には未消化の感も否めない。

アメリカの闇を描いた「LA四部作の四作目」と「アンダーワールド USA 三部作」をもう一度最初から読み直して、これらの作品を完全にものにしたいと思った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-5-17 10:40:57 (171 ヒット)

LA四部作の三作目。
LAPDの闇を描くことで、1950年代のロスアンゼルスしいてはアメリカの抱える問題点をあぶり出している。ただ、その描き方が強烈で、容赦ない。出てくる連中はみんな悪ばかり。

金、ホモ、麻薬、ギャンブル、赤狩りが絡んだ殺人事件が次から次と起こる。
戦後世界を牽引してきたあのアメリカにこんな時代があったのかと思わせるくらい、おそらく知られたくない、誰にも探られたくない、それまで抱いていた常識と価値観をひっくり返されるくらい、しかし、事実としてあったその深い闇を作者は描いている。

「ブラック・ダリア」から始まる連作物だが、主人公は毎回異なる。共通するのは悪の中にありながら、突出して「切れる」警官たち。今回も三人の警官の、事件を通してのそれぞれの思惑と身の振り方、葛藤、焦燥感が描かれている。

そして、混沌のなかから紡ぎだすようにして導き出される一つの物語。
読み終えて、その構成力と先の読めない物語にあらためて作者の底力を感じた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-4-27 13:52:39 (193 ヒット)

前作「ブラック・ダリア」では事件に入るまでの「まくら」がとても長かった。推理小説としては類まれといってもいいくらい長かった。しかし、本作品ではいきなり、それが普通なのだろうが、事件が起こってしまい、その犯人探しが主筋となる。

「ブラック・ダリア」同様本作品も警察小説の部類に入る。一般的には、ミステリーに登場する主人公は一旦その事件に係ると、その事件一筋に突き進んでいく。もちろん枝葉の挿話や人間関係のあやなどで話を膨らましてはいる。本作品においても一人の警察官がその事件を追いかけるのだが、実際、一つの事件だけで世の中が成り立っているわけもなく、人間生きている間にはいろんなことが関わってくる。エルロイは一つの事件をそういうもろもろの世相のなかの断片として切り取るのがとてもうまい。それは時代背景というよりはその時代に生きた人間生活そのものである。であるから、複雑な人間関係と登場人物の多さは当然であり、いくつもの事件が次から次と降って湧いてきてもなんの問題もない。

描かれた一連の世相の断片が後半にきて繋がってきて、主筋の物語へとリンクしていく。高い目線で作品全体を見渡しながら読んでいくと、複雑なエルロイの作品も見え方が違ってくる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-3-31 10:23:30 (214 ヒット)

本格的なハードSFというふれ込みだったが、まさしく超ハードな内容に全くついていけなかった。久しぶりにSFの世界に浸りたいという思いはもろくも砕け散った。
この作品を読むには高度な数学的、物理学的、量子力学的な専門知識が必要。
一般市民にとって、これはかなりの難問。想像力でカバーするには限度があるというもの。ただ単に読んで終わったという印象。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-3-31 10:22:33 (209 ヒット)

アンダー・ワールド三部作からエルロイの世界に入っていったものにとって、彼の出世作にあたる本著から受ける印象は、彼もはじめの頃はまともなサスペンスを描いていたのだ、ということ。アンダー・ワールド三部作のような破壊力のある作品をイメージしていたが、その意味では若干拍子抜けした感がある。

舞台は1947年のロスアンゼルス、猟奇的に損壊れた死体が発見され、その後犯人が捕まらず未解決に終わった実際に起こった事件をなぞっている。あらかじめ未解決事件と分かっているので、犯人探しというミステリーの醍醐味が欠落している作品を読んでいてもつまらない、と思うことが何回かあった。

終盤にきて、案の定未解決のまま幕引きとなったように思えた。が、まだかなりページが残っており、これから先、何を語ろうというのか、という疑念がわく。なんといっても、実際、未解決事件として閉じているのだから。だが、それだけでは終わらなかった。未解決事件を題材として膨らませたそれまでの挿話のなかにとんでもない伏線が仕込まれていた。一本取られたというのが正直なところ。

未解決事件という先入観なしに読めば、もっと楽しく読めたのだろうが、読む前にそれを知ってしまっていたので、それもせんないこと。それでも、当時の退廃的で暴力的なロスアンゼルスしいてはアメリカ全体の裏の世界に引き込む力は十分にある。怖いものみたさ、を十二分に満喫させてくれた作品だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-3-14 11:06:24 (221 ヒット)

サラ・パレツキー、初めての本、よくできた探偵小説だ。
作者のことはこれまで全然知らなかった。本書を手にとって、初めて彼女の存在を知った。

9.11のテロ後に出されたというところに本書の持つ意味は深い。9.11後、あらゆるサスペンス、ミステリーはその事件とは無関係ではいられなくなった。現実の世界もそれを機に変わらざるを得えず、当事者のアメリカにおいては、イスラム教徒への偏見やしめつけ、排斥の傾向が強くなり、『愛国者法』の名の下において超法規的な権力の執行が可能となった。そんなさなかにこの作品は書かれた。

そういう時代背景はかつて1950年代から1960年代に吹き荒れた『赤狩り』にも共通するものがある。マッカーシーと非米活動委員会らは「共産主義者」や「ソ連のスパイ」、もしくは「その同調者」を糾弾し、その矛先はアメリカ政府関係者やアメリカ陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家にまで及び、彼らのプライバシーや基本的な法的権利を踏みにじった。そして、マスコミの報道や自由な表現に自主規制がかかり、自らが標的になることに対する恐怖から、告発や密告が相次いだ。

一人のジャーナリストの不信死から始まる本書は、そういうきな臭い二つの時代をうまく癒合させ、一つのミステリーに仕上げている。

アメリカは大統領にトランプが選ばれた後、改めて国策としての対テロ活動を全面に出してきた。そんなときにたまたま本書を手にしたことは、偶然にしても、なにかしらの因縁を感じる。得てして本との遭遇は神秘的なところがあると常々感じるところであるが、本書もその一冊だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-3-10 6:16:40 (220 ヒット)

アンダー・ワールド三部作の締めくくり。
前二作よりも推理性が色濃く出ている。だが、その真相を解くのは容易ではない。前二作からのキューバとベトナムそしてケネディとマフィアとFBIの物語の資産を引き継いでおり、この作品単独で味わうのは非常に難しいだろう。そうでなくとも、文間を読み解くのに苦心する作者の世界。作者はそこに推理性を加えて、一味付けたかったのだと思う。

前二作とは起源を別にした「エメラルド伝説」をモチーフとした物語と、それまでの物語が交錯しながら進んでいく。うまい具合に仕組まれているというか、そのどっちの物語のことを描いているのか、ごっちゃになって、とりとめもなくただただ物語が進んでいくように感じる。いったいどこで落とし前をつけるのか、どういう結末が待っているのか、それが全く読めない。前二作のものすごいエネルギーをもった物語と伍していくには、そこに新たに加わる物語はそれ相当の品質が担保されなければならない。たしかに新たに加わった物語は奥が深く、本流とうまく綾なして描かれている。しかし、それが「すとん」と収まったかと言われれば、素直にうなずけないものがある。

中途半端な破壊力はつまらない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-2-21 17:00:00 (225 ヒット)

前作ほどの衝撃はない。それほど一作目の破壊力は凄かった。
キューバ危機とジョン・F・ケネディの暗殺を主題とした物語はヴェトナムのエスカレーション、マーティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディの暗殺を舞台とした物語へと移っていく。

前作から一貫して描かれているのは、マフィアとFBI、CIAと麻薬を絡めた裏社会の暴力。今回はそこにヴェトナム戦争によってもたらされた軍の暗部が加わって、ドラマ、人間関係ともにより複雑になり複層さが増している。

場面が刻々と変化していくなかで、ただでさえ読みづらい文章なのに、細やかで緻密な場面の動きを必死に理解しようと読み進む。しかし、読み終えてから作品全体を俯瞰してみると、複層したプロットの全体像が見えてくる。暴力的で破壊的な場面場面に一喜一憂しながら、そこにこだわって読むだけではこの作品のスケール感が見えてこない。絵画から少し離れて観賞する感覚とよく似ている。
ただ、前作よりは理解しやすく、読みやすくなったのは間違いない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-29 17:25:56 (321 ヒット)

歳の瀬になって、こんな爆弾を背負い込むとは思ってもみなかった。
北欧のミステリーにハマり込んだこの一年だったが、最後の最後になってとんでもない作品に出会ってしまった。いつもの例にもれず、たまたま手に取った一冊の本。それがそれまで自分が抱いていた小説という概念をひっくり返してしまった。というか、想像をはるかに超えた異次元の産物に出会った感がある。史実と虚構をないまぜにした作品はよくあるが、この作品は「虚構」の部分がとてつもなく破壊的。ガルシア・マルケス、桜庭一樹、ジョン・アーヴィング、とは全く趣を異にする想像力のビッグ・バンとも言える。

JFKのまわりに集まった優秀な人材を描いたノンフィクションにデビット・ハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」がある。そこには権力深奥部の人間ドラマと繁栄の中のアメリカの苦悩と挫折を同調させたアメリカの現代史が描かれていて、とても興味深かい内容だった。

本作品ではそこではベスト&ブライテストであったはずの「賢人」が不正と悪と裏切りと堕落にまみれた、訳者の言葉を借りるなら、「異形のモンスター」として描かれている。加えて、ギャング、FBI、CIAなどが複雑に入り乱れ、物語は極めて重層な作りとなっている。作者自身の声で言えば「幻想を打ち砕き、排水溝から星までの新しい神話をつくりあげる時がきた。時代を裏で支えてきた悪党どもと、彼らがそのために支払った対価を語る時がきた。悪党どもに幸いあれ」、となる。この言葉もどこまでが本音なのか推し量ることはできない。
しばらくは、ジェイムズ・エルロイの世界に浸ってみよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-22 16:48:08 (237 ヒット)

原題は「SOLITUDE CREEK」、事件の最初の舞台となったナイトクラブの名前。本書の内容からすれば、邦題は極めてまとも、というより的確に過ぎる。作者が何故そのまともすぎる題名にしなかったのか、そこまで出版社は考えなかったのだろうか。

終盤にきてのどんでん返しは作者の得意とするところ。この作品では、それが全く読めなかった。しかも、そのどんでん返しが複数仕掛けられているのだから、うかつに彼の作品は読んではいけない。しかし、一見なんでもなさそうな会話や、描写、一つ一つその裏を考えていたら読むリズムが狂ってしまって、とてもミステリーを楽しむところではないだろう。ここは作者に騙される、いっぱい食わされた、ことを素直に認めよう。

気になった点が一つ。今回の主人公のキャサリン・ダンスといつもの主人公アメリア・サックスがだぶってしまうということ。二人とも強くて聡明で優秀な刑事という役どころとして描かれている。しぐさや得意とするところは違っていても、話の展開が定型的なので、主人公の印象も同じように感じてしまう。キャサリンとアメリアを入れ替えても、物語的な破綻はないだろう。明らかに色合いが違う作品になってないところが残念であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-15 17:26:07 (239 ヒット)

クリフトン年代記第五部。
前四部作を覚えていなくとも、この作品はこれ自体で十分楽しめる。
最近お気に入りで読みこんでいる北欧の推理小説とはガラッと趣が異なる。繊細で緻密な物語展開が際立つ北欧の推理小説は読むのにも力が入り、その分読後は深い充実感に満たされる。一方、クリフトン年代記はそうした細部にはあまりこだわらず、深読みもいらず、くつろぎながら物語の展開を追っていくという楽しさにあふれている。
ハリーはスターリンの実像を描いた作家ババコフの投獄事件に巻き込まれ、同じころエマはレディ・バージニア・フェンウィックと名誉棄損裁判で争う。ジャイルズは選挙で宿敵フィッシャー少佐に敗れる。若きセバスチャンが文字通り勢いを加速しながら物語を盛り上げている。
セバスチャンの物語があまりにも旨く行きすぎ、無茶振りにすぎるというのが、引っ掛った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-10 14:13:21 (242 ヒット)

「ロマ」という言葉を知ったのはいつか読んだ北欧の推理小説の中だった。
ロマという異端の人種が街の片隅に寄りそって暮らしている。一般市民からはあまりよくは思われていない下層の人々と印象付けるように書かれていた。それが事件と繋がるわけではなく、物語の情景描写の一つ、その街を形作る一つの構成要素として描かれていたに過ぎない。あらかじめロマのことを知っていたらならば、その街のことをもう少し突っ込んで想像出来ていたかもしれない。

ジプシー、ジタンもその意味をよく知らないでいたが、本書からすると、両方とも差別用語の部類に入るらしい。サラサーテのツィゴイネル・ワイゼンという有名な曲も、ツィゴイネル=ジプシー=ロマという意味で使われたようだ。ツィゴイナーと呼ばれていたロマの少年は『ツィゴイナーという言葉はぼくの青春を台なしにした』と、本書の中で嘆いている。今風で言うならポリティカル・コレクトネスとしては通らない言葉のようだ。ロマは彼らと同等にみられることに反感を覚え、自らのアイデンティティーを主張する。

流浪の民ロマの出自ははっきりとわかっているわけではないが、故郷はインド北西部にあり、11世紀初頭、イスラム教徒の侵略がありロマ民族の先祖は逃亡を開始した、というのが通説となっているようだ。その後ヨーロッパで「子供をさらうジプシー」「犯罪者集団ジプシー」との烙印を押され、差別と迫害を受け、ナチスによって相当の数が虐殺さている。そのような歴史から、現在もロマに対する偏見と差別がヨーロッパに根付いており、ロマは厳しい生活環境におかれている。

そんなロマのことを理解してもらうために出されたのが本書だ。
最近イギリスのEU離脱が決まった要因の一つに、移民や難民に対する拒絶感が上げられる。イギリスに限らず、北欧諸国も洗練された国々という印象がある半面。下層民や移民、難民に対する偏見と差別は確実に存在するようだ。

ロマという少数民族を通してヨーロッパの一面を知らしめてくれた一冊だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-1 15:06:15 (289 ヒット)

ジョン・クラカワーの本としては二冊目。一冊目はあの1996年のエベレストの悲劇を描いた「空へ」。今回は2010年から2012年にかけてモンタナ州第二の都市ミズーラで大学のアメフト選手が引き起こしたレイプ事件(キャンパスレイプ)の真相について深く斬り込んでいる。
前作「空へ」のときも感じたが、彼の仕事は綿密な取材から始まる。具体的には直接当事者にあって、事件を忠実に再現する。その際個人的なコメントは極力控え、ひたすら事件の全体像を描くことに専念する。その上で、それに対してどんな見方があるか、出来るかを双方の立場から検証する。それゆえ読み手は彼の記述に沿って容易に事件の真相と司法制度の矛盾点についての考察をめぐらすことができる。

「レイプとは同意を有しない性交」であると本書では定義されている。同意を得たか得なかったかの確証が得難いため、レイプは起訴まで持ち込まれないケースが多い。仮に訴訟に入っても、そこに待ち受けているものは「セカンドレイプ」、わなわち、事件の詳細な再現がその場でなされ、被害者にはレイプ同様の苦痛が待っている。それゆえさらにレイプが訴訟にまで至るケースが少なくなる。

レイプは顔見知りによる犯行がそのほとんどである、約8割という事実。見ず知らずの人間に突然襲われるというケースもあるが、大半は顔見知りによる犯行なのである。幼馴染であったり、大学での顔見知りであったり、それまでは被害者と普通に付きあっていた者がレイプを起こすのである。しかも、レイプは再犯率が高い。被害にあった女性は、自分のような苦痛を他の人に経験してほしくない、あるいは自分のような苦痛を味わった女性が他にもいるに違いない、との思いから意を決して届け出るのである。

まず、有罪か無罪かの決定がなされる。それまで、被害者はセカンドレイプを訴訟の場だけではなく、彼女の周辺の様々な場所からも受けることになる。加えて、外野からの中傷にも耐えなければならない。本書で扱われている事件では、モンタナ大学アメフトチームの街ミズーラという特性、アメフト選手の特権意識、そういう背景からくる世間の偏見「訴えられたレイプの半数は嘘」、とも闘わなければならない。よほどの強い信念と心がなければ、とても裁判に耐えられるものではないだろう。

有罪を勝ち取ったにしても、次は量刑の判断である。これも悩ましい問題だ。過去の判例からある程度の目安があるのだろうが、それがかならずしも被害者の納得のいく結果とはならない場合がある。ということを本書では述べている。

仮に近づきになりたい男性といちゃついていて、結果性交に及んだとしても、途中で女性がそれを拒否した後も性交が続けられればそれはレイプ「同意を有しない交渉」と見なされる。このとき、女性が拒否を明確に言葉にしたか、態度で表したか、を判断するのは非常に難しい。男性側からすれば、後からそんなことを言われても、夢中になっている最中でその言動と態度が曖昧であれば「同意を有しない」と受け取ることはほとんど困難だ。それを訴訟にもっていかれたものではたまったものではない、という見方もできる。

こうして見ると、裁判で争われるのは有罪か無罪かであって、そのどちらであっても、真実はまたそれとは別にある場合があることも想像できる。真実は被害者と加害者の心の内にあるというのもレイプ訴訟の特異な点だということを実感した。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-25 6:31:11 (218 ヒット)

1997年に出された作者の処女作。第二次大戦の末期から物語は始まる。
物語は前半と後半に分かれている。ドイツの偵察に向かった主人公二人の乗る偵察機が撃ち落とされる。深手を負いながらも適地からの脱出を試みる二人は列車に飛び乗るが、それは精神を病んだナチスの将校らを運ぶ車両だった。そのまま、精神を病んだ者たちが収容されている病院に収容される。その施設の名前が本書題名のアルファベット・ハウス。

二人が撃墜されてから施設に収容されるまでの物語はかなり緻密に描かれている。というよりは、登場するものすべてにおいて、人物であったり、風景であったり、こと細かく再現されている。まるで、其処に居た者が見えるものをすべからく描きだそうとしているかのようだ。であるから、読み手も忠実にその場面を目で追うことが可能だ。

ナチスの上級将校に成りすました主人公らのアルファベット・ハウスでの生活ぶりの描写にも手抜きがない。電気や薬物を使った治療法は生々しい。それほどの拷問ともいえる治療を受ければ、まともな人間でも精神を病んでしまうだろう。それでも生き残るためには仮病を装い続けなければならない。そんな二人の精神状態の描写は真に迫る。そして、一人は脱出し、一人は施設に残されたまま終戦となる。ここまでが前半。

後半は精神病棟から脱出したブライアンが、長年の月日を経て後、残してきたジェイムズを探す旅と双方の心の葛藤を描く。
ブライアンはジェイムズの消息を追うが、あらゆる方面から手を尽くして調べても、杳としてジェイムズの消息はつかめない。しかし、ほんのちょっとしたきっかけからブラウン自身の過去へのつながりを見出し、それがジェイムズとの再会へと導いていく。この辺の追跡場面の組み立てもそつがない。「特捜部Q」シリーズでみられた緻密な捜査手法を中心に据える物語展開は、このとき、彼の処女作にしてすでに出来上がっていた。

収容所仲間との死闘の末、ようやくブライアンはジェイムズとの再会を果たす。だが、ジェイムズは生き残るため精神病を演じ続けるうちに、本当の自分を心の奥深く閉じ込めてしまっていた。ジェイムズはブライアンとの再会で覚醒するが、ブライアンを受け入れることができない。脱出に成功した一方は普通の家庭を持って幸せに暮らしていて、方や残された一方は精神病患者として、ただただ生ける屍同然の時間を過ごしてきた。そんな長年の月日のうちに生じたブライアンとの大きな溝と格差を呪い、ブライアンを許すことができなかったのだ。

失われた時間と、異なる環境下かにおかれた二人の心の内の隔たりはあまりにも大きく、哀しくて辛い現実を突きつける。二人の関係はどうなるのか、終盤に来て手に汗握る展開となり、最後のページまで目が離せなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-22 13:04:28 (247 ヒット)

メキシコ麻薬戦争を迫力満点で描く。
これでもか、これでもかというくらいの殺人と暴力の連続。それも虫けらを扱うごとく平然と行われていく。そして巨大な金が動く闇の世界。

麻薬カルテル間の抗争はモグラ叩きに似ている。誰かがやられれば、誰かがそのシマを獲る。他のカルテルのシマを通るときには通行税を払わなくてはならない、それを怠ったときにはそれ相当のしっぺ返しがくる。やられればやり返す。そんないつ終わるともしれない構図と恐怖の連鎖が40年以上も続いている。

地元警察も麻薬取締官も州警察もみんなカルテルに一枚かんでいる。監獄に入れられても親分はホテルのスウィートルーム並みの優雅な暮らしができる。制裁を加えるときはみんな一緒だ。トカゲのしっぽを切ってもトカゲは生き残る。濁ったバケツの上澄みをすくっただけではバケツの中はきれいにならない。メディアもうかつに手を出せない。命を賭して闇の世界を暴いてみせても、一つの細胞が死ぬだけで、次の細胞がすぐに芽生えてくる。引き換え、そのたびに、メディア側に多くの犠牲が出るのではたまったものではない。そういうドロドロ状態のメキシコから本当に麻薬カルテルを排除できるのだろうか。そんな印象を強く抱かせた本書だった。

奇しくも今、フィリピンでは大統領が麻薬組織壊滅に向けての荒療治の展開中で、アメリカでは大統領選でトランプ氏が勝利し、メキシコ国境沿いに万里の頂上を築くと豪語している。はたして現実の世界はどう動くのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-3 18:10:57 (248 ヒット)

題名通り、ひょんなことから事件に巻き込まれてしまった窃盗グループの下っ端少年マルコ。事件の鍵を握るマルコの逃走劇が本作品のキモだ。

ユッシ・エーズラ・オールスン、5作目だが、これまでの作品で一貫しているものは「格差と弱者」へのこだわり。その思いは作品を通してひしひしと伝わってくる。本作品でもそれが大きな背骨となって貫かれている。ミステリーそのものはODAの不正が下地となっているが、興味をそそられるのはやはり幸福度世界一と言われる一方で「格差と弱者」のはびこるデンマークという国の不可思議さだ。彼の作品を読めば読むほどデンマークという国の知られざる側面に目がいってしまう。銀行の頭取と政府高官を巻き込んだ殺人事件はそれだけでもミステリーの主題に十分なりえるのだが、「格差と弱者」への怒りが根底に流れている彼の作品にあってはそれが副題となってしまう。

特捜部Qの刑事カールと彼をとりまく脇役達のコミカルかけ合いもなかなかの見もの。何よりまして、全編を通しての少年マルコの賢明でしたたかな活劇に心温まったのは私だけではないだろう。なんとも不思議な警察小説とあいなった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-15 19:46:55 (267 ヒット)

物語の最後に付記されている以下の著者の記述は衝撃的だ。

『この小説に描かれている女子収容所について
本書に描かれている女子収容所は、1923年から1961年まで、大ベルト海峡に浮かぶスプロー島に実際に存在し、法律または当時の倫理観に反したか、あるいは“軽度知的障害”があることを理由に行為能力の制限を宣告された女性を収容していた。また、無数の女性が不妊手術の同意書にサインしなければ、施設すなわちこの島を出られなかったことも裏付けがとれている事実である。
不妊手術の実施に適用されていた民族衛生法や優生法といった法律は、1920年代から30年代には、欧米の三十カ国以上・・・主に社会民主主義政権国家や新教徒的傾向の強い国家、もちろんナチス時代のドイツ帝国も含まれている・・・で公布されていた。
デンマークでは、1929年から1967年までに、およそ一万一千人(主に女性)が不妊手術を受けており、その半数が強制的に行われたと推測されている。
そして、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ等とは対照的に、デンマーク王国は今日に至るまで、こうした人権侵害にあった人々に対する賠償金の支払いも、謝罪も行っていない』

デンマークというと北欧の洗練された国家というイメージが先に立つが、こういう悲しくて暗い裏の面があったということは驚きとしか言いようがない。物語はその女性収容所から命からがら出所した女の復讐劇が主題となっている。ゆえにミステリーという枠に留まらず、社会派小説という側面も備えていて、重厚な作品に仕上がっている。辛くて、もの悲しいミステリーだ。

さて、ここに記されているような史実が本当にあったのか、ウエブで調べてみたが、なかなかヒットしない。今の世の中、何でもネットで解決すると安易に考えていがそうはいかなかったようだ。図書館に出向いてみても同じ、ナチスに係る書籍が散見されるだけ。「デンマークの歴史教科書」というのもあったが、これにもその件は触れられていない。ただこの教科書、デンマークという国を理解するのには重宝した。

そんな中、あれやこれや探ってやっと探し当てたのがこの文献。
「デンマークにおける断種法制定過程に関する研究 石田祥代 著」
他にも、スウェーデンの実態や、優生思想、公的駆除といった観点からの文献もいくつか見出すことができた。この作品がきっかけでまた知られざる世界への扉が開かれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-8 17:59:17 (300 ヒット)

「特捜部 Q」三作目。
未解決事件を扱う「特捜部 Q」。今回は過去と現在進行中の事件との融合がとてもよくできている。早くしないとまた犠牲者が出てしまう・・・。そんなはやる気持ちでページをめくる。一方、主人公と脇役のボケぶりがまた絶妙で、センスの良さを感じる。本作品では第一作目から登場しているシリアとの交流事業で派遣されてきたという助手の影の部分が一段と濃くなり、シリーズ物としての期待感も高まる。デンマークの宗教世界もモチーフの一つ。新興宗教への違和感というか距離を置くという風潮はデンマークにもあるのだなと思わせてくれた。またデンマーク人の移民への対応も切り取っており、昨今のニュースで伝えられる欧州での移民排斥運動の一端が垣間見られる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-5 4:52:28 (264 ヒット)

「特捜部 Q」二作目。
北欧ミステリーには英米のものとは若干異質な雰囲気がある。どこがどう違うのか、もやもやとした霧のような感覚が頭にあるのは確かで、うまく表現しきれないのをもどかしく思う。
最近、寄宿学校や不遇な子たちの預け入れ施設をモチーフとした作品に出くわす。偶然なのかそれとも今流行りなのか。あるいはたまたま手にとった作品がそういうもので占められていただけなのか。事件の真相を追っていくと寄宿学校時代のある種の出来事が発端となっていることがわかってくる。それが、現在進行中の事件と同調・融合して物語に厚みを待たせている、といった具合だ。本作品もその一つ。
第一作「檻の中の女」でもそうであったが、デンマークの政情と警察組織の改変にともなうしわ寄せが末端にまで及んだというごたごたも織り込んであり、デンマークを身近に感じることに役立っている。これまであまり知らなかったデンマークという国、ウィキペディアで探ってみようという気にさせてくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-3 5:28:54 (255 ヒット)

デンマーク発の警察小説。
デンマーク語からドイツ語へそして日本語に訳されている。このような二段階邦訳はたまにみかける。全体のストーリー展開に問題はないと思うが、微妙な言い回しや情緒的な表現は原本通りに伝わっているのだうか、と思ってしまう。単純に外国語から日本語へ訳された時点で、その物語は原本から独立した作品と見なす、と言えば無茶過ぎるだろうか。
そう難しく考えなくても、この作品はかなり面白い。物語性とミステリーとしての完成度、そういうものは確実に伝わっていると思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-14 17:34:35 (258 ヒット)

ジョン・ハート三冊目にして彼の処女作。
これも惜しい。星五つとはならなかった。なぜなら、事件の発端となる行方不明であった主人公の父の死体が発見されてから、主人公が容疑者とされる要素があまりにも希薄。莫大な遺産があったとして、それを根拠として容疑者にしたてあげるというのは、あまりにも説得性に欠ける。それなくしては物語が進んでいかないのだから、これは重要な点で、そこがどうも気になってしょうがなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-12 18:23:47 (297 ヒット)

星五つとしたかったが、謎解きの核心部にそんなのありかと思われる手法が採られていたので、そこだけが気になった。

冒頭、作品作りに関わった方々への謝辞がかなり長い。これは彼の作品全般に言えること。作品作りに関わるありとあらゆる分野に言及している。細部へのこだわりとストーリー展開への他者からの助言とアドバイス、それらなくしてこの作品は生まれなかった、そのことに対して彼は素直に感謝の言葉を述べている。だが、そこには現代の小説手法の一つの典型があるように思える。独りパソコンとにらめっこしながら一つの作品を完成させるのも、それはそれでありなのだろうが、彼のように広く他者の意見を取り入れて作品を作り上げていくのも一つの手法であろう。読者により満足のいく作品を提供するという視点に立てばなんら不思議なことではない。いわばチームとして作り上げた小説、そんな謝辞に思えた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-10 17:18:05 (262 ヒット)

読み終えてから三日たったら、どんな話だか思いだせなくなっていた。ただ印象に残っているのは、序盤のテンポの悪さ。ウラジオストクの副領事が突然消えたことを追って、彼の妻が奔走する場面が延々と描かれている。なんだか話が進まないなー、彼の失踪とこれから描かれようとする物語の関係性はどうなんだろう、そんな思いだけでページをめくる。だが、どうでもいいキャラが登場してきたりして、期待したエスピオナージの世界になかなか入っていかない。終盤にしてようやく出てきた見せ場も、あっと言う間に幕となる。そこの部分がどんな話だったのか全く覚えていない。
がっかりというか、こんなこともあるわい、そんな気分である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-7 20:29:02 (290 ヒット)

これもこれまで知らなかった歴史の一部だ。
第二次大戦中、フランスはどうなっていたのか、全く知らなかった。パリがドイツによって陥落したことも知らなかったし、その四年後にドゴールが凱旋し解放されたことも知らなかった。
この作品は、その解放直前の数日間のパリの模様を詳細に伝えている。伝えている、というよりは、その空気を、政局を、ナチスの動きを、レジスタンスの活動を、民衆の生活を、細部にわたって再現している。そしてなお且つ、細部にこだわりながらも解放に至るまでの全体像を構築することに成功している。

ヒトラーは支配下にあるパリの総破壊を命じるのだが、それを命じられた大パリ司令官のフォン・コルテッツは悩む。軍官としては命令を遂行すべきなのだが、歴史あるパリを火の海にしてはならないという良心との狭間に揺れ動く。破壊工作の準備を命じながらも、爆破遂行命令までには至らない。ヒトラーからは再三再四状況確認の打電があるのだが、コルテッツは時間を稼ぐ。連合軍が一日も早くパリに入ってくれることを期待したのだ。一方、連合軍の指揮官のアイゼンハワーはパリ入場は念頭にはなかった。作戦上パリを迂回していち早くドイツ戦線に達することが最優先だったからだ。もし、パリ入場となれば、その間に必要なガソリン、食糧、パリ市民への物資等のための兵站戦略の再構築を迫られる。一方、地下レジスタンスはパリ解放のために抗戦準備にとりかかりつつ、連合軍にパリに入るよう工作する。だが、なかなかアイゼンハワーの心は動かない。その間、ヒトラーはさらに厳しくコルテッツに迫る、「パリを去るときにはパリは燃えていなければならない」「パリは燃えているか?」と。

そして、その日が予め決められていたかのように、四年間の月日を経てパリはナチスの手から解放される。その解放に至るまでのわずか二週間の緊迫した日々を描いたのがこの作品だ。なんとしても驚いたのは、大パリ総司令コルテッツの心の動きと判断だ。すぐさまヒトラーの命令を遂行していたら、今のパリは無かった。エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館、ノートルダム寺院等々歴史的建造物はすべて破壊され価値ある美術品もすべて焼かれてしまっていたであろう。それを行わなかった人間としてのコルテッツの存在に驚かされた。ナチスはヒトラー以下鉄の掟で固められていたと思っていただけに、コルテッツのとった行動は意外だった。命令に背けば彼だけではなく、かれの彼の家族にも罰が与えられるという死の掟があったのだ。

ここで思ったのは、広島に原爆投下を遂行させた命令系統にも同じことがあったのか、否か?たった一発の爆弾で瞬時にして一つの街を消滅させるという悪魔の所業とも思われる戦術に携わった軍人たち誰一人としてコルテッツのようなジレンマに陥らなかったのだろうか。作戦上のどこかの段階で逡巡はなかったのだろうか。一人の工兵が爆弾を起爆させないように仕込むとか、爆撃機の投下装置が直前になって故障するとか、出撃の命令系統がどこかの段階で滞るとか。誰か一人あるいは複数の人間がコルテッツのように考えて行動していたら原爆投下はなかったかもしれない。そのときすでに日本は瀕死の状態で降伏目前であり、ほんの少しの時間稼ぎの間に戦争は終わっていただろう。そう考えると、コルテッツはいかに偉大だったか、勇気ある造反者だったと思わざるを得ない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-6 18:44:51 (269 ヒット)

知らない間にすごいミステリ作家が世に出ていた。

息もつかせぬ一気読みの醍醐味を久々に味わった。深読みすることなく、ただただストーリーに惹かれてページをめくっていった。冒頭の少女の誘拐事件からは想像もできなかった連続殺人に展開していくさまには怖ささえ感じた。それにしては主人公の少年の一途さが際立っている。いったいこの話の落とし所は何なんだ。
その答えはタイトルの「ラスト・チャイルド」に潜んでいたのだが、ちょっとだけクエスチョンマークがあるとすれば、13歳の少年の物語とラスト・チャイルドの物語の融合に若干の「隙」があるように感じた。ラスト・チャイルドの物語だけでも一つの作品になりえただろうに、なぜ少年の物語の結びつけた作品にする必要があったのか。良く言えば「一度で二度美味しい」作品には違いないのだが。


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