投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-3-8 15:24:34 (143 ヒット)

姫川玲子シリーズ。
警察物の短編集は初めて手にした。どちらかといえば長編が好みな自分だが、この手のものに縁が無かったのは単に食わず嫌いだったためだろう。それぞれのヤマはうまく解決していくのだが、読み応えという点から捉えるなら、読後の満腹感にいま一つ欠ける。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-3-8 15:06:46 (163 ヒット)

久しぶりの星七つ。作品ごとに題名が異なるが、続き物なのでまとめて感想を書くことにした。4作品とも、紅白二本のしおり紐がついている。剣道の試合のとき、背中に付ける「タスキ」を模したもの。私もよく覚えている、試合の前に仲間や後輩や誰かが背中の胴紐にタスキを結んでくれる、あの感触。剣道において紅白のタスキは特別な意味を持つ。

「武士道 シックスティーン」が書かれたのが2005年、そして最後の「ジェネレーション」が出たのが2015年。この間、少女たちの成長に沿って「セブンティーン」「エイティーン」が出版されている。

これは漫画だ、絵のない漫画。剣道女子の中学から高校、大学そして卒業した後までを描く青春物語。何も考えなくてよい、ただただ彼女たちの心の内を辿るだけでいい。池井戸潤の「半沢直樹」が銀行マンのバイブルとなったように、おそらくこの作品は女子男子を問わず剣道少年のバイブルとなっているのではないかと推察する。そう思うのはもう老人の域に入った自分だけなのだろうか。現役剣道女子の声を聴いてみたい。

それぞれの巻末の文章が各々の物語を象徴しているので添付しておこう。

「武士道 シックスティーン」
大きな拍手を浴びながら、お互いに構え、剣先を向けあう。
この場所で再びめぐり合い、この相手と戦う、喜び。
最高の舞台で迎えた、最高の相手。
この時代を共に生きる、二人といない、好敵手。
さあ、始めよう。
わしたちの戦いを、わたしたちの時代を。
これが新しい、武士道の時代(研究中)の、幕開けになるー。

「武士道 セブンティーン」
わたしたちは、それぞれ別の道を歩み始めた。
でもそれは、同じ大きな道の、右端と左端なのだと思う。
その道の名は、武士道。
わたしたちが選んだ道。
わたしたちが進むべき道。
果てしなく続く、真っ直ぐな道。
そしてまたいつか、共に進むべき道―。

「武士道 エイティーン」
わたしたちは、もう迷わない。
この道をゆくと、決めたのだから。
急な下り坂も、下り坂もあるだろう。
枝分かれも、曲がり角もあるだろう。
でも、そんなときは思い出そう。
あの人も、きっと同じように、険しい道を歩み続けているのだろうと。
そう。すべての道は、この武士道に通じているー。

「武士道 ジェネレーション」
同じこの道を、わたしたちは歩んできた。
かけがえのない出会いがあった。
心震えるような学びが、骨身を削るような試練があった。
しかし今、来た道を振り返ることはしない。
命ある限り、わしたちは進まねばならない。
この武士道を、続く者たちに、伝えなければならないー。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-2-23 17:58:46 (123 ヒット)

このところ、「ノワール」から遠ざかり、すっかり変化してしまった馳星周。
この作品もその一冊。一匹の犬が、東北から九州へと飼い主を替えながら辿る数奇な運命。そして、最後の最後まで予想もつかない物語と結末。先の見えない展開にぐいぐい引き込まれていった。

「ノワール」の頃は、これでもかこれでもかという書き込みと筆圧に圧倒された感があるが、本作品ではそれとは真逆の筆遣いがみられる。つまり、できるだけそぎ落としたスリムな文体と文章。比べるのもなんなのだが、ちょっと前に読んだ冲方丁の「アクティベイター」の対極に位置する作風だ。「語らずして語る」とでもいうのだろうか、それは絵でいうところの「描かずして描く」、木彫でいえば「彫らずに彫る」という境地。
直木賞を獲ったのも頷ける。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-2-22 10:42:12 (130 ヒット)

刑事ものは物語に厚みを持たせるため警察組織の描写が避けられない面がある。この作品もその例外ではない。そうなると登場人物が多くなりがちで、はて?どんな部署だったっけ、とか、上下関係はどうなっていたか、など自分の中で構築するのに時間がかかる。終盤ではそんなことはどうでもよくなっていくのだが、序盤から中盤にかけて、読み進むのに苦労する。

誉田哲也はその避けて通れないところを描くのがとてもうまい。物語の外枠を捉えつつ、人物描写もそれに合わせて卒なく描かれているので、読み進むうちに自然と物語に入り込むことが出来る。そういう場面ではどちらかというと「柔」な印象があるのだが、一たび人が死ぬ場面となると、いきなり「強」「剛」を通り越して「超ド級」「恐」の筆致に変化する。この明暗、強弱の付け方の妙が作者の真骨頂なのだと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-2-21 5:42:11 (203 ヒット)

冲方丁の本ならば間違いなくおもしろいだろう、と思って手に取った。
だが、そう思わせてくれたのは冒頭だけ、読み進めるうちに、ん?と疑問符が付く展開となっていった。
登場人物のキャラクター設定が甘いというか雑。時系列にいって過去のことが既知のごとくさらりと語られる場面が多々ある。読者に想像力を働かせよということなのか、あるいは、次作への含みなのだろうか、それにしても唐突に出てくるので、読者は戸惑ってしまう。トドのつまりが、物語の納め方もおざなり。大風呂敷を広げ過ぎて収拾がつかなくなって、無理やり押し込んだって感じ。総じて、これまでの作品にみられたような緻密さが全く見受けられず、ただただ行間を埋めただけのつまらない作品となってしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-2-4 10:49:09 (136 ヒット)

wowowの映画でやっているのを観て、原作を読んでみたいと思って手に取った。
いわゆる警察刑事もの。刑事もので思い起こすのは高村薫やジェフリーディーヴァーか。だが、ここに描かれているのはそれらの作品とはちょっと趣が異なる。簡単に言えば犯罪小説と刑事小説ということだろうか。
犯罪小説に付き物の暗い闇も出てくるには出てくるが、軽いマンガのような「お笑い」が随所に出てきて、これが作者の作風と言えるのかもしれない。登場人物のキャラクターは端的に描かれているし、ストーリーの破綻もない。テレビの刑事ドラマを観ているかのような読み心地だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-2-4 10:48:24 (132 ヒット)

原題が「Camino Island」、これが『「グレート・ギャツビー」を追え』なのだから、笑わせる。しかも、邦訳は村上春樹ときている。うけを狙った販売戦略に踊らされるのは庶民のはかない性。もっとも、ジョン・グリシャムの新作というだけでも私は手に取るのだが。
ジョン・グリシャムお得意の法廷ものにあるような切れのある物語ではなく、Camino Islandというリゾート地で繰り広げられるソフトサスペンスといった印象。アメリカの稀覯本蒐集にまつわる私の知らない世界が描かれていて興味深い。推理の手法よりも、登場人物のキャラクターの多彩さが売りの気楽に読める娯楽作品だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-2-4 10:47:39 (161 ヒット)

分厚い5巻。当初思っていたより読了まで時間がかかった。
私の「三国志」は吉川英治のそれで世界観はほぼ固まっていた。先だって、北方謙三のを手にしたとき、また別の三国志に出会った感があった。吉川英治のは劉備中心の構成で、故事もうまく活用されていて、多分多くの人はこの作品に感化され私と似たようなイメージを抱いていたのではないかと思う。それに対して、北方謙三作品は吉川英治「三国志」とは一線を画し、周瑜にかなりの重きを置いている。劉備は惨敗続きの弱小軍団に過ぎない。酒見賢一の本作品もどちらかと言えば、北方謙三に近いスタンスをとっている。劉備の終盤も淡々と描かれている。本作品の凄いのは、史実とその後に作られた三国志演義、そして「三国志」を深堀して、独自の三国志を再現している点にある。これまで多くの人がイメージとして抱いていたであろう「三国志」とは全く違った世界がそこにある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-11-30 11:04:46 (171 ヒット)

「チンギス紀」が第八巻で足踏みしている間に選んだのがこの作品。
「三国志」は吉川英治の文庫本で3回は読んでおり、自分の頭の中にはある程度「三国志」が出来上がっている。そこで、北方謙三はどんな描き方をしているのか興味があった。
三国志といえば、そこから生まれた故事名言が有名だが、本作品ではそれらに執着せず表に出さず、かつそれらの逸話を作者の視点で完結させている。私のように吉川英治の三国志に慣れたものにとっては、やや拍子抜けの感もあるだろう。しかし、登場人物ひとりひとりへの思いと筆圧は作者ならではのものを感じる。特に、麦城での関羽の最期と孔明が泣きながら馬謖を切る場面はとても読みごたえがあった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-9-7 16:17:58 (232 ヒット)

バスク人、バスク地方の特殊性に目をつけて、それから話を膨らませていった物語。いわゆる「バスク」はスペインとフランス国境の両方に存在するということを初めて知った。バスクはそういう微妙な位置にありがながら、独自の文化を築き上げ、それを守ろうとしている。

物語は、スペインの中央政府からの独立を目指して武力による革命を探る組織とそこに紛れ込んだ日本赤軍からの協力者を主題としている。巷では日本人とバスク人には共通する点が少なからずあるという話だが、この物語を読めばなるほどと共感できる面も見いだされる。


冒頭からテロ組織、日本赤軍と出てきて、世紀末のノワール作品を想像していたが、その期待は見事に裏切られた。犯人捜しの部分もある程度予想できる範囲内で、テロ行為という破壊的思想とは裏腹に、物語としての破壊性はない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-23 16:25:56 (221 ヒット)

この作品を発表したのは作者が御年80歳のとき。おいおい、まだやっているのかという気持ちもあって手に取った。
読者を騙す手口はフォーサイス先生お手のものだが、今回は英国のコントローラーが敵対国を騙して混乱させる物語。それも、さらっとやってのける。さすがに布石を散りばめた理詰めのスパイアクションは、無理なのかなと感じた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-23 16:24:48 (260 ヒット)

馳星周が動物本で直木賞を受賞するなんて、初期の頃のノワール作品を知っているものなら誰が予想できただろうか。近年作者の作品の題材はもっぱら山や自然そして犬となっている。その犬を題材とした作品の一つ。この作品で「犬の十戒」というものを初めて知った。
犬と飼い主との様々な関係、場面を取り上げた短編集。作者の犬への接し方が伝わってくる。物語的には深堀りはしてないが、乾ききった心を湿らせてくれる要素は十分にある。直木賞に至るまでの痕跡をしばらくは追ってみたいと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-18 11:32:57 (233 ヒット)

「南総里見八犬伝」を読んだとき、いまいち時代背景が分からなかったので、その辺をもうちょっと掘り下げようとして、手に取った一冊。
南北朝の頃も複雑極まる時代だったが、室町後期はそれに輪をかけて混沌としていた時代だった。御所を取り巻く京都周辺の乱れのことは別に置くとして、関東では、古河公方、鎌倉公方、関東管領、山之内上杉、扇ケ谷上杉らが骨肉相食む争いを繰り広げていた。敵味方の入れ替わりが激しく日常茶飯事。節操も何もあったものじゃない。人も時代も大うねりの中、その乱れがどう収束してくかに興味が持たれるが、それは戦国時代まで待たねばならない。「南総里見八犬伝」はそこで起こった小さな戦から紬だされた、いわばスピンアウトした伝奇小説であった。
本作品の主人公長尾景信もまたその大きなうねりに翻弄された武将の一人。長尾家と上杉家との因縁の中に生き、この時代の一つの場面を切り開いた人。だがはやり、自分の中でのこの頃の時代認識が希薄なため、人物的にはよく描かれていると思う反面、どんな時代だったのか、そういう思いがどうしても頭からぬぐえなかった。そこで、以下の4冊を参考書として読み、おぼろげながらこの時代の輪郭を描くことができた、という次第。

「室町幕府と地方の社会」榎原雅治 著
「応仁の乱」呉座勇一 著
「観応の擾乱」亀田俊和 著
「越後上杉一族」花ケ前 盛明 著


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-15 19:02:00 (209 ヒット)

なんとなく八犬伝が読みたくなって、図書館で物色してみた。最初に岩波書店の文庫版が目にとまったが、原書に忠実なせいなのか旧仮名遣いでとても読みにくい。そこで、ネット検索で調べてみたが、これが意外と作品が少ない。結構人気があるはずと思っていたのは自分だけだったみたい。源氏物語や平家物語は新訳物にはことかかないが、八犬伝は選択肢が限られる。今回手に取ったものは原作に沿って書かれているが、ただそれだけの内容といえる。物語を膨らませるのは読み手の裁量に任される。ここはひとつ「新訳」というよりは「新解釈」として独自の物語性を持った作品を期待したいところ。誰かやってくれないかな。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-14 17:33:25 (239 ヒット)

第一部とは違って、スローなスタート。
ネット上の書評では前作を上回る高評価が多いが、自分的には前作の衝撃があまりにも大きかったので、★一つ落とす結果となった。

この作品で鍵となる「面壁者」が出てきてからも大きな展開はない。4人の「面壁者」の役目は敵からその真意を読み取られることなく敵に備えること。当たり前といえば当たり前のことなのだが、その時がくるまで誰の計画が功を奏するのか、あるいはすべて敵に知られてしまうのか、はたまた他の要素が加わってなるようになっていくのか、そんなことを思いめぐらせながら、読み進めていく。

そこで、頭に浮かんだのが「待てよ、これはハリ・セルダン予測に似ていないか」ということ。すなわち、人類が危機的状態に陥ったときその被害を最小に食い止める必然的な現象が生じる。その危機に際しての最善策が心理歴史学によって予測でき、しかもその確率はかなり高い。しかし、人類はその瞬間が来るまで、それがハリ・セルダン予測とは誰も気づかず、当事者もその行動の結果、どのような結末が来るのか分かっていない。すなわち、ハリ・セルダン予測はそれが終ってみて初めてそれと特定できる。・・・というもの。「なるようにしかならない」という場当たり的とも言えなくもないが、それを確率で予測してしまうというのがハリ・セルダンの心理歴史学。

そう思いながら読んでいると、突然、文章中にハリ・セルダンが出てきて、目がテンになった。なんてこった。作者はあきらかにアシモフへのオマージュを込めてこの作品に臨んでいたのだ。自分の思いと作者の思いが同調し、共鳴した瞬間。これこそ、本読みの醍醐味。

さて、長い長い物語のわりには、あっけない結末。しかし、これもハリ・セルダン予測といえば、それも納得かな。

巻末の解説の中で「4人の面壁者のうちの誰がハリ・セルダンとなるのか」というような記述があるが、これは間違いではないかと思う。問題はハリ・セルダンは誰かということではなく、誰のどういう行動がハリ・セルダン予測となっていくのか、という点だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-13 17:04:51 (220 ヒット)

昨年日本を席巻した話題作、ようやく手に取った。
ラジオ番組の中で紹介されて以来、気になってしょうがなかった。ブームも一段落したのか、図書館の書架に並んでいるのを見つけた。家に帰って、さーて読むかと、寝転んで本を開いてびっくり。ひらりと、テッシュが舞い落ちてきた。前の人が本閉じにでも使ったのかと思ったが、それは一瞬のこと。次の瞬間唖然とした。なんとそれは使用済みのものだった。いったいどうなってんの。落書きや、棒線などはたまに見かけるが、こんなものが出てきたのは初めて。何を考えてこんなものを挟んだのか、本書への何らかのメッセージなのだろうか。

この本に出会うまで、まさか久しぶりのSFを中国発で読むことになろうとは、考えてもみなかった。中国のSF文化に疎かったどころか、SFから中国がぽっかりと欠落していた感がある。多分、そう思っていたのは私だけではないと思う。それだからこそ、受けたインパクトは物語の出来具合に加算されて強烈な印象を残すことになったのではないかと思う。

物語は文革での紅衛兵の戦闘場面から始まる。文革の忌まわしき過去を鑑みれば、この後に展開されるSFの名を借りた体制批判ともとられかねない内容を含む本書はとんでもない作品といえる。そういう面からも本書の評価は高いのではないかと思う。

サイエンス・フィクションというよりはサイエンス・ファンタジーに近く、超ハードSFでないというのも多くの人々に受け入れられた要因だと思う。ただ、ヴァーチャルの「三体世界」がだんだんややこしくなって来て、そこがちょっと自分としては読み進むのに苦労した。

中国語から英語、そしてその両方を参照しての日本語化いうのも気にはなったが、両方とも読まないのでなんなのだけれども、とても読みやすく、うまく訳されているとの印象を受けた。くだけた表現や、日本人独特の言い回しもちょいちょい出てきて、原書でどう表現されているのかな、などと思ってみたりもした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-12 11:36:13 (240 ヒット)

「アメリカ探偵作家クラブ主催のエドガー賞最優秀新人賞受賞。日本を含む30カ国以上での翻訳が決定し、2020年最高の話題作」とは知らずに手に取った一冊。
主題は二つ。「ドクトル・ジバゴ」誕生秘話とCIA勤務タイピストの給湯室話。
内容からいって、どちらかというと後者の方にウエイトがあると思うが、原題も「The Secrets We Kept」となっているし、邦題は前者に力点を置いている。

二つの物語ともとてもよくできていて、わくわくどきどきさせられる展開に引き込まれる。ところどころに出てくるウイットの効いた会話も見もの。ジバゴでは歴史の影をあぶり出し、「そうだったのか」とともにもう少し深く真相に迫ってみたいとの念に駆られる。著者であるパステルナークの身に危険が迫る中、母国語での出版がかなわず、最初の出版元となったイタリアの「フェルトリネッリ」についても興味がわく。

二つの主題の融合に成功しており、総合的な評価は高い。一度読んで二度おいしい作品だと思う。登場したタイピストのスピンアウトした物語を勝手に想像してしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-12 10:15:44 (210 ヒット)

この本に出合うまで、前田慶次郎のことは知らなかった。破天荒な人物像はまるで漫画の主人公みたい。こんな人が本当にいたのだから、驚かされるし、虜になってしまうのも無理はないだろう。

歴史通の間では「傾奇者」としての評判が定着している。いつの時代からそのイメージが植え付けられたのかはしらないが、ネットで見る限り、その印象は不変であるらしい。本作品でもその路線は踏襲されていて、膂力があって、男前、義理人情に厚く、かつ偏屈者という戦国時代に現れた希代の武将が描かれている。

彼の日常は一般人にとっては非日常で、そんな自分にない世界観を持って生きる人物にあこがれを抱くのはいつの時代も変わらないのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-7-12 9:13:12 (224 ヒット)

「教団X」を最後にしばらく作者から遠ざかっていたが、友達の書評にこの作品が紹介されていて、さて作者はどう変貌を遂げたのか、それを確かめたくて手に取った。

冒頭から、序盤のつかみはよくできていて、この先どのように話が進んでいくのか、興味津々でページをめくる。「いったいこの先どうなるのか、この挿話はこの先どう展開していくのか、またどのようにして回収されるのか」そういう気持ちを逸らさせないものはある。だが、いくつか組み込まれている挿話の整合性がとれないまま、物語は中盤から終盤へ向かっていく。つまり、途中で蒔かれた「ネタ」の回収がされないままページが進んでいく。それでいて、マジックリアリティーの世界かと思ったらそうでもない。

一つ、一つの挿話自体は読みごたえがあり、それはそれで短編として終結させてもよいほどの完成度がある。特に、終盤の入り口にあたる戦場のラッパ吹きの独白は鬼気に迫るものがある。しかし、「回収されない布石」ストレスの方が強く働いてしまい「よくできた作品だが、なんかしっくりとこない」という読後感となってしまう。
たぶん、映像化して、脚本でその奥歯に挟まった小骨をうまく取り除いてくれてなら、大ヒット間違いなしのエンターテインメント作品になると思う。

この作品を読む限り、「教団X」で抱いた作者の行き詰まり感からは脱したように見受けられる。けれど、私が苦手とする村上春樹に見られるような「中途半端なわけのわからない世界」を描く作風に似てきた感もあり、ちょっと戸惑っているというのが正直な気持ち。

85ページ中ごろに「金持ちの西洋人が年を取って、妻が死んでしまったりした後、・・・ふっていなくなることがあるらしい」という一文が出てくるが、この「ふって」という言い回しまたまた喉に引っかかってしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-6-14 13:35:21 (200 ヒット)

30年以上も前に読んだときは、やたら長すぎる感だけが印象に残った。今回、読み直ししてみると意外に面白く読めた。ここ何年か歴史小説を取り込んできたせいもあるのだろうが、20代の頃はまだこの作品に接する素地が自分には出来ていなかったのだと思う。作品は変わらずそこにあるのだから、読み手に変化があったとみるのが筋だろう。歳をとるというのはそういうことなのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-3-27 14:17:16 (233 ヒット)

前作「阿黒篇」の続き、舞台は京都へ。
藤原緒嗣にすり替わった怨魔と緒嗣のライバルである藤原良房との抗争を軸に嵯峨上皇亡き後の皇位争いをからめ、魔界の盟主総門が企む地上征服を阻止しようとする空海(死後復活を遂げた)らの伝奇活劇。総門は美貌の死魔であるシバを半人半獣の鵺として蘇らせ、役小角らと共に京の夜に跋扈する。それに対し、空海は和気諒の力を借りて不動明王や愛染明王出現させ、反骨精神から野狂とも称された小野篁らと共にこれに対抗する。
阿黒篇同様、歴史の中に伝奇物を挿話として組み込み融合させており、歴史・伝奇物好きにはたまらない作品となっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-3-27 14:15:09 (242 ヒット)

時代は一気に平安時代へと遡り、そして舞台は再び陸奥へ。
一作目同様、伝奇小説の面白味を堪能できる。加えて、今回は歴史度がかなり高い内容となっている。よく知られている歴史、坂上田村麻呂が征夷大将軍となって蝦夷を併合させたこと、その流れを汲んで、その時代背景を一つの骨子として、SF度、伝奇度をうまく融合させた物語となっている。というよりは、時間軸に史実を置いて、伝奇をその場面場面に織り込むように刷り込ませ、裏歴史なるものを描いている感がある。

ところで、本作品のあとがきで作者は以下のように述べている
『総門谷』の再開である。自分でもちょっと信じられない。
ほぼ六年前の今頃に『総門谷』の最後の行をワープロのディスプレイ上に打ち終えた時、すべてが完結した、と思った。その感慨には小説だけはなく、自分の青春や、興味や、情熱その他、あらゆるものが含まれていた。自分はもう物書きとしての仕事を果たしてしまったのではないか・・・とも思った。読者にこの小説がどのように受け止められようと、自分にとってはこれが限界だと感じたのだ。これ以上の作品を書けるとは思わなかったし、アイデアも使い果たしてしまった。

自分でも驚いたのだが、これはまさしく、自分が前作を読んだときに抱いた感想を裏打ちさせてくれた内容だ。つまり『伝奇小説とミステリー、そしてSFの要素てんこ盛りで、これでもかこれでもかとかぶせてくる膨大な未知の物語、に当時は圧倒されてしまっていた』ということ。あながち自分の印象は外れていなかったようだ


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-3-27 14:12:43 (220 ヒット)

昭和60年に初版が発行されたときに読んでから30年以上もたっての再読。当時はわくわくさせて読んだのを覚えているが、内容はからきし覚えていない。そして、いつか読み返してみようと思っていた一冊。
さて、その内容は。初めて読んだときに抱いていた印象とは、どんなものだったか正確には覚えていないが、今とは少し違っているように思う。というか、大きな隔たりがあるようだ。読み返して思うのは、伝奇小説とミステリー、そしてSFの要素てんこ盛りで、これでもかこれでもかとかぶせてくる膨大な未知の物語、に当時は圧倒されてしまっていたのだと思う。だが、今思うのは、ちょっと大風呂敷に過ぎるということ。詰め込み過ぎがあだとなって、逆に詰めが甘い。B級テレビドラマか映画を観ているような感じで、エンタテインメント性には申し分がないが、それ以上の作品ではなかったようだ。
「総門谷」は「総門谷R」へと引き継がれていくのだが、これも内容は全く覚えていない。どんな物語だったのか、楽しみにして読んでみようと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-3-11 11:35:41 (270 ヒット)

誰の作品だったか忘れたが、一度トライして難解なので途中であきらめた「平家物語」。もしかしたら、宮尾登美子の本なら読みやすいのではないかと思って手に取った。令和2年に入ってから読み始め、2月中旬に読み終えた。読みやすいとまではいかないが、平家物語の世界観とその時代背景のおおよそは掴めたのではないかと思う。物語を事細かく追っていくにはあまりにも登場人物が多く、その関係が複雑にすぎる。もう一度手に取って読み返したら、その辺のところがもう少し頭に入ってくるかもしれない。

それにしても、「おごれる人も久しからず」謡われた平家の栄華は30年余り。本当につかの間の天下だったようだ。30年といえば、長い歴史からみればほんの一コマにすぎない。それなのに、平清盛や平家のことを知らぬものはいないくらいその名は一つの時代として広く認識されている。そこのところのギャップというか、それほどの時代だったのかな、という印象が強く残った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-12-24 12:34:43 (274 ヒット)

最近の作品はややトーンダウン気味でがっかりの連続だったが、この作品でちょっとだけ息を吹き返した感がある。だが、かろうじて及第点といったところで、初期の頃のような、切れ味、ワクワク感、スリル感にはほど遠い。
今回のテーマは「ダイヤモンド業界」。これでまたダイヤモンドに関する薀蓄が増えた。

訳者あとがきの中にジェフリー・ディーヴァーの作品手法「必勝フォーマット」についての記述がある。「何が起きたのかを振り返って解き明かす推理小説ではなく、このあとどうなるのか、何が起きるのかに読者の興味を惹きつけるスリラー小説であること、事件発生から解決まで三日ほどの短期決戦であること、データマイニングやイル―ジョン、今回のダイヤモンド業界など作品ごとのテーマを明示すること、最低三つはひねりを用意すること・・・を主軸として踏襲しつつ、作品ごとに異なる要素を盛り込んで肉付けしていく」

なるほど、本作品は「必勝フォーマット」に沿っているのは間違いない。確かに、この先どうなっていくの?こいつが犯人のはずはないだろう、という思いは常々念頭にあって、その期待が裏切られたり、読み通りだったりに一喜一憂しながら読ませてくれる。「ひねり」にも、あえて軽くしたものや、強引なものも織り交ぜて、それらを読者が推し量れるような余地も用意してある。だが、何か物足りなさが残る。「短期決戦」はわかるが、スピード感がいまいち。悪い奴ら、リンカーン、サックス側双方に迫力や凄みが欠けている。作品としての「飢え」が感じられない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-12-15 13:35:24 (258 ヒット)

電気工事の図面引きの「本島」、出始めの頃。姪の強姦事件を薔薇十字社に相談に行ったのが運の尽き。榎木津の下僕仲間に引入れられてしまう。釜から瓶、そして山嵐事件へと続く。陰鬱さ、おどろおどろしさよりもコメディに徹した探偵物語三編。京極堂シリーズにおいて、「百鬼夜行 陰」はスプリットボール的な感じだが、本作品は大きく曲がるカーブの曲がり始め的な印象を受けた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-12-8 11:35:20 (250 ヒット)

電気工事の図面引きの「本島」が語り手となり、探偵榎木津礼二郎におもちゃにされる。豪徳寺の招き猫から始まり、三つの事件に引きずり込まれる。事件の裏に暗躍する、榎木津と宿命のライバルの存在が浮き彫りになる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-30 10:34:19 (237 ヒット)

メフィスト賞の作品ということで手に取ったが、その期待は大きく裏切られた。それまで抱いていたこの賞のイメージ、どちらかというとミステリーかファンタジー、を根本から覆す作品だったからだ。「面白ければ何でもあり」というこの賞の理念からすれば、こんなのもありかな、かもしれない。

アルバイトがきっかけで水墨画と触れ合うことになった大学生を描いた青春小説。
題名がそうなら、本の表紙も今風、中身も軽いタッチ。やはりこれも時代が生んだ作品なのだろう。

最初から最後まで抑揚がない、と言えば魅力に欠けるかというとそうではなく、心地のよい一本調子が貫かれている。読み始めてすぐ思うのは、これは読む漫画だ、ということ。ネットで探るとすぐにこの作品のコミック版がヒットする。誰でも考えるのは一緒とみえて、コミック化に向かうのは必然だったのだろう。
漫画のような物語の運びなので、スーッと読めてしまう。多くの人は一気読みするだろう。予定調和的な印象がぬぐえないのにもかかわらず、心のひだに引っかかるという不思議な作品でもある。

最初は軽いタッチで描かれている、と単純に思っていたが、読み進むうちに、作者はあえてこのような書き方にしたに違いないという確信に変わっていった。一見抑揚がなく、軽い言葉で書かれているようにみえるが、実は何度も何度も推敲され緻密に計算されて生まれてきたのだ。

次に出す作者の作品はどういうものになるのだろう、この路線での二番煎じはあるのだろうか、それとも一発屋で終わってしまうのだろうか、気になるところ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-30 10:29:39 (229 ヒット)

京極堂を読みたくてたまらないのだが、近々は刊行されてなくて、昔に戻って読んでいる。
本作品は短編集だが、それまで出てきた京極堂の登場人物がそれぞれの主人公となっている。本編では触れられなかった一癖も二癖もある人物の一面が垣間見られる。というか、その人物のキャラクターを補筆している。「あー、そういうことだったのか、なるほど」と、思うことしきり。そうなれば、また「姑獲鳥の夏」から読み返してみようという気持ちが湧いてくる。京極堂はそういうループをもっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-11-20 10:05:23 (240 ヒット)

「烏の伝言」以来、長らく待ち望んでいた高田大介の本、やっぱり面白かった。伝奇小説の部類に入るのだろうが、単なる伝奇物に収まらないところが本書の奥深さ。鍵となる言葉が要所に散りばめられ、その鍵とも記号ともつかぬ言葉がパズルのピースのように物語に落とし込まれていく。論理的な破綻は微塵もなく、ただただ知的好奇心の向かうがままに読者を物語の中に引きずり込み、引っ張っていく。「豊富な」という一言では言い表せないくらいの語彙力が物語に魔術師的な厚みをもたらしている。日頃聞きなれないような言葉が次々と登場し、技巧に走った読みにくい文章であるかと言えば、そうではなく、逆にすんなりと腑に落ちていく。ある意味不思議な感覚。この辺の按配、空気感が「図書館の魔女」以来の著者の魅力であろう。
さらに、この作品において異彩を放っているのが、語り言葉の8割以上が上州弁で占められている、という点。それも、コテコテの上州弁。言語学者でもある著者の一つの遊びなのかもしれない。群馬でベストセラー一位になるのは間違いがないだろう。


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