手前の小鉢がなかなか大きくならい、花も咲いてくれない。来年に期待。
急に朝晩が寒く感じられるようになってきた今日この頃。
寒さに弱い鉢物を家の中に取り込み始めた。
まずは、ミニカトレアとオンシジウムから。
コンビニでBOSSのガムが並んでいたので買ってみた。
缶コーヒーではBOSSが一番のお気に入り(ちなみにインスタントではネスレのエクセラ)。年間100本は飲んでいると思う。そのガムだからというので、期待して買ったのだが。
残念ながら、期待はずれ。口に入れて噛んだ瞬間の印象は、きな粉味。コーヒーガムと言われればそんな味も少しはする。だが、BOSSの冠たる商品としてはとても及第点とは言えない。
ジョージアの宇治抹茶入り缶コーヒーに次ぐヒットがでるのはいつの日か。
まだ陽が昇りきらない朝の空気がここちよい。
雲の構図がおもしろくて撮ってみた。
東の空
西の空
我が家に出入りの配置薬メーカーの営業さんが持ってきた。
曰く、大切なワンちゃんの関節の健康に最適な栄養補完食品。
これをお得意さんに薦めてくれというのだが・・・。
いかにペットが家族同様とはいえ、ドッグフードを配置薬のネットワークを利用して販売しようというメーカーのさもしい根性にあきれるばかり。
こればかりではない、最近配置薬メーカーが力を入れているのは、このていの健康食品ばかり。
もう少し、地域医療またはプライマリヘルスケアの担い手としての配置薬を見つめてほしい。そうすれば、こういった「何でもアリ」の商品は出て来ないと思うのだが。
それとも、自分が時代に合わせて変わって行かねばならないのかな。
夏〜っ!という言葉がぴったしの今年の夏。
この暑さを待ち望んでいるものもいる。我が家の百日紅は例年になく鮮やかだ。
ヒオウギに止まるアゲハは春にユズの木を丸坊主にした幼虫が恩返しにその姿を見せに来てくれたのに違いない。
お盆を挟んでの行事がようやく一段落した。今日はのんびりとと旅の準備。
東京で薬屋さん達の全国会議があったので、そのついでに東京タワーへ行って来た。
スカイツリー詣での影響が出ているのだろか、タワー展望台は人もまばら。
空は晴れていたが、やや霞みがかっていて、スカイツリーは小さくぼやけて見える。もう少し迫力があるかなと期待していたのだが・・・。やっぱり、ここからは少し遠すぎるようだ。
大都会の真ん中で、タワー近くの公園の草地に咲くギボウシが涼しげに映った。
約三週間ぶりに家に戻ってきて、最初に目を引いたのがこのヤマユリ。
花が超大ぶりならば、香りも強烈。
去年の秋に群馬から持ち帰った球根、無事花を咲かせてくれてよかった。ややドギツイ感じがしないでもないが、連日の酷暑の中、このくらいの派手さもよいもんだ。
スティーヴン・ジェイ・グールドの著書『ワンダフル・ライフ』は非常に興味深い。ダーウィンと真っ向勝負するグールドの見解には、なるほどと思わせられる。ダーウィンの進化論では説明のつかない世界をグールドはあばいている。そこに登場するのが古代カンブリア紀の生物『アノマロカリス』。それは当時生物界の生態ピラミッドの頂点に立っていたといわれている。
この花の名前がその古代生物の名前に似ている。ただそれだけの話
毎年、毎年、群馬から持ち帰るウチョウラン。
冬越し出来たためしがない。今年もだめだろうと、あきらめ気分。
しかし、何がどうなったのか、今年は芽を出し、順調に育ってくれた。
これまで何度も駄目にしてきただけに、喜びもひとしお。
我が家のユズの木に今年もやって来たモスラ達。
葉っぱがみんな食いつくされ、実など成るはずもない。
そのかわりと言っちゃなんだけど、きれいなアゲハとなって、庭でダンスでも踊っておくれ。
挿し穂から苦節三年、ようやく花開いた。
切りとった穂先をいただいたときはすでに花が終わった後。どんな花だかわからなかった。口で説明されても、小生の想像力では限界がある。また一抹の不安もあった、無事花を咲かすことができるだろうか。
一年目、しっかりと根付いているようだが、花の咲く気配は全くない。
二年目、少しずつ株も大きくなって来ているようだったが、結局花芽は付かず。
三年目の今年、富山でもこれまで経験したことがないくらいの極寒の冬。はたして乗り切れるかどうかとても心配だった。四月に入ってからもまだ雪がちらつき、株の勢いはない、今年もだめか。ところが、五月の連休過ぎあたりから、葉っぱが芽吹きだし、下旬ごろからは花芽も付き始めた。花芽は次第に膨らみ始め、そして今朝新聞を取りに外に出てみると、ついにパッカンと花が開いていた。
月下美人のような強烈な芳香はないが、その美しさは甲乙つけがたい。
咲いてくれて、ほんとうにありがとう。
頭をややたれ気味に、うつむき加減で背中を丸くして咲くから、その名前がついたのだと思っていたら、花が終わって種が出来る頃になってビックリ。まるで白髪の爺さんのよう。どちらかが花の名前の由来だと思うのだが。さて、どっち?
朝目が覚めると、なんとなし頭が重い。布団の中で2時間ほど本を読んでも、すっきりしない。
仕事も気がのらないので、おにぎりを持って馬場島方面へ散策に出かけることにした。
10時ごろから約3時間、あっちこっち歩きまわった。目的もなく、当てもなく、自由気ままに歩くだけ。
山の空気に浸り、沢風に身をさらしていると、いくらか気分が軽くなった。
山は春から夏へ急ぎ足で移ろいでいる。
今日の獲物:コゴミ、タラノメ、コシアブラ一掴みずつ
よそ家のサクラソウは爆発せんばかりに咲き誇っているのに、我が家のはなかなか咲いてこない。
もやもやした気持ちで日々を過ごしていたところ、このところの好天と気温上昇のおかげか、ようやく立ち上がって花を咲かせてくれた。
派手さはないが、品があって花も大ぶりだ。
ニホンサクラソウここにありという自信に満ちている。
卯月もはや終盤。ここ一週間で一気に庭が活気づいてきた。花達も競って咲き始めている。
雨が上がったので庭に出てみると、コウメとアサヒヤマザクラが開花していた。
4月上旬に雪が舞ったりして、今年の春はいつ来るのかなと思っていたら、
なんのことはない、いつの間にか街のサクラも終わってしまっていた。
春が速足で過ぎ去っていくような気配。
日中の気温が一気に上がり、富山ではサクラが満開宣言。
我が家でも、ユキヤナギ、ユスラウメ、ミツバツツジが花開いた。
フクジュソウの魅力はなんといっても陽光を浴びての輝きだ。
春先の穏やかな日に地面からちょこんと顔を出してきらめいている。
そんな姿を一目見れば誰もが幸せな気分になるだろう。
この間、うちの庭のツツジのかげに咲いていたのは、それとはまた違った印象を与えたくれた。
ひっそりと、誰にも干渉されず
「わたしは私よ」と己の春を楽しんでいるかのようだった。
このクリスマスローズ、とても気に入っている。花も背丈も小さく、派手さはない。けれど、けなげで、しっかりと自分を主張している。
今年のクリスマスローズは、春先の低温の影響もあってか、立ち上がりがあまりよくない。そんな中にあって、この花は茎も太く花も大きく見事な咲きっぷりだ。なんとなく首をかしげているようにみえる立ち姿も気に入っている。
小生が行商に出向く群馬県東吾妻町。
東洋大学陸上競技部の駅伝選手は毎年夏の数日間ここで過ごし調整を行っている。
箱根駅伝の優勝を祈願しただるまの絵付けは地元の看板屋さんの手によるものだ。高崎だるまをデザインして作られている。二体製作され、そのうち一体は大学に置かれ、一体が夏合宿のあるこの地に置かれている。
毎年微妙に異なるデザインは看板屋さんの腕のみせどころ。なんとこのだるまさんシューズを履いている。
その御利益があったのか、今年は優勝奪還。
だるまさんの威厳も増しているように見えるから不思議だ。
ザックを担ぐと力がみなぎる
ハーネスを締めると勇気がわいてくる
ザイルを結べば希望がみえる
いざ行かん友よ あの雲の向こう
いざ行かん友よ あの頂きめざし
」
山の端が輝きだす夜明けを撮ってから、ふと振り向くと、西の空の雲がおもしろい格好をしていた。弱い気圧の谷の影響でもあるのだろうか、それとも、寒気と暖気のせめぎ合いだろうか。
今年最後のゲッカビジンが終わった。
一仕事終え、疲れて横たえているようにも見える。
月下美人というが、男の悲哀を感じるのは私だけだろうか。
お疲れさん。
11月の声を聞くなり花開いたこのクリスマスローズ、例年より早い気もするのだが。
開花から一週間たって、その色が白からレモンイエローに変化してきた。うれしいやら、びっくりするやら。これは大事にせねば。
追記:今度はグリーンに変化してきた(11月10日)
小生の商売、年に一度か二度お得意さんの家庭を訪問して、薬の入れ替えを行う。今日訪問したご家庭は新興住宅地にあり、数年前、新築なったその家を飛び込みで訪問した。以来、半年に一度訪問している。いつもカーポートに停めてあるご主人の車が一段と輝いて見えたのがその出来事の予兆だった。
ピンポンを押して、家の中に入ると、なにやら奥の方で声がする。奥さんにきくと、8月に女の子が生まれたのだという。それをきいただけで、とてもうれしく、心から祝福したい気分。そこへ赤ちゃんを抱いたご主人が出てきたその瞬間、感極って涙があふれでてきた。感情のほとばしりがそのままでてしまったのだ。ご夫婦相並び立って赤ちゃんと一緒にいる様は、まさしく家族の絵そのもの。赤ちゃんのつぶらな瞳が自分を見つめる。心のよどみがみるみる澄んでいく。これから先、この子が大きくなるまでこのご家庭を見守り続けるんだろうな、と自覚を新たにした。
薬を通して人生の機微に触れることのできるこの仕事。「出会いが効く富山のくすり」だが、今日は自分にとって、とてもよい薬となった。
これをつぶしながらグツグツ煮る。
キンカンといえば冬のものと思っていたが、今年の夏、群馬に出向いてみたら、7月初旬、黄色に熟したキンカンの実がたくさん成っていた。誰も採る者がいないその木はカナブン達の格好のえさ場となっている。一つもいで食べてみると、ひじょうに甘い。これはいい素材になると思い、鍋いっぱい拝借してきた。すりこぎがなかったので、竹製のへらでつぶしながら煮る。砂糖の分量はいいかげん、適当にドサッと入れる。へらでかき混ぜながらグツグツ煮る。やわらかくなってきたら、へらでつぶす作業が楽になる。ジャムとしては、まだキンカンの実の状態が三分の一くらい残った、おおざっぱな仕上がりとなった。出来上がるまで30分くらいか。あら熱をとって、空き瓶に詰めるると、3瓶できた。2瓶は冷凍庫で保存し、1瓶ずつ食することにした。パンを焼いて、マーガリンを付け、その上からキンカンジャムをざっくりとのせる。予想していた以上のうまさ。市販のオレンジママレードを凌ぐ出来具合となった。10月に入り、そのキンカンジャムの3瓶目が無くなった。やっぱりジャムは手作りに限る。来年もまた作ろう。