投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-1-9 14:03:48 (525 ヒット)







前回のハゲ山に続いて、きょうも種から辿る山「茗荷谷山」。
ハゲ山に登ったとき、種を囲む山並みの向こうに真っ平な山頂を持つ山が目についた。それが「茗荷平山」だった。多くの人はハゲ山と茗荷谷山を一まとめにして登ってしまうのだろうが、我々は次回にととっておいた。

高気圧に覆われすっきりと晴れ渡った今朝は、放射冷却も手伝って冷え込みがきつかった。家を出たのが10時近かったが、種の集落へと入る道路はまだ凍ったままだった。
ハゲ山に来た時よりもはるかに雪が少ない。田圃の畔は雪もまばらで枯れ草も出ている。
先日と同じ場所に車を止め、雪のないあぜ道を辿って登山道へと向かう。

ハゲ山との分岐から茗荷谷山へと向かう道は緩いアップダウンが数か所出てきて飽きさせない。途中峠山という小ピークを通るが、ここもなかなか眺めがよい。雪がないので下りのぬかるみに足を滑らせないよう様にと気を使う。二山、三山超えて、目差す茗荷谷山に到着。ここからの眺めも素晴らしかった。ハゲ山から見るよりよいかもしれない。遠目で見た通り頂上は平な地形でベンチも数カ所設置してある。剱の眺めはもちろん反対側の富山平野の眺めも言うことなし。大岩側から沢山の登山者が上がってくる。そして、ハゲ山へと向かっていった。

我々はベンチに腰掛け大パノラマを目にして紅茶とおにぎりを頬張りながら至福の一時を過ごす。それはその場の空気と一体となった一瞬にして永遠の時間。「山高きが故に尊からず」

辛くて悲しい出来事は決して消し去ることはできないが、今ここにいるその瞬間だけは生きている証と希望を与えてくれる。おそらくかみさんも同じ思いで剱を見ていたに違いない。



投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-1-9 13:56:16 (484 ヒット)

昨年地元紙で紹介されていた「ハゲ山」。
いったいどんな山なのか、正月にしては穏やかな陽気に誘われて、かみさんと行ってみることにした。

初めての山はちょっと悩む。まず車をどこに止めてよいのやら、取り付きはどの辺にあるのやら。幸い道路の幅員を示す白線を越えて車の幅の分ほど舗装された場所があったのでそこに駐車することにした。そこからすぐ田圃に積もった雪の中にトレースが付いている。我々もそれを辿ることにした。

種の集落を囲むようにして山々が連なっている。どの山も標高は高くなく、小さなコブといってもいいくらいで、どのコブにも容易に取り付ける。目差す「ハゲ山」はそのコブの中でも稜線が比較的顕著だ。訪れる人も多いのか、しっかりとした登山道となっている。

取り付きからの標高差は200程、傾斜もなだらか、かみさんとしゃべくりながら歩いていると、あっという間に山頂に着いてしまった。そこで目を見張ったのは剱を中心とする大パノラマ。こんな近くに、これだけの眺望が楽しめる山があったことにかみさん共々驚いた。30年以上も山登りをやっていて、この場所を知らなかったこと。

伊折や馬場島と比べると、家からのアプローチは断然近い。かみさんはすっかりこの山並みが気にいったようだ。










投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-29 17:30:24 (538 ヒット)

















前回歩いた12月12日は冬晴れのとてもよい天気だったが、きょうはそれにもましての上天気。あれから暖かい日が幾日かあって、山の雰囲気もすっかり変わってしまった。

ゲート付近はまったく雪が消えてしまっていて、周辺の山々の斜面も雪が融け、茶色くなっている。10日も経たないうちに雪は20センチも消えてしまっていた。今年も去年に続いての暖冬かなと思わせる気配。なもんだから、スノーシューも着けずにアスファルトの道路を歩きだした。

ゲートを過ぎたばかりのときはよかったのだが、車の轍が凍っていて、滑らないようにと気を使う。道路にはまだ雪が10センチほど残っており、これならスノーシューの方が歩きやすいのに、と思ったが、すでに遅かった。道路脇の杉に積もっていた雪は跡かたもなく消えてしまっている。

とにかく滑って転ばないことにだけ注意して歩く。新雪に足がとられないだけ歩きは楽だ。すぐに細蔵山の対岸に着くが、取り付き付近の斜面には雪が全く付いていない。また、雪が幾分融けたせいか、川の水量も多く感じられ、渡渉して濡れるのも嫌だったので、細蔵行きは見送った。

中山に取り付いて、しばらくは地肌が見える夏道を行く。が、すぐに足首から脛ぐらいまで潜る雪となる。こうなればスノーシューの出番だ。ときより、膝まで潜るし、ショートカットしようにも、つぼ足ではうまくない。1000を超えるとさすがに積雪は多くなる。せめてワカンでもザックに結わえておけばよかったと思うことしきり。

山頂に着くと、光る早月尾根が目に飛び込んできた。周辺の山々も標高の高いところではそれなりに雪は積もっているようだ。大日岳もすっかり雪のベールに包まれている。

カメラの設定を変えて、何度もシャッターを切る。前回持ち込んだレンズとは違うレンズでどう映るのか楽しみだ。またズブズブの雪では三脚が安定せず、ザックを重しにしてもたわんでしまう。かといって、堅牢で重たい三脚を山に持ち込む体力もなく、当面は今ある三脚を工夫して使うしかないだろう。山の装備を減らすわけにもいかず、歳をとってからの山の写真は結構大変と感じた。

伊折へと戻る道すがら、ゲートから歩いてくる人に何人か出会った。みんな撮影が目的のようで、カメラを抱えている。越中のトレッキング街道もだんだんとメジャーになって来つつある。



投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-27 18:04:10 (440 ヒット)

馬場島方面に行くか称名川沿いを歩いてみるか、迷っていたが、晴れた日の大辻からの剱はどんな眺めだったろうか、それを確かめに大辻山に向かうことにした。

このところの気温が高めだったので、もしかしたら立山青少年自然の家から先も車が入れるかもしれないとたかをくくっていたが、立少に着いてみると思っていたより積雪があり、立少で車止めとなっていた。

立少からは昨日のものと思われるスノーシューのトレースが電車道のごとく付いていた。その上に今朝のものと思われる単独行者のつぼ足の跡。車で行っても結構長く感じる大辻林道だが、歩いてみるとただただ長く感じる。常時剱が拝める伊折からのトレッキング街道と違って、眺めもあまりよいとは言えない。また、小さなカーブが連続し道幅も狭いので解放感がないのも、つまらない要因の一つだ。なので、大辻に至るまでの長い長いアプローチとしか感じられない。車が通れれば、当然歩きで取り付きまで行く者はいないだろう。その点が伊折〜馬場島までのトレッキング街道との大きな違いだ。越中のトレッキング街道は歩きだけでも十分に楽しめる道だ。

うんざりするほど歩いて、ようやく大辻山の取り付き地点に到着。あまりの遠さに辟易するくらい。そこからトレースを辿って山に入る。ほぼ夏道沿いに付けられたトレースは、山頂直下になってから夏道からはずれ、右へとショートカットしている。

トレースのおかげでなんなく山頂に立つことができた。そこにはやはり単独行者が一人佇んでいた。そして、目の前に広がるのは剱から大日、そして弥陀ヶ原から薬師までの大パノラ。立少からの長い道のりの果てに得られた素晴らしい贈り物だ。すっかり記憶から抜け落ちていた眺望をしっかり瞼に焼き付けて、山頂を後にした。

登り:立山青少年自然の家から取付きまで 2時間 山頂まで1時間 山頂40分
下り:取付きまで1時間 立少まで2時間
















投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-15 17:21:31 (536 ヒット)

伊折のゲートが閉ざされると、いつものように馬場島までのトレッキングの季節がやってくる。
外気温はマイナス3度、今季最高の冷え込みだ。折戸トンネルからの凍った坂を慎重に下る。伊折集落の車止めはまだ設置してなく、旧剱センターのゲートまで車は入る。

積雪はくるぶしからすねくらい、ストックを突くと底突きする。雪もサラサラしていてつぼ足でも問題なく歩けるが、スノーシューを装備して馬場島に向かって歩きだす。まだ誰も通っていない雪面に自分の跡を刻むのはいつ来ても楽しい。カーブを曲がるたびに剱が顔を見せるこの街道歩きはとてもワクワクする。道路の両脇にそびえたつ杉に雪が積もり、その植林帯に射す陽の光に目が奪われる。

早月川に沿ってつけられたこの道は、剱だけではなく周辺の山々の表情も楽しめる。また、川原に積もった雪がごつごつした石を覆い隠して、柔らかな凹凸面を形つくっていて、川は穏やかな表情となり、川は冬の眠りについているかのような静けさだ。中山登山口の少し手前のいつもの場所で写真を撮っていると、県警の車両が通っていった。

中山登山口の階段付近はまだ雪が少なく、スノーシューでは歩きにくいが、そのまま行く。少し行くと積雪も程良いくらいになる。つぼ脚でも問題ないだろう。快晴の朝だったが、次第に薄雲が広がってきた。剱の撮影ポイントで何枚か写真をとって下山にかかる。3時には家に着いていなければならず、ここで引き返すことにした。今回は30年前のオールドレンズがどこまで使えるかを試す目的もあって、あちこちで止まって撮影してきたので、時間をくってしまった。でなければ、山頂に着いていた時間であろう。

剱センターのゲートから中山中腹まで往復 6時間
F70−200f4-.5.6のレンズは11まで絞れば三脚で固定して使う分には問題ないと感じた。これまで、解像度が望遠側で甘いと感じていたのは絞り不足が原因だったのかもしれない。50-135f2.8通しのレンズとどこが違うのか画像データを比較検証してみよう。
































投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-11 12:17:47 (454 ヒット)



考えてみれば秋になってからまだこの山へは行っていなかった。
今年もナメコの様子見を兼ねて行くことにした。

数年前まで林立していたナメコの木は見る影もない。この山も荒らされている。もっとも、入りやすい山だからしょうがない。かといって登山道から離れて藪こぎをしてまでナメコに固執するほどでもない。道すがらあれば採ってくるし、無ければ無いでそれでよし。

やっぱり駄目かとあきらめ半分で歩いていたが、下から上までびっしりと生えている一本の木を見つけた。寒気が入ったせいか、ちょうどよい状態でフリーズドライとなっている。凍ったジクはナイフで切り離すこともできない。手でもぎ取ろうにも凍って固まった株を木からはがすのは容易ではない。やはり冬のナメコ狩りにはピッケルが必携のようだ。それでも、端から順に剥がしていくと、なんとか採ることができた。凍っているのが幸いして、木の皮ごと剥がれることがない。これはこれで原木にはやさしい採り方だ。
大勢人が入っていても、取りこぼしがあるものだ。それを期待して、また来年も来てみよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-12-1 15:58:43 (487 ヒット)

写真とナメコ狩りを兼ねて出かけた。
冷え込んだ朝は、中山からの剱も気持ち厳格さが増したように見える。
期待していたナメコはほとんど採られてしまった後だった。この山はかなり荒らされている。幾人もの人が何度も何度も採りに来ていると思えるくらい、何にもない。その代わりといっては何だが、彼らのとりこぼした残りを拾ってきた。クリタケとヒラタケが一株ずつ。来年からますますナメコ採りが難しくなりそうだ。














投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-24 16:10:27 (475 ヒット)



山と関わって久しい。40代までは自分に試練を課した山が多かった。50代に入ると、体力の衰えやら、体調の変化やら、家庭内の事情やらで、難易度の高い山から遠ざかり、低山の山歩き中心へと志向が変わっていった。垂直から水平へ、そんな言葉がぴったりかもしれない。

そうなると、それまで見えていなかったものが見えてくるようになってきた。ゆっくり歩くことによって、季節による山の変化に敏感になってきた。足元のちょっとした花にも目が行き、新緑の眩しさに目を見張り、ダケカンバの雄々しさに感動を覚えるようになってきた。そうなると山の幸へと興味が湧いてくるのは自然の流れというもの。陽がきらめいてくる残雪期はもっとも好きな山歩きの時期だが、山菜というおまけが付いてからは、春山と山菜は切って切れない縁になってしまった。

そこに近年加わったのがナメコに始まるキノコ狩り。これでさらに山の楽しみが増えた。
話は十年くらい前に遡る。山に限らず県内の、シイ、ナラ類がカミキリムシによって総枯れになった。山という山はすべて赤茶けてしまった。まだ夏の終わり、早くも紅葉が始まったのかと思ったら、立ち枯れしたミズナラの葉っぱが遠目では紅葉しているように見えただけだった。ひどいところでは全山枯れてしまったケースもある。いわゆるナラ枯れで、見るも哀れな状態が3年くらい続いた。犯人はカシノナガキクイムシというカミキリムシの仲間。しかし、カミキリムシが木に入っただけでは山が総枯れには至らない。真の犯人は、そのカミキリムシに共生する菌だった。

このナラ枯れは県内では西の方から移ってきて、県全体に広がり、新潟県の糸魚川まで被害が及んだ。小生の商売先の群馬県まで広がれば大騒動になるところだった。なにせ、群馬はシイタケ栽培が盛んなところ、シイタケ菌を埋め込む原木となるのはナラ類だからだ。幸い、ナラ枯れは糸魚川周辺で止まり、長野を通って群馬に広がることはなかったようだ。

そのナラ枯れが一段落すると、枯れた木々の葉っぱが落ちてしまって、目立たなくなる。そして次第に木も朽ちてきて、そこにナメコが取り付きだしたのが数年前。それまでは、山のキノコは奥深くか沢登りの最中でなければ見られなかった。ブナなどの倒木などに生えていたナメコに出会ったときは狂喜乱舞したものだ。それが、登山道ばかりでなく、山へと向かう車道の脇の立ち木にまでびっしりと生えてきた。まさにナメコの木の林が出来上がった。4、5年前までは11月ともなれば、山の帰りにスーパー袋いっぱいは軽く採れた。なにせ、一本の朽木に下から上までナメコだらけ、鈴なりなのだ。他に生えている木を見つけても放置してきた。それくらい、山中ナメコだらけだった。

そんな状況に変化が生じたのは3年くらい前から。「ナメコの木」を見つけるのが容易ではなくなってきた。道端にある木は跡かたもなく採られてしまって、ちょっと山に入り込んだ場所でもなかなか見つからない。すでに採られた後だった、という場面に出くわすようになった。ナメコ情報が山屋ではない一般の人にまで広がるのに時間はかからなかったようだ。その特徴からナメコは他の毒キノコと異なり見間違えようがなく、採取も容易なこともある。木の高い場所にあり手の届かないところは、庭用の高枝切り鋏の先に小型の鋸を付けて切り落として、地面には網を敷いて採っている者も見受けられた。そういう輩はスーパーのカゴまで用意して、根こそぎ採っていってしまう。春の山菜シーズンになると、山道のカーブごとに車が止まっているのをよく見かけるが、秋にもその光景が見られ、山に入っている者の8割はナメコ目当てだろう。

そんな風だから、たちまちナメコはなくなっていった。今年も、ナメコハンターに荒らされた跡をよくみかける。そんな中で、ナメコを探すのは容易ではない。もっとも、ナラ枯れになった木の寿命は数年といわれ、その後は養分もなくなりナメコも生えて来なくなる。それでも一度味を覚えたナメコハンター達はしばらく山に来るだろう。そういう人たちが去った後、山は静けさを取り戻し、再び我ら山屋のものになる。その時を待つとしよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-17 6:43:19 (463 ヒット)

予報では午前中は晴れ間がのぞき夕方から再び天気が崩れるという。その晴れ間を利用して山に向かった。

さすがにこの時期、平日ともなれば馬場島の駐車場は閑散としている。埼玉ナンバーの車が一台、はたしてどこに向かったのであろうか。登山口からすでに雪は付いている。前回来た時から一週間もたたないうちに山は冬への装いを増した。積もった雪の上には落ちたばかりのモミジの葉っぱがモザイクのように散らばっている。その上を行く足跡が一つ。駐車場に止めてあった車の持ち主であろうと見当をつける。これといった理由はないのだが、健脚者を思わせる足取り。そのトレースに導かれて高度を稼ぐ。

道すがら目に入ってくるナメコはまだ幼菌だ。ナメコハンター達が総なめにしていった後に生えてきたものと思われる。それらが食べごろになるには一週間はかかるだろう。その間、土日が挟めば、再びやつらがやってきて、採りつくしてしまうに違いない。さすがに、こんなかわいいやつを採ってしまうわけにはいかないだろう。

1600直下で、先行者と出会った。聞くと、1900まで行ったが雪がひざ下まであり、それ以上は無理と判断して下ってきたところだと言う。朝4時に出て、剱日帰りを目論んだのだと。この時期に独りで挑戦するという発想は自分にはない。しかも、日帰りでというから驚いた。雪が付いたばかりの岩とのミックス帯は滑りやすく、また雪も抜けやすく、やっかいなことこの上ない。そんな条件下で独り臨むというのだから、なおさらの驚きだ。

その青年としばし雑談をして、自分もそこから引き返すことにした。帰りに見つけたナメコはぬめりが陽にあたって輝いていた。採ろうとして木に這い上がったが、柔らかかそうにみえたそれは、凍っていてなかなかもぎとれなかった。薄手の手袋をしてなんとか木からはがし取ったが、木の皮まで取れてしまい、残念な結果となった。この時期、ナメコは標高が高い場所では凍っており、標高が低い山では見つけても腐っている場合が多い。良い条件のナメコに会える機会はだんだん少なくなって来る。

これからいよいよヒラタケの季節に入る。どこかの山で出会えるかとても楽しみだ。

1600直下往復 行動時間 6時間
























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-13 17:40:51 (458 ヒット)

ようやく山に雪が降った。
その様子を確かめるために先週に続いてここに来た。

カメラと新調した、といっても中古、のレンズ、一脚をザックに入れて馬場島を出発。比較的明るいレンズの表現力はいかほどのものか、それも確かめたかった。

1200の標識を過ぎるころから道に雪が混じりはじめ、1600からは完全に雪の上をいく。犬を同行したと思われる先行者のトレースに助けられ、徐々に雪かさが増してくる道を順調に進む。体調は悪くない、息の乱れも、脈のばらつきもなく、体も軽い。
目標を1700の間違い尾根、1900、2100のテン場と上げていく。この上天気、ここまで来たら小屋まで行くしかないだろう。

雪は足首までくらい。先行者は1900からアイゼンを履いている。さらさらのまだ固まっていない雪は地面の状態を直接ひろいやすく、場所によっては滑りやすい。それをアイゼンでカバーしているのかもしれない。自分はといえば、夏の縦走靴にスパッツ。出発時、軽登山靴を選択しなくて正解だった。馬場島の状況からはこれだけの雪は想像できなかった。11月ともなれば、2000を超える山にはそれなりの装備が必要だということをすっかり忘れていた。

2000の標識を過ぎてからが長い。出だしの100も最後の100も同じ100メートルに違いないのに、この最後に来てのあと100の苦しさはいったいどういう訳なんだろう。ゆっくりペースで先を急いでいるわけでもないのに、とても辛く長く感じるから不思議だ。

そして、ついに小屋手前のピークに立った。
いつものごとく本当に辛い登りだったが、来てみて本当によかったと思った。

いつ来てもここからの眺めはすばらしい。小屋前には吹きだまりが出来ていて、そこを整地したテント跡があった。小屋の前では今日登頂を終えたと思われる学生風の10人くらいのグループが雪と戯れていた。

はたして、自分がこの地に来て、テントを張るのはいつになるのだろうか。
伊折から歩いて、一日目松尾平、二日目1900、三日目小屋付近、四日目アタック下山開始、五日目伊折。はたしてそれだけの荷物を背負えるだろうか、なにより心臓の暴走が起きたらそこでお終いだ。そんなことを考えながら下っていった。

登り4時間 下り3時間40分



























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-12 6:13:44 (427 ヒット)

夜明け前、剱岳の黒いシルエットに向かって車を走らせる。
澄みきった空にわずかに浮かぶ雲が山の向こう側からの光に照らされて赤く染まっていた。車を止め、三脚を立て、カメラをセッティングして、いざ撮ろうとしたら、その雲は引いていくところだった。とてもいい条件だっただけに、撮り損ねたショックは大きかった。瞬時にして変化していく自然はそれだからこそ尊いとも言えるのだが、いつでもすぐに対応しておく準備というか心構えが足りなかった。

さて、この時期に早月尾根を行くのは久しく記憶にない。再び早月尾根から剱に登ってみたい、という願望に取りつかれてから幾年経っただろうか。毎年残雪期には早月小屋まで行くのが恒例となっているが、そこから先は行かずじまい。そんなこんなでここ数年過ぎてしまった。

キノコ狩りがてら、ゆっくりと松尾平付近までの散策を決め込んだ。ただひたすら周囲を眺めることもなくもくもくと登下降に使ってきた早月尾根。そこを散策に行くということは10年前までは考えもしなかった。この間、体調の変化や老いやもろもろの変化が重なって、剱は登る山から眺める山になってしまっていた。

ひとたび山に入ってみると、驚きの連続だった。期待薄の紅葉は予想していたよりも数段よかったし、落ち葉の絨毯を敷きつめた道はとても気持ちがよかった。かつて通っていた道はこんなにも豊かな森だったのだ。たとえ頂を極めなくとも、この道を行くだけでも十分だ。運がよければ山の幸にもありつける。来年はかみさんと歩いてみたい、そんなことを考えながら馬場島を後にした。

























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-28 18:29:55 (511 ヒット)

先日の僧ヶ岳では体調不良のため世も末のごとくに落ち込んだが、山は登ってなんぼ、ということに変わりがあるずもなく、ただただそのときの自分を受け入れるしかない。なにせ、山は登ってみないとわからない、のだから。

剱から陽が上がりきる前にと、早めに家を出たのに、道中のいつもの撮影ポイントでもたもたしていたら、中山山頂に着いたときには陽がちょうど剱の右肩から出た後だった。眩しい逆光を真正面から受けるかたちになってしまった。せめて5分早ければ良い撮影条件だったのに、と思っても後の祭り。山頂をさんざんに切り上げ、クズバへと向かうことにした。クズバの山頂に着くころには陽も斜めからさすようになり、いくらか絵になるだろうとの心積もりだった。

中山のコルからクズバへと向かう登山道はかなり整備されていた。鋸やチェーンソーが入ったとみえ、道を塞ぐようにして生えていた灌木はきれいに刈り払われていた。おかげで、道幅も広くなりとても歩きやすくなった。大変な重労働だとは思うが、この整備に携われた方々に感謝の意を表したい。

1650までは急登だが、先日の僧ヶ岳のような体のだるさ、重さは感じなかった。どちらかというと体調はよい方。ここから山頂までがこの山のハイライト、剱を左手に見ながらの緩やかな登りが続く。この山でも紅葉は今一つだった。ただ、唯一の救いはダケカンバの存在。白い幹が紅葉に映えて絶妙なアクセントとなっている。少し距離がある木では葉っぱの枯れ模様までは目に入ってこないので、それなりの色付きと目に映る。

脈の乱れもなく体力的にも余裕で山頂に到着。ところが、ザックを下ろそうとかがんだ瞬間、突然頻脈に襲われた。このタイミングでなぜ?と思ったが、幸いもう登りはなく、気持ち的にはあせりはなかった。この発作が出ると立っていられない。体が揺れているように感じる、地面が動いていると言ってもいい。たまらずワソランを飲んで体を休め様子をみる。きょうは登行中全くその気配が感じられなかっただけに、この発作性頻脈には意表を突かれた感がある。しかし、今回の発作は10分程で、割合早く収まった。いつもなら感じる発作後の脈の乱れもない。剱をはじめ周辺の山々の写真を撮って晩秋の山頂を後にした。

登り 中山登山口から 3時間40分
下り 東小糸谷登山口へ 3時間





























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-20 13:09:52 (532 ヒット)























もしかしたら標高が低いこの山の紅葉は今が見ごろかなと思って出かけた。
出だしからの急登、伊折山までは息も絶え絶え、汗びっしょり、心拍数はマックス状態。幸いといえば、脈に乱れがないこと。山頂までノンストップの腹積もりであったがそうはいかなかった。ちょっと休んで水分補給。成谷山までも太ももから下が重たく、苦渋に顔をゆがめながらの登行となった。

ここも山全体が枯れている。紅葉がなんとか見られるのは伊折山周辺くらい。枯れている木々に混じってカエデの鮮やかな黄色が印象的だった。半分期待していたハセンバの木はなんとか見出すことができたが、実は全く付いていなかった。
1700まで来ると木立ちもまばらになり駒から毛勝へ続く稜線と東又谷の源頭部が見渡せる。去年もここに来て感動したことを思い出した。その山々に囲まれた谷あいはうっすらと霞んでいて桃源郷のように映る。山頂より少し手前のこの地点こそが、この尾根の魅力だろう。

山頂には宇奈月方面から上がってきた登山者が集っていた。林道は1200まで車が入ったようだ。一人の男性はそこから1時間半で来たという。余裕の足取りで駒へと向かっていった。私と言えば、ここまで3時間50分もかかってしまっており、駒まで行く気はもうとうない。

家に戻ってから過去の記録を調べていたら、昨年も同じ日に登っていた。別に意識してこの日を選んだ訳ではないのに、全くの偶然に驚いたのであった。ただ、昨年は2時間50分で山頂に達している。今年は、それより1時間も余計にかかった。9月末に群馬から帰ってきて、いくつか山を登っていて、体の準備は整っていたつもりだっただけに、今日の苦行にも似た登行は想定外。夏に大日へ行った折はここ数年で最高の体調だった。それゆえ、今日の結果に愕然しショックも大きかった。ただ単に一時的な体調不良であって欲しいという願望と、これから先の山で似たようなことが起こったらやりきれないな、という思いが交錯する。心不全はひたひたと進行しているのだろうか。

登り3時間50分 下り3時間30分
2015年10月15日 登り2時間50分 下り3時間30分
2010年 6月17日 登り2時間40分 下り2時間5分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-20 12:42:46 (465 ヒット)











利賀出身の友達から「ハセンバ」のことを聞いたのは4年前の秋。ハセンバとは何ぞや?ウエブで探してみても当時はヒットしなかった。そこで県立図書館で利賀・五箇山の方言集をひも解いてみたら、「ツノハシバミ」の方言であることがわかった。そこからは早かった、ツノハシバミはヘーゼルナッツの仲間だった。日本にヘーゼルナッツがあることそれ自体、大きな感動と驚きだった。以来、秋に山に入るときには気を付けて見ていたのだが、なかなか出会うことができなかった。今年も2回山に入り見つけられなかった、これはやはり、山友達と一緒に行って教えてもらうしかないと思い始めた矢先のことだった。

ナメコの発育状況の観察を兼ねて、ハセンバ探しに出かけた。材木坂はツキヨタケが全盛期で、それとは知らなければとても旨そうで採ってしまいそうになる。これがあるうちはまだナメコの生える環境は整っていない。常願寺川を挟んだ対岸の大辻山とはずいぶん差がある。大きな違いは気温と湿度だろう。大辻山が日本海側からの冷たい湿度を含んだ風を遮っているようだ。
美女平を3時間かけてハセンバを求めて這いずり回った。ここもツキヨタケの天国。なかなかそれらしき木にはお目にかかれない。こんな木であろうと想像しながら行くのだが、やっぱり見つけることはできなかった。

だが、帰り際にふと思いついて立ち寄った場所を覗いてみたら、はたして、そこに写真で見たことのある実が成っている低木があった。コシアブラやタラノキのような一本立ちの木を想像していたが、それは雪の重みでややひしゃげたような株立ちの低木だった。葉っぱはどこの山でもみかける、ごく普通の葉っぱ。実が付いていなければ、ハセンバの木とはまずわからない。これまで本当によく見かけてきた木だった。これまではやみくもに探していたが、これからはその木だけに着目すればよいので、探すのも楽だ。胸のつかえが取れ、秋の山旅の楽しみがまた一つ増えた一日だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-12 14:45:30 (517 ヒット)







先日の大日平行きは今年の紅葉を確かめるためもあったが、ここ数年来気になっていた木の実「ハセンバ」を探しに行くためでもあった。僧ヶ岳でも見られたと言うから、大日平でも見つかるはずと思って、ハセンバ探しを兼ねての紅葉狩りだった。登山口から平の小屋まで注意深く探しまわったつもりだったが、ハセンバを見つけることは出来なかった。
そこで、山を変えて、今回はナメコ狩りを兼ねてのハセンバ探しに出かけることにした。標高が低いこの山はさすがに紅葉はまだ始まっていなかった。ハセンバらしき木はあるのだが、実が付いていないためそれとはなかなかわからない。結局、長尾山から山頂までの行き帰りでも見つけることは出来なかった。
ナメコはそれなりに出ているようだ。往路でみかけたやつを帰路に収穫していこうと思っていたら、キノコハンターが登ってきていて、目の付けていた物は採られてしまっていた。ナメコ採りは油断ができない。

帰りがけに富山県森林研究所に寄ってみたら、いつもこの時期に咲いているジュウガツサクラが今年も花を付けていた。花は小ぶりで、そんなに多くは咲いていないが、それだけに可憐さがよけいに際立つ。職員の方にハセンバのことを聞いてみたら、この敷地にもあるという。言われた路順に従ってぐるっと園内を廻ってみたが、見つけることはあたわなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-6 5:45:00 (456 ヒット)

一昨日、弥陀ヶ原から見た大日平の紅葉を確かめに行ってきた。
結果、予想以上の紅葉に驚き、顔面が緩みっぱなしだった。特に谷筋の斜面の紅葉がすばらしい。弥陀ヶ原の総枯れからは想像できないくらいの紅葉。錦絵が広がる錦繍とはまさにこのことだろう。
この地に向かったもう一つの理由は、近年気になっていた「ハセンバ」を探しにいくためだった。登山口から、平の小屋まで、目を皿のようにして探し回ったが、それらしきものは見当たらなかった。一度も出会ったことのない幻の「ハセンバ」、なんとしても探し当てたい。




























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-6 5:40:03 (1440 ヒット)

かみさんと室堂から弥陀ヶ原まで歩いてきた。台風と秋雨前線の接近で、おそらく弥陀ヶ原付近の紅葉が見られるのはこれが最後と思われるほどの上天気。室堂から天狗平までの道は周辺の山々や弥陀ヶ原の様子がよ〜く見渡せる。とりわけ奥大日から大日への稜線が雄大に映る。そして剱岳が顔を出し始めると、ついついそちらの方へと目がいってしまう。ピラミダスな剱の雄姿と手前の奥大日から大日のたおやかな稜線との対比がすばらしい。青空と秋の雲、そして剱や周辺の山々を見ながら歩くこの道は百万ドルの価値がある。
しかし、大いに期待して向かった弥陀ヶ原の紅葉は全くの外れだった。カエデなどの広葉樹はすべて総枯れており、かろうじてナナカマドの赤が残っているくらい。毎年来ている人の話を聞くと。ここ数年で最低の出来、だという。弥陀ヶ原の紅葉を楽しみに来ただけに残念至極。
ふと称名川を挟んでやや標高の低い大日平に目をやると、弥陀ヶ原よりは色付きが良いようだ。もしかしたら、標高の低いところでの紅葉は期待できるかもしれない。
久しぶりにかみさんと山を語りながらゆっくりと過ごせたトレッキングだった



























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-16 13:38:04 (495 ヒット)

























家を出て、車で馬場島方面へと向かい始めたとき、山々は厚い雲で覆われていたが、伊折を過ぎたあたりから雲が上がってきて、小又川の林道に車を止めたときには、すっかり晴れ上がった上天気となっていた。

帰り、林道まであと100メートルくらいというところで木の根っこに乗って滑べり、両足揃えたまま仰向けにすっ転んでしまった。幸いザックが緩衝材になってくれたおかげで後頭部をぶたなくてよかったが、衝撃で頭が後ろにもっていかれ、鞭打ちのようなかっこうになってしまった。両足揃えたまま滑るというのもどうかと思うのだが、仰向けにバタンと勢いよく滑るというのも我ながらあきれてしまった。ふつう尻から落ちるか手をつくかするだろう。中高年の山の事故というものは案外こうして起きるものなのかもしれない。若いころには考えられないところで、滑ったり、転んだり、転び方が変だったり。反射神経も確実に鈍っている。一般道であってもヘルメット着用ということを本気で考えてしまう。

この時期の登山は朝露で濡れた夏草や笹が一番やっかいだ。空はよく晴れていても、その露のおかげで着ているものはたちまち濡れてしまう。登山靴の中も同様。あらかじめ濡れることを想定している沢登りと違って、濡れて泥んこになりながらの山歩きはあまり楽しいものではない。特に大熊山の登山道は主稜線に出てからの道幅が狭く、背丈ほどの水気を含んだ笹が覆いかぶさってきて悲惨きわまりない。全身びしょ濡れになってしばらく歩いていたが、いくら行けども状況は変わらない。たまらず、ズボンとシャツを脱いで、カッパに着替えることにした。だが、そのカッパもこすれるようにして襲ってくる笹にたちまち防水性を失って、まるで雨の中を歩いているかのようだ。

その苦行は山頂直前のちょっとだけ開けた湿地帯まで続く。そこに出た瞬間、それまで藪で覆われていた視界が開け、周辺の山々が目に飛び込んでくる。ここで笑わない者はいないだろう。山頂では濡れた衣類を乾かしながら、晩夏とも初秋ともつかない山の世界に浸り込んだ。

いつだったか赤谷山に向かったときも朝露でびしょびしょになったことを思い出した。この時期濡れることを前提にした足回りや行動着がよいかもしれない。ヘルメットも用意しよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-7-13 7:39:39 (537 ヒット)

旅先から二週間ぶりに帰ってきてみると富山はとてもよい天気。
白山に行ってあの花の山に身を置いてみたかったけれど、かみさんの触手が今一つなので、独り大日へ向かうことにした。
7月に入ると桂台のゲートが開くのが6時なので、まだ涼しいうちに出発できるのがよい。平日なのに10人くらい称名の駐車場で準備をしていた。いよいよ夏山シーズン到来か。

不整脈の出方が心配だったが、今回はまったく問題がなかった。登り始めから山頂までほぼ一定のリズム。水を飲むためにちょっと立ち止まったことはあったが、ほぼノンストップで中大日の頂上まで。空気が乾いているせいもあるのか、息苦しさはさほど感じない。こんなに体調がいいのは幾年ぶりだろうか。昨夜飲んだ抗不整脈剤が効いたのか、はたまた出発する前に飲んだアミノバイタル3000がよかったのか。クライマーズハイに身を置きながらの登行はなんとも気持ちがいい。大日平の草原には爽やかな乾いた風が吹きわたる。水場を過ぎると急登になるのだが、それも一向に苦にならないほど気持ちのよい登行だった。山頂に着いても荒れた息はすぐに引いていく。

コルからの眺めは超弩級だ。真夏の剱が青空に尖がっている。中大日まで行くとまた景色が変わる。七福園を手前にして奥大日へと向かう稜線。そして、そのさらに向こうには室堂と立山連山のパノラマが広がる。

体調は上々だし、まだ時間も早いので奥大日までとも考えたが、過去に何度も味わった苦い経験から、それは止めにした。その代わり、カメラを出して写真を撮りまくった。白山のお花畑には遠く及ばないが、それだからこそひっそりと咲く花々がよけいにいとおしい。なんだかんだで山頂付近に一時間も長居していた。こんなことは初めて。いつもなら頂上を踏んですぐに下山にかかるからだ。

下山途中もカメラを出して何度も足をとめた。体調がいい山とはこんなにもいい山だったのだ。忘れかけていた山の楽しみが顔を出した山行だった。

車止め起点 登り3時間40分 山頂1時間 下り3時間20分












































投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-6-25 10:50:31 (500 ヒット)

九州での豪雨が伝えられる中、北陸方面に梅雨の晴れ間が半日だけやってくるという。旅立ち直前ではあるが、気になっていたトキソウを見に行くことにした。

最近の不整脈は以前とは傾向が違ってきた。当初、わけがわからぬまま苦しんでいた頃は、前ぶれなく襲ってくる発作が常だった。山を下りてしまえば平常に戻り、あとは何事もなかったかのようにしていられた。そのうち、山から帰ってきてからも脈の乱れが続くようになり、最近の山行では出端から脈が乱れるケースが多くなってきた。今日も、そのパターン。称名の車止めから歩き始めてすぐ、足が重く、息が切れる。脈はバラバラだ。八郎坂に入ってからも軽快な登行とは程遠い苦行が続く。こんなんで山を続けているのだろうか、頭に浮かんでくるのはそんなことばかり。いつかはそのときが来るのだろうが、まだ早い、もう少し山にしがみついていたい。

はて、八郎坂はこんなに長かっただろうか、いい加減嫌気がさしてきたころ、ようやくアルペンルート沿いの路に出た。木道歩きになっても息は荒く、脈はバラバラ。頻脈発作が起きないだけまだましなのだが、だらだらと蛇の生殺し状態のままで歩くというのもあんまし心地の良いものではない。

弘法近くの草原に出た。チングルマはすでに終わっており、ワタスゲがちらほら風になびいている。ニッコウキスゲがちょうどよい時期を迎え、足元にはトキソウが乱舞していた。あぁ、来た甲斐があった。胸がざわつく中でも、心が躍る。はたして来年見に来られるだろうか、そんな未練を残して岐路に着いた。

駐車場起点 登り2時間30分、下り3時間






























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-6-22 13:52:24 (519 ヒット)

ブナクラ谷はいつもアプローチとして通り過ぎるだけで、ゆっくりと歩いてみたことがなかった。いつかはと思っていたが、山に登ることが目的となれば、やはり通過点としてのブナクラ谷に時間をかけるわけにもいかなかった。最近になって終活山行に入ってから、踏ん切りがついて、ようやくブナクラ谷それ自体を目的として山に入る決断がついた。

馬場島からブナクラ谷へと向かう林道は、ブナクラ谷取水口付近で工事が行われているため、馬場島からすぐの地点でゲートが設けられている。発破もあるので一般車両が入るのは危険なのだろう。早く工事が終わって、また以前のように車で取水口まで入れるようになってほしい。

ブナクラのコルまでは何度も通ったのだが、どんな道だったのかさっぱり記憶がない。どんな花が咲いていたのか、どんなルートだったのか、まったく記憶がない。また、コルからは剱が見えたのかどうだったかも覚えがない。今回の山行はそれを確かめる目的もあった。

印象に残ったのは戸倉谷を過ぎてすぐ、左手の平らな場所。残雪があればただの雪面だし、もう少し藪が濃くなれば、登山道からは見えない。すでに夏草で覆われた登山道からそこへと足を踏み入れてみると、猫の額ほどの広さしかないのだが、そこだけ開けていて、解放感があった。まだニリンソウも残っていたし、シラネアオイも群生していた。まさか、この地でシラネオアイに出会うとは思っていなかったので、感慨もひとしおだった。今日ここに足を運ばなければわからなかったであろうし、登山道からそれて入り込まなければその楽園の存在にも気付かなかっただろう。そう考えると、今日その場所に導かれたことの不思議な因縁を思わざるを得なかった。

コル直下から赤谷尾根の向こうにそびえる剱を認めて、達成感に浸る。やはり今日ここに来てよかったと感じた瞬間だった。

馬場島起点
登り4時間 下り3時間30分



























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-6-7 11:45:27 (518 ヒット)

















きょうも剱を眺めに山へと出かけた。
ゴミ出しと花木に水やりをしていたら家を出るのがすっかり遅くなってしまった。朝3時過ぎに目が覚めたとき、そこで起きてしまえばよかったのだが、家人や近所への迷惑を考えて夜が明けるまで寝床にいたのがよくなかった。これでは行く山も限られる。そこでアプローチが楽で、標高もそんなに高くない大倉山へ行くことにした。しばらくこの山に登っていなかったし、そこから見える剱はどんなのだろうか、またどんな花が咲いているのか、それも気にはなっていたこともある。

馬場島に向かう道からそれて左の林道を行く。この時期になれば道路状況も安定し、すんなり登山口まで車が入る。天候は申し分ない、どんな剱が待っているのか楽しみ。
登り始めてすぐ、今日も体が重い。乱れがちな脈に気分も重い。勾配はそれほどきつくはなく、比較的歩きやすい道だ。山は緑一色、見上げる空の色は透明感のある青、もう完全に夏山気分。その夏景色の中で木漏れ日を浴びたアカヤシオが一人異彩を放っている。イワウチワはとうに終わっており、葉っぱがその存在を知らせるだけ。1000メートル近くになって見慣れた葉っぱの群落に出くわした。大熊山で見たバイカオウレンに違いない。花が終わってしまっているが、葉っぱの形、名残の種から判断して、それに間違いなさそうだ。登山道の両脇にびっしりと生えている。それもかなりの距離にわたって。花が咲いている時期にこの地を訪ねたならさぞすごいことになっているだろう。来春もう一度ここに来てバイカオウレンの小路を歩いてみよう。

そんなことを考えながら歩いていると、たちまち頂上へと続く稜線に出た。木々の間からは大日から剱への稜線が臨まれる。雪で木々が抑えられた残雪期ならば文句なしの眺めだろう。頂上に着いてもあまり見晴らしが良いとは言えない。剱は恰好よく見えるのだが、手前の木々と藪が邪魔をして山全体は捉えられない。毛勝の山々も臨めるかと期待していたが、これも藪に阻まれて見えなかった。

これからますます藪が濃くなることを考えると、この山はここ1週間が春から夏にかけて楽しめる期限の限界だろう。あとは晩秋に来てもよいかもしれない。

登山口起点 登り2時間、下り3時間(撮影のための時間多し)


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-24 13:27:42 (1752 ヒット)























大日小屋のコルに出るまでがかなりきつかった。何度も足が止まったが、いつもの尖がった剱が眼前に飛び込んでくると、諦めなくて本当によかったと思った。今年は雪が少ないとはいえ、稜線はまだまだたっぷりと残っている。その稜線に立った喜びをかみしめながらの山頂までの登行は至福の一時だった。

朝7時に桂台のゲートが開くため、家を出るまでそんなにあわてなくてもよい。おにぎりを握る時間くらいはある。ただ、今年の雪の状態からして、早くしないと雪がなくなってしまう、というあせりに似た気持ちがあった。残雪の大日はこれまで色々な思い出を私に残してくれた。今年もその雪の山を目指してもよいだろう。だが、近年の体力の衰え、体調の変化から、完登に関してはてんで自信がない。

歩き始めてすぐ、なんだか体が重い。脈をとってみると、案の定、てんでんばらばら。先が思いやられる。無理をしないで、大日平まで行って、小鳥の囀りのなかに身を置いてくるだけでもよかろう、と思いながら歩く。牛首を過ぎてすぐ、いつも使っている左の谷の残雪はあきれるほど少ない。かなり下まで藪をこいで降りなければならない。その先も雪が切れているやもしれぬ。そのまま夏道を行くことにした。

大日平に出ても雪はない。例年なら木道が出ているか出てないかくらいの積雪なのだが。それに、平に出たとたんに耳に飛び込んでくるやかましいくらいの小鳥のさえずりもまばらだ。残雪の時期だけでなく、小鳥の時期さえも今年は終わってしまっているのか。

雪のない平を木道に沿って歩く。そうでなければ、この時期、真っ白な雪原歩きが楽しみの一つなのに、それさえもない。数年前ラムサール条約に加盟した平の湿地も乾ききっている。本当に異常な今年の春だ。

木道歩きは平の小屋を過ぎてなお続く。1700を過ぎてやっと雪をからませながらの歩きとなり、完全に雪の上に乗ったのは1800あたりから。ここにきてようやく本来の雪山が始まる。だが、見上げると、稜線までは雪が続いていない感じ。雪がたっぷりと残る大斜面を行くこともこの時期の魅力の一つなのだが、それも今回はなし。斜面の中央を行くルートは遠目に見てもブッシュ帯がわかるので、比較的雪がつながっていると見える夏道のある尾根の右の斜面に沿って行くことにした。右に左に雪をつなげていくため、時間的には大幅なロス。

夏道最後の大きく小屋に向かってトラバースしてくところも完全に雪が消えている。小屋のあるコルまではもう一息。そして、コルに出るとそれまでの景色が一変する。それがあるとわかってはいるが、何度来てもその瞬間は大きな感動に包まれる。大日に来る最大の目的はこの瞬間にあると言って過言ではないだろう。そのあとに続く山頂への道のりはその余韻に浸りながら歩くにはちょうどよい行程だ。

登山口起点
登り4時間30分 下り3時間30分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-15 16:25:09 (485 ヒット)

中天になる前には山頂に着いておきたかったのだが、着いたときは太陽が剱のほぼ真上にさしかっていた。雲ひとつない青空をバックに雪と岩の殿堂が正面にある。ただそれだけで十分なはずなのに、被写体となるとなにかものたりない。朝陽を浴びて、とまではいかなくても、右から射した光がうまく演出してくれる絵を期待していたのだが、1時間は山頂に着くのが遅かったようだ。

4月30日に来たときより、取り付き手前の橋の渡渉点は、水量も勢いも増していた。流されるほどではないので、ざぶざぶと一気に渡る。前回きたときに急登のことは頭に入っていたので、きょうは山全体を眺める余裕もあった。ピッケル、アイゼンを総動員して新雪に苦しめられた個所もきょうは乾いていてなんてことはない。大猫平までは完全な夏道。

雪はまだ緩んでいないので、アイゼン、ピッケルでその先を行くことにした。昨年暮れに買った長めのピッケルがここにきて役立った。実は、雪のない藪尾根でザックに結わえておいたピッケルが邪魔をして、もっと短いのにすればよかったかなと、後悔していたやさきだった。ポールでは心もとない堅雪での登りを考え杖代わりにと持って歩いていたのだが、これまで使う機会がなかった。

大猫平から山頂まではほどよい傾斜だ。あせらずゆっくりと雪歩きを楽しみながらいく。東芦見尾根と合流してすぐ、なだらかな山頂に到着。剱はもちろん、周辺の山々もくっきり見える。五竜や鹿島槍は意外と大きく、遠くは白山も薄らと目に入る。この上ない快晴の天上の楽園だった。


































投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-15 16:21:37 (814 ヒット)

GW明けの月曜、馬場島は閑散としていた。
ニリンソウとサンカヨウが咲き乱れる東小糸谷沿いに道は付いている。例年ならば、まだ残雪がたっぷりあるはずの斜面は全く雪がない。中山のコルから延びる夏道にも雪がなく、木々の緑も濃くなり、まるで初夏を思わせる山の風情。1600を過ぎると残雪がちらほら出始め夏道と交互しながらの登行となる。雪の部分は適度な硬さで歩きやすく、先週行って苦労しまくった新雪の乗った大猫への登りと比べると雲泥の差だ。

一気登りで山頂に立つ。ここから臨む剱は大迫力だが、きょうは哀しいまでに雪がついていない。まだ五月の初旬だというのに、あまりにもさっぱりとした剱に拍子抜けした気分。カメラを構えて何枚も写真をとるが、いまいち感動が湧かない。

下りでは周辺の山々や花の撮影のためにたびたび立ち止ったが、息を殺しての撮影を繰り返していたら、いつのまにか不整脈となっていた。下っていても体が重い。登りではなんの異常もなかったのに、いつものこととはいえ、この体調の急変には参ってしまう。いちいちザックからカメラを出したり、入れたりして、リズムを乱したこともよくなかったのかもしれない。まぁ、登りで出なかったのが幸い、ということにしておこう。

馬場島起点
登り2時間40分 下り3時間(撮影と山菜採りにかなり時間を費やす)























投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-2 18:07:22 (612 ヒット)





















大猫平は真っ白な雪原だった。剱を正面に臨むこの地は想像以上の剱岳展望の地だ。中山、クズバ、大熊山方面からの三角に尖った剱ばかりがイメージにあったので、久しぶりに東から眺めるどっしりとした重量感のある剱は新鮮に映った。大猫山頂まではまっさらな斜面、そのさら地に自分のトレースを刻んでの最後の仕上げが待っていた。高差200、往復にして1時間弱とみた。さて行くかと、一歩踏み出したその足がズルっと滑った。凍った残雪の上の新雪パウダー。今日の雪の状態からすれば、下山時、アイゼンを履いていても足の置き方次第では滑落の危険は十分考えられた。剱岳に懸る笠雲も不吉な知らせだし、大猫山頂に着くまでには剱は雲に隠れてしまっているかもしれないし、ここに来るまでも想定外の格闘を強いられたし、ここからの下りも神経を使うだろうし、午後からネコを病院に連れていかなければならないし、そんなもろもろの条件を考慮して、大猫平から下ることにした。登山口に降り立つころには剱方面は完全にガスに包まれてしまっていた。ぽつりと雨も落ち出した。まぁ、結果オーライということにしてこう。

白萩川に向かう馬場島のゲートは開いていたが、車が入るのはほんのわずかの距離。ゲートには施錠してあって手動で開けることはできない。そこから今日の出発。
最後の川を渡るとすぐ取り付きなのだが、以前その取り付きが分からず、探しているうちにかなり上流まで行った苦い経験がある。だが、橋げたが撤去してあり、そのすぐ下を二三歩渡渉して対岸へ。重装備の三人組のパーティーが渡渉点を探して右往左往していた。
いきなりの急登に正直驚いた。夏に一度かみさんと来たときも急な登りだったと記憶していたが、それはかなり上部へいってからだと思っていた。それが、取り付き直後からの急登だったので面を食らったのだ。その急登は大猫平までずーっと続いていたのだった。
1300あたりから新雪を拾う。一昨日は一日中雨模様だったが、気温もかなり低く、山では降雪となったようだ。今年の雪解けの速さ具合からして、先週だったら歩きやすい夏道だったと思われる。だが、今日は落ち葉や木の根っこの上に覆いかぶさった新雪。加えての急登に足を滑らす。1600からは堅雪の上に新雪が乗って、これがまた歩きにくい。例年なら右に左に残雪を拾いながらの登行となるのだろうが、今年は右手に若干の雪の斜面があるが途中藪も出ており、雪の斜面に出るのはちょっと勇気がいる。しかたなし、歩きにくさこの上ない夏道伝いに高度を稼ぐ。

そして大猫平手前の急登。ここは木のジャングルジムと大岩のミックス帯となっている。ただの残雪混じりならば蹴飛ばしていくのだが、きょうのコンディションでは足の踏ん張りにも限界がある。
たまらずアイゼン、ピッケルで行くことにする。濡れた手も冷たいのでオーバー手袋もはめて、全身を使って、さながら雪のバリエーションルートをいく感じ。まさか夏道歩きで本チャンモードになるとは思ってもみなかった。山は条件次第というが、まさにそれを地でいくような登行となった。
そんなこんなで精魂尽き果ててなんとか大猫平まで辿りつくことができた。

その先左手には目指す大猫へと続く斜面が新雪をかぶって待っていた。後ろには迫力のある剱が雪と岩の殿堂さながらの雄姿をたたえている。これを見るために今日ここまでやってきた。それまでの苦労が報われた瞬間だった。だが、気になるのは剱にかかるレンズ雲。上空もうっすらと刷毛ではいたような雲が急に広がり始めた。時間には早いが、ここできょうの行動を打ち切った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-2 17:53:43 (504 ヒット)





















例年と比べて一カ月近く雪解けが進む今年の山。早くしないと雪がなくなってしまう。

早月尾根は県の登山届出条例の区域内にあるので、ここを登るには原則としてしかるべき窓口に登山届を提出して承認を得ておく必要がある。それが面倒くさくて、まぁ春ならば馬場島の派出所に当日提出するだけでもよいのだが、近年は登山条例の期限が終わる5月中旬以降に早月尾根に行くことが恒例となっていた。5月中旬とはいえ、山にはまだまだ雪がたっぷり付いており、陽光を浴びての春山が堪能できる。
しかし、今年の山は違う、あまりにも雪が少なさすぎる。登山条例が開けるのを待っていたら雪が融けてなくなってしまう可能性だってある。そこで、条例期間内であったが、小屋までなら危険な個所もないので、黙って入ることにした。

雪の融け方の早さは想像していた以上だった。松尾平までの道は乾ききっていて、歩くたびに昨年散った枯れ葉がカサカサと音をたてる。松尾平も雪が完全に消えていて、例年なら5月中旬でも50センチくらいは残っているのだが、今日は登山道が出ている。1250、いつもならここから左手の雪の斜面に入って1700までの残雪歩きを楽しむのだが、斜面の雪の状態が読み切れなかったので、今回はそのまま登山道を行くことにした。1300過ぎてからちらほら残雪が出始めるが、90パーセントは乾いた夏道。完全に雪の上に立つのは1600を過ぎてから。1250からの雪を拾ってからここまで来られないことはなさそうだが、なんとも言えない。ゴールデン・ウィークまでならかろうじて残っているかも。

1700の間違い尾根付近も雪の量は少なく、平らな雪原状となっている。下りで迷わないように、少し登っては振り返り、少し登っては振り返り、を繰り返して、地形を頭に叩き込んだ。ここから始まる周囲の山々を眺めながらの稜線漫歩はまさに春山。小屋までは数か所急な登りがあるが、巻きながらやり過ごすのも残雪期ならではのもの。しかし、小屋前直下の登りで、太ももが痙攣を始めた。いつもなら1250の斜面からアイゼン歩行に切り替えるのだが、今回は雪の上に乗ってからもつぼ足で登行してきた、そのぶん踏ん張りが必要なため、筋肉への負担が大きかったのかもしれない。だましだまし歩いて、大事に至る前に小屋を見下ろすピークに立った。
例年5月中旬ならば、ゴールデン・ウィーク以降に登り降りした山屋の痕跡が随所に見られる。しかし、今回は人臭くさもあまり感じられない。小屋開きもまだの小屋周辺も静かなたたずまいであった。

登り 4時間5分 下り 3時間30分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-4-22 13:48:45 (531 ヒット)



















伊折のゲートが開いて、ラッキーだった。例年より10日〜2週間早いゲート開き。
車は小又川林道の鎖のゲートまで入る。取付きは藪で、はや初夏の雰囲気。一般道の尾根は雪が全くない。しかも乾いている。春先の山道はじわっと湿っていることが多いのだが、雪が少ない今年は山自体も乾ききっている。その分歩きには助かる。一登りするとバイカオウレンの群落に出くわす。実に三年ぶりの再会。かみさんと来たときに出会って以来。登山道の脇に薄いピンク色のイワウチワが見飽きるほど咲き乱れている中にあって、白く光る可憐なバイカオウレンは異彩を放っている。しかも、咲いている場所が限られていて、この尾根ではこの場所でしか見ることができない。また開花時期も雪解け直後のごく限られた間とくる。花が咲いていなければ、葉っぱだけだとそれとは気付かずに過ぎていってしまう。一昨年、去年と見かけなかったので、もしや無くなってしまっていたのではと、半分あきらめかけていた。よくぞ、残っていてくれたといううれしさでいっぱいだった。この花を訪ねるだけでもこの尾根に来る甲斐がある。

1264の肩に立っても雪は少し残っている程度。1300あたりからようやく雪の上に出る。今日もノンストップで山頂に立った。しかし、空は晴れてはいるが寒気が入り込んでいるせいか、薄膜が張っているようなすっきりとしない青空。剱もくっきりというわけにもいかず、もやっとしていた。いつものように軽く行動食をとって下山にかかった。

登り 2時間35分 下り1時間30分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-4-18 18:35:18 (586 ヒット)

今年の厳冬期、この尾根で山仲間が逝った。彼は登頂後に何らかの異変が生じたと推定され、2500メートル付近で遺体となって発見された。彼が足を運んだその尾根での慰霊が目的だが、一般道のないこの尾根は雪が付いている時期にしか辿れない。冬も考えられるが、雪の状況や装備や様々のことを考慮して春先のこの日に実施となった。

久しぶりに仲間たちと向かう山。ここ数年、自分の体の変化から、自分の体が信じられなくて、皆と行動を共にすることができないでいた。自分一人であれば、自分の歩調で進むことができるが、仲間と一緒だとそうはいかない。ここ数年、一人で登っているとき、突然の体調の悪化がもとで、いくども途中棄権してきた。その意味において、この山行はどこまで皆に就いていけるかを測る試金石でもあった。

曇り空で天候はいまいち。山の上部はガスで覆われている。牧場からトレースを辿って西尾根に取り付く。雪は腐ってブスブス。ワカン装着でなんとか踏張るが、ピッケルはブレードまで刺さり役をなさない。ストックのほうがまだましだ。1550の丸山までの急登がかなりきつい。脈は乱れがちで、これ以上ペースを上げてよいものやら、思案しながら登る。こんなときは全身だるいし、足も重たい。先を進む皆に追いつきたいのだが、一気登りをして発作が出やしないかと気にかかり、なんとかぎりぎりの歩調を保って登行を続ける。一呼吸で一歩進むのがやっとだった。

丸山に着くころようやく脈が安定しだすが、その後も足が重く、歩調は上がらなかった。皆との差は開くばかり、情けない気持ちいっぱい。それでもなんとか1900Pに辿りつくことができた。愚痴ばかり言い放っている自分を仲間はどう捉えていただろうか。

今回の山行では、今の自分というものがよく分かった気がする。いつも一人で登っているとき、それなりに自覚していたつもりだが、今回仲間たちと登ってみて、その差歴然ということをまざまざと見せつけられ、もう以前のような登り方はできない、ということにダメを押された感じがする。

今こうやって思い出しみてもため息が出るばかり。ちょっと途方にくれている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-4-12 15:03:49 (478 ヒット)







たまにはかみさんとお散歩、ということで馬場島まで散策に出かけた。
いつものようにゲートから歩く。一週間前と比べるとずいぶん雪解けが進んだ。道すがらキクザキイチゲがよく目にとまる。他には花がないといっていいくらい、キクザキイチゲのオンパレード。この時期、馬場島までの道はキクザキイチゲ街道といっても過言ではあるまい。咲いている場所や陽の当たり方によって微妙に花の色や花弁の枚数が異なるようだ。概して杉林の中や日陰では色が濃いようだ。いつもならまだ雪の残る道路わきだが、雪解けの早い今年は開花も早いようで、歩いていると否応なしに目に入ってくる。

ゲートが閉じているため、この道路を行く人はめったにいない。せわしなく通り過ぎる車もなく、のどかな早春の散策が味わえる。

先週にはまだ雪原だった馬場島はすっかり雪が融けてしまっていた。芝生の広場は乾いている感さえある。GWのときでもこれほど雪がないというのは異例なことだ。少なくとも一か月は早く雪解けが進んでいる。雪代で水量が増した早月川の流れも豪快で、早くも初夏の様相を呈している。

ベンチに座って昼飯を食べながら、かみさんと二人して昔の山談義に花を咲かせた。
日常生活ではあまり意見の一致をみない我々だが、山に関してだけは共感する部分があるようだ。きょうも、もう昔のような山登りはできないな、ということで意見が一致した。家で埃をかぶっているおびただしいほどの山道具はどうしたものだろうか。


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