投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-4-26 17:51:33 (74 ヒット)

登山遠征隊の記録・報告書としては極めてよくできている。登山が大成功裏に終わったこともあるのだろうが、この種の報告書として群を抜いている。
圧巻は冒頭から始まる総ページの三分の一以上を占める写真群。K2ベースキャンプまでのキャラバンの模様や、現地住民との交流、ルート工作、頂上アタック、そして見たこともないような高山の花々、それらすべてが上質で、それだけ見ていても遠征気分を満たしてくれる。もちろんK2の雄姿はほれぼれするくらいのカッコよさ。これに匹敵する山はまず見当たらない。高さこそエベレストに及ばないが、その存在感はそれを凌ぐものがある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-1-18 18:54:03 (101 ヒット)

最近気になっているK2。
以前読んだ、日本初のK2女性サミッター、小松由佳の著書ではK2登頂の部分はさらっと触れられているだけで、その遠征隊のことがとても気になっていた。当然、大成功に終わった遠征記録は出されているだろうと、探し当てたのがこの一冊。今の時代、キーワードを打ち込めば簡単に検索できる。遠征隊の公式記録集は別に出版されているが、本著はK2遠征を振り返って、隊長が記した随筆みたいようなもの。
2006年、東海大学山岳部は創部50年の節目としてK2に登山隊を送った。そのとき、日本人初の女性サミッターとなった小松由佳は23歳、そして世界最年少登頂者となった青木達哉は22歳。決してヒマラヤ経験が豊富でない二人の登頂は大快挙と言える。本書では、その登山隊結成から登頂に至るまでの、文字通り「苦難の道程」が隊長の個人的目線で描かれている。文章使いは本家ノンフィクション作家には及ばないが、その時々での隊長としての思いが十二分に伝わってくる。二人がアタックに出てから登頂、そしてベースキャンプに戻るまでの克明な描写は、そのときの著者の鼓動が伝わって来そうなほど胸を打たれた場面であった。

著作権の関係からなのか、絵図や写真が一つもないのが残念であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-12-25 19:04:55 (83 ヒット)

副題として「5人の女性サミッターの生と死」とある。
文字通りK2に登頂した5人の女性を追ったノンフィクション。5人は登頂後に亡くなったものもいれば、その後、他の山で帰らなくなった人もいる。8000メートルを超える高所での過酷で壮絶な登攀場面やビバーク場面での死と直面した描写は秀逸。そこでは「生」が描かれている。そして、その「生」のちょっとした先にある「死」、それは山という特殊な条件下だけにあるわけではないが、山においては「非情」という言葉が必ず付いてまわる。これが通常の死と過酷な山での死との違いだろう。後に「ブラックサマー」あるいは「嵐の夏」と呼ばれることとなった1986年のK2、以前読んだ「K2 嵐の夏」の中で登場したジュリー・トィリスもそこでの犠牲者の一人。「K2 嵐の山」の中ではパートナーのクルト・ディームベルガーとの山行を中心に描かれているが、本書ではジュリー・トィリス個人についても幼少期の頃から追っていて興味深かった。他の4人も同様、なぜK2を目指したのか、なぜK2でなければならなかったのか。彼女らの山での死の非情さが切々と描かれている。
ただ、ひっかかった点が一つ。それは山に対する著者の先入観。冒頭からそれは出てくるのだが、「山においては、女性は男性から蔑まれている」「チームにあってはお荷物でしかない」と本書に登場する女性クライマーが感じていた、と著者が断じている点。そういう下地のもとに本書が成り立っているのが、ちょっと残念だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-9-7 17:34:56 (111 ヒット)

山に関わるようになってから槙の名前は見知っていたが、本書を手に取るまで、ずーっと「まきありつね」だと思っていた。だが、「ゆうこう」というのが正しいようだ。本書の初版は1968年、槙有恒の生まれが1894年なので、槙が74歳のときに出された本ということになる。決して分厚い本ではないが、その厚み以上のものを物語るとても内容の濃い本だ。もしかしたら、今自分が年金をもらう年頃になったことも、この作品に傾倒した一要因なのかもしれない。

「山旅」というよりも、山と共に生きた彼の人生を振り返って書かれた自叙伝といった内容。なにしろ、少年時代から彼の行くところすべてに「山」がある。初めて兄と登った山に始まり、慶應義塾時代に過ごした山、アメリカ遊学、社会人になってから登った山、イギリスやスイスでの放浪の山、秩父宮殿下との山を通しての交流、台湾の山、アルバータ登頂話、三次に渡るマナスル登頂記、とにかく彼のへの想いがとめどなくあふれ出るように描かれている。しかも、ただ山に登ったという山行記にとどまらず、その地に過ごした日々のこと、そのときの社会情勢も端的に描かれており、まるで、彼と一緒に旅をしているかのような臨場感があり、紀行文としてもとても優れている。
さらに、山を通しての人とのめぐり合いがまた凄い。上条嘉門次、小島烏水、佐伯平蔵、宇治長次郎、志鷹三次郎、佐伯文蔵、今田重太郎、今西錦司、ウエストン、等々山のお歴々が生で登場する。
締めくくりは、昭和41年晩秋に訪れた馬場島。宵闇迫る中まだ夕陽に輝く剱は、さながら彼の山旅の余韻であるかのように映った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-1-9 16:05:30 (180 ヒット)

私が「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」を読んでいたころ、カミさんが本書を図書館から借りてきていた。著者のことは初めて聞く名で、ましてや日本人初の女性K2サミッター(2006年)であったことも知らなかった。そもそも日本人女性でK2に登った人がいることさえ知らなかった(実は3人いる)。そんな著者の本だけに興味津々、カミさんが読み終えたので、返却期限まで間があるので、拝借して読んでみることにした。

期待していたK2や山のことについての記述は冒頭の部分だけ。K2登頂後に挑んだシスパーレでの敗退を期に、彼女の興味は山岳僻地に暮らす人々に向いていく。その後。独りアジアの砂漠や草原を旅する中でシリアの人々に魅了されていく。本書の主題はそんな彼女が見た、経験した、シリア内戦とそこに暮らす人々の生活。砂漠に暮らす人々の生活様式やイスラム社会のことも新鮮だが、それがリアルに映るのは彼女の実体験からくるものだろう。そこにはK2登頂よりも過酷で非情な現実があるのだが、そのすさまじさをあっさりとした文体で綴られているのも本書の特色だ。そこには、そこに踏み込んだ彼女の純粋でしなやか、かつ芯の強さがうかがえる。

たぶん、彼女が本書で意図したことは、本当のシリアを、本書の題名ともなっている「人間の土地」を、より多くの人に知ってもうらうことだと思う。その意味では、見事にその役目を果たしている。だが、読み手が向き合うのは、メディアなどから伺い知れないシリアの実情もさることながら、そんな「シリア」に入れ込んだ彼女の生きざまそのものだと思う。もし彼女がK2登頂を果たしていなかったら、こんな風に「シリア」とは向き合えなかったような気がする。根底には「山」というものが根っこにあるからこそのその後の彼女人生があると思う。本当に筆舌に尽くしがたい彼女の生きざま、それを選択した彼女に尊敬の念を覚えるとともに彼女とその家族に幸あれと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-12-28 17:47:35 (186 ヒット)

世間では、栗城がエベレストで無謀な登山をして逝った、ということになっている。私の周囲もそれまではやんややんやと岡目八目的な言い合いをしていたが、以後、ほとんど話題にのぼらなくなった。いろいろ言われているが、私としては、度重なる失敗にもめげず、可能性に賭けて挑戦し続けた彼を評価している。「栗城史多のエベレスト劇場」とこきおろされながらも、再々度とエベレストに臨むなんてなかなか出来るもんじゃない。何かを期待させる、そんな目で見ていた。8回目の挑戦で彼は帰らぬ人となってしまって、とても残念てならない。

さて、本書についてだが、ノンフィクションというには、なんだかオブラートに包まれた文面で、切れ味に掛ける印象。亡くなった者への配慮がそうさせたのだろうか。死者にムチを打ちたくない気持ちと、「栗城史多のエベレスト劇場」の真相を解き明かそうとする気持ちの中途半端さが感じられる。なので、栗城の「山」、栗城という人物像がぼやけてしまっている気がする。

本書の題名「デス・ゾーン」は安易に過ぎる。キャッチコピーとしては内容にそぐわないと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-11-30 11:03:46 (192 ヒット)

「ソロ」シリーズ三部作の完結編、ということらしいのだが。
三作共、パターン化された展開は面白みに欠ける。パターン化が決して悪いということではないが、良い方向に向かうのは少ないのではないかと思う。このシリーズでも、挑む山域こそ異なるが、主人公の起承転結はだいたい同じ音色、同じ調子という印象が否めない。作者の登攀場面の描写はどの作品においてもよくできている方だと思う。しかし、本作品のように難関の単独登攀という場面を捉えるならばイージーすぎる感がある。物語の本筋だけを追って、細かなことには目を瞑るという見方もあろうが、山岳小説にあってそれは重要な要素の一つと考える。その部分をあえて省いたのだとしたら残念なことだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-8-15 19:03:30 (249 ヒット)

ときとして、題名負けという作品に出合うことがあるが、この作品はそのタイトルを裏切らない。
それぞれの事情、思惑を持って研修目的のツアー登山にのぞんだ男女らが過酷な試練に遭遇する。最低限の装備と食糧で14日間山で過ごすというプランだが、山の中では想定外のことも起こりうる。そんなとき、登場人物はどう対処するのか、何を思うのか、実際に山を経験したものには我が事のように物語は進んでいく。自然描写が豊かに描かれていて、臨場感もスリルも申し分ない。サスペンスと山の融合に成功している秀作といえよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2020-6-14 13:34:20 (225 ヒット)

1951年に発表されたというからかなり古い本。1999年に装丁も新たに発刊された。
登山がらみのミステリーかと思ったら、そうではなくマッターホルンの麓を舞台とした物語だった。ミステリーとしては古典的で、ポアロが出てくる探偵劇と雰囲気は似ている。事件に遭遇したいわくありげな登場人物のアリバイを追って物語は進んでいく。単純なストーリー展開だが、ノスタルジックな気分に浸らせてくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-12-8 11:37:43 (265 ヒット)

8千メートルを超える高所での登攀シーンが本書の売りだが、登山経験や知識のないものが読んだらたぶん退屈な内容だと思う。ただ、エベレストに次ぐ世界第二位の山K2で、夏と冬の2度に渡る登攀シーンが味わえるのは少しだけ得した気分。フィクションとはいえ、あまりにも簡単に事が運びすぎるのが気になる。それをよい意味でとらえれば、山岳小説の敷居を低くして、幅広く読んでもらおうとの意図があったのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-6-12 10:09:16 (287 ヒット)

山岳小説にしては山の物語が貧弱だし、サスペンスにしては仕立てが陳腐過ぎる。昨今の山ブームに乗っかって出版されたのだろうが、その内容からして、ハテナ?と疑問を抱かざるをえない。出版社の質を問われてもしかたがないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-28 10:08:30 (265 ヒット)

馳星周が山を始めてから作風が変わったのか、それとも前々から抱いていた作品と自分の心の内との違和感から山に新天地を求めたのかはわからないが、前に読んだ「蒼い山嶺」同様、この作品にもネット上では賛否両論が飛び交っている。私としては、初期のころの自分にはない非日常世界に浸らせてくれたノワール作品に魅かれた。だから、馳星周の作品を久しぶりに手にしたときの驚きは大きかった。「ゴールデン街コーリング」は正統派青春小説そのものだったし、「蒼い山嶺」は山のサスペンスそのもので、かつてのノワール臭はかけらもない。なまじっか、自分が山をかじっていたものだから、山岳小説には期待するものが他の分野とは違った次元のものがある。自分の山の経験値と作品中の山岳描写、心理状態を比較しながら読んでしまい、フィクションであるはずの小説にある程度以上の、極めて高いノンフィクション性を求めてしまう。なので、山の小説への評価基準はそういったものをベースにおいて、冒険性、サスペンス性、物語性を加味したものとなっている。
「神奈備」は山の度合いは高評価だが、物語的にはいま一つとの印象を受ける。もともっとおもしろい山の作品を作者は書けるはず。作者のポテンシャルはこんなものではないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2019-3-13 16:50:29 (313 ヒット)

「ゴールデン街コーリング」ではいささか面喰ったが、この「蒼き山嶺」ではそれに輪をかけるくらいびっくらこかされた。馳星周が山岳小説を書いていたとは。だが、これがまたおもしろい。中の上の上、くらいの出来。サスペンス的にはややダイナミック性に欠けるが、山の部分がかなりよくできている。山とサスペンスの融合は難しい分野だけに、この作品はよく出来ている方だと思う。早春の白馬稜線から日本海へ抜ける逃避行。裏社会の匂いを漂わせながらも、心温まる青春小説風の仕上がりとなっている。馳星周の転機となったのはな辺にあるのか、突っ込んで読んでみたい気になった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-12 11:48:17 (410 ヒット)

ローツェ南壁の単独登攀を目指す青年の物語。
トモ・チェセンのローツェ南壁単独登攀は当時の登山界において衝撃的だった。単独無酸素、しかも三日で達成なんて無理だ、不可能に近い。その信憑性について物議を醸し出した一大事件でもあった。
主人公はトモ・チェセンの手記を読んで感動し、彼のルートを辿ることによって、トモ・チェセンがなし得た偉業の証明をなし得たいと決意する。

物語は終盤にくるまで、とても長く冗長的な挿話が繰り広げられる。クーンブ山群やカラコルムの峰々の描写はそこに行ったことのない読者にとってはちんぷんかんぷんだろう。逆に、実際にその山々に入ったことがあるものにとっては、そのときの思い出とだぶらせながら読み進むことが出来る。

主人公とトモ・チェセンとの出会いの中で、彼が山頂付近に残してきたハーケンのことが触れられる。そのハーケンがキーワードになるのかしら、と読み進めてきて、終盤のクライマックスで、やっぱりこんな「落ち」だったのかという結末だった。

物語の相当部分はストーリー性に欠けるが、終盤の臨場感に満ちた登攀シーンがこの物語を救ってくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-8-6 6:15:14 (378 ヒット)

山を始めて間もなく買って、それから何度も読んだ本。
私にとって「星と嵐」の山行きは遠い過去のものとなってしまった。

黎明期の登攀紀行のバイブルとも言える本書。登攀の一挙一動はもとより、登攀に臨む作者の心模様も素直に飾りけのない文章で綴られている。

山の征服はまず登りやすいルートを見いだすことから始まり、あらかたの未登峰が登りつくされてしまうと、次はより困難なルートからの登頂に目がいくようになる。必然的に登山形態も側壁の登攀が主体なものへと変化していく。それはより過酷な試練を登山者に課すことになり、自然の脅威のもと多くの挑戦者が散っていく結果にもつながった。しかし、その厳しい試練に耐えて成し得た登攀は、挑戦者により多くの達成感、充足感と喜びを与えることになる。

本書には六つのヨーロッパアルプスの名だたる北壁の登攀紀行が綴られている。レビュファはその一つ一つの登攀の模様を唄うかのように語り、あえて困難なルートに挑むことの登山者としての性を見事に表現している。

いま自らの登山の限界を決めつけてしまっている私にとっては、ちょっぴり青春のしょっぱさを思い起こさせてくれるもする。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-1 4:14:57 (433 ヒット)

探偵くずれの便利屋に舞い込んだ依頼は「槍ヶ岳に登らせてくれ」だった。
そこから始まる軽妙なミステリー。山とミステリー、一粒で二度おいしい、と言いたいところだが、そうは問屋がおろさない。さらっと流し読み。テレビドラマとなれば、それなりの物語に仕上がるかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-8 17:51:53 (433 ヒット)

うーん、この作家の作品には良いにつけ悪いにつけ驚かされる。
あまりにも作品ごとの完成度に差がありすぎる。
ナンガパルパットの登攀を通して、なぜ人は山に登るのかという永遠のテーマに迫ろうとしている。
フリーソロで登ろうが、極地法を用いようが、それは個人の問題であって他人からどうのこうのと言われる筋合いはない。山は結果がすべてだ、いや、挑戦する過程にこそ意味がある、そんな想いが全編を通して錯綜する。
「大岩壁」を描きながらも大岩壁のスケール感が全く伝わって来ない。全般的に予定調和の展開で、終わり方もその極地。残念を通り越して哀しくなってしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-3-19 16:48:24 (449 ヒット)

花だけではなく山歩きの紀行文としても楽しめる。
やわらかな文章は、ほっと肩の力が抜けていくような心地良さ。
手もとに置いといて、ランダムにページをめくっていくのもいいかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-2-18 18:02:37 (716 ヒット)



1996年5月10日、エヴェレストで起こった悲劇について伝える本の四冊目。

なんとこの本は三重県からやってきた。うちの町内にある富山市立図書館の分館で尋ねると、取り寄せてくれるとのことだった。お隣の石川県あたりから来たのかと思ったら、その出所を耳にして驚いた。最近の図書館広域連携がここまでいっているとは・・・。IT革新の恩恵はこうゆうところにまで及んでいる。しっかりとした分厚いナイロン袋に入れられており、貸し出す前に本の状態を確認、返却時に再度確認するという念の入りよう。もちろんブックポストなどに入れてはいけない。それはそうだろう、他県から届けてもらった本、それも貴重な一冊、返却時に汚れや傷があったら大変なことになる。

ハードカバーの重厚な本書は、さすがナショナルジオグラフィック社が創っただけあって、写真もふんだんに用いられている。悲劇の中心にいた公募登山隊のロブ・ホールとスコット・フィッシャー両隊の模様も写真とともに伝えられればより臨場感が湧くというもの。前に読んだ三冊に出てきた過去の遭難者でエヴェレストの高所に置き去りにされたままの『ブルーマン』も載っていて、文字だけでは伝えきれない写真の威力をまざまざと感じさせてくれた一冊であった。

前三冊では悲劇の当事者が生々しい真実を語っているが、本書は当時一緒にエヴェレストにいて行動を共にしていた映画撮影隊IMAXの隊員からの取材を中心に据え、エドモンド・ヒラリー他多くの著名な登山家からのコメントも添えて、できるだけ客観的に本件を捉えようとする姿勢がうかがえる。

当初、IMAX隊は悲劇の起こる前日に頂上アタックする予定になっていた。しかし、一日遅れて登って来るであろうロブ・ホール、スコット・フィッシャー両隊と下山時にかち合うことによる混雑からくる不測の事態を避けるためと、撮影隊だけが登場するきれいな映像を撮りたかった、この二つの理由からアタックを後日にずらしていたのであった。はたして、彼らの予感が的中し両隊はヒラリーステップ付近で大渋滞を引き起こして、その後悲劇への道を歩んでいくことになった。

そして、救出劇のあと、数日置いてIMAX隊は態勢を立て直してアタックに出て、無事エヴェレスト登頂の映画撮影に成功する。迫力満点の映画は世界中に配信され日本でもかなりの反響を得た。(その映画のことはおぼろげながらも自分の記憶に残っているが、当時は、まさかその映画の影にそんな出来事があっとは露にも思っていなかった)

本書ではこの5.10の悲劇の要因について次のように考察されている。

‖神ゆえのもろさ
多勢で登るのだから、事故が起こったら助けてくれる人間がいるかもしれないという考えに陥りがち。結果、遭難の前にいくつかの前兆がありなから、だらだらと進んでいってしまった。
経験不足
公募登山隊が即経験不足とは言えないが、そういう客が含まれていたことも事実で、ガイドの経験不足も本件の悲劇を拡大させた要因の一つ。
2嫉鎧刻の徹底
これはベースキャンプに入ったときから、経験豊かなロブ・ホール、スコット・フィッシャー両隊長らから口を酸っぱくして言われていたという。アタック時点になってなぜその下山時刻が徹底されなかったのか、事故は往々にしてそんなときに限って起こる。というか起こるべくして起こったとも言える。
つ命システムの不備
トランシバーを持っている者が限られており、ベースキャンプからは上部で何が起きているか把握しきれていなかった。命からがらサウスコルに下りて来てビバーク態勢に入っている隊員たちの状況も全くわからなかった。
ヌ技請任任離イド
強靭なガイドであるブクレーエフはエヴェレストアタックにおいても無酸素での行動になんら問題はないと言いきり、無酸素で登頂し、その後も一人で大勢の顧客を残したまま下山する。サウスコルに待機して、万が一の時に備えるため、と述べている。しかし、やはり、彼の取った行動は理解しがたい。この点は「空へ INTO THIN AIR」の著者であり悲劇の当事者でもあるジョン・クラカワーも指摘している。
μ鄂瓦罎┐量桔
何事も『野心=挑戦心』なくては成し得ないが、山においては、それは『無謀=遭難』との紙一重の位置にある。登って無事降りてきてこそが山登り。野心だけが先行すると、状況判断に陰りが生じてしまうことがおうおうにしてある。今回の悲劇はその典型的な例といえる。なんとしても登頂したいという気持ちだけで、心身ともに極限状態で登頂を果たしたとしても、下りの力はすでに残っていない。エヴェレストのような死のゾーンにあってそれは無謀に等しい行為といえる。

インタヴューに応えて、エドモンド・ヒラリーは言う。
『すべてが順調に運ぶ限り、エヴェレストはかなり登りやすい山だ。自分あるいは自分の同行者が死ぬかもしれないという事実はエヴェレスト登頂をあきらめさせるどころか、続けさせる原動力にもなる』

そのような死と紙一重の状況での登山がエヴェレストに人を向かわせる魅力の一つなのかもしれない。

5.10エヴェレストの悲劇について書かれた四冊の本はすべて異なる視点から描かれており、それぞれにおいて興味深く、考えさせられる内容だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-28 19:14:12 (550 ヒット)

原題が「Left for Dead」。
ただ単にエヴェレストの高所においての瀕死状態(仲間からは助からないと置き去りにされた)から生還した驚異的な経緯を述べているのではく、むしろその部分は淡々としていて、山を通しての彼自身の生き方の吐露といった内容の本となっている。

表紙の写真がこの本の内容のすべてを物語る。1996年の5・10の悲劇から奇跡的に生還した直後、凍傷で黒焦げになった顔と両手を包帯でぐるぐる巻きにされたベック・ウエザーズが妻のピーチと抱き合っている。ベックの表情は深手を負った顔からはよくはわからないが、ピーチは本当にうれしそうにベックの胸に顔を預け、彼女の手には一本のバラが力強く握られている。ベックの生還の喜びを分かち合っているだけではなく、それ以上の物語がウエザーズ夫妻にはあった。

5・10のエヴェレスト大量遭難について書き記されたものは「空へ INTO THIN AIR」「デス・ゾーン 8848M エヴェレスト大量遭難の真実」に次いで、これで三冊目。本書は先の2冊から比べてやや遅く出されている。執筆までに時間がかかったのは、ベックが右手を失うといったこともさることながら、この山以前と以後とで彼の生き方と家族との関わり合いについて、家族に感謝を表す意味においても、整理する時間が必要だったのだろう。

その日、ベックがブリザードのサウスコルに置き去りにされた経緯については、「空へ INTO THIN AIR」「デス・ゾーン 8848M エヴェレスト大量遭難の真実」に詳しく書かれていて、本書の内容はそれらとなんら矛盾するものはない。というよりは、当事者としての彼が書くことによって双方の記述の裏付けをしていることになっている。もちろんその生還劇は真に迫っていることは言うまでもない。

ただ、先の二冊はプロガイドによる商業登山の功罪を中心に書かれているが、本書にはそういう記述はきわめて少ない。ベックのひたむきな山への情熱と撞着の中にあっては、遠征に必要な650万ドル(約700万円)は目的に必要なキップ代に過ぎず、『ほとんどのクライマーと同じで、登山はおのれ自身との闘い』だと思っており、サポートするガイドも一緒に登ってくれるクライマー『チームメイト』同様だった。裏を返せば、彼はエヴェレスト遠征に際し厳しいトレーニングを自身に課してきており、ガイドする側される側ということにはあまり意識がなかったように見うけられる。

山には謙虚な姿勢であったこともうかがわせ、エヴェレストに向かうまでは『頂上に立てるかどうかはその時の運であって、下山だけは何があろうとはたさなければならないという常識的な登山理念に従って』おり、ベースキャンプに入ってからも『午後の二時下山時刻厳守――この数週間、みんなに繰り返し叩き込まれていたのは、この点だった。二時までに登頂できるペースで登れないなら、山が暗闇に包まれる前にキャンプに戻ることもできないのだ』と述べている。

にも関わらず悲劇は起こってしまうから山は非情だ。
しかし、一旦死んで、また生き返って、彼はかけがえのないものについての思いを新たにた。そして『新しい人間に生まれ変わる過程』を本書に記したのだった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-28 19:13:12 (1311 ヒット)

1996年5月10日、アナトリー・ブクレーエフはスコット・フィッシャー率いる営業公募登山隊のガイドとして参加し、ロブ・ホールが率いる営業登山隊とあい前後してエヴェレストの最終アタックキャンプC4を出発し頂上を目指した。そのときに起こった大量遭難の模様は同じ日にロブ・ホール隊の随行記者としてC4を発ったジョン・クラカワーが記した「空へ INTO THIN AIR」で詳しく述べられている。

「空へ」の中で、クラカワーは顧客を危険地帯に残して先に下山してしまったブクレーエフのことを「ガイドにあるまじき行為で惨禍を大きくする要因にもなった」と批判した。これに対しブクレーエフは出版元の「アウトサイド」に弁明の機会を与えて欲しいと彼のとった行為の真実を書き留めた文書を送ったが、アウトサイド側はその全文を載せることを拒否。そのため、ブクレーエフの言い分は宙に浮いた形になった。そういういきさつもあって、本書は「空へ」で名誉を汚されたブクレーエフの反対文書との見方も出来る。

クラカワーはジャーナリストの目から見た営業公募登山隊の表裏と大量遭難の過程を記しているのに対して、ブクレーエフは彼自身の登山に対する考え方を中心に本件を振り返っている。ブクレーエフは『ガイドの援助を大幅に受けなければエヴェレストに登れないような顧客はエヴェレストに登るべきではない。そこのところをはっきりさせておかないと、頂上近くで大きな問題が起こりかねない』とクラカワーに話している。一方、クラカワーは『わたしは、クライマーとして34年間やってきて、登山の一番の価値は、このスポーツが自助努力を旨としているところにあると理解してきた。個人の責任において事に当たり、重要な決定をなすことにある』と、述べている。

ここまでは登山の本質においての考え方に両者にはさほど違いがないように思える。しかし、クラカワーはさらに『だが、ガイドの顧客として契約書にサインした時点で、そういったものはすべて、いや、それ以上のものまであきらめざるをえないのだ、ということをわたしは発見した。堅実なガイドは、安全のために、つねに厳しく監督する、絶対に、重要な決定を顧客の一人一人にまかせるわけにはいかないのだ』と著書の中でのべている。従って、無酸素で頂上に向かったブクレーエフは、8000メートル以上の高所では低酸素からくる予知できない異変(「論理的な思考ができない状態」を含め)が起こり得ることを熟知しているにもかかわらず、ガイドとしての務めを果たしているとはいえない、と言うのである。『自力で登っている限り、無酸素登山は許せる。というより、美的により好ましいものであるけれど、酸素を使わずにこの山をガイドするというのは、きわめて無責任行為』と言えるわけだ。そのうえ、顧客と一体になって行動せず、先に下りてきてしまったのは言語道断というわけだ。

これに対してブクレーエフは『私が無酸素で登頂するのは通常のことであり、私は例外的に無酸素で登頂することができる。私は無酸素で登頂することを了承さていた』と反論する。しかし、『登頂後、下りはじめてから数分後、数人(ロブ・ホールとスコット・フィッシャーの双方の顧客)が一団となって頂きに向かって登って行くのが見えた・・・彼らを見てほっとしたとはいえ、不安は拭いきれなかった。彼らがここまで登ってくるのに14時間もたっていたが、彼らの酸素は18時間分しかない。これまで普通に酸素を消費してきたとして、残りは4時間だ。著上に到達するまでにはまだ30分ほどかかる。彼らが第4キャンプまでおりてくるのに、充分な「酸素時間」はないかもしれなかった』と述懐している。となれば、なおさら彼ら(顧客)と行動を共にし、先に降りるべきではなかったともいえる。

そして、ヒラリーステップの上端で「今日の登りはきつい」と話したスコット・フィッシャーとすれ違った時、「いちばん賢明なのは、私ができるだけ早く第4キャンプに戻ることだ。下って来るメンバーにそなえ酸素補給が必要になった場合にそなえて待機しておくほうがいい・・・このことをスコットに説明し、彼も私の考えを聞いてくれた。スコットも今の状況を同じように見ており、私が下ったほうがいいよということで意見が一致した」と記している。そうであれば、クラカワーが指摘するような『顧客を放り投げて先に下ってしまった』というのは事実誤認もはなはだしい、とブクレーエフは主張する。

はたして、ブクレーエフが危惧していたことが現実のものとなった。嵐の中、ロブ・ホール隊とスコット・フィッシャー隊の混成メンバーが命からがら下って来たが、第4キャンプのテント場を見つけられず、サウスコル近くで生と死の間を彷徨っていたのだ。そのとき、ブクレーエフは午前1時に時速60キロから120キロ以上で吹き荒れる嵐の中、彼らを救出に向かった。しかも、一回目の捜索では発見できず、一旦テントに戻り、再び探しに出かけている。すでに下山していたクラカワーや他のメンバーは疲れきっていて自分の命さえ危うい状態で、とても救出どころではなく、シュラフにくるまって寝ているのがやっとだった。

先に、行き先を見失って彷徨っているうちの二人がブクレーエフのランプに導かれ、テントまで辿りつく。二人に酸素を与え、寝袋に入れたりした後、三たび彼は救助に出発し、瀕死の5名のうちの3名の命を救うことになる。残された二人、ベック・ウエザーズと難波康子はもう助けようがない状態だった。3名を救ったブクレーエフは疲れ果て、テントに潜り込む。朝になって、その場で救助隊が組織され、捜索にでてからまもなく二人を発見した。『二人とも体の一部が雪埋もれていた。顔を覆っている厚さ数センチの氷の殻を叩き割ったとき、二人はまだ息をしていた』しかし、『ベースキャンプへ降ろしていくあいだに、きっと死んでしまうであろうし、他のクライマーたちの命を必要以上の危険にさらすことになる』との判断から、二人ともその場に置き去りにすることになった。(しかし、その数時間後ベック・ウエザーズは凍りついた体から目覚めて彷徨しているところを救助される)

8000メートルの高所でのブクレーエフのこの驚異的な救出活動からすれば、彼は称賛されこそすれ、ガイドの任を放棄したなどとの誹りを受ける筋合いはない。逆に、自分は何もせずに批判めかしたことを書き連ねているクラカワーこそ恥を知れとの言い分もある。しかし、クラカワーが言うように、ブクレーエフがずっと彼らと行動を共にしていたならば、こんな惨劇にまで至らなかったかもしれない。という見方もできる。

結果的には、スコット・フィッシャー隊は当のスコット意外は登頂した顧客に犠牲者は出ていない。ブクレーエフは職責を果たしたとも言える。一方のロブ・ホール隊では難波康子、アンディ・ハリス、ダグ・ハンセンと隊長のロブ・ホールが命を落とした。アタック当日は、両グループが相前後して数珠つなぎになって山頂を目指しており、別々の隊というよりはむしろ運命共同体のようなものであったといえる。そこでは、ガイドも顧客も無秩序に行動することは災難の火種になりかねず、商業登山であればなおさら統率のとれた行動が求められる。クラカワーが言うように、そこには登山の本質などありえず、ガイドするもとそれに従うものがあるのみである。

両隊ともしっかり組織されており、綿密な計画のもとでの公募登山であったと思う。しかし、最後の最後になって、上手の手から水がこぼれてしまった。前もって登頂のタイムリミットを1時ないし2時に設定しておきながら、しかもそのことは隊員みんなの頭に叩き込まれていたはずなのに、アタックの最中にうやむやになり、守りえなかったことが悲劇を生んだ最大の要因だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-28 19:12:06 (808 ヒット)

1996年5月に起こったエヴェレスト大量遭難のルポ。
この本もいつか読む機会が来るだろうと思ってとってあった本のうちの一冊。

登山家でありジャーナリストでもある著者の文章力と作品の構成には光るものがある。登山家としてのエヴェレスト登頂の記録と、記者の目から捉えた営業公募登山隊の実態、そして惨劇の当事者としての手記、そのどれらも中身が濃く、しかもよいバランスで描かれている。

邦題の「空へ」に対して、著者はちょっと違うのではないかと疑問を呈したというが、それも頷ける。その惨劇が起こりつつあったとき、彼は8000メートル以上の超高所でのTHIN AIR の中にいたのであり、何も「空へ」ともがいていたわけではない。それともこのタイトルは、エヴェレストへ登る行為を無限の空へと向かって進む道になぞらえたのか、あるいは惨劇の末に帰らぬ人となったものへの哀悼の意を表したものなのか。

当時、「エヴェレストは500万円出せば登れる、登らせてくれる」という話が巷で広まっており、エヴェレストは商売の格好の対象であった。ジョン・クラカワーはそんな営業公募登山隊の現状を取材すべく、雑誌『アウトサイド』の記者として、ガイド付きエヴェレスト遠征隊に参加する。そして、彼は登頂を成し遂げるのだが、九死に一生をえて帰還する。心身ともぼろぼろになりながら、文字通り命を張ってその使命を全うした。それ故に彼の描く詳細を極めた記述は説得力があり、真実味がある。

個人的にはガイド登山というものに対してはあまりよい印象はもっていない、というか否定的だ。それゆえ、報酬をもらってガイドをする以上、登山中での出来事のすべてはガイドの全責任である、というのが私の基本的な考え方である。一方、500万円も出してまでエヴェレストに登りたいという需要があり、そこに商売が成り立つのも事実だ。しかし、不幸にも登山中にそのガイド自身に異変が起こったとき、ガイドが正常な判断を下せなくなったとき、営業公募登山隊としての機能は消滅し、「客」は自力で対応するしかなく、そのときになって初めて登山の本質と向き合うことになる。8000メートルを超える高所において、それは死と直面することを意味し、結果は時として神の采配にゆだねられることになる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-15 19:00:56 (474 ヒット)

1977年8月8日、日本山岳協会主催によるK2登山隊は、1954年イタリア隊の初登以来、23年ぶりに第2登を果たした。そのときの模様を報道として随行した新聞記者が記した登山記録。

日本中から参加者を募り、登山隊員数32名、パキスタンから3名、同行の映画隊を含めると総勢52人。当時としては日本山岳史上最大の遠征隊が結成された。その費用たるや1億5千万円、今の金額にすればいかほどになるのか。スカルドからベースキャンプまでのキャラバンで、32トンの装備、食糧を運びあげるために要したのは950人のポーター、ジープ13台、トラクター20台。バルトロ史上においても最大の遠征隊だった。ポーターの列は5劼砲癸賢劼砲皹笋咾燭箸いΑその規模といい、費用といい、日本の威信をかけた大登山隊だったことがうかがえる。ゆえに、登山隊に課せられた使命の重圧感は相当のものだったに違いない。

当時はまだ登山方法として包囲方が全盛の時代で、大人数交代でキャンプ地を少しずつ上げていき、その過程で高所順応をこなしていく。8120メートルの最終キャンプにいた者がアタックに出て、運が良ければ登頂出来る。登頂できた者、途中までしか行けなかった者、アタック出来ずに涙を呑んだ者。それぞれの隊員の悲喜こもごもも描かれている。
6月16日、5220メートル地点にベースキャンプを設営してから、隊員たちは黙々とやるべきことをこなしていく。圧巻はC4からC5までのルート工作。7450メートルから7920まで高差470メートルを攻略するのに18日かかっている。そしてついに8月8日、7名が登頂を果たした。隊員個々の力量と執念は言うまでもないが、彼らを支え登頂まで導いた登山隊としての指揮系統と綿密な兵站戦略の勝利でもあると感じた。

カラーも交え写真もたくさん載っており、未知の地への紀行文としても十分楽しめる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-13 17:46:34 (608 ヒット)

本の帯には『1983年10月8日、運命のその日、エベレストで何が起こったか 世界最高峰の無酸素登頂に挑んだ二つの日本隊。一つの頂点を目指した男たちの生きざまを追う』とある。さらにあとがきの中で『尖鋭的な登山に挑戦した日本屈死のクライマーの栄光と悲劇。イエティ同人と山学同志会が頂上にアタックした日、チベット側から登って来たアメリカ隊がこれまたエベレスト頂上直下で遭遇、日米三隊がかちあい、エベレスト登攀史上空前の登頂ラッシュとなった』と書き記されている。
1983年といえば、自分が山を始める前の年。それまで山にはなんの興味もなかったので、エベレストで起こったこの日の出来事は全く知らなかった。山を始めてから、山の本にも目を通すようになって、そのとき手にしたこの本を通して、初めてその惨劇を知ることになる。
その日の出来事を詳細に追うだけでなく、生と死の運命を分けた男たちそれぞれの山と歩んできた“人生=生きざま”を描いている。人生の不思議は時として何かが起こることが帰結されるかのように刻まれることがある。それまでやってきた何か一つが欠けても、その結果には至らなかったであろうということが起こり得る。そんな思いにさせられた一冊だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-4-21 19:03:04 (576 ヒット)

森村誠一の「分水嶺」は長年にわたって読み継がれている名作。はたして、この小説の主人公にはどんな人生の分かれ道があるのか、読んでみよう。

と、期待した割には中身は薄っぺらだった。エゾオオカミを追う過去に曰くありげな男と山岳写真家との意外な接点と交流。そしてリゾート開発の裏に隠された物語がそこにかぶさってくる。

作者はあえて「分水嶺」という題名に挑戦したのだと思うが、森村誠一のそれにははるかに及ばない。物語性、人物描写、ミステリー度、いずれをとっても定格的で深みがない。これまで笹本稜平の秀作を何冊も手にしてきただけに、がっかりという感がぬぐえない。弟子の誰かに書かせたのだろうか、と思ってみたくもなる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-3-13 17:35:37 (514 ヒット)

「ゴサインタン」?どこかで聞いた覚えがあるのだが、なかなか思いだせないでいた。作品中にその名前が出て来てガッテンした。ネパールとチベット国境近くにそびえ立つ山「シシャパンマ」のことだった。

なんと緻密なファンタジーなのだろう、読んでいる最中そして読み終えてからも、そう思った。
なんとすぐれたエンターテイメントな作品なのだろうと。

NHK朝のラジオ番組で、パーソナリティーを務める高橋源一郎氏のトークゲストとして作者の篠田節子さんが出ていた。彼女は作品に対する想いやら姿勢などを語ってくれた。時間にしてそう長くはなかったのだけれど、たちまちラジオの前の彼女に共振して、ぜひその作品に触れてみたいと思った。番組中で取り上げられていたのは彼女の最新作「インドクリスタル」、それを求めて図書館検索してみたが、どこも予約がいっぱい。それまで篠田節子のことは何も知らなかったが、たいした人気作家であるらしいことがわかった。とりあえず、というか、しかたなしになんとなく手にとったのがこの作品。

物語は名家で農業後継者の主人公がネパールの女性とお見合い結婚するところから始まる。
話の展開が早く、それでいてぞんざいなところは全くない。挿話のディテイルもちゃんと押さえてあり、丁寧さを感じる。次から次へと動いて行く物語に引き込まれっぱなしで、ページをめくるのが楽しくて、あっという間に時間が過ぎて行った。

山を削って出来たとある新興住宅地の土砂災害が一つの挿話として描かれている。この場面で思い浮かんだのは、昨年広島で起きた豪雨の後の土砂災害。多くの人が犠牲になった。テレビの映像で見る限り、その場所はやはり山を削って無理やり造成してできた住宅地のように思えた。報道や私の周辺からは「あんなところに家を建てるからだ」という声も聞かれた。私も同感。災害が起こるべくして起こった地形にしか見えなかった。災害の後「災害危険地区と知っていたならば家を建てることはなかった」。と被害に遭った人たちが口にする。有史以来なぜその地に人が住んでいなかったのか?それは人が住むべき場所ではなかったからという考えには至らなかったのであろうか。

物語は人間の築き上げてきた文明とそれに付随してきた負の部分との対比を軸として描かれている。この作品はフィクションだが、ずいぶん前に読んだノンフィクション、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジの「ラダック 懐かしい未来」を思い起こした。グローバル社会になって、チベットにも近代風の様式が流れ込み、ヤクの代わりに乳を一杯出すジャージー牛が飼われ、杏の実を入れておく器は木をくり貫いて作った壷から粉ミルクの空き缶に代っていった。それが本当にチベットのためによかったのか否か。そのために失われていったものの大きさに注意を向けるべきではないか。ヘレナはそう投げかけていた。本書の凄いところは、そういう重たいテーマを背景に持ちながら、そんなに理屈っぽくなく、むしろ単純に楽しめるエンターテイメントに仕上がっているという点だ。

終盤、舞台はネパールへと移る。カトマンドゥの街の喧騒と匂いとけだるさが伝わって来る。ここでも作者の丁寧な筆運びが光る。けっしてわざとらしくはなく、理屈っぽくもなく、それでいてエキスだけは逃さず抽出している。よほど練り込んで書かれているのか、それとも作者の感性によるものなのか、やはりその両方から生みだされる作者の分身のようなものなのだろう。

こんな作品に出会うことは本読み冥利に尽きると云うもの。昨年読んだ高田大介の「図書館の魔女」以来の感動ものだった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-2-22 18:51:54 (599 ヒット)

怒涛の一気読み5時間。熊谷達也ここにあり。

先に読んだ「相剋の森」とほぼ同時期に連載初出されている。方や地方日刊紙、方や文藝誌。しかも主題が絡み合っている。だが完成度、読み応えには雲泥の差がある。何で筆圧にこんなに差があるのか不思議でたまらない。

主題が絡んでいるというのは、「相剋の森」で登場した熊田集落のマタギと女性ライター双方共通のルーツがここに描かれているからだ。「漂白の牙」で重要な役割を果たした村田式銃や、短編集で「山背郷」の題材とされた越中富山の薬売りも脇役に登場して、「ウエンカムイの爪」以来のマタギ作品の集大成ともいえる。

熊谷達也得意の「狩り」の場面はこれまで最強の出来、主人公の織りなす人間模様も今までの作品とは一味違う。

さて、物語としてリンクしている三つの作品、時代背景的には古い順に、「邂逅の森」「ウエンカムイの爪」「相剋の森」となる。が、たまたま偶然なのだが、自分が読んだ順に読んでいくのが、驚きや気付きもあって、よいように思う。つまり、「相剋の森」「ウエンカムイの爪」「邂逅の森」とう順。

「邂逅の森」はその評判通り読み応え十分の作品だった。これで熊谷達也とはしばらくおさらばしようと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-2-20 18:32:51 (492 ヒット)

熊谷達也の原点、熊谷達也のエキスがここにある。中編としてよくまとめられた秀作だ。

思うに、この後に書かれた数冊の本から察すると、作者はメインテーマだけでは物足りないと思ったのか、そこにサブテーマを、主に男女間の人間模様を織りこんで、深みのある作品に仕立てたかったんだろう。だが、その辺になると文章使いや筋立てが紋切調というか予定調和に陥ってしまっていた感が否めない。ただ単純に自然と相対する姿勢こそが作者の真骨頂なのであって、とって付けたような「下手くそ」な筋立ては熊谷達也には要らないと思う。
基本的に熊谷達也はハンターそのものであって、それを演じる役者ではない。

「相剋の森」に登場したカメラマンと雑誌編集者がこの作品で登場している。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-1-30 17:11:11 (522 ヒット)

「相剋」という言葉の意味をググッてみると、「対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うこと」とある。

現代においてクマ狩りは許されるのか否か。

舞台は、新潟県の北端、山形県との県境に位置する岩船郡山北町の熊田集落。そこに生きるマタギに焦点をあて、それを取材する女性ライターの「相剋」を描いている。

主人公の相剋は読者の心の内でもある。クマを生きる糧とした時代はともかく、現代社会においてクマは必ずしもそういう位置づけにはない。そんな中でクマ狩りを続ける意味があるのか。害獣駆除の名の下においての狩猟はどこまでが許容されるか。そういうことを主人公と一体になって考えさせてくれる。

熊谷達也の他の作品同様、どうでもいい話にスペースが割かれている。骨のある主題に添えた味付けがいかにも安易すぎて、定型的。しかし、この作品ではその「ブレ」はまだましの方。それでもこの作品を星三つとしたのは、やはり主題の物語が勝っていたからだ。終盤で繰り広げられる熊田集落に伝統的に受け継がれている「巻き狩り」の場面は読み応え十分。クマを追って仕留める興奮と臨場感に浸る。

なぜ「クマを狩るのか」、それは理屈や言葉で表せるものではなく、そんなのはどうでもいいことのように思えてきた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-10-21 18:29:56 (567 ヒット)

1996年に初版が出ている。

山の世界は「登ってなんぼ」。
その「なんぼ」がけた外れに凄い人たちのクライマー列伝。

世界のトップクライマー17人がインタビューを通して登山とクライミングへの想いを語る。
グレッグ・チャイルドの序文と、「はじめに」と題されたプロローグが現代登山と17人のクライマー達の理解に役立っている。

なによりこの本のすぐれているところはクライマー達の生の声を載せているという点だ。インタビュアーとして著者であるニコラス・オコネルは、クライマー一人ひとりの歩んできた山屋としての人生と生き方、その思想をうまく引き出すことに成功している。実績のあるクライマーの一言一言は飾り気がなく、実に生き生きとしていて、私たちの心に響いてくる。
決して彼らのような領域には入り込めないが、その考えに浸ることが自分の山への動機付けを高めてくれる。

手近なところに置いといて、いつでも何べんでも読んでみたい一冊だ。


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