はんごんたん処方箋

足跡掲示板

  • センダ様、発作時の辛さよくわかります。アブレーション技術は目まぐるしく進歩しています。そろそろ自分もと思うのですが、ななかな踏ん切りがつきません。なにせ、なんともないとこきはすこぶる快調なのですから。お大事になさってください。 ( panawang - 2018.09.27 17:45 )
  • 私も心臓の具合悪いです、疲れると(ストレス、暑い夏)心臓が悲鳴を上げます、不整脈と息苦しさ、胸の違和感を感じます。 ( センダカツミ - 2018.09.16 10:08 )
  • Repuさん、ありがとうございます。おかげさまで、発作は収まりまして、軽快に過ごしています。ただ、寝てばかりいたせいか、筋肉がすっかり落ちてしまい、目下復調に向け励んでいます。また、雑穀でお会いしましょう。 ( panawang - 2017.06.16 17:39 )
  • 救急搬送され、その後の経過はいかがでしょうか?決して無理されませんように。 いつも美しい写真、楽しませていただき、ありがとうございます! ( Repu - 2017.06.15 21:59 )
  • float cloudさん、コメントありがとうございます。返事遅くなりました。すみません。過分なおほめを頂き、こそばゆいです。つたない文章ですが、書くことによって、自分の考えをまとめようと努めています。当HPに辿りついていただきありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。 ( panawang - 2016.05.15 19:44 )

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Help にゃ〜ん♪
投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-11-15 6:44:06 (460 ヒット)

女性クライマーには美人が多い。
フリークライミングで多くの偉業を成し遂げその伝説となった彼女。そして、女性クライマー美人説を象徴するのもこの本の筆者であるリン・ヒルである。

表紙を飾る写真をみれば、クライミングに興味があろうとなかろうと誰もがこの本を手にとってしまうだろう。その精悍ともいえる整った顔つきと、岩壁の次の一手を見つめ、獲物を見据えるヒョウのような眼差し。そして岩と一体化した手と足、研ぎすまされた体。彼女のまわりの空間までもが張り詰めたクライミングの一部であるかのように彼女を包む。そして、巻頭に並ぶ究極のクライミングシーンを写した写真の数々、それらがこの本の内容以上のものを物語っている。

彼女の初めてのクライミングとの出逢いと、そして、その後フリークライミング界において数々の金字塔を打ち立てることになる、その彼女のフリークライミングの人生を綴っている。とともに、自らがその流れの中にあったフリークライミングの黎明期から現在に至るまでのクライミング技術とクライミングに対する捉え方の変遷もうまく描かれている。

なにより重要なことは、彼女には常によきクライミングパートナーがいて、大勢の仲間達がいたことだ。彼らとの出逢いがなければ、いくら才能のある彼女でもあれだけの偉業は成し遂げられなかったであろう。フリークライミングが本当に好きだということ、そして仲間達への賛辞と感謝の気持ち、そういう思いも本書からひしひしと伝わってくる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-11-7 18:03:20 (358 ヒット)

山を題材とした森村誠一の作品は実質上「エンドレスピーク」で終わった。そのあとに出された三部作はとても彼本来の作品とは思えない。誰か、他の彼の弟子が出筆したのではないか、そう思われるほどの出来具合。

そこで、原点に返り、初期の頃の作品を読んでみることにした。

この作品は昭和48年に書かれている。私が手に取ったのは昭和60年頃、30歳前後だったと思う。山登りを始めてから、山岳関係の小説を探しているうちに森村誠一に出会ったのだと記憶する。

後立山連峰の白馬岳から唐松岳に向かう9月の稜線上、そこで起こった遭難事故から物語は始まる。時代は高度成長期、財界と政界とが密接な関係を築いていた。そして、商社がその地位を盤石にしつつある時期でもあった。一方、原子炉開発に関しては、当時はまだ、核兵器への脅威とのジレンマで世論が右に左に揺れ動いていた。

以上のモチーフを背景としながら、男女の愛を描きつつ、密室殺人のトリックも盛り込み、最後には「うーん」とうならせる結末。いわば、おもしろさてんこ盛り。あろう意味、欲張り過ぎの作品と言えなくもないが、森村誠一の魅力が凝縮された作品といえる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-2-17 18:18:34 (394 ヒット)

いかにも森村誠一の作品にありそうな題名。
「純白の証明」「青春の雲海」につづく山岳三部作の最終巻、というのだが。

これまで読んだ二作品もそうだったが、この作品も中身がまったくない。それどころか、三部作の中では最低の作品となってしまった。この作品からくらべると、最初に出された「純白の証明」がまだましと思えるくらいの出来。

唯一の読みどころといえるのは「著者あとがき」くらい。これだけは森村誠一の意志が感じられる。

「青春の幻影を山岳ミステリーに具象化させたかった」と森村誠一は言っている。

その意味合いはなんとなくわかるのだが、作品としてはいずれも低レベルに終わっている。
もっと、しっかりとした山岳小説を彼には期待していたのに。

「エンドレスピーク」を頂点に、森村誠一の山は終わってしまった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-2-16 18:16:50 (537 ヒット)

個々の疾病については、それを知ろうと思えば様々な方法がある。今の世ならばネットで検索するのが手っ取り早い。症状についての詳細、治療法や対処法について相当詳しく知ることが出来る。

しかし、登山中の不具合と関連付けて記載されたものは意外と少ない。また、お医者さんにしても、山をやっていなければ、山行中での不具合について、100パーセント患者側に立って理解し、処置、指導するのは難しいのではないかと考える。

近年になって身に起こって来た登山中に起こる突然の体調の不具合について調べていたときに出会ったのが、この本だった。この本で「日本登山医学会」なるものがあることを初めて知った。

日本の医療はより細分化、専門化されてきているが、登山中の疾病についても適切な見識が求められ、患者側(登山者)もそれを求めている。
より登山について詳しいお医者さんに診てもらいたいと考えるのは小生だけではないだろう。登山中に同じ経験をしたことがあるお医者さんならば言うことなし。

小生が知りたかった循環器疾患について、山での疾病すべてに言えることだが、「最大の対策は予防である」と言いきっている。すなわち「循環器疾患は急速に進行し、都会でも分単位の診断・治療を要する。ましてや登山中に発症すると致命的であり、迅速な搬送なくして救命は難しい」からだ。

さらに、「登山中に起こる循環器救急疾患の特徴と発症時の対策」については、要点をまとめ一覧表にしてわかりやすく解説してある。自分の症状と照らし合わせるには好材料となるであろう。

他にも登山中に起こりうる様々な疾病も網羅されており、登山者、特に中高年登山者にとっては一読の価値があると思う。もちろんお医者様方にも。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-2-14 19:38:59 (378 ヒット)

山岳ミステリーとしてはなかなかよくできている。

あとがきで著者が言っているように「山とミステリーの融合は難しい」

そこをよく練り込んだ筋立で乗り切っている。

単独で出かけた女性の遭難が事件の底にあり、それにからんだ様々な人物が登場してきて、犯人探しの醍醐味もある。

しかし、架空の山の設定に若干の違和感を覚えた。周辺の山域や最寄りの町が実名で出てきているのに、対象の山や尾根が架空の名前となっている。なんとなくその場を想定しにくい。

また、何年もかけ何度も何度もチェックを行ったとのことだが、それでも腑に落ちない表記があった。山での岩登りを「岸壁登攀」としたり、「剣岳」と「剱岳」が混在していたり。

そういった詰めの甘さも作品の完成度に影響を及ぼすものだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-1-17 18:25:47 (490 ヒット)

先に続けて読んだ「純白の証明」「青春の雲海」と、二冊ともに、期待を裏切られ、今度こそはとは手に取った一冊。地元北日本新聞をはじめ多くの新聞に連載されたというから、それなりの内容のはず。

だが、今回もまたまた期待を裏切られてしまった。
「森村誠一はいったいどうしちまったんだ」と、つまらなさに斜め読むことしきり。

森村誠一の作品もまた類型化してしまっている。そのパターン化にしても、心地よさがまったく感じられない。字面こそ埋め尽くしてはいるが、上辺だけで、内容がともなっていない。同じパターン化にしても、昨年自分の中で大ブレークした池井戸潤とはえらい違いだ。

それとも私の読みが足りないのだろうか。今や大御所作家のはずなのに、この出来の悪さは不思議でたまらない。

物語は沖縄の知覧特攻隊基地から始まる。愛する女性のために二度も三度も口実をつけて特攻から戻って来る隊員。必死の命に背いて、生きながらえるため、特攻機を駆って単身中国大陸に向かった隊員。彼らの末裔たちの織りなすドラマ。これが、一つの類型。この部分で新聞読者の心をつかんではいるのだが。

軍事政権で揺れる東南アジアの某国から逃げてきている民主派指導者をかくまう非政府組織。この集団が浅田次郎ばりの個性派集団。その中の一人の女性が外国要人の特別供応係り。これもまた一つの類型。

主人公を取り巻く麗しい女性たち。主人公はあくまでいい人物である。

その女性たちや個性派集団を引き連れて山に入り、登攀シーンを繰りひろげ、山の世界を垣間見せる。これもまた他の作品に使われた手法。

今回はおまけとして、民主派指導者を抹殺するために送り込まれた八人の殺人集団が余興として登場。なんとも漫画チックでおバカな役回りを演じている。

そして最後にくるのは、ヒマラヤ山脈の末端に位置する某国にある未踏峰アグリピークへの大遠征。ここの場面にかなりのページが割かれている。資金力にものを言わせた三カ月にも及ぶ大キャラバン。相当大げさな大名行列だが山の話としてはいくらか見ごたえはある。

他の作家にはまねのできない、森村誠一得意の山の描写が冴えわたる。

そして、最後の最後にきて、主人公らを襲う悲劇。頂上アタックの帰路、殺人集団の最後の残りの一人がしつらえた罠にかかって、アタック隊は稜線から転落。4人のパーティーは一本のザイルで宙吊りとなってしまう。そして切断。これもまた類型の一つ。

正直言って、山の話にくるまでは、なんとも支離滅裂型の内容といっても過言ではない。特攻隊の末裔が見えざる運命の糸によって引き寄せられ、困難を共にし、そして一つの目的に向かって道を切り開いていく。それが物語の主題をなしているのだが、それにボリュームをもたせる肉付けがうまくいっていない。

直前に読んだ「青春の雲海」でも感じたが、この作品も「題材やそちこちに散りばめたプロット、プロットはまぁまぁだと思うが、筋立てや伏線の張り方が安易すぎて深みと面白みに欠ける」という印象だ。

加えて、この作品は多くの新聞に連載された作品。冒頭の特攻隊のつかみから某国の民主化運動に絡んだ序盤からは、新聞読者はある程度の期待を抱いていたはず。それが、物語が進んでいくにつれて、作者は深いロジックを組み立てられなくなり、へんてこりんな殺人集団の登場や、抽斗にあった過去の作品のモチーフを拝借して、それらを危ういながらも繋いで最後のアグリピークの遠征までもっていった、との印象が残る。

その辺を、生で読んでいた新聞読者はどう捉えていたのだろうか。そして、この作品を掲載した新聞社はいかに。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-1-15 17:36:35 (368 ヒット)

人生二毛作、三毛作。
人生をリセットするため、行方をくらまし、赤の他人に成りすまして暮らしてみたい。そんな願望は誰にでもあるのではないだろうか。今回の作品はそれが主題となっている。

山に行くといって、そのまま行方不明となってしまった本屋の主人。
その妻と、白馬から針ノ木への縦走路で棟居刑事が遭遇する。

本屋の主人とその会社の女性従業員との不倫逃避行。二人が転がり込んだ先は、これがまた人生二毛作、三毛作を地でいく人ばかりが住んでいるアパート。そこの住人は浅田次郎の小説に出てくるような、なんとも個性派揃いな連中ばかり。

外国要人のための特別供応担当女性まで登場し、主物語に絡んでくる。

数年前に起きた老婆殺人事件と今新たに起こった身元不明者の殺人事件の接点が次第に見えてくる。

棟居刑事が再び山に登る。

この作品もコメディなのだか、刑事ものなのだか、さっぱりわからない。題材やそちこちに散りばめたプロット、プロットはまぁまぁだと思うのだが、筋立てや伏線の張り方が安易すぎて深みと面白みに欠ける。浅田次郎ばりのユーモア仕立てにも程遠く、この作品にもがっかりさせられた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-1-14 18:30:56 (363 ヒット)

中央官庁の課長補佐がビルから飛び降り自殺をした。課長補佐といえばノンキャリア組としてはそこが最後の行き着く場所。しかし、省内の生き字引と慕われ、職場はもとより出入り企業からも一目置かれていた彼には自殺に走る理由は見当たらない。

自殺か他殺かをめぐり、警察が捜査を進めていくなかで浮かんできたのが、自殺をした課長補佐が絡んだ山での遭難事故。登攀中の仲間の一人が転落し、宙吊り状態の彼はパーティーを救うため自らザイルを切断してしまう。

捜査の糸口をその事件に見出す棟居刑事。

そのパーティーのメンバーを捜査中に相次いで起きる山の死亡事故。そして、再びザイル切断による死亡事故が起きてしまう。

サスペンスものとしてはロジックが薄弱、社会派小説としては企業悪が描き切れておらず、山の本としては深みがない。いまいち乗りに欠ける作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-1-10 5:43:50 (384 ヒット)

かつて、大日平と弥陀ヶ原を分けている称名川に橋を架ける計画が持ち上がったことがあった。もし実現していれば立山周辺の観光状況は大きく変わっていただろう。その後、どうなったのだろうか。

この作品は槍ヶ岳の開発計画が素地となっている。そして街で起こる殺人事件。そのアリバイのために山が使われた。写真を使った巧妙なトリック。図説まで挿入してあり、山と推理小説どちらも狙った野心的な作品。

ストーリーや、トリック自体はそんなにワクワクさせてくれるほどのものではない。しかし、ときおり描かれている山の臨場感が秀逸。言葉で表現しがたい一瞬の輝きをこうやって文章で言い表せるのも、やはり物書きのなせるわざだろう。

以下引用:

『一瞬の時点をとらえての写真に定着させたような観察すら、赤と黄を主体にした色彩の洪水である。それが時間の経過にしたがって、夕闇の藍と黒の蚕食を受けて、少しも静止することのない千変万化の色彩の饗宴をくりひろげていた。稜線に近づいて赤みを帯びた太陽が、雲を染める。逆光の中に濃いシルエットを刻んで沈む稜線の真上が最も赤く、天の上方へ行くにつれて茜から黄色へ、そして、夕闇がひたひたと侵蝕して来る東方の藍色の空へとつながる』

『その中間にあって、複雑に堆み重なった雲層が、落日を屈折して乱反射する。光を浴びた雲の下層は燃え上がり、雲そのものが炎のように見える。上層の雲は、紫から、黒へと退色する』

こんな書き方してみたいなぁ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-1-1 15:40:49 (421 ヒット)

この作品は1968年に青樹社から出版され、その後2006年まで、数多くの出版社から発刊されている。
実に40年間、その時代時代において、様々な読者層に読み継がれてきた秀作である。

小生が山を始めてまだ間もないころにも一度読んだことがあったと思うのだが、内容はすっかり忘れてしまっており、題名だけが脳裏に残っていた。その再読。

作者は、この作品を「ある先輩作家から酷評されて、私は一時、自信を失った」というのだが、自らも述べているように、小説は「評価や読み方も読者によって天地ほどに分かれる」。これほど長きにわたって読み継がれている事実をしてみれば、その「酷評」は、とある一読者の一つの見方にすぎなかったのだろう。誰がどう酷評しようとも、それ以外の読者の好みに合いさえすれば、その作品が世に出された価値があるというもの。

「分水嶺」は人生の分岐点と重なり合う。題名を「分岐点」としたならば、それこそ味気ないものになってしまっていただろう。「分水嶺」の持つ語感のよさに引き付けられ本書を手に取ったものも少なからずいるだろう。

冒頭から始まる穂高の分水嶺での山岳シーンがこの物語の成り行きを暗示する。その後、登場人物それぞれの前に様々な形で現れる分水嶺。それを右に左に分けながら話は進んでいく。

分水嶺には二通りあって、自らその進む方向を決められるものとそうでないもの。どちらも、運命を分ける重要な分岐点となるが、後者においては、選択ということで自分に裁量権が与えられている。

逆にいえば、選択は自分の人生を自ら決め得ることのできる鍵ということである。日々に下す様々な決断、その前には必ず選択がついてまわる。人生を決める大きな分水嶺に接し、決断を迫られたとき、人は何を基準に選択するのか。この作品はそんなテーマを問うている。

今自分は人生の一つの大きな分水嶺に立っている。そんな時期にこの本を読み返したのは何かの因縁なのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-12-9 20:54:19 (370 ヒット)

昭和十六年、日本にはきな臭い匂いが立ちこめていた。

その年の夏、女性一人を含む五人の若者が槍ヶ岳の山頂に立った。いつの日にかまた五人揃って再び槍ヶ岳に集うことを誓い合い、その証として、山頂の小石をそれぞれが持ち帰った。日本、アメリカ、中国に散らばっていった五人の青春物語。

戦後五十年を機に出筆され、朝刊紙に連載されたという。それから今はさらに十五年が経過している。

森村誠一ならではの、重厚で奥の深い作品である。それでいて品格もある。

戦後五十年といえば、まだ戦場経験のある人々が数多く残っていた。戦争の話を聞きたければ、その人達が語ってくれた。聞こうと思えば、直接その人に会って話を聞くことができた。

小生のお得意さんの中にも、満州引き上げぐみや、シベリヤ帰り、南方洋上から帰還した人たちが少なからずいて、その方々から生々しい話を数多く伺った。自分の子や身内には話さなくても、他人には話して聞かせるという方がほとんどだった。小生の父からも戦時中の話は聞かず終い。父もあえて語ろうとしなかった。自ら話してくれれば、私には聞く用意はあったと思うのだが、父が逝ってしまった今となっては詮無い話ではある。

たまたま、この小説を読んでいる最中に、父と予科練で同期だった人に会うことが出来、当時の状況を聞くことができた。その方の奥さんも同席していたのだが、その内容は、奥さんですら、何十年と連れ添っていて、一度も聞いたことのない話ばかりだった。当時予科練や予備学校の最年少部類にはいる年代の方たちも、すでに85歳前後。あと何年かすれば、その方たちの大方はいなくなってしまう。父を含めその方たちの年代は、特攻隊志願者も多い。話を伺ったその方も、ただ「現物」がないため本土で足止めをくらって、言わば順番待ちの状態で終戦を迎えたとのことだった。

作者がこの作品を書いた頃、15年前、まだ、その体験者が大勢残って、直接話を聞こうと思えばそれが可能だった。しかし、あと数年もすれば、戦争の記憶の伝え手がいなくなってしまう。 一次情報が得られなくなるということは、二次情報に頼るしかない。その意味においてもこの作品の持つ意味合いは深い。

テーマは戦争。それを描いた小説はそれこそ山のようにある。それらを決して数多く読んできたわけではないが、この作品は、その中でも最上級として位置づけられるものと思う。

悲惨な場面も数多く描かれており、涙すること多々。しかし、五人の主人公らを含め青年の純粋で前向きな気持ちが全編を通して描かれており、その悲しみを明日への勇気と希望に変えてくれる力が本作品にはある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-12-4 17:04:39 (348 ヒット)

前に読んだ「天空の回廊」よりはおもしろい。話があちこちに広がらず、ほとんどが山中心の物語に仕上がっている。

山だけで、これだけの長編を書くのはたいへん難しい。いくら山好きでも、山のシーンばかりでは、読みものとしては飽きがきてしまうからだ。そうならないようにとの思惑があってかどうか、山の小説にはサスペンス仕立てとなっているものが少なくない。本作品はそのサスペンス性を匂わせながらも、そちらに偏りすぎない筋立てに仕上がっている。

サスペンスに気をまわし過ぎると、山の話なのかサスペンスなのか、中途半端な物語に陥ってしまう場合が多々ある。先に読んだ「天空の回廊」はその一つの典型。

作家にとっても労多くして実り少なし、ということになりかねない。おそらく、作者は風呂敷を広げ過ぎた前作に懲りて、なるべく純粋な山の物語を目指したものと想像される。その薬味としてサスペンスが少々ふりかけてある。

舞台はブロードピークとK2。
K2で最愛のパートナーを悲惨なかたちで失った主人公。

その彼が再起の可能性を胸に秘め、公募登山のスタッフとなってブロードピークを目指す。そこで彼はそれまでの自分の山登りとの違いに戸惑いを感じる。公募登山とはお客さんを登らせてなんぼの世界。そのためには自分はひたすら脇役に徹しなければならない。というより、そこは山であって山でない。山に向かうとか山懐に抱かれるとかそんなこととは無関係の「仕事場」でしかない。それまで自分のために登って来た山と「区別」せざるを得なかった。

ニュージーランドの公募隊と協力し合いながら、登攀はいよいよ最終段階に入る。ニュージーランド隊のアタック日、天候が急変し山頂付近は嵐に包まれる。大量遭難の思いがよぎる。そこで主人公は公募登山のスタッフとしてではなく、一人の山屋としての行動に出る。救助に向かう彼の心の内からは「仕事場の山」と「自分の山」との垣根が取り払われてしまっていた。

還るべき場所をみつけた主人公であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-27 17:54:30 (361 ヒット)

読んでいて、心あたたまる作品。

作者自身も肩の力が抜け、リラックスして書けているような感じ。

アスペルガー症候群の少女を含め三人の元山小屋従業員が、山小屋の主人、パウロさんの遺言に促され、ネパール西北部のカンティ・ヒマール山域の未踏峰「ビンティ・チュリ」を目指す。

先に読んだ「天空の回廊」と同じ作者とは思えないくらいシンプルな筆運び。文体も時につれて変わっていくのだろうか。

これまで山小屋はあまり利用したことがなかったが、なんとなく山小屋に泊まってみるのもいいかな、と思わされた。小屋の主人との触合いもまんざらではなさそうだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-22 20:52:56 (414 ヒット)

久々の山岳冒険サスペンス。エベレストを舞台に繰り広げられる山岳アクション。だいぶ古くなるが、ボブ・ラングレーの「北壁の死闘」を彷彿させる。

登攀シーンは細部にまで正確に描かれており、山屋が読んでも全く違和感がない。むしろ、臨場感漂う登攀シーンが見所。ただ、登山経験のないものにとって、この辺はどのように感じるのだろうか。

エベレストの山頂付近に墜落した人工衛星が実はアメリカの中性子爆弾の弾頭を積んだ軍事衛星だった。その軍事衛星の奪取をめぐり物語が進行する。

エベレスト登攀にかける山屋の物語に軍事衛星の秘密に関する彼我の物語が連動する。しかし、これがやや風呂敷を広げ過ぎて、その辻褄合わせに一苦労。結局、複雑で説明的にすぎる作品になってしまった。登場人物も多すぎて、誰が誰だかわかんなくなってしまう。もう少し話を単純にした方がよかったのではないかと思う。

登攀シーンなどの客観的な描写力は優れているが、セリフまわしや文章使いに紋切調的な表現が多々見受けられる。それもちょっと気になる点。笹本稜平は自然に筆がすすむというタイプではないようだ。熟考の末練られた表現と筋立てが仇になっている。書き手としては、小説よりも学術論文や報道記事に向いているように思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-8 18:21:10 (397 ヒット)

今年の一月中旬ごろだったろうか、ラジオ番組のブックレビューのコーナーで児玉清さんがジェフリー・アーチャーのことを熱く語っていた。曰く、「ジェフリー・アーチャーの人生は波乱万丈に富んでいる」と。

それから、いくらもたたないうちに、児玉清さんは亡くなった。芸能人やタレントの訃報に接して、それほど深い悲しみは抱いたことはなかったが、児玉清さんのことを耳にしたときは、違った。本読みという繋がりを通して同志という意識が自分にはあったのかもしれない。あの肝の入った語り口を思い起こすたびに目がしらが熱くなる。

そのジェフリー・アーチャーの作品をようやく手に取った。

エベレストを目指して、帰らぬ人となったジョージ・マロリー。果たしてマロリーは頂上に達していたのか否か、そこで何が起きていたのか、謎に包まれたまま、時間だけが過ぎ去っていった。遺体が発見されたのは1999年の春、70年以上の空白を越えて、その話題はセンセーショナルな出来事として世界中を駆け巡った。

本書はマロリーのエベレスト登頂の物語りというよりも、マロリーの生涯を描く評伝小説的要素が強い。彼の家族構成から始まり、幼少の頃からの彼を追っていっている。かつ、登頂の謎と彼の遺体が数十年もたってから発見されたこと、その話題性をうまく絡み合わせている。

往年の登山家ヤング、オデール、アーヴィン、フィンチらが登場するたびに胸が躍る。しかし、マロリーがただ一人自分と同等かあるいはそれ以上と認めていたフィンチを除いて、他の登山家達の活躍は控えめに描かれている。
フィンチはかなり個性が強かったとみえる。イギリス人の典型であり理想ともいえるマロリーとは対照的。化学者であったフィンチは酸素を使っての登頂に可能性を見出し、最初の遠征では彼の方がマロリーより上部に達していた。

しかし、次の遠征隊に彼ははずされてしまう。王立地理学会がオーストラリア人のフィンチをエベレスト征服の最初の一人として認めることを潔としなかったのだ。当時イギリスが威信をかけて臨んだ南極到達もノルウェー人のアムンゼンによって成し遂げられていた。
エベレスト初登頂はなんとしてもイギリス人でなくてはならなかった。しかし、その後、歴史上初めてエベレストの頂を踏んだのがニュージーランド人のヒラリーだったことを鑑みれば皮肉な話ではある。

マロリーは果たして登頂に成功したのか、女神は彼に微笑んだのか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-3 18:45:01 (344 ヒット)

B級アクション。

これでもか、これでもかと雪のシーンが出てくる。ストーリー的にはいまいちだが、主人公の頑張りはえらい。雪山の経験がある人なら楽しめるはず。

第17回吉川英治新人文学賞


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-11-2 18:51:23 (316 ヒット)

ケイビングサスペンス

これはケイビング一本。山の本としてはどうかと言われれば、話が黒姫山からヒスイ峡の洞窟を舞台となっており、山とサスペンスが同時に楽しめる。人物描写、話の筋ともにB級。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-12 18:14:10 (520 ヒット)

1986年の夏、K2に起こったに悲劇。そこで何あったのか、この本にはそれが記されている。また著者クルト自身と彼のパートナーのジュリー・チュリスとの荘厳な山の物語でもある。

読み始めてまず驚いたのが、1986年にK2に挑んだときのクルトの年齢。なんと54歳。その歳でK2に臨めるものだろうか。同じ歳ですでに隠居を決込んでいる自分にはそれだけでも驚異的かつショックな話。K2を剱に置き換えて、こんなことをしている場合ではないと思うことしきり。

当時と言えば、メスナーやククチカの動向が常に登山界の話題となり、トモ・チェセンが新進気鋭のクライマーとして頭角を現し始めてきた頃。そんな中にあって、彼らから見ればクルトのようなおじさんクライマーも懸命に山に挑戦していた。そこに引き付けられた。

登頂まで若干の紆余曲折はあったにせよ、二人で念願のK2に立ったときは至福の瞬間だった。クルトはその『若干の紆余曲折』を遭難の兆候とらえて記述している。登山の目標はただ山頂に達することだけではなく、無事下山することも含んでいる。登山全体を捉えたとき、『若干の紆余曲折』が致命的な結果をもたらす要因となることもあり得る。今回の場合、クルトはそれを示唆し、その予兆を感じていた。特にK2のような8000メートルを超えるビッグクライムとなれば一つの綻びが全体の成果を左右する危険性を秘めている。「あのとき何故あんなことをしたのか?」だが、いくら用意周到に臨んだとしても、何もかも予定していた通り完璧にいく山などあるわけもない。その時々に応じて最善の策と思えたことをやっていたつもりでも、それが結果から見れば、そうでなかった場合もあり得る。

8000メートルを超える高所での過酷なビバークを経て、次々と倒れていく仲間たち、その中には一緒に登頂を果たしたジュリーも。それぞれの悲惨な状況をクルトは冷静に観察し、淡々と綴っていく。飾らない文章がよけい臨場感を際立たせている。まるで目の前でそれが起こっているかのように、自分が彼らと一緒に狭いビバークテントの中にいるように。疲労困憊し立つ力もなく体を横たえ、涙目でクルトを見つめている自分がそこにいる。今まさに死に行く彼らをどうしてやることもできない。自分らが進むだけ。彼らを後にしてクルトは下り続ける。そしてついに希望のテントが見えてくる。一緒に登り、同じ時、同じ空間にいて、極限の世界を究めながらも生還した者と残された者、その違いはなんだったんだろうと思う。双方とも彼らは彼らの山をやってきて、結果、そうなった。それしか言えないような気がする。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-12-10 6:22:02 (540 ヒット)

富山県朝日町蛭谷の和紙のことを調べたくて図書館に行ったが、思いのほか資料が少ない。それでも、なんとか探し当てたのがこの一冊。お目当ての蛭谷の和紙につては、記述は少ないが、知りたいことのおおよそはカバーされていた。「北陸産」ということだから、もちろん、他の和紙の産地についても触れられている。その中でも、特に興味をひかれたのが、八尾と利賀の和紙。富山の薬にも使われていた膏薬用の和紙のこと。利賀の和紙の成り立ち、と、福光の商人との深い関係。など。なにしろ、「産地に行っても、文書として残されているものは皆無に近い」という。古文書などを丁寧に読み拾い、そこから和紙に関する記述を抽出し、考察を加え、一つの本にまとめ上げたのだという。それは並大抵の作業ではない。大変な苦労があったのだろうと想像される。そのようにして出来上がった本書は貴重な資料であるとともに、読みながら和紙の産地を旅して歩いているような気分に浸らせてくれた。たまには、デジタルでない旅をしてみるのもいいものだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-5 20:30:15 (534 ヒット)

『前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて』
この出だしは名文だろう。この一行で物語に引き込まれてしまう。紅葉に染まる蔵王で、偶然別れた夫を見かけた妻が元夫に手紙を送る。その手紙をもらった方は、最初戸惑いながらも返事を返す。その後数回の手紙が行き来する。離婚の直接の原因は夫が起こした惨劇にあるのだが、手紙のやり取りから、別れた後もお互いに愛を抱いているは明らか。手紙を書くことによって、自分の気持ちを整理し、その時々の思いを正直に語っている。
錦繍とは赤、黄、橙に染まった、全山紅葉の錦絵を思い浮かべる。一本、一本の木が全体としてモザイクのように融合し絡み合って、一つの景色を作り上げている。人生もまたしかり、自分のまわりのもの全てが複雑に絡み合ったモザイク模様。本書では手紙という形をとって、それを十二分に描いて見せている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-19 6:04:26 (477 ヒット)

吉村昭 著 ★★★ 新潮文庫

息子から手渡された本の二冊目。これも高校の推薦図書だという。
高熱隧道とは何なのか、なんとなく知ってはいたが、こんなに凄まじい話だったとは。昭和11年、黒部第三発電所建設に際し、欅平から仙人谷まで穿たれた隧道工事。黒部奥山は急峻なところで、自然条件の厳しさは折り紙つき。相当な難工事が想像される。欅平と仙人谷双方から掘り始め、それが寸分の狂いもなく貫通し合うのは至難の業。実際、両穴がかち合った時点での中心線は水平に1.7センチの誤差しかなかったとか。題名となった隧道の高熱問題、頑強に作られた宿舎が文字通りふっ飛んでしまう泡雪崩、それらによる事故が相次いで、ついには犠牲者の数は三百を超えてしまう。度重なる事故のたび、現場の工夫達は幾十もの死体を目の当たりにする。しかし、恐怖に怯えながらも工事を進める。それを支えたのは、下界では到底考えられないほどの高賃金もさることながら、工夫達の意地とプライドである。高温のためいつダイナマイトが爆発するかもしれない恐怖、一方でなんとかして自分のこの手で貫通させたいという気持ちの高まり、両者が心の中でせめぎ合う。そしてついに片方側から一本の鑿が貫通する瞬間がやってくる。昭和の日本を築いた先人たちの熱い思いの詰まったドラマだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-6-8 6:15:08 (390 ヒット)

ダライ・ラマ 著 ★★★ 文藝春秋

ダライ・ラマ幼少のときから1959年の亡命政府設立、その後30年にわたる亡命生活について、その時々のエピソードを交えながら語っている。中でも、ラサからインドへの国境越えは相当の苦難であったことがうかがえる。
中国はチベットを帝国主義者からの開放の名の下に侵略し、多くの寺院の破壊をはじめとして民族文化の破壊、民族の独自性、独立性を奪い取った。ダライ・ラマをはじめ多くのチベット人が世界各国に避難し、チベット国内の同胞と共にいつの日か祖国が自らの手に戻ることを願っている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-12 6:15:23 (294 ヒット)

谷甲州 著 ★★ ハヤカワ文庫

全編が山の話。いわくありげな一人の男によって寄せ集められた即席の隊が山に挑む。何か事件が起こりそうな出だしであったが、物語的にはそうでもない。山登りのタクティクスに関しては忠実に描かれているので、その辺は楽しめる。核心は主人公にときよりおそいかかるデジャブ現象がはたして彼らの山登りとどうリンクしてくるのか、というところだろう。だが、それは細い支尾根に留まって、太い尾根とはならなかったようだ。山をやっているものなら誰もが抱くであろう、「夢想」=「こんな場面が来たらどうしよう」、という想いを断片的に書きとどめた、そんな本となっている。ごく浅い夢物語である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-12 6:12:34 (276 ヒット)

立松和平 著 ★★★ 新潮社

ふたら、「にこう」とも読み、日光の語源になったとのこと。
男体山と中禅寺湖に育まれた一青年を通して、山の暮らしと自然を描いている。読み始めてすぐ、戸惑いを感じる。海外小説の邦訳物と明らかな違い。日本語が丁寧に書かれている、一語一語吟味して書かれていることがよくわかる。これが邦訳ものとの大きな違い。もちろん、国内の物書きにも言葉を大事にする作家とそうでもない作家とがいるのだろうが、立松和平は特に言葉に敏感な方に違いない。おそらく作者は遅筆だと想像される。邦訳物を読んでも、所詮それは訳文にすぎず、原作の文章を完璧に表現しているとは言いがたい。最近ジェットコースターミステリーが流行り、自分もその手のものを好む傾向がある。そんな早い展開になれていると、本書のようにゆっくりと、一歩一歩山歩きをするような文章運びに出会って、違和感を覚えたのであった。しかし、すぐに慣れ、心地良さえ感じるまま、物語へと引き込まれていった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-11 6:30:18 (369 ヒット)

中河与一 著 ★★ 新潮文庫

山の本の案内書にはこの作品が必ず出てくる。主人公のストイックな面が山屋に多く見られるそれとダブっているのかもしれない。話の中でも、主人公は見果てぬ恋の行く先として、薬師岳の麓にこもり、山の村で生活を営む。全体からすればわずかな記述なのだが、山に親しむもにとっては俄然と同調してしまう部分だ。様々な言語で訳され、40万部も売れたというから、海外での評価は相当高いらしい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-11 6:23:10 (349 ヒット)

梓林太郎 著 ★★★ 角川文庫 

山の本を探して当てもなく本屋を彷徨うことはよくある。本書もそんな中から見つけた一冊だった。昭和63年に出ている。当時はネットというものはなく、山の本を見つけるのも一苦労、というか偶然に出くわす場合がほとんど。だから、「あれ、こんなところにあったのか」と見つけたときの喜びはひとしお。梓林太郎は山岳ミステリーを数多く書いているが、その中でもこの作品は良くできている方だと思う。山に題材を追っていくと、だんだんネタ切れになっていき、書き出しだけが山に関することだけで、あとは下界に話が持ち込まれていくというパターンは多い。純粋に山だけに絞って書き込むのは、ミステリーとしては難しいものがあるのかもしれない。本書はわき道にそれることなく山での物語を描いている。B級であはるが、中の上の上、といったところだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-10 6:19:34 (359 ヒット)

スティーブン・ヴォイエン 著 ★★ 講談社文庫

ピーター・マシーセンに同名のノンフィクション風の作品があるが、この小説はその影響を強く受けている。前者は雪豹を追いつつ自己との対話を描いているが、こちらは完全なエンターテイメント。雪豹や他の希少動物の調査のためネパールの奥地に向かう主人公ら一行を待ち受ける怪しい影。話の筋としては変化に乏しいのだが、トレッキングの雰囲気は十分味わえる。話が進まず、つまらなく感じることもあるが、そこは堪えて読み進む。山の本としての評価は分かれると思うが、読み終えた後は小高いピークに登ったような印象が残った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-10 6:18:16 (439 ヒット)

沢木耕太郎 著 ★★★★★ 新潮社

久々に出た読み応えのある山のノンフィクション。
山野井夫妻のギャジュンカンでの登攀の模様を詳細に描いている。
山岳史に刻まれるであろう壮絶なこの山行のあらましは雑誌で見ていたが、生きて帰って来られたことが奇跡に近い内容だったと記憶していた。そこでは山野井は、わずか数ページ分しかその模様を語らなかった。その信じがたい山行についてもっと知りたいと思っていたのは私だけではあるまい。あまりにもすごすぎる生還劇の一部始終がここに描かれている。
文章に切れがあるわけではないのだが、二人の壮絶な戦いの描写と生きて帰ってきたという事実、がそれを補うにありあまっている。写真、地図が添えてあればなお良かったと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-10 6:16:09 (285 ヒット)

中村保 著 ★★ 山と渓谷社

チベットの東には6千から7千メートル級の未踏の山がごろごろしているらしい。といってもどの辺なんだかピントこない。筆者はその山域に何度も足を運びいれ、未知の山々を調査して歩いた。本書はその紀行と記録の集大成である。この地域は中国にとって非常に難しい領域であるため、入域、登山ともに非常に厳しい制限がる。その悪条件をかいくぐって踏査している。『入ってしまえば、こっちのもの』なのか。
山域的なこともあって、漢字の地名、山名、人名が非常に多く、読むのに苦労する。カタカナばかりでもつらいものがあるが、漢字ばかりでもやはり読みづらい。しかし、雪をまとった目を奪われんばかりの秀峰の写真も載っており、あれやこれやと想像力をかきたてれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-5-9 6:50:07 (301 ヒット)

ピーター・マシーセン 著 ★★ めるくまーる社
1978年米国ナショナル・ブック・アワード

作家でありナチュラリストである著者は1973年にネパール奥地の内ドルポに出かけた。動物学者GSのヒマラヤアオヒツジの生態調査に同行したものである。また、その生態がはっきり判っていない大型の猫科動物の雪豹も視野にいれてのトレッキングであった。
当時の辺境の地へのトレッキング模様がよくわかり、一緒に旅している感じとなる。また、仏教に深く帰依している著者の心の旅模様も描かれている。
ただ、不信心者の私にはアメリカ人ブッディストが語る精神世界はやや難解であった。


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