息子との剱岳 2011/8/14-15

投稿日時 2011-8-16 18:12:43 | トピック: 山旅

息子と連れだって剱岳に行って来た。息子と山へ行ったのは彼が中学2年のときが最後。息子といる時間が楽しくてうれしくて、幼少の頃からあちこちの山へ連れまわった。かみさんとのときもあれば、小生とのときも、また家族でキャンプしての山もあった。どちらかといえば、かみさんと一緒の山が多かった。自分は盆暮れ正月は山仲間とうつつをぬかし、休みをそれで使い切ってしまっていたからだ。そんな自分のことをかみさんはいつまでも根に持っている。

今回は息子と二人だけ、14歳の挑戦から7年の月日が過ぎた。あのときとでは自分の気持ちが随分と変わった。数年前の父の死が大きく影響しているのだと思う。自分が無に帰するときの息子の気持ちを考える時間が多くなった。子供が幼少の頃、自分らと共に過ごした時間は、子供にとって有意義な時間であっただろうが、親にとってもとても大切な日々であったと思う。しかし、いくら思い出を積み重ねても、死んでしまったら、その時はすべて無になってしまう。そうなると残されたもの側の思い出だけが唯一の存在していた証になる・・・。

初日 
馬場島から伝蔵小屋まで5時間、大体予定通り。水場のことがわからなかったので行動水含め9リットルの水を担ぎあげた。案の上水場がなく正解だったが、ビールを冷やすのに困った。しかたなく、草むらの陰に放置して夕方まで待った。先週かみさんと白山に行ったとき、午後からの時間を持てあましていたので、今回はテント本を持参した。池井戸潤の「オレたち花のバブル組」。最近ハマっている池井戸潤。読み終えたころ、ビールを開けると冷たいとまでは言えないが、ほどほど飲めるころ合いにはなっていた。小屋では2リットル800円の水が飛ぶように売れていた。テン場は我々含め10張りほど。

二日目
西にはまん丸い月が残る。流星群でも見られないかと目を凝らしてみたが、人工衛星が引いて行くだけで、普通の夜空だった。本峰まで3時間、空身でも意外と時間がかかった。小学生を伴ったグループに抜かれてしまう。早くも秋の兆しが漂う稜線。マツムシソウ、ウサギギク、トリカブトの群生が目を和ませてくれた。ナナカマドの実も色づき始めている。
快晴の山頂、居場所がないくらいの賑わい。祠にお賽銭を入れ形ばかりのお参りを済ませ、早々に移動する。長次郎谷側にやや下った岩のベンチに腰掛けて眺望を楽しむ。7年前、剱登頂後息子と縦走した山々に思いをはせる。下山は慎重に、無事テン場に到着。ラーメンをすすって腹ごしらえをする。だが、帰りの水が心配。なにしろ、息子の消費量が半端ではない。

小屋を後にしてから、足を引きずりだした息子。7年ぶりの山としてはよくやった方だと思う。その痛みをこらえながらもゆっくり、ゆっくり下山する。天候は下り気味。松尾平手前からザーザー降りの雨となる。カッパを被るとき、最後の水を飲み干した。「お父さんも飲む?」と聞いてくれたその一言が無性にうれしかった。「お父さんはいいよ、お前全部飲みな」。その時の息子は7年前をそのままスケールアップしたような姿だった。あの時と同じ、一つの思い出となった。ちょっとだけ違うのは、家に帰ってからビールを酌み交わしたこと。飲みながら、双方の想いにあの時とは違う何かをお互い感じていた。










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