「道なき渓への招待」高桑信一 著 ★★★★★ 東京新聞出版局

投稿日時 2013-12-30 18:00:52 | トピック: 山の本



敬愛する山屋をただ一人挙げろ、と言われたら、迷わず高桑信一だと答える。
氏には一度も面識はないが、彼の山の活動と生き方は数々の本に刻まれていて、いつしか私にとってあこがれの存在となっていった。
高桑信一は自らを沢屋と言いきっている。彼の沢に対する想い入れは尋常ではない。そして、沢を通しての人とのつながりも濃く深い。また、彼の書く文章は他の山岳愛好家と比べれば群を抜いている。というよりずば抜けている。いっぱしの文筆家と比してもけっして劣らないだろう。沢水のごとくほとばしる感性を素直な筆致で書き綴った山の記録は、単なる記録にとどまらず、一つの芸術作品をみているかのようだ。よどみない文章とけれんみのない文体が豊饒な沢の世界へといざなってくれる。

本書の全てが珠玉の名文なのだが、ほんの一部のみ引用してみよう。

以下引用

ぶ厚く残る谷の雪渓がようやく融けだし、山肌を彩るブナの淡い新緑が少しずつ色を増していく遅い春に、会津国境の小さな沢を旅した。青桐の花の咲く山裾の仕事径をたどると、夏はいちめんの葦が生い繁る広い川原に出た。めざす小沢は、葦原の右奥からひっそりと流れこんでいた。

遭難の防止と、発生時における対応は同次元で語られるが、まったく別のものだと思っていい。遭難防止はソフトだが、遭難発生時の対応はハードだ、といいかえてもいい。

ごくまれにあらわれる天才と呼ばれる人びとを除けば、人生のすべては経験則によって支配されているといっていい。経験を下支えにした継続の力が、さまざまな技を高め、自信をあたえ、導いていくのである。いくら私がゼンマイ採りに惚れこんで弟子入り志願をしたところで、それは四十八歳の手習いにほかならず、柔和にして辛辣な会津のゼンマイ採りたちには、終生私を仲間とは認めてくれないだろう。
何十年も前にほんの少し齧った程度の経験が、いまの登山に通用すると思ってはいけない。登山における信頼すべき経験とは、継続された経験と密度である。

暴風の雪山で、あまりの風の強さにテントすら張らせてもらえず、そのなかに蓑虫のようにもぐりこんでふた晩を耐えた日。薄い布地のむこうに地獄があった。ひとりの女性が、差し出された食べものや飲みものに手をだそうとしなかった。体力をつけておかないともたないよ、という私に、飲むこと食べること自体エネルギーを使う。それに、飲んで食べれば出るものは出る。女性にとって、この強風地獄でのトイレは死に等しく、それならいっそ、飲まず食わずで耐えるほうを選びたい、と答えた彼女の言葉を忘れない。そのしなやかでしたたかな逞しさを見るがいい。男はどうあがいても、彼女たちにかてそうにないではないか。

山の会など、結局のところ虚構であり、泡沫にすぎない。山で飯が食えるわけではない。ロープを結んで命を支えあったとしても、家庭や仕事にかなうはずがない。思いを共有したからといって、その関係が永続するとはかぎらない。さまざまな人生と価値観を交差させて、人は離合集散を繰り返すのである。

渓にめぐりあって多くの友と仲間を得た。長く遊び続けてこられたのは、彼らの存在によるものだろう。仕事より遊びのほうが人の関係はむずかしい。仕事という大義名分で逃れられても、遊びそのものは仕事と無縁であり、純粋に遊ぼうとすればするほど、相手をきちんと見据えた関係を築かなくてはならないからだ。だからこそ彼らはかけがいのない存在であった。傍若無人にふるまってきたが、人生など所詮プラスマイナスゼロである。じたばたするまい。悲惨な老後まで、まだ少し間があるはずだ。いま少し渓をみつめていよう。それが共同幻想だったとしても。


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