当世ナメコ事情

投稿日時 2016-11-24 16:10:27 | トピック: 山旅



山と関わって久しい。40代までは自分に試練を課した山が多かった。50代に入ると、体力の衰えやら、体調の変化やら、家庭内の事情やらで、難易度の高い山から遠ざかり、低山の山歩き中心へと志向が変わっていった。垂直から水平へ、そんな言葉がぴったりかもしれない。

そうなると、それまで見えていなかったものが見えてくるようになってきた。ゆっくり歩くことによって、季節による山の変化に敏感になってきた。足元のちょっとした花にも目が行き、新緑の眩しさに目を見張り、ダケカンバの雄々しさに感動を覚えるようになってきた。そうなると山の幸へと興味が湧いてくるのは自然の流れというもの。陽がきらめいてくる残雪期はもっとも好きな山歩きの時期だが、山菜というおまけが付いてからは、春山と山菜は切って切れない縁になってしまった。

そこに近年加わったのがナメコに始まるキノコ狩り。これでさらに山の楽しみが増えた。
話は十年くらい前に遡る。山に限らず県内の、シイ、ナラ類がカミキリムシによって総枯れになった。山という山はすべて赤茶けてしまった。まだ夏の終わり、早くも紅葉が始まったのかと思ったら、立ち枯れしたミズナラの葉っぱが遠目では紅葉しているように見えただけだった。ひどいところでは全山枯れてしまったケースもある。いわゆるナラ枯れで、見るも哀れな状態が3年くらい続いた。犯人はカシノナガキクイムシというカミキリムシの仲間。しかし、カミキリムシが木に入っただけでは山が総枯れには至らない。真の犯人は、そのカミキリムシに共生する菌だった。

このナラ枯れは県内では西の方から移ってきて、県全体に広がり、新潟県の糸魚川まで被害が及んだ。小生の商売先の群馬県まで広がれば大騒動になるところだった。なにせ、群馬はシイタケ栽培が盛んなところ、シイタケ菌を埋め込む原木となるのはナラ類だからだ。幸い、ナラ枯れは糸魚川周辺で止まり、長野を通って群馬に広がることはなかったようだ。

そのナラ枯れが一段落すると、枯れた木々の葉っぱが落ちてしまって、目立たなくなる。そして次第に木も朽ちてきて、そこにナメコが取り付きだしたのが数年前。それまでは、山のキノコは奥深くか沢登りの最中でなければ見られなかった。ブナなどの倒木などに生えていたナメコに出会ったときは狂喜乱舞したものだ。それが、登山道ばかりでなく、山へと向かう車道の脇の立ち木にまでびっしりと生えてきた。まさにナメコの木の林が出来上がった。4、5年前までは11月ともなれば、山の帰りにスーパー袋いっぱいは軽く採れた。なにせ、一本の朽木に下から上までナメコだらけ、鈴なりなのだ。他に生えている木を見つけても放置してきた。それくらい、山中ナメコだらけだった。

そんな状況に変化が生じたのは3年くらい前から。「ナメコの木」を見つけるのが容易ではなくなってきた。道端にある木は跡かたもなく採られてしまって、ちょっと山に入り込んだ場所でもなかなか見つからない。すでに採られた後だった、という場面に出くわすようになった。ナメコ情報が山屋ではない一般の人にまで広がるのに時間はかからなかったようだ。その特徴からナメコは他の毒キノコと異なり見間違えようがなく、採取も容易なこともある。木の高い場所にあり手の届かないところは、庭用の高枝切り鋏の先に小型の鋸を付けて切り落として、地面には網を敷いて採っている者も見受けられた。そういう輩はスーパーのカゴまで用意して、根こそぎ採っていってしまう。春の山菜シーズンになると、山道のカーブごとに車が止まっているのをよく見かけるが、秋にもその光景が見られ、山に入っている者の8割はナメコ目当てだろう。

そんな風だから、たちまちナメコはなくなっていった。今年も、ナメコハンターに荒らされた跡をよくみかける。そんな中で、ナメコを探すのは容易ではない。もっとも、ナラ枯れになった木の寿命は数年といわれ、その後は養分もなくなりナメコも生えて来なくなる。それでも一度味を覚えたナメコハンター達はしばらく山に来るだろう。そういう人たちが去った後、山は静けさを取り戻し、再び我ら山屋のものになる。その時を待つとしよう。



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