「ミズーラ」 ジョン・クラカワー 著 ★★★★★ 亜紀書房

投稿日時 2016-12-1 15:06:15 | トピック: 本棚

ジョン・クラカワーの本としては二冊目。一冊目はあの1996年のエベレストの悲劇を描いた「空へ」。今回は2010年から2012年にかけてモンタナ州第二の都市ミズーラで大学のアメフト選手が引き起こしたレイプ事件(キャンパスレイプ)の真相について深く斬り込んでいる。
前作「空へ」のときも感じたが、彼の仕事は綿密な取材から始まる。具体的には直接当事者にあって、事件を忠実に再現する。その際個人的なコメントは極力控え、ひたすら事件の全体像を描くことに専念する。その上で、それに対してどんな見方があるか、出来るかを双方の立場から検証する。それゆえ読み手は彼の記述に沿って容易に事件の真相と司法制度の矛盾点についての考察をめぐらすことができる。

「レイプとは同意を有しない性交」であると本書では定義されている。同意を得たか得なかったかの確証が得難いため、レイプは起訴まで持ち込まれないケースが多い。仮に訴訟に入っても、そこに待ち受けているものは「セカンドレイプ」、わなわち、事件の詳細な再現がその場でなされ、被害者にはレイプ同様の苦痛が待っている。それゆえさらにレイプが訴訟にまで至るケースが少なくなる。

レイプは顔見知りによる犯行がそのほとんどである、約8割という事実。見ず知らずの人間に突然襲われるというケースもあるが、大半は顔見知りによる犯行なのである。幼馴染であったり、大学での顔見知りであったり、それまでは被害者と普通に付きあっていた者がレイプを起こすのである。しかも、レイプは再犯率が高い。被害にあった女性は、自分のような苦痛を他の人に経験してほしくない、あるいは自分のような苦痛を味わった女性が他にもいるに違いない、との思いから意を決して届け出るのである。

まず、有罪か無罪かの決定がなされる。それまで、被害者はセカンドレイプを訴訟の場だけではなく、彼女の周辺の様々な場所からも受けることになる。加えて、外野からの中傷にも耐えなければならない。本書で扱われている事件では、モンタナ大学アメフトチームの街ミズーラという特性、アメフト選手の特権意識、そういう背景からくる世間の偏見「訴えられたレイプの半数は嘘」、とも闘わなければならない。よほどの強い信念と心がなければ、とても裁判に耐えられるものではないだろう。

有罪を勝ち取ったにしても、次は量刑の判断である。これも悩ましい問題だ。過去の判例からある程度の目安があるのだろうが、それがかならずしも被害者の納得のいく結果とはならない場合がある。ということを本書では述べている。

仮に近づきになりたい男性といちゃついていて、結果性交に及んだとしても、途中で女性がそれを拒否した後も性交が続けられればそれはレイプ「同意を有しない交渉」と見なされる。このとき、女性が拒否を明確に言葉にしたか、態度で表したか、を判断するのは非常に難しい。男性側からすれば、後からそんなことを言われても、夢中になっている最中でその言動と態度が曖昧であれば「同意を有しない」と受け取ることはほとんど困難だ。それを訴訟にもっていかれたものではたまったものではない、という見方もできる。

こうして見ると、裁判で争われるのは有罪か無罪かであって、そのどちらであっても、真実はまたそれとは別にある場合があることも想像できる。真実は被害者と加害者の心の内にあるというのもレイプ訴訟の特異な点だということを実感した。



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