本棚 : 「立証責任」 上・下 スコット・トゥロー 著 ★★★ 文藝春秋
投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-1 20:46:16 (349 ヒット)

スコット・トゥロー、第二作目。
第一作同様、一人の女性の死から始まる。前回は同僚の弁護士、今回は弁護士の妻。前回は脇役として登場し、被告人サビッチの弁護を務め事件をうまく乗り切った弁護士スターンが今回の主人公。そして、今回もまた名脇役が登場する。

物語は二つの流れが同時進行していく。一つは突然の妻の自殺の原因と真相を探ろうとする主人公の物語。もう一つは義弟の先物市場での違法取引をめぐり、彼の弁護人として事件の真相を解明しようとする主人公の物語。読みながら、この二つのストーリーに何か関連性があるのではないかと推理するのだが、なかなかそれが読み取れない。もっとも、主人公はそんなことは頭にはないのだが。二つの物語はゆっくりと進む。右に左に曲がりながら、時には停滞しながら。しかし、終盤に来て、ついにその二つの流れが一つに結びついてしまう。

この作品で名脇役を演じたのは義弟のディクソン。読み手には端から彼が違法取引に関与しているとは思われない。ふてぶてしさを前面に出しながらも、まるっきりな悪人ではない。それどころか何か裏があって、それを表に出さず、一人矢面に立とうとしている、そんなふうに思えてしまう。実際、そんな風に描かれている。

また、ここで扱われている犯罪自体はそんなに凶悪性はなく、どこにでもあるような話。それよりも、その謎解きもさることながら、それが起点となってスターンの家族に巻き起こった悲劇の顛末という意味合いの方が強い。加えて、50代後半にして妻に先立たれた男やもめの性的葛藤もかなりの行数を割いて興味深く描かれている。つまり、作者は物事を一つの側からだけ見るのではなく、物語に様々な要素と視点を与えている。そして読者にそれらについて考えさせるのが実にうまい。加えて、誰もが抱いている心の内面を素直に途上人物に反映させている。この辺の複合的な物語の構築の仕方がトゥローの最大の魅力である。

前作でもそうだったが、この作品でもアメリカの裁判制度に興味がわいた。スターンはディクソンが起訴される前から彼の弁護人に選ばれている。犯罪を起訴するか否かを決定する「大陪審」があるからだ。スターンと相手側となる検察官や検事との複雑な駆け引きもこの作品の見どころの一つ。さらには弁護人であるスターンも大陪審での証言を巡って、弁護人を立てなければならなくなる、というからややこしい。アメリカで弁護士の数が多いのは「訴訟の国」だからとばかり思っていたが、そうではなかったようだ。その一面もあるのかもしれないが、起訴前にこういったやり取りが行われるがゆえに(州によって異なる)弁護士が必要になるのだろう。「あなたは犯罪の被告人として訴えられる可能性があるから、起訴される前にその審議を行います」ということになる。検察側で立件後、それが起訴するに値するか大陪審で審議、そして起訴後の公判となる。つまり大陪審には捜査機関としての位置付けがある。日本では起訴するべきかどうかは検察側の仕事(公訴権は行政にある)、という認識があるだけに、この大陪審制度は興味深く映る。

いろいろな面が複合されて出来上がったこの作品に対しては、コメントもなかなか一言では言い表しにくい。

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