はんごんたん処方箋

富山オリジナル  パナワン

富山オリジナル  エッセン

足跡掲示板

  • センダ様、発作時の辛さよくわかります。アブレーション技術は目まぐるしく進歩しています。そろそろ自分もと思うのですが、ななかな踏ん切りがつきません。なにせ、なんともないとこきはすこぶる快調なのですから。お大事になさってください。 ( panawang - 2018.09.27 17:45 )
  • 私も心臓の具合悪いです、疲れると(ストレス、暑い夏)心臓が悲鳴を上げます、不整脈と息苦しさ、胸の違和感を感じます。 ( センダカツミ - 2018.09.16 10:08 )
  • Repuさん、ありがとうございます。おかげさまで、発作は収まりまして、軽快に過ごしています。ただ、寝てばかりいたせいか、筋肉がすっかり落ちてしまい、目下復調に向け励んでいます。また、雑穀でお会いしましょう。 ( panawang - 2017.06.16 17:39 )
  • 救急搬送され、その後の経過はいかがでしょうか?決して無理されませんように。 いつも美しい写真、楽しませていただき、ありがとうございます! ( Repu - 2017.06.15 21:59 )
  • float cloudさん、コメントありがとうございます。返事遅くなりました。すみません。過分なおほめを頂き、こそばゆいです。つたない文章ですが、書くことによって、自分の考えをまとめようと努めています。当HPに辿りついていただきありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。 ( panawang - 2016.05.15 19:44 )

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Help にゃ〜ん♪
投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-11-22 11:50:55 (7 ヒット)

地元で有名な戦国武将といえば、やはり佐々成政がダントツ。
これまで、あまりにもこの人のことを知らなさすぎた。県外の方と話をしていて、話題にのっても、私は相槌ぐらいしか打てなかった。外国人に日本のことを話せないのと感覚は同じ。

本書は膨大な史料を精査して、佐々成政の実像に迫ろうとしている。戦国時代を描いた小説もおもしろいが、こういう風に史実の積み重ねからその人物像を作り上げていくというのも楽しいものだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-11-9 11:13:33 (14 ヒット)

著者あとがきによると、この作品は当初漢方薬メーカーの月間広報誌に掲載されたものだという。
企業の広報誌にこういった作品の執筆場があるとは知らなかった。どういう広報誌なのか見てみたいと興味がわく。また、広報誌にこういう作品を載せる会社の姿勢というか度量に感心もした。
山岡宗八の「徳川家康」の再読から始まった時代小説再発見の旅は自分の中での戦国時代の総括でもある。医師の目線からみた戦国の世はこれまで読んできた武将物語とは趣が異なり新鮮だ。戦国時代の医療はどういうものだったのか、時代背景と連動し患者の身分の差や敵対関係を問わず真摯に処する主人公の姿が印象的に残った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-10-31 18:32:35 (11 ヒット)

先に読んだ直江兼続と重なりあう時代に生きた真田三代、主に昌幸と幸村を中心に、を描いている。同時代に生きた、それも接点がある人物を同じ作者が別々の作品として描くのは難しい。挿話の一貫性に矛盾があってはいけないし、似た表現の描写が出てくるのは否めない。同じ時代を別々の人物からの目線で描いていることを期待して手に取ったが、それにはハードルが高かったようだ


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-10-12 20:56:27 (22 ヒット)

上杉景勝に仕えた名将、群雄割拠する時代において名脇役とも称される直江兼続を描いた作品。直江という性は我が町内に幾軒かあって、以前からもしかしたら元々越後が本領の上杉家となにかしら関係があったのではないかと気にかかっていた。信長方との魚津城での戦いでは、直江兼続は上杉景勝とともに魚津城を望む天神山に陣取っている。当然兼続ゆかりの寄板衆直江一族も配下として加わっていたと考えられる。その流れの一部が魚津から近い我が町に根を下ろしていたとしても不思議ではない。
ともあれ、上杉家も時代に翻弄された名門のうちの一つであった。一時は越後から東北の覇者も夢ではなかったのに、戦国時代末期の見えざる糸に導かれていく様は伊達政宗のそれによく似ている。覇者への道から生き残りを賭けた政治的な戦いに力を発揮したのが直江兼続だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-30 15:05:45 (21 ヒット)

関ヶ原を描いた小説を読むのはこれで連続して5度目。
これまでぴんとこなかった「政宗」がこの作品でようやく自分のものになった。
奥州の覇王を目前にしてその潮目が変わったのは秀吉に屈したそのとき。戦わずして誰かの軍門に下るということはそれまで政宗にとって考えられないことだった。秀吉が得意とする戦乱の世の処し方に政宗も組み込まれてしまった。それが、後の家康との結びつきにも繋がっていく。

ももと、東北が蝦夷と呼ばれていたころから、かの地では中央(朝廷)からは距離を置き独自な文化を築いていた。坂上田村麻呂によって征服されたとはいえ、朝廷側のやり方を直接押しつけるようなかたちはとってはいない。
それは奥州藤原三代の統治の頃になるといっそう顕著となり、藤原氏が絶えて後も戦国時代まで続くことになる。政宗の時代までは群雄割拠というよりは小雄の小競り合いの延長のような国取合戦が延々と行われてきた。それが秀吉の出現によって、新たな国取の絵図が描かれるに至って、政宗もその渦中に巻き込まれることになる。それでも、東北は我らのもの、秀吉何するものぞ、と最後まで抵抗した九戸政実のような生き方を選んだものもいた。しかし、川の流れはあまりにも早すぎて、政宗が奥州固めを万全とするまでの時間を与えてはくれなかった。形の上では秀吉に屈した形にはなったが、心の内は東北人の矜持を失っておらず、それが政宗人気の一つになっているのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-30 15:01:49 (15 ヒット)

「徳川家康」では伊達政宗のことがいまいち掴みきれなかった。そこで「鳳雛の夢」を手にとったのだが、これが「徳川家康」の政宗のエピソードをなぞり、端折っただけという感じだった。それではと、本家が描く政宗を読んでみたい気になった。なにせ8巻の大作、読み応え十分であろう。しかし、「家康」の焼き増し部分が多く、これだという政宗像を自分の中で構築するまでには至らなかった。期待したいただけに、ちょっと残念。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-10 14:10:24 (28 ヒット)

「家康」繋がりから、伊達政宗へ。
家康の晩年は伊達政宗との交わりを抜きにして語れない。
家康と政宗との関係は、信長と秀吉、秀吉と家康、そのどちらに近いものだったのだろうか。どうもそのどちらにも似ていないようだ。家康が夢見た万民泰平の国造りの最終仕上に政宗というピースがぴたりと当てはまる。信長、秀吉、家康それぞれにそれぞれの役目があり、政宗にも彼にしかできない役割があった。時代が求める人物がその都度現れてくるというのはなんと摩訶不思議なことなのだろう。
ただ、この作品に関しては政宗の人生をやや端折りすぎた感がある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-9-8 17:27:43 (24 ヒット)

「徳川家康」を読み返して思ったのは、自分があまりにもその頃の歴史を知らなさすぎたということ。そんなんで六十年以上も生きてこられたのが恥ずかしい。推理小説ばかりに入れ込んでいる場合ではないと、家康繋がりで手にとったのがこの一冊。
時代に翻弄された二人の武将、徳川秀忠と長宗我部盛親の葛藤を対比させながら描いている。年齢の差は4才だが、ほぼ同年代といってもよいだろう。関ヶ原の戦いでは敵対する大将どうしだが、二人とも主役にはなりきれなく、二人とも戦いの主筋からちょっと離れた展開を見せているところがおもしろい。
長宗我部盛親のことがもっと知りたくなった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-8-5 10:39:02 (28 ヒット)

30年以上経ってからの読み返し。脚を痛めてから何も出来ない辛い日々が続くなか、ちょうど三カ月かかって読了。

注意一秒怪我一生、とはよくいったものだ。一瞬の出来事が自分の今後の人生、生き方にこんなにも影響を与えるものだとは思ってもみなかった。階段の上り下りはもとより体重をかけることすらままならない、どうしようもない膝をかかえてやれることは限られる。山と半生を共にしてきた身にとってはとてつもなく辛い状況にある今の自分。半年後、一年後には飛んだり跳ねたりする可能性も無きにしも非ずなのだが、そんな兆候が全く見えない現時点では、ただただ悲壮感にさいなまれるばかり。お先真っ暗というのが正直なところ。

そんな折、できるのはただ本読みのみ、と手に取ったがこの作品。他にやることないので、けっこう集中して読めた。最初に読んだのが30年以上も前だから、内容は全く覚えていない。だから、一巻一巻読み進むのがとても楽しかった。家康ばかりではなく、信長、秀吉や他の戦国武将の物語ももれなく描かれている。家康を語るには、彼と同時代に生きた人々や出来事についても触れておく必要があり、全26巻は必然であったと納得した。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-4-25 13:42:04 (49 ヒット)

「新・銀河帝国興亡史」第二弾。
ここでは、二万年にわたり生きている?ロボットと人類との関わりが大きなテーマとなっている。人間のように考え、精神感応力を持つという人間と紙一重のロボットが、銀河帝国と人類の盛衰に大きく関与してきたことが語られる。気の遠くなるようなはるか昔、従来からよく知られているロボットの三原則に加え、第零法則がロボット自身の手によって「認識」されるようになる。つまり、人類存続という大きな命題の前には、小さな犠牲をも厭わない、容認する、というもの。すなわち、「人間に危害を加えてはならない」という大原則から大きく逸脱することを意味する。驚くべきは、その原則をロボットが構築したという点。そして、ロボット自身もその法則を支持する派と非支持派に分かれて生きながらえてきた。
当然、ハリ・セルダンが予測するところの銀河帝国の末期の混乱期に際して、零法則に則ったロボットは密かに人類の危機に対応を巡らす。しかし、零法則の呪縛から解かれたロボットはその路線とは一線を画した行動に出る。そして帝国内部では、セルダン計画に大きな影響を及ぼすことになる強い精神感応能力をもった者が出現してきて、彼らと帝国中枢との抗争も勃発する。それらの物語がお互いにリンクしあい、セルダン計画はいよいよ佳境へと突入していく。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-4-2 18:16:33 (56 ヒット)

アイザック・アシモフの「ファウンデーション」シリーズを題材として執筆された「新・銀河帝国興亡史」の第一弾。

ハリ・セルダンがトランターの首相に就く場面から始まる。まだ、心理歴史学が完成されてない頃の話。アシモフの「ファウンデーション」を補完している側面もある。かなり分厚い長編の単行本はなかなか前に進まない。超高度に発達した科学と精神世界との融合によって得られる疑似空間での物語が作品の大半を占めている。「模造人格」が描きだす世界観はまるで禅問答のようで、難解だ。昔のSF小説のような単純明快な筋運びとは程遠く、哲学書のような感じさえ受ける。SFも突き詰めていくと、こういう精神世界とは無縁ではいられないのだろうと思わされる作品であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-2-24 14:38:59 (60 ヒット)

「忘れられた花園」に続いてケイト・モートンの作品としては二作目。
前作よりサスペンス度合いが増し、ミステリーとしてもよくできている。
もし、この作品を最初に読んでいたら、間違いなく星五つとなっていたであろう。
冒頭から序盤に受けた印象は、何故に前作とここまで似たプロットや舞台背景、展開手法の作品にしたのかという疑問。双方の作品になんらかの関連性があるのならまだしも、その接点がない全く別の物語なのに、「忘れられた花園」を彷彿させる作品に若干の違和感があった。そこを差し引いても星四つに値する作品だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2018-1-6 13:38:29 (77 ヒット)

終活の一環として積んである本の読み返しに入ってから数年たつ。捨てるにしてもせっかく買った本、もう一度だけ読んでから始末したい。

さて、この正月から取り掛かったのはアシモフの「銀河帝国の興亡」。すでに二度読んだ覚えがあるから、今回が三度目。古い本なので文字も小さいが、やっぱりおもしろい。読み終えてからネットで調べてみると「銀河帝国の興亡 1」にはかなりのプレミアが付いている。捨てるのはもったいない気がしてきた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-12-24 9:50:04 (78 ヒット)

オーストラリアの作家の小説は初めてだ。

訳者あとがきによるとこの作品は『ゴシック・ロマンス』の範疇に入るらしい。ゴシック・ロマンスとは「18世紀半ばから19世紀初頭にかけてイギリスで流行した中世風ロマンスの一種」で「人里離れた古い城や大きな屋敷を舞台にした、おどろおどろしい雰囲気の怪奇小説っぽい恋愛小説」を意味するらしい。本作品には「おどろおどろしい雰囲気の怪奇小説」は当てはまらないにしても、大体の雰囲気はそれに合致している。

私は少女漫画を小説にアレンジしたという印象を受けた。演歌に男歌と女歌があるように、小説にも女小説と男小説があると思う。推理小説にしても男性作家と女性作家とではどこかしら漂う空気が違う。しいて言うならば、「凄み」が男性作家の方が勝っている。対して女性作家の方は繊細なシナリオを軸としている印象を受ける。というわけで、この作品は女小説の典型といえる。

冒頭から序盤にかけて、四世代にわたる物語が交互に語られ、登場人物同士の関係が混乱して幾たびも読み返す。そのうち第二世代と第四世代の二人の人物、祖母と孫の物語に収斂していくのだが、そこまでいくと話の筋が読めてくる。

題名となった「花園」はまさしく「人里離れた古い城や大きな屋敷」内にあって、「おぞましい事件があった」その場所にあり、二人によるルーツを探す旅から見えてくる一族に関わる数奇な物語が「ゴシック・ロマンス」というわけだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-12-9 11:22:19 (74 ヒット)

リンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場してから20年、最初のこの頃のようなときめき感は薄れ、パターンも定型化してきて、マンネリ感が否めない。

IOTが急速に進んできて、監視カメラやスマート家電、スマート自動車が手近に感じられるようになってきた。ハッキングや思わぬ通信障害によってそれらが暴走する可能性を危惧しているのは私だけはないと思う。先日も、電波障害が原因と思われる不具合でドローンが墜落するという事案があった。IOTによって世の中便利に、楽になっていくのはありがたいが、いったんそれに頼り切り、社会がシフトチェンジしてしまうと、それらが暴走したとき、機能しなくなったとき、混乱は避けられないだろう。

今回の主題は、まさしくそのスマートデヴァイス社会の脆弱性。
だが、推理小説のわりには、我々の考える範疇で物語が進み、推理する楽しみが薄れている。物語の山や谷も少なく、ほぼ平たんな調子で、考えなしで読めてしまう。リンカーン・ライムにはもっと凄みのあるサスペンスやあっと驚くような推理を期待している読者にとっては、並み以下の作品ととられてもしかたがあるまい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-12-5 11:20:54 (76 ヒット)

前回読んだ「ゴールド・フィンチ」と手法は似ている。
悪い友達仲間と一人の秀でた指導者との関わり、主人公らの悪であるが一途な生き方が根幹となっている。本作品で登場するのはアメリカ東部のカレッジでギリシャ語を専攻する学生とその指導教授。
「ゴールド・フィンチ」でもそうであったが、ドナ・タートが描く「悪ぶり」は徹底している。酒びたりで他とは距離をおいた学生グループの現実離れした日常にぐいぐい引き込まれていく。そしてその一途さゆえに起きてしまう事件。
まず映像が先にありきかのような緻密な描写と先を予見させない構成力、そして飾らない文章が作者の魅力だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-11-16 14:00:36 (74 ヒット)

薬害を主題とした社会派サスペンス。
散りばめられているプロットは平均的な着眼だと思うが、それを物語にもっていくことの難しさを感じさせてくれた作品。B旧テレビドラマのような仕上がり。物語の展開としてはオーソドックスだと思うが、古臭さも感じてしまう。心にしみ入る作品とは何かが違う。それは文章使いだったり、予定調和的な心理描写だったり、会話の調子だったり、うまく表現できないのがもどかしいが、やはりぐっと来るものがない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-11-8 12:09:08 (73 ヒット)

読み始めは、なんか変な本を掴まされたかな、との印象が強かった。それほど陳腐で定型的な出だし。たかが夫の不倫でこうもどたばたするものだろうか。結末から始まる作品にしては、本題を読み進めようという意欲が湧いてこない。もうちょっとひねりを加えた書き出しがあったのではないかと思う。

だが、中盤以降物語は着実に昇華していって、最後までひっぱっていく。しかし、いくら四国巡礼の後自殺したとされる主人公の形跡を追ったとしても、それは最後の一場面でしか過ぎず、作品中おおきなウエイトを占める主人公の側から語られる、家族の知らない、不倫相手と共に積み上げてきた人生に迫ることはできないだろう。父親の追跡劇と父親の裏の人生劇との融合性に難がある。そこのところもちょっとひっかかる作品であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-11-8 12:08:10 (73 ヒット)

新宿を拠点とする中国系マフィアの抗争劇を描いたハードボイルド。
この作品が出されたのは1996年、今読んでみると、当時の新宿はこんなにも危険な地帯だったのかと思い知らされる。なにしろ平気でバンバンと拳銃で人が殺されていく。裏切りと裏切りの連続で誰も信じられない。そのなかで必死になって窮地を脱しようとする主人公のしたたかさが光る。
作者はジェイムズ・エルロイの影響を受けたか否かは定かではないが、この作品では多分にその雰囲気が色濃く出ている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-10-23 11:22:49 (89 ヒット)



仕事を午前中に切り上げ、とある山へと車を走らせた。
山に入ってすぐ、道の脇にひらひらとした一株のキノコが目に入った。もしやと思ったが、採ってみると馥郁としたキノコ。まさかこんなところに生えているとは考えてもいなかっただけに、ただただ驚きと感動でいっぱいだった。これまで、山に入るたびにそれらしき木の根元をさぐっていたが、一向にみつからなかったのに、出逢うときはあっけないもんだと思った。

絶対の確信はあったが、念のため中央植物園のキノコ博士に鑑定してもらい、お墨付きをもらった。しかも状態もよく、上物とのこと。それにしても、あんな道の脇、誰にもみつからなかったのが不思議でたまらない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-10-23 10:18:45 (95 ヒット)

異邦人と書いて「いりびと」と読ませる。
富山弁でいうところの「たびのひと」にあたるのだろうか。この作品からはそれに近い意味合いを持っている言葉のように思えるが、微妙に違うような気もする。

途中までは絵画の世界に生きる一女性を描いた宮尾登美子風の作品かと思ったが、次第に主人公の凄みが際立ってきて、加えてサスペンス風な筋立てとなってくる。

サスペンス仕立てにしないほうが、宮尾登美子作品のような心地よい作品になったのではないかと思う。あえてサスペンス風味を加えて、そうしなかったところがこの作品の個性なのだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:27:33 (92 ヒット)

仙河海市シリーズの短編集。
あの大地震ののち、作者はもう書けないと思ったそうだ。
そんな作者があえて故郷の気仙沼をモチーフとした物語から再び描き始めた。仙河海市シリーズはどれも平易な文章でとても読みやすい。淡々とした描写ながら、心に響く物語を紡ぎだしている。
「ラッツォクの灯」を読み終えたとき、大声を上げて泣いた。心にジーンとくるとか、目頭が熱くなるとか、思わず涙がこぼれる、とかそんな次元のものではなく、まさしく慟哭そのもの。これまで生きてきた中でこれほど大声を出して泣いた記憶はあまりない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:24:40 (84 ヒット)

3年も浪人して大学を目指すというのは、かなりのモラトリアムな期間だ。なんとかなるだろう、ぐらいに思っていないととても3年間の浪人生活を送れるものではない。
作者の実体験がどのくらいこの作品に投影されているのかわからないが、世間でよく言われるところの、2、3年の浪人生活は長い人生においてはそんなにマイナスになるものではなく、むしろその後の人生に必ず生きてくる、そんなうらやましいモラトリアムの季節を生きてみたかったものだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:21:26 (83 ヒット)

大人の目線から小学生を描いた物語。
本当に小学生がそんなこと考えつくかと、自分が小学生だったころを思い出してみると、そう思う。大人が小学生を描くのはとても難しい。私が小学生のころ、なんにも考えなしで生きていて、何かをするのに理屈とかそのあとどうなるという考えは全くなかった。ましてや、世の中の動きや大人の世界に首を突っ込むという考えなどもうとうない。自分が子供だからということすら意識していなかったと思う。ただ、寝て起きて学校へ行って遊んで食べて、それだけ。子供に物語があるのは大人の目線で見るからだと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-27 16:19:59 (87 ヒット)

転校してきた半グレの中学女子の揺れる心模様はいかに。
陸上の記録会で希はそれまでの自分を振り切るかのように疾走する。
中学全国新記録も期待される中、ラストスパートに入ろうとしたその刹那、スローモーションのようにして崩れ落ちてしまう。あぁ、なんてこった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-12 11:49:09 (100 ヒット)

熊谷達也はこんな作品も書いていたのか、というのが第一印象。
山にこもる杣人を描いた物語に魅かれて数冊彼の作品を読んだ印象は、緻密で重厚な作品を綴る作家という印象だった。

そして、今回手に取ったこの一冊はそれまでの重厚さとは別の全体を通して爽やかな風が吹き抜けている、青春小説だった。とても同じ作者の手から生み出されたとは思えない、がらっと異なる作風に新たな驚きとうれしさがこみ上げてきた。

今風の高校生が普通にさりげなく描かれて、眩しくて、切なくて、希望にあふれ、自分の高校生の頃の面はゆさとシンクロさせてみたり、息子の高校時代とかぶせてみたりして読み進む。

若干うまく行きすぎるなぁ、との思いも走るが、それを差し引いてもこの作品は傑作といえる。物語の根底に流れる、故郷で生きるということ、が下支えになっており、ただの青春小説にとどまらない味付けとなっている。

宮城県の仙河海市が舞台のこのシリーズにしばらく浸かってみよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-5 12:10:04 (83 ヒット)

「黄昏に眠る秋」 ヨハン・テリオン 著 ★★★ ハヤカワ・ポケット・ミステリ

いつも思うけど、スウェーデンの作家の作品は人名が覚えづらい。
ミステリとしてはよくできている。後半から終盤にかけてのなぞ解きはなかなかの見もの。老人施設に入居中の「現役」老人が探偵役といのも時節がらか。
なにより、話の舞台となっている全盛期を過ぎた石灰岩平原という漠とした風景に魅かれる。世界は広いというが、その土地にはその土地特有の空気があり匂いがあり風が吹いている。そんな雰囲気が作品全体を覆っている。
居ながらにして、スウェーデンの島に旅した気分にさせてくれる、そんな作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-9-5 12:00:25 (92 ヒット)

ピュリッツアー賞というのは報道、ジャーナリズム関係だけと思っていたが、小説のようにノンフィクション部門があるということをこの作品で知った。

原題も「The Goldfinch」。直訳すると「ごしきひわ」という鳥の名前だ。その「ごしきひわ」が描かれた絵が展示してある美術館が爆破テロにあう、という場面が物語の発端。

語り手はその爆破に巻き込まれた少年。ひとくくりにして言えば、その少年の成長譚。印象は「人生万事塞翁が馬」。語り口は軽妙で、個人的には「ライ麦畑でつかまえて」を彷彿させる。ディケンズの香りがすると評するむきもあるが、ディケンズをまだ読んだことがないので、なんとも言えない。
また、物語のテンポのよさ、予想がつかない展開もさることながら、心理状況やしぐさに至る一挙一動の細やかな描写がこの作品では重きをなしているように思う。自分が知っているポピュラーな楽曲や小説、最近テレビでみた「ビル・アンド・セバスチャン」という映画などが少年の生活の中で語られ、私が生きてきた空間と同調している感覚を覚えた。

非常に長い作品だが、3巻目に入ると物語が一気に加速し始め、そのまま終盤までもつれこむ。

最近手にする本は自分より若い作者、翻訳者が多くなり、歳をくったことを実感する。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-8-12 11:11:56 (95 ヒット)

先に読んだ「蓮と嵐」と構想は同じ。
ベトナム系移民のベトナム的価値観とアメリカ的価値観との順応と葛藤を自伝的要素を多く含めて描かれている。

題名の「モンキーブリッジ」とは、ベトナムの農村地帯に架かる細い竹橋のこと。人生は細くてあやういこの橋を渡るのに似ている。勇気と度胸が必要だが、ちょっとの油断でその橋から足を踏み外すこともある。しかし、渡らないで済ますこともできる。ここに描かれているのは、サイゴン陥落前後にベトナムから脱出した難民の身を切るような物語と、移民を契機に自らの過去を書き換え自己実現を夢見るベトナム系アメリカ人の物語である。

1975年の私といえば、パチンコとマージャンとアルバイトが中心の学生生活を送っていた。将来に対して何の不安があるわけでもなく、もちろん実生活においてなんの不自由さも感じておらず、やがて、どこかの会社に普通に就職して企業戦士になるのだろう、とノウタリンを絵にかいたような人間だった。ベトナムで起きていた混沌と混乱と脱越ボートピープルの悲惨な実態については知る由もなく、平和ボケしたバカまるだしの人間だったといえる。当時、それを必死になって伝えようとしていた人たちもいたのだろうし、テレビやマスコミの報道もあっただろう。それなにの、私は何の関心も示さず自分ファーストの日々を送っていた。今、こうして2冊の作品を手にして、ようやくその時の状況がわかりはじめ、ベトナムの歴史が意外と古いことを知り、ベトナム的価値観の片りんに触れることができた。そのことをうまく伝え描いてくれた作者に感謝の気持ちで一杯だ。

本作品のみならず、ベトナム系アメリカ文学について、訳者の麻生享志が「訳者解説」に詳しく述べており、これもまた一読に値する。簡潔に要点をついた好解説で、すべてを紹介したいくらいだが、ちょっとだけ引用させていただく。

以下引用:
1960年代はじめから30年の間にベトナム系移民によって100冊以上の本が英語で出版されたという報告がある。その多くは辛い戦争の過去とアメリカ移住の経験をあらわす自伝的文学で、ベトナム語から英訳されたケースも少なくなかった。

この状況が大きく変わりはじめたのはここ十年あまりのこと。「祖国の文化規範や言語能力をある程度維持しつつ海を渡った若い世代の移民」俗に1.5世代と呼ばれる移民が成人し、自伝のみならず純文学の作品も発表するようになってからだ。

彼ら1.5世代の移民は、アメリカ生まれの弟や妹と両親ら旧移民世代をつなぐ文化的橋渡しの役目を担ってきた。そのため、自らが置かれた立場や環境にきわめて敏感で、「移民社会内部の世代間のつながりだけではなく、アメリカ的価値観とベトナム的価値観と仲介者」の役割も果たしてきた。この1.5世代に属する小説家、詩人が声を上げはじめたことが、現在のベトナム系アメリカ文学の興隆につながる。

すでに頭角を現してきている若い作家の中には、ベトナム生まれであってのその記憶をほとんど持たない者もいる。移民としてアメリカ社会への順応と葛藤の物語を語ることはできても、かつてのベトナムを想い、作品として再構築する「記憶」を持たないより若い世代の芸術家が今後増えることは必至だ。だから、1.5世代移民の文化・文学は世代間の空白を埋め、すでに失われたベトナムの「記憶」を後世に残すことを使命とする。『モンキーブリッジ』は、戦争の記憶と伝統文化の保存、アメリカという新しい風土の中で生きるベトナム系移民のアイデンティティーの再構築をテーマに描かれた作品に他ならない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-8-6 6:17:32 (93 ヒット)

重いという印象が先にたつベトナム戦争という主題だが、本小説にはそれもあるが、それよりはむしろ全編を通してさわやかな風が吹き抜けているという読後感となった。

ハスはベトナムのシンボルであり国花でもある。題名の「蓮」は様々な意味合いを想像させる。ベトナムという国そのものであり、ベトナム人の心、主人公のマイとその母のクイ。そして「嵐」はベトナム戦争であり、それに翻弄されながらもしたたかに生き抜くベトナム人のいきざま、クイの葛藤、マイの父が抱く友人への疑念。

訳し方もよかったようで、大変読みやすい。テーマは多重で深いが、飾り気ののないさらりとした文章がその重さを消してくれたようだ。

作者一作目の「モンキーブリッジ」も読んでみたい気になった。


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