投稿者: hangontan 投稿日時: 2017-6-15 11:20:42 (561 ヒット)

ゴールデンウイーク頃からなんとなくだるく、体に切れが感じられなかった。三月末に群馬から帰ってきて、仕事に山にめいっぱい励んだその疲れが出たのかもしれないと思っていた。それが五月の中旬まで引きずり、五月二十一日の日曜の朝目が覚めた時、喉の腫れと痛みを感じた。体のサインは休めを指示していたのだろうが、日曜、月曜とお得意さんとの約束があるので、気だけは張っていた。そして、火曜の夜から熱が出始め、水曜、木曜と床に寝込むことになった。

症状は風邪のときと同様、倦怠感、頭痛、筋肉痛、めまいと吐き気。熱は37度半ばだが、その温度以上に状態が悪く感じる。普段の風邪なら、葛根湯と風邪薬を二日間飲めばある程度症状が改善し体が軽くなるのだが、今回はだらだらとだるさが続き、熱も引かなかった。金曜もだるかったが、約束があったので午前中は仕事。土曜の岩トレのことがあったので、午後から熱によるだるさと吐き気をおして、近くの医院で診てもらうことにした。

受診中心房細動が認められ、医師から既往歴を聞かれたので、これこれこうだと話したら、すぐにいつも診てもらっている循環器の医者に行くようにと指示された。頭がぼーっとする中、車でその医院まで向かった。今にして思えば、フラフラだったのによく車を運転できたものだ。

そこでもやはり心房細動が認められた。ただ、その発作がいつから起きていたのか自覚がなく、もしかしたら火曜の夜から断続的に出ていたのかもしらない。風邪の症状と吐き気とめまいにばかりに頭がいっていて、持病である心房細動のことにはまったく及びもつかなかった。もし、48時間以上も発作が続いていたならば、心臓の中の血液が淀み、血栓が出来ていても不思議はない。それが脳にまで飛ぶことになれば脳梗塞を引き起こすかもしれず、医師は検査と処置が出来る以前かかっていた中核病院への救急搬送を指示した。

救急車の中では血圧も上がり、熱も最高潮、もちろん心房細動は収まらない。ほとんどうつろな状態で病院に到着し、すぐに心電図とエコー、CTによる検査。エコーはさらに精密なエコーへと移り、心臓の状態を把握することになる。心臓外の病気でも心房に負担をかけると起こりやすく、発熱疾患が心房細動発作の誘因となる場合があるとのこと。

その後、病棟に運ばれ、へパリンの点滴を受ける。どのくらい時間が経過したのか覚えがないが、以前かかっていた医師がベッドにやってきた。なんとなく心強い。発作性心房細動の確認とその発作が引いたと聞かされる。発作が引いたところで家に帰るという選択肢もあったが、とにかく吐き気とめまいがひどく、まるっきり弱気になってしまっていて、病院側の指示に従うことにした。

土曜日、風邪の症状が現れてから7日目。
微熱、めまいと吐き気がひどい。頭が締めつけられるように痛む。気分も悪く、食事もままならないが、流し込むようにして食べる。処方されている抗不整脈剤を朝晩飲む。

日曜日、入院3日目。
吐き気とめまい、風邪の症状が治まらず、医師に訴えたら、風邪は寝て治せとのこと。総合風邪薬を処方される。へパリンの点滴は続く。

月曜日、入院4日目。
ホルター心電図を装着。結果が出るのは明日の夜になる。
締めつけられるような頭の痛みは引いたが、めまいと吐き気は続く。

火曜、入院5日目。
いつも出ている夜間の心房細動は出ていなかった。ただ、昨晩8時から10時頃にかけての期外収縮が認められた。

水曜、入院6日目。
朝食後退院。紹介状を持ってかかりつけの循環器医院に行く。
入院先でカテーテルアブレーションを打診されたことを告げる。

その後1週間、家でだらだらと過ごす。風邪の症状も次第に和らいでいく。なにより、めまいと吐き気が引いていったのがうれしい。そして、たまに出ていた期外収縮も起きなくなっている。抗不整脈剤が効いているのかもしれない。それまでは、胸にドキドキ感があったときや、その前兆が現れたときだけ飲んでいた。しばらくは、抗不整脈剤を続けて様子を見よう。

カテーテルアブレーションの技術は日進月歩で、かなりの成功率だという。だが、いまいち踏ん切りがつかない。




投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-1-6 14:03:09 (543 ヒット)

先日の検診の結果、体のレベルがさらに低下していることが判明した。不整脈・心房細動と診断されてから4年、その数年前から体に異変が起こっていたことを考慮すると、この10年の間に自分の体は著しく老化した。山での体調不良と手先の末端冷えから始まって、平時での不整脈、睡眠障害など若ときには考えもしなかった異変が自分の体に生じてきて、老いというものを感じはじめていた矢先のことだった。

心房細動に加え、心不全が明らかになった今、これで私もれっきとした心臓病患者となった。血液検査の結果、心不全の基準となるマーカーの値が、許容値をはるかに超えていた。心臓の血液を送り出す機能が衰え、全身に血液や酸素が行き渡らなくなる。これまで出ていた自覚症状と照らし合わせると、十分に納得できる。このまま心不全が進行すると自分の健康寿命は人並み以下だということは明らかだ。おまけに鉄欠乏由来によらない貧血。これは臓器が癌化しているかもしれないことを示唆する。

山なんてとんでもないと医師は助言する。それでも、山への未練は捨てきれない。それは自分が生きていることの意地だからだ。山を失ったときが本当に自分の最期だろう。そのためには、自分で考え得るだけのことはしてみたいと思う。

/緩失抛阿陵祝匹里燭瓩暴菠されているシベノールの服用は極力控える。この薬の特性上、心臓の機能を抑えるということがある。できるだけ、服用しないことにこしたことはない
⊃澗ゝ’讐麌のため、古来より用いられている生薬処方の六神丸を常用する
F韻犬心臓機能を高めるため、コエンザイムQ10を摂取する
ど老豌麌のため、ビタミンB12と葉酸を摂取する
ヌ襪阿辰垢衞欧譴襪茲Δ砲垢襪燭瓩砲魯▲潺了世鰺用する
Υ發硫椎柔については積極的な精検は行わない

以上のことを当分の間続けてみようと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-3 16:36:51 (485 ヒット)

登山中に突然起きてしまう体調の異変。医療の再分化が進んでいる中で、登山中の疾病についての分野はまだまだ発展途上。

これまで三人の医師(同じ中核病院の医師二人とそこから紹介された今の主治医)に診てもらったが、登山と不整脈についての付き合い方に関しては的確なアドバイスを得られないでいる。カテーテルアブレーションによる根治術がベストなのだろうが、それを選択しない場合の対処法なり予防策について患者側にたった助言が欲しかった。しかし、ある程度山の経験がない以上、その人個人に見合った最適解を一緒になって考えるのは非常に難しい。
自分としてはなんとか山と不整脈を両立させたい。そんな中で探し当てたのが「登山の医学ハンドブック」

この本は登山中に起きる疾病全般について症状ごとに触れてあり、最も知りたかった「登山中に起こる循環器救急疾患の特徴と発症時の対策」についても要点をまとめ一覧表にしてわかりやすく解説してある。そこでは、循環器疾患について、山での疾病すべてに言えることだが、「最大の対策は予防である」と言いきっている。しかし、その予防法となるとやはり主治医と相談しながら見つけていくしかなく、登山に理解がありかつ循環器にも詳しい専門家が身近にいない現実を踏まえると、自分なりに試行錯誤を重ねていくしかない。

今は抗不整脈剤と山での経験値から、なるべく発作に至らない山登りを模索中。しかし、それも100パーセントというわけにはいかず、毎回毎回、突然襲ってくる発作に脅えながらの山行が続いている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-10-22 17:40:36 (821 ヒット)

心房細動を患いながら山登りを続けている人がいなか調べてみる。今の時代、こういうときのネットはすごく便利で心強い。ヒット件数はそんなに多くはないが、ほとんどはカテーテル・アブレーションの体験談。手術をしないで山登りを続けている人の話は少ない。

また、マラソンをやっていて心房細動に罹った方のホームページもいくつか閲覧することができた。私と同様シベノールを処方されている方もいる。シベノールを試した後カテーテルアブレーションを選択し、その後順調に回復し、マラソンに復帰された方もいる。また、2度目の手術をして様子をみているという人もいる。

その中でも参考になったのは高名な冒険家Mさんのケース。
Mさんは4回のカテーテルアブレーションを受けている。

二度目のエベレスト挑戦で、Mさんは心房細動を患い下山した。かなり重篤な事態だったが、医療スタッフが充実していたこともあって大事には至らなかったらしい。その後2回のカテーテルアブレーションを受けて、再度エベレストに挑み、登頂を果たした。そして三度目の登頂の前にもカテーテルアブレーションを2回受けている。準備段階の登山途中で不整脈が発生、今度は「多源性心房頻拍」と「発作性上室性頻拍」だったとのこと。その甲斐あってか無事三度目の登頂。同行した医療スタッフの貢献も大きいのだろうが、頑固として登頂にこだわるMさんの執念が成功に導いたのだと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-28 19:31:53 (510 ヒット)

要因は様々なようだ。私のように就寝時に起こるケースもあれば、日中に出るケースもある。日中起こる場合、労作のとき起こるケースがあれば、平穏時に起きるケースもある。だが、概して言えるのは、なんの前触れもなく突然起きる、ということだ。抗不整脈剤の投与で発作が起きなくなった人もいるが、自分にはあてはまらない。

私の場合、期外収縮が心臓の痙攣の引き金となっているのか(医師はかもしれないと言う)、心臓負荷の継続が要因となっているのかわからない。山の中でのみ起こるのではなく、平時でも感じるということは様々な要因が絡み合っているように思える。昼食後、急に心拍数が130に上がったこともある。また逆に40くらいに下がることもある。なにかしら異常があることは間違いない。

自分なりに分析してみると:
.好肇譽垢引き金になる
・山にいるとき、急な天候悪化があると脈が速くなり、その後発作に繋がる場合がある
・岩壁登攀時、実力以上の難易度の壁に直面したとき、動悸が起こり、その後発作に繋がる場合がある
安静時に起こる場合
・就寝時に発作が起きて、目が覚めていると脈が速いときがある
・山にいるとき、一本とった後や昼食後の出だしに発作が起こる場合がある(山での発作はほとんどこのタイプ)
・酒を飲んだ後も出ることがある
上の二つのケースから考えて自律神経の関与で説明が付くのではと推察する。
つまり、交感神経と副交感神経がせめぎ合うときになんらかの信号が心臓に渡り回路を開けてしまうということだ。

就寝時のケース:覚醒時近辺。起きようとする交感神経と安静にしていようとする副交感神経がうまく切り替わらない。
山での一本取った後:やはり休もうとする副交感神経といざ出発にかかろうとする交感神経の切り替えがうまくいっていない。
山や平時で食事を摂った後:上記同様
山での急な天候悪化:先々の不安から交感神経が過剰に反応している。
岩壁登攀時:上記同様。加えて厳しい一手などの無呼吸登攀直後も脈がバラバラになる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-26 19:44:52 (506 ヒット)

医師の言う通り、期外収縮と不完全右脚ブロックはそれほど大変な症状ではないとネットで調べて分かった。しかし、心房細動と心房祖動はちょっと厳しいらしい。
心室頻拍と共に発作を引き起こすと重篤な症状になる場合がある。心房細動と心房祖動のどちらであるかは、なかなか見極めが難しい。しかし、いずれも発作が出た場合は速やかな処置が求められる。一番怖いのは、発作が長引くと血液が澱んでしまい、その塊りの一部が脳に達し、脳梗塞を引き起こす、ということだ。当然山でそれが起こった場合は搬送が極めて困難で危険度がより高くなる。

不整脈が出たときの症状は重篤なものから軽微なものまで個人によって差があるが、私の場合、発作が起きると全く動けなくなってしまう。登山中に一旦発作が出てしまうと下りの途中であってもちょっとした登り返しがあるとかなり辛い。下山時に大きな登り返しがある山はなるべく避けるにこしたことはない。また、息を殺してのきついクライミングや登攀もよくない。その動きの後、脈がばらばらになる場面が幾度かあった。長時間に渡るバリエーションルートも考え物。たとえ異変が起きても直ちに下山にかかれる行程を意識して計画を立てなければならず、山域や内容はかなり限られたものになる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-25 20:03:54 (518 ヒット)

医師からカテーテル・アブレーションという根治術があることを知らされた。
心房細動は早い話が心臓の痙攣。なにかの要因で心臓の筋肉に電気が走り、それがぐるぐる回り続け痙攣を起こす。一旦その症状が出ると、心臓の筋肉の中に回路が出来てしまい、発作が起きやすくなる。そこで、カテーテルを使ってその回路があると思われる部分を焼き切ってしまう、ということらしい。ごく一般的に行われている施術法とのこと。しかし、場合によっては4、5時間かかることもあり、体への負担も軽くはない。また、焼き切った場所が外れていたりすると複数回行う場合もある。さらに、心房細動と心房祖動とでは焼く部位が異なる。試してみる価値はあると思うのだが、なかなかふん切りがつかない。

登山は勧められないと言われる。岩登りなどはもっての他だと。危急時の対応が困難だからだ。平時では動けなるほどの発作が起きないこと、ジムでのトレーニングでは症状が出ないこと、山での症状の出方などを医師に話す。とりあえず、温存療法というか経過措置ということで、薬で様子をみようということになって、抗不整脈剤のシベノールを処方してもらう。

1週間後かみさんを伴い、カテーテル・アブレーションの説明を再び受ける。手術を受けるか否かは私の判断に任せられた。かみさんも、普段なんともないなら、是非にとは勧めないと言う。私の場合、心臓に器質的な異常は認められず、血圧も高くはなく、血液検査からもコレステロール値や血糖値なども標準域にあり、危険因子は少ない。結局、カテーテル・アブレーションは見送ることにした。

その後、約2年間その病院のお世話になった。最終的に、通常生活には支障が無いので現時点では手術を受ける意思がないことを伝えた。抗不整脈剤の投与は必要と考えたが、処方箋のための中核病院での予約通院は結構面倒くさいので、信頼のおける循環器専門の医院を紹介してもらうことになった。もちろん、手術を受けるときが来れば、いつでもどうぞ、ということになり、現在に至っている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-21 5:55:03 (649 ヒット)

町医者には行かずに、直接中核病院に出向く。

血液検査と胸部レントゲンを撮って24時間心電図計を装着させられ家路に着く。普段通りの生活ということでビールも飲んで床に着く。翌日再び病院へ。夜中寝ている間に1分間で150から200の心拍数が何度も計測されていた。夜中寝ている間なんの自覚症状もなかったので、かなり驚いた。と同時にショックだった。山での症状を加味して、医師は心室頻拍の疑いがあると診断した。

さらに一週間後、その分野のエキスパート医師の診断を受ける。結果、心房細動の可能性が高いと。日常生活では差し障りがないこと、器質的な異常が見受けられないこと、血圧、血液分析結果もほぼ正常値内であること、などを加味して、山での発作に備えて頓服的なメインテートとワソランの服用を処方してもらい、定期的に受診することになった。

一月後の定期検診、この間、山でひどい症状が出たことを伝えた。再び24時間心電図計を装着。翌日、心電図をもとに病状が確定された。やはり、就寝時にかなりの頻度で不整脈が出ていた(自覚症状なし)。心房細動か心房祖動のどちらか、あるいは併発であろうとのことであった。加えて期外収縮と不完全右脚ブロック。何がなんだかさっぱりわからないが、なんかいっぺんで病人になった気分。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-7-28 17:33:25 (553 ヒット)

そして、発作が日常生活にも出始めるきっかけとなったのが、いつも自分の体調のバロメーターとして年に3、4回登っている大日岳だった。

2011/9/13 大日岳
http://hangontan.sakura.ne.jp/xoops/modules/news/article.php?storyid=400

登山口から大日小屋までが3時間10分。剱は雲に隠れて見えない。足も軽く、順調なペースでここまで来た。奥大日へと足を向ける。中大日、七福園を過ぎると、秋の花が咲いていた。小さく可憐なタテヤマリンドウがあちこちに。この辺の稜線歩きは実に楽しい。草原で寝ころび、一休みして、いざと、立ち上がったとき、例の心臓発作にみまわれた。心臓の早鳴りと全身虚脱感、いつもいきなりやってくる。これが起こるともう一歩も動けない。伝家の宝刀「六神丸」を口に含んで、様子をみる。ゆっくりと体を起こし、だましだまし先を行く。鎖場を過ぎ、最低コルに出てからの登り。ここまでカタツムリ歩き。さらに進んで最後の登りにさしかかったとき、どこから来るともない恐怖感が全身を包む。あと20分も歩けば山頂なのに。残念だがここから引き返すことにした。大日小屋までなんとか歩き切ったが、冷や汗たっぷり、吐き気とめまいが襲う。あとは下りだけだが、心臓はまだ不整な動き。小屋泊りも考えたが、運を天に任せ、降りることにした。登り4時間、下り3時間40分。なんとかこの発作の対処法を考えねば。

2011/10/4 奥大日の肩からの帰り
http://hangontan.sakura.ne.jp/xoops/modules/news/article.php?storyid=405

帰り道、中大日の登り返しで携帯が鳴ってしばらく会話、その電話を切った直後、いきなり動悸が始まり、目が回り始め、立っていられなくなった。幸い中大日まではあと少しだったので、なんとかやり過ごした。それまでなら、下山途中、下山後には脈拍のばらつきは収まっていたのだが、その日は違った。家に戻ってからも動悸は収まらなかった。

その後、山に行かなくても、何でもない時に急に発作が出るようになった。ここに来てようやく病院で受診することを真剣に考えはじめた


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-23 20:15:16 (567 ヒット)

錫杖岳中央稜P2右岩壁左ルート 2011.6.4

ついに岩登りのアプローチで発作が出始めた。
錫杖沢を詰めて取り付き直下の雪渓を登りきるまでなんの異変もなかった。ザックを降ろして登攀準備にかかろうとしたところ、めまいが起こり、地面が揺れているように感じた。立って居られず当然座り込む。仲間には地震があったか?と聞いた。自分がトップで登りだす。ちょっと渋い登攀になって、息を止めて乗越した直後、再びめまいが襲ってきた。脈拍も早く、鐘を打つ。その後フォローしていても体が重い。しかし、重篤な症状にまでは達しなかった。3人でトップを代わる代わるの登攀なので始終心臓に負荷をかけているということではなかったのが幸いしたのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-22 18:54:44 (507 ヒット)

2011年に入ってから、山で発作が頻繁に出るようになってきた。しかし、山に行くと必ず出るというのではなく、なにごともなく下山に至る場合もあった。そして、これまで起こった発作にいくつかの共通点があることが分かってきた。

^貪个蠅靴董一本休憩をとった後の歩き始めに出る場合が多い
休憩時に食事をとった後に出やすい
5淌个鬚海覆靴晋紂△舛腓辰搬を止めて息を整えた後の出だしに起こる場合がある
いい困譴両豺腓癲何の前触れもなく急にやってくる。脈拍150〜200。全身虚脱状態で足が上がらない。めまいと吐き気。地面に引きずり込まれるような恐怖感に襲われる。
ィ隠亜腺隠喫で発作は一旦収まる。
グ貪挌作が起きると、一休みしても、再び登り出すのは不可能。動悸が収まったかのように思えても脈がばらばらで、登りだすとすぐにまた発作を起こしてしまう
山を中断し、下山にかかると症状は一気に回復していく。出発地点まで戻って、車で帰路に着く途中もなんの問題もない。
Р箸肪紊い討發覆鵑両評もない。酒を飲んでも脈拍は普段通り
日常生活では全く問題がない。ランニングやジムでの自転車漕ぎでかなり心臓に負荷をかけても問題はない

山で発作が必ずしも起きるとは限らず、しかしながら、なんとなく体に異変が起こっているのではないかと感じながらも、だましだまし山に入っていた。山のことは山で解決すべきと思っていたからだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-17 18:48:27 (526 ヒット)

八ヶ岳・石尊稜 2010/12/10-11 へ行ったときのこと

およそ2年ぶりの冬山、2年前の鹿島槍以来。この間山に入っても何の問題もなかった。

八ヶ岳のバリエーションを行こうということで、美濃戸から行者小屋目指して歩く。行者小屋に着くまではなんの問題もなく、むしろ絶好調なくらいであった。小屋に着いて、ザックを降ろして、テン場を探しに歩きまわって、元の場所に戻った瞬間、心臓が激しく脈打ち始めた。まるで機関銃の連射だ。目が回り出し、吐き気ももよおし、立っていられなくなって、その場でへたり込んでしまった。

仲間がテントを設営している間に、脈拍は下がっていった。しかし、アイスクライミングの練習に行こうと、ハーネスやギヤを装着している間、だるさは抜けなかった。準備を整え歩きだすが、一歩一歩が重く、吐き気もし、まるで拷問のような行進となった。ゆっくり歩くことすらままならない。アイスクライミングの現場に着いても、症状は収まらない。一歩足を蹴り出すこと、ピッケルを氷に打ち込むことが苦痛だった。皆が練習しているのを眺めているしかない。練習を終え、テン場に戻ってもめまいと吐き気は収まらず、皆が入山祝いで盛り上がる中、食欲も湧かずビールを飲む気にもなれず、独り静かにシュラフの中でうずくまっていた。

翌朝、どうなることかと心配したが、起きてみると体は軽く、いつも通り朝食を摂ることができた。その日の行程もなんなくこなし、体には何の異変も起きなかった。このときも、前日自分の身に起こったことが信じられず、狐につままれたような感じだった。

2年前の鹿島槍と八ヶ岳で起こった似たような症状、しかし、深刻には考えていなかった。なぜなら、具合が悪くなっても、翌日には回復していたからだ。また下山時にはなんの症状も出ず、普段の生活においてもその症状が出たことがなく、ジムでの結構きついトレーニングで心拍数をかなり上げても、なんの異常も感じられなかったからだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-12 18:50:51 (629 ヒット)

不整脈を持ちながら山をやっている人がどれだけいるのか分からないが、たぶんかなりの人が不整脈が原因で限られた条件での登山を強いられているのではないかと思う。自分の体験を振り返りながら、山と不整脈について考えてみたいと思う。

「心房細動」という病名は耳にしていても、それがどんな病気なのかはっきりと知っていたわけではない。単に心臓の病名の一つといった認識くらいしかなかった。それまでまるっきしの健康体を自負していた自分には縁のない話だと思っていた。しかし、突き付けられた現実は非情で、自分の生き方そのものを変えてしまった。

まだその症状が心房細動とは知らなかった頃の話。

冬山からしばらく遠のいていて、しばらくぶりに臨んだ2008年の鹿島槍でそれは起こった。年末の入山日、車止めから歩いて赤岩尾根の取り付き目指して歩いていた。一本取り、いよいよ尾根に取り付いてまもなく息が苦しくなって行動不能に陥った。少々休んで再び動き出すも体に酸素が入っていかない感じ。そんなことを二三度繰り返して後、完全に動けなくなって、雪面にうずくまってしまった。当時の模様を以下のように綴っている。

2008/12/28〜30 鹿島槍赤岩尾根初日
15時前後だったか、1900m付近の尾根上、杉の大木の根元を整地してテン場とした。天候も悪くなく、目標としていた高千穂平は目と鼻の先だったが、この状況ではいたし方ないだろう。ゆるやかな斜面なので整地作業に30分くらいかかった。ちょうど16時、テントにもぐり込むなり、くつろぐ間もなくK、Tの両名は缶ビールと缶チューハイを開けた。自分はといえば、二人に対して申し訳ない気持ちが半分、自分の体の異常に対する不安が半分、酒には目が向かない。はたして明日は大丈夫だろうか。それにしても、あの急な変調はなんだったんだろう。

西俣出合から小さな川の流れを渡って、尾根に取り付いた。その直後、いくらも歩かないうちに息切れが始まった。出だしの急登だったせいもあるが、いつになく胸が苦しい。変だなと感じたが、ものの2、3分歩いているうちにその症状は収まっていった。あとは何事も無く高度を稼いでいった。どちらかといえば順調なペース。ところが、1700〜1800m付近、急に手足が動かなくなってしまった。息も荒く、気がつくと、心臓の鼓動はバクバクと毎分200回を打ちそうな激しさ。喉から心臓が飛び出しそうとはこのことか。しかし、なんの前触れもなく、本当にその変調は急に訪れたのだった。ただ単に苦しいというのではなく、何とも言いようがない不安が全身を襲う。頭を上げれば、目が回り、吐き気もする。とても歩いていられない。そんなこんなで一本とる。大休止後、ゆっくり歩き始めるが、すぐに息が荒くなり、やっぱりダメ。とにかく、自分に何が起こっているのかさっぱりわからない、今の状態が信じられない。これ以上歩ける自信はなく、もっと重篤な症状になってからではどうしようもない。リーダーにその旨を告げ、ビーバーク地を探してもらうことにした。

テン場を整地していうちに、というよりか、テン場と決めた地点に辿りついて直後、気分は急速に回復していき、雪を払ってテントに入ったときにはほぼ平静に戻っていた。頭を振っても痛くないし、呼吸も鼓動も平常値。本当にあれはなんだったんだろうと思うことしきり。しかし、明日の行動のことが気にかかる。テン場は予定地より150mほど低い。往復にして2時間のロスがあるとみていいだろう。目的地まで高差にしてまだ1000mある。1000mのアタック、はたして届くだろうか。天候が崩れればまずむりだろう。そんな思いで頭がいっぱい。なにより、自分の体調に自信がもてない。


後からにして思えばこのとき心房細動が発症していたのだと思う。 急な尾根の途中だったが仲間に頼んでテントを設営してもらい、転がり込むようにして中に入った。休んでいると苦しい症状は和らいでいって、食事もなんとか摂ることができた。翌朝になってみると、前日のことが嘘のように体は軽くなっていた。そのときは心臓の異常などとは思ってもみなかった。ただ単に体調が悪かったのかな、くらいにしか考えておらず、テントサイトからの頂上アタックもゆっくりペースではあったが、無事成功した。息が切れ切れの登行であったが、久しぶりの山だから体がついていかないだけだろう、としか思わなかった。下山時は全く問題ない。ただただ、あの不具合はいったなんだったんだろう、と首をかしげるばかりであった。

この年の5月には、馬場島から西大谷尾根を歩いて剱まで縦走し早月尾根を下りてきており、このときにはなんの異常もなかった。それだけになおさら自分の体の中で何か変化が起きているとは夢にも思っていなかった。