本棚 : 「われらが父たちの掟」上・下 スコット・トゥロー 著 ★★★★★ 文藝春秋
投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-26 19:07:12 (445 ヒット)

スコット・トゥローはおもしろい、中高年の星だ。
彼の作品を十代、あるいは二十代の若者が手に取ったとき、どう捉えるだろうか。それどころか、最後まで読み切れるだろうか。彼の作品はある程度人生経験を積んだものが読んでこそ、その良さが、より実感できるのではないだろうか。自分の学生の頃と重ね合わせた場面が随所にあった。自分の初恋のころのほろ苦い思い出、なぜあんなぶきっちょだったのか。二十代の頃、自分は本当に何も考えていなかったのだな、と。

事件はスラムのビル街で起こった。チンピラに襲撃され、一人の老女、ジューンが射殺された。一見して、ジューンは何らかの事件に巻き込まれたかのような印象を受ける。が、逮捕され告訴されたのが、その息子であるナイルであった。はたしてナイルは無実なのか、迫真の法廷劇がこの作品の一つのみどころ。

この裁判の判事を務めるのがソニー・クロンスキー。彼女は被告人と旧知の仲であり、また証言台に立つ彼の父親のエドガー(州の上院議員)、そして今は分かれたが殺された元妻のジューンとも深い縁がある。さらに、ナイルの弁護人であるホビー・タトル、彼もまたソニーと青春の一ページを過ごした仲。そして、法廷の傍聴席にはソニーの元恋人で、今は新聞にコラムを書いているセスがいる。期せずしてこの裁判がもとで再び相まみえることとなった彼ら。一見、出来すぎた話のように思えるかもしれないが、スコット・トゥローの場合は一味も二味も違う。

1960年から70年にかけてのアメリカはベトナム戦争のさなか。ニクソン大統領の疲れ切った灰色の顔がテレビ画面に映しだされ、人種差別はまだ色濃く残り、若者は皆マリファナに陶酔しきっていた。エドガーとジューンは「闘争」に明け暮れる。一方、セスはエドガー夫妻の子供であるナイルのベビーシッターをやりながら、学業に励む。恋人同士のセスとソニーであるが、セスのあまりにも熱く濃い想いをソニーは受けとめられなくなる。そんなおり、セスにベトナム戦争への徴兵状が届く。ソニーは平和部隊に志願し、二人は別れ別れになる。一方セスは兵役から逃れるべくカナダへの逃亡を企てる。ことのきジューンとエドガーが一計を案じ、セスの逃亡に力を貸す。セスと一緒に逃亡生活をおくることを決意したのが、彼の親友のホビーの恋人であった。25年前の出来事と今回の殺人事件がどう関わり合うのか。トゥローならではの綿密で一分の隙もないストーリー展開に引き込まれ、読む時間も忘れてしまう。

物語は法廷で再会したセスとソニーの二人のそれぞれの語りで進められる。25年の間のかつての同士たちの歩んできた道が語られる。そして、物事を複数の視点から読み解くというトゥローの姿勢はこの作品でも重要なウエイトを占めている。当然、裁判自体もそのような視点から描かれている。同じ証人、証言でも視点が異なれば、その事件の見方そのものも変わってくる。ここでは、犯人が誰かということよりも「どこで何が起こったか」を「解明する」=「作り上げる」ことに重点が置かれている。証人が決して嘘を言っているわけではないのだが、検察あるいは弁護士の質問の仕方、切り口によって、その証言のもつ意味合いが違ってくる。裁判とは「真実」の追究ではなく、「そこで何が起きたのかを想定し」その「つじつまを合わせること」の追求ともいえるようだ。

「推定無罪」「立証責任」「有罪答弁」そしてこの「われらが父たちの掟」を立て続けに読んでみたが、どれをとっても読み応えのものあるものばかり。重層な物語の構成、きめ細やかな描写力、ウイットの効いた表現を散りばめた含蓄のある文章、そのいずれもが卓越している。何辺でも読み返したくなるような面白さ。その中にあって、この作品は頭一つ抜きん出ているように思える。

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