山の本 : 「K2 嵐の夏」 クルト・ディームベルガー 著 ★★★★★ 山と渓谷社
投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-12 18:14:10 (665 ヒット)

1986年の夏、K2に起こったに悲劇。そこで何あったのか、この本にはそれが記されている。また著者クルト自身と彼のパートナーのジュリー・チュリスとの荘厳な山の物語でもある。

読み始めてまず驚いたのが、1986年にK2に挑んだときのクルトの年齢。なんと54歳。その歳でK2に臨めるものだろうか。同じ歳ですでに隠居を決込んでいる自分にはそれだけでも驚異的かつショックな話。K2を剱に置き換えて、こんなことをしている場合ではないと思うことしきり。

当時と言えば、メスナーやククチカの動向が常に登山界の話題となり、トモ・チェセンが新進気鋭のクライマーとして頭角を現し始めてきた頃。そんな中にあって、彼らから見ればクルトのようなおじさんクライマーも懸命に山に挑戦していた。そこに引き付けられた。

登頂まで若干の紆余曲折はあったにせよ、二人で念願のK2に立ったときは至福の瞬間だった。クルトはその『若干の紆余曲折』を遭難の兆候とらえて記述している。登山の目標はただ山頂に達することだけではなく、無事下山することも含んでいる。登山全体を捉えたとき、『若干の紆余曲折』が致命的な結果をもたらす要因となることもあり得る。今回の場合、クルトはそれを示唆し、その予兆を感じていた。特にK2のような8000メートルを超えるビッグクライムとなれば一つの綻びが全体の成果を左右する危険性を秘めている。「あのとき何故あんなことをしたのか?」だが、いくら用意周到に臨んだとしても、何もかも予定していた通り完璧にいく山などあるわけもない。その時々に応じて最善の策と思えたことをやっていたつもりでも、それが結果から見れば、そうでなかった場合もあり得る。

8000メートルを超える高所での過酷なビバークを経て、次々と倒れていく仲間たち、その中には一緒に登頂を果たしたジュリーも。それぞれの悲惨な状況をクルトは冷静に観察し、淡々と綴っていく。飾らない文章がよけい臨場感を際立たせている。まるで目の前でそれが起こっているかのように、自分が彼らと一緒に狭いビバークテントの中にいるように。疲労困憊し立つ力もなく体を横たえ、涙目でクルトを見つめている自分がそこにいる。今まさに死に行く彼らをどうしてやることもできない。自分らが進むだけ。彼らを後にしてクルトは下り続ける。そしてついに希望のテントが見えてくる。一緒に登り、同じ時、同じ空間にいて、極限の世界を究めながらも生還した者と残された者、その違いはなんだったんだろうと思う。双方とも彼らは彼らの山をやってきて、結果、そうなった。それしか言えないような気がする。

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