本棚 : 「ベイジン」真山仁 著 ★★★ 東洋経済新報社
投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-1-17 21:08:37 (373 ヒット)

中国大連に世界最大級の原子力発電所を建設し、その火入れを2008年開催の北京オリンピックの開会式と同調させ、オリンピックに花を添え、かつ中国の威信を世界に知らしめようとする物語。
原子力発電所建設技術顧問として招聘された日本人技術者と中国人の建設監督官が主たる物語の構成要素として登場する。

工事の手抜きやサボタージュなど、建設現場のあらゆる場面で日本の常識が通用しない。だが、原子力発電所では一分の瑕疵も許されない。いわば中国標準のなかでどうやって完成にこぎ着けけるか、現場作業員にどうやってそれを理解してもらえるのか、それがテーマの一つ。また、中国人監督官は中国独特の文化に縛られ、すなわち、わいろ政治と権力闘争は当たり前、常に誰かが誰かを監視し、自分を守るためならば誰かを陥れることは何とも思わない、だが、それがいつ自らにふってくるか、誰も信用できない、という恐怖感を常に抱きながら工事の進捗を監視する。

最初は文化の違いとお互いが抱いている先入観によって、日本人と中国人の溝はなかなか埋まらない。しかし、次々と湧いて出る不具合を克服していく過程を通して、いつしかお互いを認め合うようになっていく。そして、最後にはわだかまりも消え、何としても完成させるという「希望」が両者を結びつけ、クライマックスを迎える。

まずは率直な感想から。
中国人の「程度」は本当にこんなものなのかという疑問。ここに描かれているのは、あまりにも、これまで自分が抱いていた中国像そのままだった。やっぱりそうなのか。もしそうだとしたら、この作品が中国語に訳されて、中国に紹介されたなら、当の中国人はどう感じるだろうか。腐敗した政治構造もしかり、ほんとうの民主主義国家とはとても言えない中国の闇が描かれている。本作品は原発建設過程を通して、原発の「いろは」もわかりやすく解説してくれている。だが、本当の主題は、作品に書かれている原発建設の困難さや事故の際の脅威、そしてそれを取り巻く人間模様を描いたものではなく、中国とはどういう国なのかを言わんとしている作品ではないかと感じた。

では、素直ではない感想。
この作品は2008年、つまり3・11前に書かれている。当時としては原発の脅威の啓蒙書としても受け入れられていたのではないかと思う。杜撰な管理下で原発が建設されたらどうなるか、本書はそれを暗示している。そしてまた、日本の技術の先進性と対極の中国の後進性と原発認識の甘さ。作品でも描かれているが、現場内のちょっとした水たまりもよしとしないシビアな姿勢とその原因の追及。一般の建屋建設現場でもそれは検証の対象となるのだろうが、原発においてはその重みがまったく異なる。それはネジ一本からコンクリート、現場に配置される機器類の品質、すべてにおいて厳重にチェックされなければならない。作品中、中国側のあまりにも杜撰なやり方に対して日本人技術者らは幾度も中国人と衝突する。
だがしかし、3・11で起こった悲劇はいったなんだっただろう。この作品で描かれている日本人技術者の矜持とはいったなんだったんだろうと思ってしまう。想像を絶する大地震がもたらした惨劇と言ってしまえばそれまでだが、本当にあれを作った技術者たちは最悪のことを想定していたのだろうか。構想、設計から、ネジ一本の細部に至るまで、本当にシビアな目でみていたのだろうか。そして、あの惨劇後、いまだに続々と出てくる不具合。これじゃ、この作品の中に出てくる「中国」とたいして変わらないじゃないか。そう思えてならなかった。

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