本棚 : 「新リア王」上・下 高村薫 著 ★★★ 新潮社 
投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-6-13 18:17:47 (432 ヒット)

先に読んだ「晴子情歌」が母と子の心の通い合いならば「新リア王」は父と子の対話。

青森についてよくわかってない。私との関係といえば、学生時代に八甲田山にスキーに行ったこと、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を読んだこと、我らが売薬仲間に青森に行っている者がいること、お得意さんで青森出身の方がおられること、原子力船「むつ」の母港であったこと、核燃料再処理施設があるらしいこと、私の好きな高橋竹山がいたこと、地吹雪ツアーがあること、シジミの産地であること、大間のマグロが有名なこと、白神山地があること、リンゴの産地であること、おいしいニンニクがとれこと・・・。ざっと思いつくのはこんな具合。

そんな青森のことを再認識させてくれた一冊。
青森にもドンと言われた権力者がいたことを知ったことも一つの驚き。

1970年頃から1980年前後の日本の政治がどんな状況でどう蠢いていたかがよくわかる。政治家の考えと仕事の「いろは」、永田町の思惑、国政と地方自治のダイナミズム。当時の政局も実名を挙げて「解説」してくれている。1980年前後といえば、自分は世に出たばっかりで、自分のことだけを考えるのが精いっぱいのとき。他方、都会との差を埋めようと必死だった青森がそこにあった。いや、青森だけではなく日本中がそんなことで湧いていたのだろう。ただ、当時の自分には目に入ってこなかっただけのことで、言われてみれば幸せな奴だったのかもしれない。

青森の一政治家の目を通して語られる今のTPPにも繋がる農業問題と3.11後に急に進路を変え始めた当時の原子力行政。それは原子力発電所、核燃料再処理施設の誘致とそれに伴う漁業権の保障であり、新幹線を引っぱってくることであり、米農家への支援策である。しかし、主人公である青森のドンはそれらを単なる地方への利益誘導としてみていたわけではなく、それらが本当に青森県民の為になるのか、しいては日本の国の為になることなのか、ということを常に考えながらやってきた。そうやって築き上げてきた40年の長きに渡る政治家人生の邂逅でもある。

当時から原子力の脆弱性は当時から専門家だけではなく政治的にも認識されていたことが垣間見える。それにもかかわらず、電源三法を金科玉条として、日本中の至る所で誘致合戦が繰り広げられた。それがもたらした結末を今になれば誰でも知っているが、2005年に高村薫がそれを本作品を通して伝えていたことは驚くばかり。

今は仏家となった息子に自分の半生を語り聞かせ、息子はその時々に於いて己の居た境遇と重ね合わせまた自分の歩いてきた道の断片を父に語る。「晴子情歌」で母が子に綴らねばならないことがあったのは母親としての子に対する情からである。本作品で父が子に語ったことは政治がらみの事ばかりであるが、40年間政治一筋に生きてきた男にとって他に何が息子に語れよう。

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