投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-16 21:04:28 (342 ヒット)

上下併せて、1600ページ近くの超大作。1991年に書かれ、1993年に邦訳、出版されている。当時は、ジャック・ライアンシリーズの本が出されるのを、まだまだかと、待ち望んでいたのを思い出す。

今、読み返してもさすがだなと感じ入る次第。1991年といえば、湾岸戦争勃発の年、ソビエトが崩壊した年でもある。この作品は東西冷戦終結のあとの微妙に漂う緊迫感を見事に描きだしている。また、その後にくるアメリカとテロリストとの対決、後に歴史が証明することになるのだが、を予言していた本でもある。「国家が後押しするテロリズムは戦争だ」とライアンは言っている。

長編にもかかわらず、全体に少しの無駄も無い。一部のすきも無い。テロリストの原爆製造の過程にいたっては、なるほどと感心させられた。こんなにもたやすく原爆が出来うるものなのかと。軍事テクノ、スパイ、潜水艦、ライアンの葛藤と一言一言、わくわくしてページをめくった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-15 19:00:08 (502 ヒット)

我が家のユズの木に今年もやって来たモスラ達。
葉っぱがみんな食いつくされ、実など成るはずもない。
そのかわりと言っちゃなんだけど、きれいなアゲハとなって、庭でダンスでも踊っておくれ。






投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-13 18:48:21 (335 ヒット)

ネット上の書評は、賛否両論。
自分的にはとてもおもしろかった。
前に読んだ「私の男」に匹敵する。

「逃げるわよ、コマコ」
序盤、マコとその娘コマコ、5歳、の逃避行でぐいぐいと引っぱる。

転がり込んだ先々で繰り広げられるマコとコマコの奇妙奇天烈な生活。そのたびにコマコは考え、すこしずつ大人になっていく。

やがて、コマコは語りを覚え、自分の世界を文章で表現していくようになる。そして得たビッグな文芸大賞。

ジョン・アーヴィングの世界がぷんぷん匂う作品だ。「ガープの世界」や「またあう日まで」を思い浮かべたのは小生だけではないだろう。彼に感化されたことは間違いがない。パロディとしてこの作品に仕上げたと思われるくらい、作品のもつ力、個性は似かよっている。模倣しているとかパクッているとかということではなく、作家同士の持つ個性の共鳴といったものを感じる。

荒唐無稽な物語に、あふれ出る言葉と文章。桜庭一樹の感性と想像力、そして創造力がほとばしる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-12 20:03:47 (360 ヒット)



挿し穂から苦節三年、ようやく花開いた。
切りとった穂先をいただいたときはすでに花が終わった後。どんな花だかわからなかった。口で説明されても、小生の想像力では限界がある。また一抹の不安もあった、無事花を咲かすことができるだろうか。

一年目、しっかりと根付いているようだが、花の咲く気配は全くない。
二年目、少しずつ株も大きくなって来ているようだったが、結局花芽は付かず。

三年目の今年、富山でもこれまで経験したことがないくらいの極寒の冬。はたして乗り切れるかどうかとても心配だった。四月に入ってからもまだ雪がちらつき、株の勢いはない、今年もだめか。ところが、五月の連休過ぎあたりから、葉っぱが芽吹きだし、下旬ごろからは花芽も付き始めた。花芽は次第に膨らみ始め、そして今朝新聞を取りに外に出てみると、ついにパッカンと花が開いていた。

月下美人のような強烈な芳香はないが、その美しさは甲乙つけがたい。
咲いてくれて、ほんとうにありがとう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-11 17:35:03 (538 ヒット)

今日はマンデイ・登山デイ。
天気予報では晴れ。まだ入梅してから二日しかたってないけど、それでも梅雨の晴れ間というのだろうか。

目指すは大日岳。
毎年数回訪れるこの山は、小生の健康のバロメーターとなっている。いつも行く場所をきめておけば、どのくらいのペースで登れるかによって、そのときの体調を把握できる。

大日平に出ると木道があらかた出ていた。小屋周辺はまだ雪がたっぷり。いつもなら大日小屋から大日岳を目指すのだが、今日は右手の中大日に行くことにした。

山頂の岩場ではライチョウ君が待っていてくれた。10分近く休んでいたが、全く動く気配なし。日向ぼっこでもしていたのかな。

帰りにススタケでも獲っていこうと思ったが、藪に入ると血吸い羽虫の襲撃がものすごく、あっさりあきらめることにした。

今日の獲物:エラ
登り3時間50分、下り2時間30分


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-10 18:30:17 (369 ヒット)

麻生幾にしては珍しく連作もの。
「外事警察」の二作目。
目下、映画も公開中の話題作。

前作ではまぁまぁの感触を得たが、今回はがっかりさせられた。

事件の(というか物語の)状況説明に多くのページが割かれている。それをしないと物語にならないというところが、この作品をつまらなくさせている。

唯一書きこまれている主人公の「住本」の物語は紋切り型でイージーな設定。本作品の鍵となる協力者“ジャスミン”の物語については幾分か練られているが、これも類型化している。

さらに、筋立て自体、なんでもありの感がある。最後の最後に来て、「そんなぁ」という結末。こういうシュミレーション的な作品は、構成に失敗すると、真実味というかリアル感に欠けるフィクションとなってしまう。期待していただけに、残念。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-9 18:44:23 (489 ヒット)

久しぶりに推理小説でも、と思って手にとった。

旅行会社の主催したミステリーツアーの行先は樹海だった。
その樹海の中にある宿泊先で次々と人が殺されていく。
”そして誰もいなくなった”と”ジェイソン”と密室トリックを組み合わせたような。

推理小説の作家は常にトリックとの戦いだ。
少しのひらめきを感じて書き始めるのだろうが、ストーリーを熟成しないままに仕上がって(仕上げて)しまう場合もある。妥協した筋立てで作品としてるのだから、中途半端になってしまうのも仕方のないことだ。

本書はそんな印象を受けた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-6 6:58:34 (312 ヒット)

あいかわらず、登場人物の名づけ方が変だ。
主人公は腐野淳悟とその娘の花。

異常と言わざるを得ない親子関係なのだが、そこにくぎ付けとなり、どっぷりと浸ってしまう。
先の読めない筋立てと、それが醸し出す独特の世界は類まれのものを感じる。

最初に今があって、物語は順に遡っていく。遡るたびに語り手が変わり、それぞれの物語が先の物語を補佐する役目となっている。と同時に、全体の物語の入れ子ともなっている。言わば、この作品も桜庭一樹ワールドに満ちている。

直木賞選考の過程で、委員の北方謙三は「反道徳的、反社会的な部分も問題になったが、非常に濃密な人間の存在感がある」と、述べている。この“濃密な人間の存在感”こそが本作品のキモだと思う。

ドキドキ、ハラハラに加えて今回は生唾もの。
一度読んだら絶対に忘れない、強烈なインパクトのある作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-1 17:47:22 (321 ヒット)

本命の「下町ロケット」を予約してから半年。まだ自分の番が回ってこない。
そこで手に取ったがこの一冊。

社会人野球チームの浮沈と中堅電子部品メーカーの生き残りを賭けた大勝負。

野球の試合は八対七が一番面白いという。七対七までの攻防には様々な場面がある。その接戦を制して勝った時の喜びはひとしおであろう。企業間同士の激烈な競争もそれに似ている。

不況のおり、企業が生き残るためにはコストダウンのためのリストラが必要となることもある。だかしかし、それだけでは企業は生き残れない。企業のトップが社員のことを思い、それに社員が粋に感じて、全員一丸となった時にこそ、爆発的な力が生まれる。

息詰まる野球の攻防戦と社運を賭けた企業の受注合戦を、池井戸潤風に仕立てある。涙と笑いと、読了後の余韻はさすがだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-6-1 5:10:53 (410 ヒット)



ジョージアからでた新しい缶コーヒー。

コーヒーとダージリンティーのブレンドなのだが、飲んだ感じ、紅茶に近い感覚。
薄めのコーヒーに紅茶を混ぜたような味。甘さをおさえてすっきりとした飲み心地となっている。

文字通り、先に出た”宇治抹茶入りコーヒー”の二番煎じだろう。

二匹目のドジョウはむずかしい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-30 21:09:58 (386 ヒット)

「人」偏に「犬」と書いて「伏(ふせ)」と読む。
題名の由来はもちろん「伏姫」からきている。「里見八犬伝」後、江戸時代まで八犬士の末裔(犬人間)が生き延びて、それらは「伏」と呼ばれ、うまく街中にとけこみ、文字通り世の中から伏せて生きている。

本家曲亭馬琴が超長編の南総里見八犬伝をまだ執筆中のおり、その息子“滝沢冥土”が読売となって登場し、父に負けじと「贋作・里見八犬伝」を語る。

その「贋作・里見八犬伝」から飛び出した伏(犬人間)が江戸時代を背景とした本作品に登場し、入れ子になった作品中作品と本作品とで不思議な世界を形作っている。そして、本著自体が「贋作・里見八犬伝」とも言えて、なんともややこしい話。

悪女”船虫”が憎めない役柄を演じているのも、小憎い演出。

著者桜庭一樹得意のマジック・リアリズムが十分堪能できる作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-24 21:35:48 (297 ヒット)

フィリピンで活動中の「国境なき医師団」の日本人女医が何者にか拉致され、行方がわからなくなった。その捜索依頼を受けたのが、元自衛官で特殊部隊隊員だった河合。河合はかつて、通常の交戦に加え、海上、海中からの任務に秀でた精鋭部隊を率いていた。

事件の影にちらつくフィリピンマフィアのドンを追っていくうちに、舞台は与那国島へ移り、急展開を迎える。そこで河合のかつての仲間たち“バッドボーイズ”が再び徴集される。

国のため、また自分の信ずる者のため、任務のためには生死をいとわない男たちの物語。反面、国家のためと言いながら、秘密裏に悪と手を組むことを排除せず、旗色が悪くなると、自らの手を汚すことなく任務の名において事態を収拾させ、それに関わるものを闇に葬り去ろうとする組織があり、者がいる。

先に読んだ「外事警察」は捜査しているものがまた誰かに監視され、事件の裏に隠された真相にまた裏がある、という構図が幾重にも仕組まれていて、やや懲りすぎたきらいがあった。しかし、本作品では、物語をより単純にして、「外事警察」よりは気楽に読める内容となっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-23 20:50:16 (382 ヒット)

頭をややたれ気味に、うつむき加減で背中を丸くして咲くから、その名前がついたのだと思っていたら、花が終わって種が出来る頃になってビックリ。まるで白髪の爺さんのよう。どちらかが花の名前の由来だと思うのだが。さて、どっち?




投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-22 21:25:18 (298 ヒット)

この作品は、テレビドラマの原作のための小説ということで書きおろされたとのこと。
最初に小説があってその映像化というのならすんなり理解できるのだが、その逆となるとなんか違うような気がして・・・。でも、どっちでもいいのか。

はじめから映像化を想定した小説を書くというのは作家にとってどんな心境なのだろうか。
普通の作品と同じスタンスで臨めるものなのだろうか。作り方に違いがあるのだろうか。

読みながらその場面場面を頭に思浮かべるのは本読みの常だが、この作品では、読みながら、この場面はどんな風に映像化されるのか、そんなことばかりが気になった。自分が脚本家やドラマ製作者にでもなった気がして。

ドラマはすでに放映され(NHK土曜ドラマ)、かなり人気も高かったときく。映画(「外事警察」としては二作目)も近々公開される予定だとか。こうなるとやっぱりテレビドラマを観ておかないと。と思っていたら先週から再放送が始まっていた。これを偶然と呼ぼうか、不思議な因縁と言わざるを得ない。

諜報物や対テロ物の分野が好きで、数多く並んでいる書架の中からたまたま手に取った一冊が、「外事警察」、どうも旬なキーワードだったようだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-19 21:07:22 (606 ヒット)

今日は風薫る五月にふさわしい上天気。今年に入って、こんな五月らしい天気は今までなかった。五月はこれでなくちゃ。

というわけで、今日は岩登りを楽しんできた。

雲ひとつない青空のもと、新緑が勢いづき、ほとばしる沢音が初夏を感じさせる。

岩に攀じることは単に登ることだけを意味するのではなく、岩に身をまかせ、自分を自然に開放し、精神を解き放つ、作用がある。今日のような五月の上天気ならば、そんな気分も倍加する。

心地よい疲労感がたまらない。

今日の獲物:エラ 一茹でにしてマヨネーズとカツブシと醤油で食べる。ビールはもちろん増量







へっぴり腰の小生


バランスよいT君


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-17 17:58:28 (355 ヒット)

春のモザイクを集めてみた。


























投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-16 18:47:16 (294 ヒット)

前作「ワイルド・スワン」に引きずられ、手に取った一冊。
おそらく誰もが同じ道を辿るだろう。それほどに、「ワイルド・スワン」のインパクトは強烈だった。

「ワイルド・スワン」同様分厚い2冊組みの本。「ワイルド・スワン」では作者と作者の家族が辿った数奇な運命に圧倒された。本書はその激動の中国の渦の中心となった毛沢東に関する、いわば暴露本みたいなもの。副題に「MAO The Unknown Story」とあるように、誰も知らなかった毛沢東の真の姿を映し出している。

「ワイルド・スワン」に出会うまでは、毛沢東とは「かつて中国共産党をひきいていた」ことぐらいにしか頭になかった。文化大革命とは、天安門事件とはどんな事件だったのか、周恩来とは、林彪とは、小平とは、テレビや新聞で見聞きはしていたが、いかなる人物だったのか。まるっきり知らなかった。「ワイルド・スワン」で初めてその一端に触れることができた。本書ではさらに踏み込んで、より詳しくその実態に迫っている。

毛沢東の生きた時代はまさに混沌とした現代中国の辿った時代と同調する。前半はまるで戦国時代の国獲り物語をみているかのような感じ。権謀術数をつかって敵を利用し、翻弄し、また味方を欺き、それがまた嘘のように毛沢東の思惑通りに進展する。

その点だけをとらえれば毛沢東はカリスマと言えなくもないが、その実態は嘘と恐怖と破壊と色で塗り固められ、残虐で悪辣で自己中心的なやり口だ。それはまさしく暴君と言う名に等しい。

三国志の中の英雄と明らかに違うのは、毛沢東には市民の幸せを願うということがなかった点。ただひたすら私利私欲のために覇権を目指したのだった。

それなのになぜ人々は、結果的に、彼になびいていくことになったのか、それが不思議でたまらない。「三反、五反運動」「走資派」「造反派」「階級闘争」「土法高炉」「スプートニク畑」「紅衛兵」「ジェット式」・・・。毛沢東は中国を徹底的に破壊し、自国の民7000万人以上を死に追いやった。そんな人物がなぜ国を牛耳ることになったのか。それでもなぜ彼は崇め奉られていたのか、そこがいかにも理解しがたい。

著者自らの体験に加え、膨大な調査と資料をもとに作成された本書は現代中国を知るバイブルとなることは間違いない。それほど本書は中身が濃く、意義深い作品である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-14 18:06:48 (564 ヒット)

朝目が覚めると、なんとなし頭が重い。布団の中で2時間ほど本を読んでも、すっきりしない。

仕事も気がのらないので、おにぎりを持って馬場島方面へ散策に出かけることにした。

10時ごろから約3時間、あっちこっち歩きまわった。目的もなく、当てもなく、自由気ままに歩くだけ。

山の空気に浸り、沢風に身をさらしていると、いくらか気分が軽くなった。

山は春から夏へ急ぎ足で移ろいでいる。

今日の獲物:コゴミ、タラノメ、コシアブラ一掴みずつ




投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-5 16:10:49 (535 ヒット)

五月五日は晴れの特異日、今日はかみさんと連れだって中山へ行って来た。

さすが剱岳の展望台として手ごろな山、GW後半ということも手伝ってか、県内外からの多くの登山者で賑わっていた。

はじめは一人でテントを担いでの山登りを計画していたのだが、このところの天候がいまいちなのと、かみさんと一緒に出かけたいこともあって、お手軽な中山に登ることにした。

前々から、かみさんが新調した登山靴とアイゼンの足慣らしをしたいと言っていたので、ちょうどよい機会となった。この先もっと山を楽しもうと、この春、新しく雪山用の登山靴をそろえたのだった。

残雪の付き具合はアイゼンを使用するほどのこともないくらいなのだが、かみさんは約20年ぶりのアイゼン歩行を楽しんでいたようだ。自分としてもゆっくりペースで負担も軽く、ちょうどよかった。

いままで、自分一人の山をやって来た小生。かみさんへの配慮が足りなかったと猛省中。昨年、一昨年と白山を契機に再びかみさんと一緒に登りだした。これからも機会をとらえてかみさんとの山行を楽しんでいきたいものだ。

登り2時間、山頂1時間、下り1時間
今日の獲物:コシアブラ一掴み






投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-2 18:54:48 (313 ヒット)

題名の「ワイルド・スワン」とは著者自身の名前「鴻」(おおとりを意味する)に由来する。

分厚い上・下二巻の本だが、その長さを全く感じさせない。

『十五歳で、私の祖母は軍閥将軍の妾となった』いきなりこんな書き出しで始まるこの作品。これからいったいどんな物語が綴られていくのだろうか、その期待感を裏切らせない波瀾万丈の物語。

ときは1924年、祖母の物語から、著者の母、そして本人がイギリスへ留学する1978年まで、三代にわたる家族の生きざまが描かれている。

事実は小説より奇なりという言葉があるが、そんなうすっぺらな一言で済まされない凄まじい物語。迫力があり、それでいて文章に力が入るわけでもなく、説明的にすぎることなく、すなおな筆致で、淡々と事実が描かれている。

あまりにも信じがたい狂気と迫害に満ちた異常な世界がそこにあるのに、全編を通してこの作品に漂うすがすがしさと、あたたかみはいったいなんなのだろうか。その辺がこの作品の魅力であり、多くの人々が引きつけられる所以であろう。

この作品を読んでいる最中は、著者の数奇な運命にのめり込みっぱなしであった。しかし、読み終えて、一息ついたとき、ふと「今を生きているのは著者だけではない」(当たり前のことなのではあるけれど)ということに気付かされた。今中国に生きているすべての人々みんなにこんな凄まじい物語があったのに違いない、みんなこんな過酷な時代を生き抜いてきたのだ、と。

得体のしれない国「中国」に少しでも近付けたような気がする。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-5-2 18:04:02 (393 ヒット)




投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-29 18:58:27 (522 ヒット)

よそ家のサクラソウは爆発せんばかりに咲き誇っているのに、我が家のはなかなか咲いてこない。

もやもやした気持ちで日々を過ごしていたところ、このところの好天と気温上昇のおかげか、ようやく立ち上がって花を咲かせてくれた。

派手さはないが、品があって花も大ぶりだ。

ニホンサクラソウここにありという自信に満ちている。




投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-26 17:48:57 (342 ヒット)

卯月もはや終盤。ここ一週間で一気に庭が活気づいてきた。花達も競って咲き始めている。








投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-25 21:57:30 (603 ヒット)

久しぶりに人津谷に入った。

数年前に入った時と同じく、1000mあたりから右手の斜面を辿って1350の肩に向かう。1500mピークを経て文登研のコルに降る。

1350の肩に立ったときは息も絶え絶え、体はだるく、足も相当重かった。いつくるとも知れない発作を考えると余計にマイナス思考がおおいかぶさってくる。

ここで引き返そうかとも思ったが、20分ほど休んでいると気持ちも幾分軽くなってきたので、先を行くことにした。

行ってみればなんのことはない。いつものごとく快適な下りが待っていた。あそこで引き返さなくてよかった。

途中見かけたネコヤナギに大感動。ひっそりと咲くイチゲに心を奪われた。

登り:藤橋から4時間、下り2時間半








中央のデブリランドから右手の尾根を辿る


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-23 18:29:03 (399 ヒット)





雨が上がったので庭に出てみると、コウメとアサヒヤマザクラが開花していた。

4月上旬に雪が舞ったりして、今年の春はいつ来るのかなと思っていたら、

なんのことはない、いつの間にか街のサクラも終わってしまっていた。

春が速足で過ぎ去っていくような気配。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-17 18:54:26 (344 ヒット)

ネット上の書評はそんなに低くはないのだが、自分的にはいまいちの作品であった。

おそらくこの小説は会話が主題を成していると思うのだが、それがそんなにも大した意味合いをもつわけでもない。

唯一興味深いのは会話の口調が時代を反映しているということくらい。この作品が書かれたころのラジオ番組や映画はみんなこんなセリフまわしだったのだろう。

それが懐かしさと古さを感じさせる。時代がその作品を生むことは間違いがないが、この作品にはそれ以上のもが感じられなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-16 19:04:45 (339 ヒット)

日中の気温が一気に上がり、富山ではサクラが満開宣言。

我が家でも、ユキヤナギ、ユスラウメ、ミツバツツジが花開いた。






投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-15 19:19:46 (520 ヒット)









今日は久しぶりに山仲間と共に。

雪上訓練を兼ねて春の山を楽しんできた。

やっぱり春山はいいな。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-4 6:38:57 (355 ヒット)

フクジュソウの魅力はなんといっても陽光を浴びての輝きだ。

春先の穏やかな日に地面からちょこんと顔を出してきらめいている。

そんな姿を一目見れば誰もが幸せな気分になるだろう。

この間、うちの庭のツツジのかげに咲いていたのは、それとはまた違った印象を与えたくれた。

ひっそりと、誰にも干渉されず

「わたしは私よ」と己の春を楽しんでいるかのようだった。






投稿者: hangontan 投稿日時: 2012-4-3 7:05:19 (427 ヒット)





このクリスマスローズ、とても気に入っている。花も背丈も小さく、派手さはない。けれど、けなげで、しっかりと自分を主張している。


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