投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-26 18:21:56 (468 ヒット)

冷戦終了後。任務を終えたアメリカの軍事査察隊を乗せた航空機がロシア領内に墜落した。その事故検証のためアメリカ軍とFBIから調査員が派遣される。主人公の二人、ピーターとヘレンは事故の裏に何かきな臭い匂いを感じ取る。しかし、ヒントを探しあてたその先々で不可思議な事故が連続する。二人は危機一髪の窮地から幾度も逃れながら、真相に迫っていく。一方、アメリカでは事業に成功したアラブの王子が巨万の富を背景に着々とテロの準備を整えつつあった。彼はロシアから用済みの核弾頭を巧みに偽装してアメリカの各地に運び込んでいた。テロ実行が秒読み段階に入って、企ての全貌が明らかになる。残された時間内に阻止しなければ全米が核爆弾の雲に覆われてしまうのだ。この絶体絶命の危機に立ち向かうピーターとヘレン。クライマックスは手に汗握ること間違いなし。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-21 5:50:27 (536 ヒット)

車で渋滞するサンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジが破壊され、多くの死傷者が出た。それはイランのテロ組織の手引きによる犯行だった。アメリカはその報復として、テロ組織の温床となっている軍事施設に攻撃をしかけ、甚大な損害をイランに与える。その惨劇を目の当たりにしたイランの将軍が、アメリカへの復讐を心に誓う。表面上はアメリカとの同調を装いながら、陰で着々と軍の増強を図り、テロ計画を推進していく。そしてアメリカ各地で発生するテロ。アメリカは打つ手もないまま大混乱に陥ってしまう。そこにイランに潜入しているアメリカのスパイから、イラン軍の不自然な動きを示唆するメッセージが届く。疑惑は確信のものとなり、イランに強襲部隊が派遣される。
トム・クランシーに匹敵する軍事描写が見もの。繰り広げられるテロ攻撃は現実のものとなりうる可能性を感じさせる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-20 20:21:06 (455 ヒット)

今年の収穫は花にやって来るチョウ。これまでは気にも留めなかったのだが、それらに目が行くようになった。










投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-19 18:00:12 (460 ヒット)



キンモクセイの他にギンモクセイがあることを知ったのは3年前の今頃。キンモクセイよりやや遅れて咲く。香りはギンモクセイの方が品があるような気がする。苗を植えてから3年目にしてようやく我が家でもその香りを漂わせてくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-16 20:52:01 (492 ヒット)

文庫本の帯には「このミステリーがすごい!第1位 ’97年版」とデカデカと書いてある。今から13年前に買って読んだのだろうが、もっと昔に読んだような気がしていた。もちろん内容は全く覚えていない。ただ、古本を巡ったミステリーだということはなんとなく記憶にあった。その再読。
日本では古書店の主人、京極堂が憑き物落としで事件を解決するが、こちらは古本マニアの刑事が主人公。ちょっとアウトロー的でハードボイルドなところが魅力。文章はさらりとしていて、物語は淡々と進んでいく。しかし、エピソードや伏線はしっかりしと書き込んであり、最初から最後まで飽きさせるところがない。最後の一文がミソ、頭の中の電球に明りがパッと灯った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-15 18:35:30 (553 ヒット)





ムカゴから育てたヤマイモを掘ってみた。掘るときのことを考えて、深めのポットに蒔いて置いた。あれから3年たった。ムカゴはさんざん食べたし、そろそろ掘ってもよいだろう。どのくらいに育っているか興味深々。ポットを逆さまにして土をよければよいので、地植えのもからすれば、はるかに楽だ。型は小さいがそれなりの出来栄えに大変満足。まずは、今晩とろろご飯でいただこう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-13 6:50:23 (668 ヒット)

お盆ごろ3つ花をつけた月下美人、再び花芽が膨らんできた。今度は4つ。そのうちの2つが開花した。朝出がけに見たときなんとなく咲きそうな予感があった。予想通り、夕方から目を見張る開花ショーが始まった。独特のまったりとした甘い香りを放ちながら咲く様は見る者を魅了する。












投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-11 6:15:32 (528 ヒット)

キングの本すべてが面白いとは限らない。邪悪なものの位置付けがあいまい。それに相対して、善である少年の描き方にも無理がある。出だしから序盤まではなかなかよかったのだが、中盤以降冗長的な感がぬぐえなくもない。
本書でも多人物同時進行型的手法が用いられている。であるから長編になりがち。作者がそれを意識しようとしまいが、それは推理小説を含めた現代の小説の一つのありかたであるようだ。ただ単純な勧善懲悪のホラーよりも、より複雑で、腹一杯になるような物語を今の読者は求めているのだと思う。今回キングはそれに応えようとしたのかもしれない。プロット、プロットの組み合わせ方は悪くはないと思うのだが、全体を通して焦点がわずかに合っていないように思える。

「トミー・ノッカーズ」   「ザ・スタンド」  「不眠症」


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-5 20:30:15 (641 ヒット)

『前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて』
この出だしは名文だろう。この一行で物語に引き込まれてしまう。紅葉に染まる蔵王で、偶然別れた夫を見かけた妻が元夫に手紙を送る。その手紙をもらった方は、最初戸惑いながらも返事を返す。その後数回の手紙が行き来する。離婚の直接の原因は夫が起こした惨劇にあるのだが、手紙のやり取りから、別れた後もお互いに愛を抱いているは明らか。手紙を書くことによって、自分の気持ちを整理し、その時々の思いを正直に語っている。
錦繍とは赤、黄、橙に染まった、全山紅葉の錦絵を思い浮かべる。一本、一本の木が全体としてモザイクのように融合し絡み合って、一つの景色を作り上げている。人生もまたしかり、自分のまわりのもの全てが複雑に絡み合ったモザイク模様。本書では手紙という形をとって、それを十二分に描いて見せている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-4 6:01:15 (516 ヒット)

「シュウメイギク」とはいうものの、これはキンポウゲ科だ。秋にキクの咲くころに彩りを見せることからそう名付けられたのかもしれない。毎年この時期になると可憐な花を咲かせてくれる。どうも自分はキンポウゲの仲間に魅かれるようだ。フクジュソウ、オキナグサ、クリスマスローズ、アネモネ、リュウキンカ、ニリンソウ・・・。派手さはないが、清楚で可憐という言葉がぴったし。育て方も簡単で、放っておいてもよく咲いてくれる




投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-10-2 20:07:32 (818 ヒット)

この時期の定番、大日岳へ。猛暑だった今年の夏、はたして紅葉はどうだろうか。それを確かめに出かけてきた。大日平に出ると赤や黄色の光景が目に飛び込んでくる。とりわけナナカマドの赤がきれいに染まっている。山頂からはいつもの剱岳。帰りは山ブドウをどっさり。これもいつものお定まり。年末には濃厚なフルボディジュースが待っている。登り3時間30分、下り3時間30分。












投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-9-14 7:06:01 (680 ヒット)







カミサンとの懸案となっていた白山へ出かけた。残念ながら、頂上は踏めなかった。何せ、朝方加賀南部では大雨警報が発令されていた。それでも、行けるところまでと、カッパをひっかぶり、傘をさして歩きだしたのだった。歩くうちに晴れ間も出てきて、それなりに楽しい山歩きとなった。だが、室堂は黒く重苦しい雲に覆われ、ガスって視界も効かない。ここで登頂を諦め下山とした。
歩きやすく、眺めの良い尾根。ブナ林もさることながら、ダケカンバの群生とその力強さにすかっかり魅了されてしまった。花の白山の一部を垣間見ることもできたし、富山の山とは違う白山の魅力は十分に楽しめた。また次回があるさ。登り4時間、下り4時間。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-9-11 6:32:40 (543 ヒット)

常にメイフェア家の魔女とともにあり、彼ら彼女らに取り付いてきた精霊ラシャー。その目的は実体化すること。そして邪悪な企みをその胸に秘めていた。現代最強の魔女ローアンはその企みを知りつつも、ラシャーに身をゆだねてしまう。そしてついにローアンの体を借りて、ラシャーが肉体化する。
前作『魔女の刻』よりも官能的な度合いが増す。またおどろおどろしさに拍車がかかり、猟奇的な感さえ覚える。医療に関するSF的要素が加わっていかにも現代版魔女の物語といったところ。そして、ジェットコースターに乗りながら迎える最終章。悲しい幕切れが待っていた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-9-10 17:01:03 (883 ヒット)









四度目のクズバ山。最初が昇龍谷から沢タビを履いて。二度目はボコボコの残雪を拾って。三度目はGW、剱への縦走の途中。そして今日は、刈開けられた夏道を踏みに。ここからの剱もまた絶景。天狗の踊場を遠望したが、やっぱり遠い。夏道があそこまで通じるのはいつの日のことだろうか。道を切り開いて下さった方々への感謝を胸に抱きながら帰路についた。登り3時間、下り2時間15分。天気晴れ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-9-9 8:31:21 (694 ヒット)

原題は−The Witchng Hour−魔女の刻(とき)と呼ぶのだが、個人的には魔女の刻(こく)と題した方がよかったのにと思っている。
1990年にアメリカで出版されるや、たちまち絶大な人気を得、大ベストセラーとなった。その後直ちに邦訳、文庫版として日本で出版された。この本にたどり着いたのは同じ著者による「夜明けのバンパイア」から。「夜明けのバンパイア」でいっぺんにアン・ライスに魅せられ、バンパイアクロニクルにはまっていった。それだけに、この「魔女の刻」への期待は大きかった。本屋さんに並ぶとすぐに買い求め、むしゃぶりついた。そして、いつかまた読む機会があるだろうと本棚に積んでおいた、その再読である。

現代版魔女の話。「夜明けのバンパイア」は現代版バンパイアクロニクル、続編に続編を重ね長大な物語となってしまった。本書もシリーズ全部合わせるとかなり長い物語となる。長い話にも関わらず論理的破綻もない。17世紀から現代に至るまで続いているメイフェア家の魔女の系譜が圧巻で、まるでそれが史実のようであるかのように感じられる。加えて官能小説もびっくりの描写と先行きがわからない謎解きの妙が現代の魔女の物語をうまく演出している。また舞台となっているニューオリンズの植生、気候などもふんだんに取り入れられ、そこにいったことがないのに、そこを見ているかのようにまたその舞台に立っているかのような臨場感が味わえる。アン・ライスの真骨頂はこの臨場感にあると思う。冒頭からいきなり入りこみ、そのテンションが下がらぬまま最後まで一気読み。これぞエンターテイメントの極みだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-9-8 9:27:03 (416 ヒット)

T・ジェファーソン・パーカー著 ★★★ 早川書房

保安官の妻が自宅のバスルームで撃たれ殺されていた、その夫はすぐそばでやはり撃たれて発見された。夫は一命をとりとめたものの、意識不明の重症を負う。はたして、夫が妻を殺し、自分も死のうと無理心中を図ったのか。それとも他殺なのか。状況証拠は撃たれた保安官が決して無実とはいえないことを示している。だが、事件担当の同僚の女性保安官は彼の無実を信じていた。頼みは、撃たれた保安官が意識を回復し、彼から事件の証言をとること。しかし、その間に、株の取引を巡り保安官にとって不利な背景が浮かび上がってくる。やはり、夫は黒なのか。
事件発生から中盤までの物語は、この先の展開が楽しみな運び。撃たれた保安官の無実をどう勝ち取るのか、そこに焦点が絞られる。しかし、中盤以降、株取引に絡む別の事件が作中に出てきてから、やや散漫になってきた感がある。株取引にまつわるモチーフそれ自体はなかなか興味を惹かれるものなのだが、本事件との融合のしかたに、無理というか安易さが感じられる。
「サイレント・ジョー」「カリフォルニア・ガール」よりも先に出された本ということを考えれば、まだパーカーの世界が確立していなかったのだと、得心した。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-21 20:17:52 (498 ヒット)

微妙に色合いが異なる








投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-20 6:14:17 (533 ヒット)

富山市水橋地区恒例の中学生売薬実習。水橋中学、三成中学の両校から参加した生徒は男女合わせて21名。今年も売薬さんの体験学習を行った。学校の授業で少しは売薬のをことを聞きかじっていても、現場のことは想像の域を出ない。それを生で体験し、自分のものとする貴重な機会。どんなことでも机上と実践、両方やって本当に身に着くものだと思う。本来、文武両道という言葉はいう時に使われるべき言葉である。(勉強もできてスポーツにも秀でている、という使い方は好きではない)最初は、生徒たちは想像の上での売薬と実務との差に戸惑いながらも、幾度か自分でチャレンジして、間違いながら、汗をかきながら、やがて自分の中で消化して、自分の中での売薬という仕事を作り上げていった。
多くの報道の方が見えていた。そのうちの新聞一社には二人のインターンシップが付いてきており、彼女らも真剣に取材見習い業務をやっていた。新聞社も粋なことをやるなと感じたしだい。












投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-19 6:04:26 (581 ヒット)

吉村昭 著 ★★★ 新潮文庫

息子から手渡された本の二冊目。これも高校の推薦図書だという。
高熱隧道とは何なのか、なんとなく知ってはいたが、こんなに凄まじい話だったとは。昭和11年、黒部第三発電所建設に際し、欅平から仙人谷まで穿たれた隧道工事。黒部奥山は急峻なところで、自然条件の厳しさは折り紙つき。相当な難工事が想像される。欅平と仙人谷双方から掘り始め、それが寸分の狂いもなく貫通し合うのは至難の業。実際、両穴がかち合った時点での中心線は水平に1.7センチの誤差しかなかったとか。題名となった隧道の高熱問題、頑強に作られた宿舎が文字通りふっ飛んでしまう泡雪崩、それらによる事故が相次いで、ついには犠牲者の数は三百を超えてしまう。度重なる事故のたび、現場の工夫達は幾十もの死体を目の当たりにする。しかし、恐怖に怯えながらも工事を進める。それを支えたのは、下界では到底考えられないほどの高賃金もさることながら、工夫達の意地とプライドである。高温のためいつダイナマイトが爆発するかもしれない恐怖、一方でなんとかして自分のこの手で貫通させたいという気持ちの高まり、両者が心の中でせめぎ合う。そしてついに片方側から一本の鑿が貫通する瞬間がやってくる。昭和の日本を築いた先人たちの熱い思いの詰まったドラマだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-18 6:42:17 (550 ヒット)



コンパクトデジカメの液晶画面全体にサンドペーパーをかけたようなノイズが入るようになった。このカメラ、防水・耐ショックを謳っているすぐれもの。しかし、水につけたり、強い衝撃を与えた覚えはない。この夏の猛暑のせいとも思われないのだが。このデジカメ以前に使っていたのは『HRドン』。十数年間、沢登り、冬山どこでもぶら下げて歩いた。なのに一度の不具合もない。強いて言えば、低温時にフィルムを巻き上げるとき、無理するとフィルムが切れることがある、ということぐらい。構造が単純だから扱いやすい。だが、今のデジカメは精密機器そのもの、パソコンと同じだ。デリケートな扱いが必要なのかもしれない。それにしても、防水・耐ショックが売りなのだよ。
うまい具合に1年間の保証期間も過ぎていた。そこでメーカーのサポートセンターにフリーダイヤルで問い合わせてみた。すると、『ピックアップサービス』についての説明があった。つまり宅配業者が物を家までとりに来てくれるというのだ。しかも、修理見積後、修理不要なら返却してもお代はいらない。修理するとしても、修理代プラスピックアップ料525円でよろしい。そして、次の日、指定時間に来てくれたのが、日通のピックアップ係り。小箱に緩衝材で包んでカメラを梱包するのかと思っていたが、持ってきたのは専用の段ボール小箱。中空で商品を保持する機能が備わっている。まさしく精密機器運搬容器だ。これには恐れ入った。聞くと特許を取得しているという。日通は個人宅配から撤退し、JPにその業務を移管した。代わりに力を入れているのがこういった特殊配送だとう。
メーカーのサポート体制の進化に感心させられた一件であった。何から何まで手の行き届くきめ細やかなサービス、消費者が求める一歩先を行くメーカーの姿勢。カメラが壊れたこと以外は文句のつけようがない。カメラを玄関で送り出したとき、安堵感にも似た不思議な感情に包まれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-15 5:55:28 (483 ヒット)

三浦綾子 著 ★★★ 新潮社

お盆に帰省した息子に何か面白い本はないかと尋ねたところ、出してきてくれたのがこの『塩狩峠』。なるほど、高校生向けの推薦図書だけあってなかなかよい作品だった。
主人公の少年期から大人まで、その時々の心情がうまく描かれている。明治時代の話なのだが、自分の頃と照らし合わせてみても、人間の本質的な気持ちというのは不変なのだなと思わせてくれた。また少年期から青年期にかけては、息子とダブらせて読んでいる。彼もまた同じ悩みや思いを抱きながら成長してきたのだな。胸が熱くなる場面では息子も小生と同じ思いで読んだに違いない。主人公の生きざまは何かしら今の息子の糧となっているのだろう。小生、『塩狩峠』、息子と、本を頂点とした三角関係のようなものを感じ、息子から手渡された本書によって、息子との絆というものを今初めて認識したような気がする。
最後に、新約聖書から引用された巻頭の一文を記しておこう。

一粒の麦、
地に落ちて死なずば、
唯ひとつにて在らん、
もし死なば、
多くの実を結ぶべし


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-14 5:57:47 (426 ヒット)

T・ジェファーソン・パーカー著 ★★★★★ 早川書房

前に読んだ『サイレント・ジョー』も面白かったが、本書も期待に違わず楽しませてくれた。想像というか、自分の思い描くアメリカ、1960年代のアメリカ、の物語。それは、いろいろなメディア、映画、本などによって蓄積、醸造されていった自分の中のアメリカだ。
頭部を切断された女性の事件を追いながら、主役となる兄弟の成長とその人間関係が横軸として描かれている。ベトナム戦争、刑事、新聞記者、ロック、宗教、セックス、政治、を題材として1960年代のアメリカを切り取っている。事の顛末は、終盤に登場人物の一人が発する一言、「なんてこった」に象徴される。自分も読みながらそう呟いてしまった。物悲しい結末、えも言えない余韻が残る。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-12 19:11:59 (549 ヒット)

毎年恒例となった富山地方鉄道立山駅で行われる富山のくすりPR作戦。今年も好評のうちに終了した。おりしも、台風4号が日本海を進み、富山県地方は朝から大荒れ。山の状況はいうまでもない。その影響があってかケーブルカーで立山駅に降り立つ人は例年よりも少ない。いろいろな思い出を胸にしまってお客さん達が降りてくる。日本中のあちこちから多くの人々が訪れるこの駅は富山のくすりのPRにもってこいの場所といえる。






投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-11 6:52:46 (464 ヒット)

幸田 真音 著 ★★ 中央公論新社

この手の小説をなんというのだろうか。しいて言うなら軽いタッチのテレビドラマ風。広告業界を題材としているが、恋愛ものなのか、社会派小説なのか、中途半端。いかんせん、薄っぺらな文章で、内容も予定調和的な印象が否めない。本は手にとってみないとわからない。この世界は玉石混合といったところか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-8-10 5:29:17 (763 ヒット)

ブナクラのコルから一登りして、猫又山直下に残る雪田にでると、それまでの疲れがいっぺんでふっ飛んだ。辺りは一面の花畑。雪田を渡る涼風が生気を取り戻してくれる。大猫山経由でぐるりと周遊。7時間50分






投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-7-18 18:29:53 (1893 ヒット)



所用のため富山に帰ってきたら、もうすっかり夏。きっぱりと梅雨が明けていた。これだけすっきりとした、いさぎよい梅雨明けもめずらしいのでは。そんな気分にのって、カミサンと山に出かけることに。室堂付近は今は花が見ごろと、立山駅まで車を走らせた。だがしかし、駅に着いてびっくり。駐車場はどこも満杯。お盆の時でさえ、裏にまわれば数台は止めるところが残っているのに、そこも満杯。手前の河川敷も隙間がないくらい車で埋まっている。道路や駅周辺はケーブルに向かう人でごったがえしていた。そんな状態に嫌気がさして、称名の滝へと向かった。7月初旬に牛首直下で土砂崩れが発生したため、大日への登山道は寸断されているとのこと。このタイミングにして、この災難。二軒の山小屋のことを思うと、気の毒でならない。雪解け早々から登山道を整備して、それも、地道な人海戦術で、この時期に備えてきたのに。残念でたまらないだろう。一刻も早く登山道が整備されることを祈るばかりである。さて、我々は八郎坂を行く。楽しみは、弘法からの木道歩き。予想していた通り、梅雨明け直後の草原はさわやかな乾いた風が通っていた。湿原の花たちも、派手さはないが、それぞれ存在を主張している。それを感じられただけでも、ここに来た甲斐があったというもの。結局水切れとなって、追分から引き返してきた。それなりに楽しい山行であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-6-25 6:08:38 (594 ヒット)







チューリップの歌に「サボテンの花」というのがある。歌詞の内容がよくわからないと思っていた。チューリップには他にも内容が意味不明の歌がいくつかある。山のテントの中で酒を飲んでいて、そのことが話題になった。
しかし、花を見る限り、何も言うことはない。はっきりしている。きれいだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-6-24 18:43:06 (389 ヒット)

トム・クランシー 著 ★★★ 新潮文庫

ジャック・ライアンシリーズ。前作までは版権が文藝春秋であったが、本作品から新潮社に移っている。

「恐怖の総和」でアメリカへのテロを描いて見せたときはそのリアルさと臨場感に圧倒された。それは中東、欧米のテロリストとの戦いであった。我々からは遠い存在であるだけに、余計にそのまま自分に入り込んできた。しかし、今回は日本とアメリカの戦い。バカな日本人実業家が画策した夢物語の発端は証券市場の麻痺。アメリカは深刻な打撃とショックを受けたかのようにみえたのだが、ここに切れのいい愛国者が登場しライアンとともになんなく解決してしまう。軍事面でも自衛隊の優秀さは少しだけ披露されているが、所詮アメリカの敵ではない。やはりアメリカは強いのだ。誰にも負けはしない。クランシーはそう言っているように見える。
読みものとしては面白いのだが、日本人の愚かさが単純すぎてあっけなく負けてしまうのがどうにも気になった。日本人以外の、特に欧米の人々が読んだら痛快なのだろう。あれよ、あれよという間に日本は窮地に追い込まれていく。そして、唯一の頼みの綱の核ミサイルも破壊され、一件落着。誰もがそう思ったであろう。しかし、最後に悲惨な結末が待っていた。そのときそれが物語りに止まらず現実のものとなって、全世界の人々がテレビでその場面を見ることになろうとは誰が想像できたであろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-6-24 18:13:41 (436 ヒット)







薬屋の先輩からウチョウランが咲いたので見に来ないかと連絡があって、出かけてきた。数十鉢のウチョウランが見事に咲きほこっている。白とピンクだけで、どれも同じように見えるのだが、よく見ると微妙に違う。花の模様の入り方、花弁の格好のわずかな違いを愛好家達は楽しむのだそうだ。真っ白の花などは、バブルの時期には数十万円で取引されたこともあるとか。今はブームも去って、比較的安価で手に入る。しかし、手入れの仕方は難しく、小生などはうまくいったためしがない。今年も春先に一芽出て、楽しみにしていたのだが、ナメクジに食べられてしまった。帰りに、先輩から一鉢頂いてきた。はたして、来年はうまくいくのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2010-6-23 21:03:07 (726 ヒット)

12/28 魚津〜大町〜鹿島部落〜スキー場車止め〜西俣出合〜赤岩尾根1900mCS

15時前後だったか、1900m付近の尾根上、杉の大木の根元を整地してテン場とした。天候も悪くなく、目標としていた高千穂平は目と鼻の先だったが、この状況ではいたし方ないだろう。ゆるやかな斜面なので整地作業に30分くらいかかった。ちょうど16時、テントにもぐり込むなり、くつろぐ間もなくK、Tの両名は缶ビールと缶チューハイを開けた。自分はといえば、二人に対して申し訳ない気持ちが半分、自分の体の異常に対する不安が半分、酒には目が向かない。はたして明日は大丈夫だろうか。それにしても、あの急な変調はなんだったんだろう。

西俣出合から小さな川の流れを渡って、尾根に取り付いた。その直後、いくらも歩かないうちに息切れが始まった。出だしの急登だったせいもあるが、いつになく胸が苦しい。変だなと感じたが、ものの2、3分歩いているうちにその症状は収まっていった。あとは何事も無く高度を稼いでいった。どちらかといえば順調なペース。ところが、1700〜1800m付近、急に手足が動かなくなってしまった。息も荒く、気がつくと、心臓の鼓動はバクバクと毎分200回を打ちそうな激しさ。喉から心臓が飛び出しそうとはこのことか。しかし、なんの前触れもなく、本当にその変調は急に訪れたのだった。ただ単に苦しいというのではなく、何とも言いようがない不安が全身を襲う。頭を上げれば、目が回り、吐き気もする。とても歩いていられない。そんなこんなで一本とる。大休止後、ゆっくり歩き始めるが、すぐに息が荒くなり、やっぱりダメ。とにかく、自分に何が起こっているのかさっぱりわからない、今の状態が信じられない。これ以上歩ける自信はなく、もっと重篤な症状になってからではどうしようもない。リーダーにその旨を告げ、ビーバーク地を探してもらうことにした。

テン場を整地していうちに、というよりか、テン場と決めた地点に辿りついて直後、気分は急速に回復していき、雪を払ってテントに入ったときにはほぼ平静に戻っていた。頭を振っても痛くないし、呼吸も鼓動も平常値。本当にあれはなんだったんだろうと思うことしきり。しかし、明日の行動のことが気にかかる。テン場は予定地より150mほど低い。往復にして2時間のロスがあるとみていいだろう。目的地まで高差にしてまだ1000mある。1000mのアタック、はたして届くだろうか。天候が崩れればまずむりだろう。そんな思いで頭がいっぱい。なにより、自分の体調に自信がもてない。

Kとは春の西大谷尾根以来、あのときは最高だった。奥大日の雪庇を越え、剱を踏んだのだ。あこがれのルートを踏破できて大満足。Tとは3、4年前の西穂以来か、入会したばかりのまだ得体の知れないTと一夜を過ごした覚えがある。そもそも皆と顔を合わせなくなって久しく、山自体も遠ざかっている。その間、会も変化してきているようだ。特に山スキーの活発さには目を見張るものがある。剱の三つの窓のスキー山行なんぞ、一昔前なら考えられなかったし、思いだにもしなかった。冬の僧ヶ岳、これもスキーで日帰り。ぞっとするよ。自分なら一週間かけて登るもんだと思っていた。それが余裕で達成。奥大日からボードで滑り降りるという。信じられない。夏の沢登り、これも活発。あっちの沢、こっちの沢と出没。当会始まって以来の賑わいとなっている。

「だが、しかし」とTは言う。
「個人山行の集合体ですよ」
続けて、K
「小黒部の谷を遡ったときにはびっくりした、食事を個人個人でとるがぁぜ」
「へぇー」と自分。
「テントの中で鍋をつつくなんてないですよ」

そういえば、会にあるテントの張り綱は取り去られており、端っこにはささくれたビニール紐が垂れているだけ。張り綱を必要とする山域には入らないということか、そんな山行もないということか。仮にテント山行でも食糧は個人装備なのか。二人で行けば別々にテントを張るのか。

「こないだの雪訓はどうなった?」
「誰も参加する人いないから中止です」
「でも次の週には皆で泊まりでスキーに行っているんだろう」
「そうなんですけどね」

たしか秋の雑穀での救助訓練の参加者も数人だったような。それでいて
「県連主催の雪崩講習会には参加する」
「それは本来会としてやるべきだ、会でやったらどうなんだ」
「そうすると県連のに参加するものがいなくなる」
「それは逆だろう」

そういえば
「Kさん、アン時は参ったよ。どうすることも出来なかったです」
「あのとき雪洞で一緒になった連中が見舞いに来てくれた。そのとき、オレだったら、たとえ指一本なくなっても諦めなかった、と言っていた」
「わー、ほんとケー」
「あのあとHさんに聞いたんよ、何で天候が悪くなるのが分っているのに、突っ込んだのかって」

これは初耳だった、無線機が使えなかったことは聞いていたが。それでも、彼らは果敢に挑んだ。その想い、志こそ尊ばれるべきでは。さて、寝るか。


12/29 CS〜高千穂平〜稜線〜冷池小屋〜布引岳〜鹿島槍ヶ岳〜CS

無風快晴。願っても無いほどの上天気。昨日すれ違った女性を含む学生パーティーは、天候が悪く二晩冷池小屋わきで沈殿していたと言っていた。山頂を極めることなく、時間切れで下山となったとのこと。我々はついていた。はたして自分の調子はどうか?なんともない、これならいけるだろう。だが、本当になんともないのだろうか?昨日も突然おかしくなった。しかし、この上天気、登らないてはないだろう。ゆっくりとゆっくりと歩き始めた。二人には悪いが、自分のペースで先に行かせてもらった。トレースはばっちり。高千穂平付近には4張りのテント。

稜線に出ると、いきなり剱の勇姿が目に飛び込んでくる。360度全ての山が見渡せる。だが一際目に付くのはやっぱり剱だろう。ときより強い風が吹く、しかし、これはご愛嬌のようなもの。冷池小屋前の陽だまりでは太陽の恩恵をうけ、暖かい。だが、山頂はまだ遠い。先行パーティーとの差は一時間半ぐらいであろう。やはり昨日の150m差は大きかった。一本とった後、再びゆっくりゆっくりと足を運ばせる。布引付近の稜線は風に飛ばされているせいか、雪がなく、ところどころ地肌が出ている。ふとKに目をやるとなんだか苦しそう。目出帽をかぶり、メガネが飛び出していて、口をパクパクさせているものだから、まるでキンギョのように見えた。どうも体調がかんばしくないらしい。

「ダメやちゃー」

自分はといえば、辛いことは辛いのだが、普通の辛さ。昨日の様な異常はない。それにしても、空身なのにこの足の重さはなんなんだ。

「歳やってことやちゃー」
「そうやのぉ」

布引を越え、最期の登り。これも長く苦しかった。Tは遅れて写真を撮りながらも、あとからすぐに追いついてくる。そのTに追い立てられるようにして、やっとのこと山頂に辿りついた。自分は頂上に立つ標柱に抱きつき、雄たけびをあげる。本当に久しぶりの絶叫。何年も忘れていた達成感。Kはといえば・・・ぶっ倒れている。あいかわらず口をパクパクさせ、まさにまな板の上のキンギョ状態。おもむろに立ち上がるKと固い握手。その後続いてTとも感動の握手。

山座同定をすることもなく、さっさと下山にかかる。天気予報通り妖しげな雲が近付きつつあったが、赤岩尾根との分岐まで来ると、なんとか先がみえてきた。上部細尾根の下降は1ピッチだけ48mのロープをフィックスした。終盤に来て疲れも出始めるころ、安全を期したのだ。ロープ処理後降りてきたKをみると、すっかり落ち着きを取り戻した様子。適度な緊張感が彼のリズムを呼び起こしたのかもしれない。自分もなんともない。満足感と安堵感を抱きながら下る。16時、なんとか明るいうちにテン場に到着できた。Tはややバテ気味のようだが、スローペースで体温が下がったのか。

Tに言わせると、世の中には財閥とそうでないものとの二種類の人種がいるのだそうだ。T自身は後者だという。いくら前向きに努めていても超えられない一線があり、これまでに幾度もそれを感じてきたという。ほんとうにそうか。いつも熱心で、バイタリティーに溢れている姿からはとうていそうは思えない。仕事後アルバイトまでして懸命に働くT。はたからは何に対しても真剣で、人柄もよい好青年に見える。それでも彼なりの思いがあるのだろうか。山への想いも強い。

「Kさん、どっか連れて行ってくださいよ」
「自分で計画してやってみれば」
「誰も乗るもんおらんちゃ」
「でも、ただ誰かに頼むだけではダメだよ」
「お手伝いぐらいは出来ると思うけど」
「そう、そう」
「そうなんやけど」
「とりあえず剱周辺で春の雪訓でもしてみたら」
「山行もいくつかのルートを設定して」
「無理やと思いますけど」
「やってみんにゃ、わからんねか」

やるべきことはちゃんとやる。昔はそんな会だった。

12/30 CS〜下山〜八方の湯「みみずく」〜糸魚川「銭形」〜魚津

穏やかな下山日だ。今回の山行はTのおかげで成功できたようなもの。なんとしても登りたいという強い思いが伝わってきた。アタック日が絶好の天気となったのも彼の一念が通じたのかもしれない。恐るべしTの執念。テクテクと、林道を車止めへと向かう。道すがら、サルの親子に目をやったり、東尾根の取り付きを確認したりする。越年登山を目指すパーティーと声を交わす。明日から天候が崩れるのを承知で入山する彼らの心境はいかに。その中にあって、明らかに年配者と思える4、5人のパーティーとすれ違った。皆、重そうなでかいザックを背負っている。聞くと、
「九州から来ました」
「車で来ました」
「おいくつなんですか」
「私は65歳、先頭に歩いていたのが72歳」

絶句!唖然!

「どこへ行くんですか」
「東尾根、これが4度目の挑戦です」
「5日間の予定です」
「燃料、食糧とも十分に持ってきました」
「神社の石段でトレーニングをやってきたからね」

ザックには束になった細竹がくくりつけてある。その数60本。

いやー、参った。

「あの顔見ましたか、いきいきしとっぜ」
「すごいなー」
「えらい歳に見えたけど、やっぱりそうなんや」

これまでどれだけの修羅場をくぐってきたのだろうか。自信というか、余裕というか、何事にも動ぜないような不思議な雰囲気。このたびの山行、最後に来てガツンと一発もらいました。

T君、頑張っておくれ。Kさん、またどっか行きましょう。


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