投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-22 13:04:28 (407 ヒット)

メキシコ麻薬戦争を迫力満点で描く。
これでもか、これでもかというくらいの殺人と暴力の連続。それも虫けらを扱うごとく平然と行われていく。そして巨大な金が動く闇の世界。

麻薬カルテル間の抗争はモグラ叩きに似ている。誰かがやられれば、誰かがそのシマを獲る。他のカルテルのシマを通るときには通行税を払わなくてはならない、それを怠ったときにはそれ相当のしっぺ返しがくる。やられればやり返す。そんないつ終わるともしれない構図と恐怖の連鎖が40年以上も続いている。

地元警察も麻薬取締官も州警察もみんなカルテルに一枚かんでいる。監獄に入れられても親分はホテルのスウィートルーム並みの優雅な暮らしができる。制裁を加えるときはみんな一緒だ。トカゲのしっぽを切ってもトカゲは生き残る。濁ったバケツの上澄みをすくっただけではバケツの中はきれいにならない。メディアもうかつに手を出せない。命を賭して闇の世界を暴いてみせても、一つの細胞が死ぬだけで、次の細胞がすぐに芽生えてくる。引き換え、そのたびに、メディア側に多くの犠牲が出るのではたまったものではない。そういうドロドロ状態のメキシコから本当に麻薬カルテルを排除できるのだろうか。そんな印象を強く抱かせた本書だった。

奇しくも今、フィリピンでは大統領が麻薬組織壊滅に向けての荒療治の展開中で、アメリカでは大統領選でトランプ氏が勝利し、メキシコ国境沿いに万里の頂上を築くと豪語している。はたして現実の世界はどう動くのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-11-3 18:10:57 (394 ヒット)

題名通り、ひょんなことから事件に巻き込まれてしまった窃盗グループの下っ端少年マルコ。事件の鍵を握るマルコの逃走劇が本作品のキモだ。

ユッシ・エーズラ・オールスン、5作目だが、これまでの作品で一貫しているものは「格差と弱者」へのこだわり。その思いは作品を通してひしひしと伝わってくる。本作品でもそれが大きな背骨となって貫かれている。ミステリーそのものはODAの不正が下地となっているが、興味をそそられるのはやはり幸福度世界一と言われる一方で「格差と弱者」のはびこるデンマークという国の不可思議さだ。彼の作品を読めば読むほどデンマークという国の知られざる側面に目がいってしまう。銀行の頭取と政府高官を巻き込んだ殺人事件はそれだけでもミステリーの主題に十分なりえるのだが、「格差と弱者」への怒りが根底に流れている彼の作品にあってはそれが副題となってしまう。

特捜部Qの刑事カールと彼をとりまく脇役達のコミカルかけ合いもなかなかの見もの。何よりまして、全編を通しての少年マルコの賢明でしたたかな活劇に心温まったのは私だけではないだろう。なんとも不思議な警察小説とあいなった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-15 19:46:55 (441 ヒット)

物語の最後に付記されている以下の著者の記述は衝撃的だ。

『この小説に描かれている女子収容所について
本書に描かれている女子収容所は、1923年から1961年まで、大ベルト海峡に浮かぶスプロー島に実際に存在し、法律または当時の倫理観に反したか、あるいは“軽度知的障害”があることを理由に行為能力の制限を宣告された女性を収容していた。また、無数の女性が不妊手術の同意書にサインしなければ、施設すなわちこの島を出られなかったことも裏付けがとれている事実である。
不妊手術の実施に適用されていた民族衛生法や優生法といった法律は、1920年代から30年代には、欧米の三十カ国以上・・・主に社会民主主義政権国家や新教徒的傾向の強い国家、もちろんナチス時代のドイツ帝国も含まれている・・・で公布されていた。
デンマークでは、1929年から1967年までに、およそ一万一千人(主に女性)が不妊手術を受けており、その半数が強制的に行われたと推測されている。
そして、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ等とは対照的に、デンマーク王国は今日に至るまで、こうした人権侵害にあった人々に対する賠償金の支払いも、謝罪も行っていない』

デンマークというと北欧の洗練された国家というイメージが先に立つが、こういう悲しくて暗い裏の面があったということは驚きとしか言いようがない。物語はその女性収容所から命からがら出所した女の復讐劇が主題となっている。ゆえにミステリーという枠に留まらず、社会派小説という側面も備えていて、重厚な作品に仕上がっている。辛くて、もの悲しいミステリーだ。

さて、ここに記されているような史実が本当にあったのか、ウエブで調べてみたが、なかなかヒットしない。今の世の中、何でもネットで解決すると安易に考えていがそうはいかなかったようだ。図書館に出向いてみても同じ、ナチスに係る書籍が散見されるだけ。「デンマークの歴史教科書」というのもあったが、これにもその件は触れられていない。ただこの教科書、デンマークという国を理解するのには重宝した。

そんな中、あれやこれや探ってやっと探し当てたのがこの文献。
「デンマークにおける断種法制定過程に関する研究 石田祥代 著」
他にも、スウェーデンの実態や、優生思想、公的駆除といった観点からの文献もいくつか見出すことができた。この作品がきっかけでまた知られざる世界への扉が開かれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-8 17:59:17 (480 ヒット)

「特捜部 Q」三作目。
未解決事件を扱う「特捜部 Q」。今回は過去と現在進行中の事件との融合がとてもよくできている。早くしないとまた犠牲者が出てしまう・・・。そんなはやる気持ちでページをめくる。一方、主人公と脇役のボケぶりがまた絶妙で、センスの良さを感じる。本作品では第一作目から登場しているシリアとの交流事業で派遣されてきたという助手の影の部分が一段と濃くなり、シリーズ物としての期待感も高まる。デンマークの宗教世界もモチーフの一つ。新興宗教への違和感というか距離を置くという風潮はデンマークにもあるのだなと思わせてくれた。またデンマーク人の移民への対応も切り取っており、昨今のニュースで伝えられる欧州での移民排斥運動の一端が垣間見られる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-5 4:52:28 (425 ヒット)

「特捜部 Q」二作目。
北欧ミステリーには英米のものとは若干異質な雰囲気がある。どこがどう違うのか、もやもやとした霧のような感覚が頭にあるのは確かで、うまく表現しきれないのをもどかしく思う。
最近、寄宿学校や不遇な子たちの預け入れ施設をモチーフとした作品に出くわす。偶然なのかそれとも今流行りなのか。あるいはたまたま手にとった作品がそういうもので占められていただけなのか。事件の真相を追っていくと寄宿学校時代のある種の出来事が発端となっていることがわかってくる。それが、現在進行中の事件と同調・融合して物語に厚みを待たせている、といった具合だ。本作品もその一つ。
第一作「檻の中の女」でもそうであったが、デンマークの政情と警察組織の改変にともなうしわ寄せが末端にまで及んだというごたごたも織り込んであり、デンマークを身近に感じることに役立っている。これまであまり知らなかったデンマークという国、ウィキペディアで探ってみようという気にさせてくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-10-3 5:28:54 (392 ヒット)

デンマーク発の警察小説。
デンマーク語からドイツ語へそして日本語に訳されている。このような二段階邦訳はたまにみかける。全体のストーリー展開に問題はないと思うが、微妙な言い回しや情緒的な表現は原本通りに伝わっているのだうか、と思ってしまう。単純に外国語から日本語へ訳された時点で、その物語は原本から独立した作品と見なす、と言えば無茶過ぎるだろうか。
そう難しく考えなくても、この作品はかなり面白い。物語性とミステリーとしての完成度、そういうものは確実に伝わっていると思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-14 17:34:35 (408 ヒット)

ジョン・ハート三冊目にして彼の処女作。
これも惜しい。星五つとはならなかった。なぜなら、事件の発端となる行方不明であった主人公の父の死体が発見されてから、主人公が容疑者とされる要素があまりにも希薄。莫大な遺産があったとして、それを根拠として容疑者にしたてあげるというのは、あまりにも説得性に欠ける。それなくしては物語が進んでいかないのだから、これは重要な点で、そこがどうも気になってしょうがなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-12 18:23:47 (447 ヒット)

星五つとしたかったが、謎解きの核心部にそんなのありかと思われる手法が採られていたので、そこだけが気になった。

冒頭、作品作りに関わった方々への謝辞がかなり長い。これは彼の作品全般に言えること。作品作りに関わるありとあらゆる分野に言及している。細部へのこだわりとストーリー展開への他者からの助言とアドバイス、それらなくしてこの作品は生まれなかった、そのことに対して彼は素直に感謝の言葉を述べている。だが、そこには現代の小説手法の一つの典型があるように思える。独りパソコンとにらめっこしながら一つの作品を完成させるのも、それはそれでありなのだろうが、彼のように広く他者の意見を取り入れて作品を作り上げていくのも一つの手法であろう。読者により満足のいく作品を提供するという視点に立てばなんら不思議なことではない。いわばチームとして作り上げた小説、そんな謝辞に思えた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-10 17:18:05 (390 ヒット)

読み終えてから三日たったら、どんな話だか思いだせなくなっていた。ただ印象に残っているのは、序盤のテンポの悪さ。ウラジオストクの副領事が突然消えたことを追って、彼の妻が奔走する場面が延々と描かれている。なんだか話が進まないなー、彼の失踪とこれから描かれようとする物語の関係性はどうなんだろう、そんな思いだけでページをめくる。だが、どうでもいいキャラが登場してきたりして、期待したエスピオナージの世界になかなか入っていかない。終盤にしてようやく出てきた見せ場も、あっと言う間に幕となる。そこの部分がどんな話だったのか全く覚えていない。
がっかりというか、こんなこともあるわい、そんな気分である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-7 20:29:02 (453 ヒット)

これもこれまで知らなかった歴史の一部だ。
第二次大戦中、フランスはどうなっていたのか、全く知らなかった。パリがドイツによって陥落したことも知らなかったし、その四年後にドゴールが凱旋し解放されたことも知らなかった。
この作品は、その解放直前の数日間のパリの模様を詳細に伝えている。伝えている、というよりは、その空気を、政局を、ナチスの動きを、レジスタンスの活動を、民衆の生活を、細部にわたって再現している。そしてなお且つ、細部にこだわりながらも解放に至るまでの全体像を構築することに成功している。

ヒトラーは支配下にあるパリの総破壊を命じるのだが、それを命じられた大パリ司令官のフォン・コルテッツは悩む。軍官としては命令を遂行すべきなのだが、歴史あるパリを火の海にしてはならないという良心との狭間に揺れ動く。破壊工作の準備を命じながらも、爆破遂行命令までには至らない。ヒトラーからは再三再四状況確認の打電があるのだが、コルテッツは時間を稼ぐ。連合軍が一日も早くパリに入ってくれることを期待したのだ。一方、連合軍の指揮官のアイゼンハワーはパリ入場は念頭にはなかった。作戦上パリを迂回していち早くドイツ戦線に達することが最優先だったからだ。もし、パリ入場となれば、その間に必要なガソリン、食糧、パリ市民への物資等のための兵站戦略の再構築を迫られる。一方、地下レジスタンスはパリ解放のために抗戦準備にとりかかりつつ、連合軍にパリに入るよう工作する。だが、なかなかアイゼンハワーの心は動かない。その間、ヒトラーはさらに厳しくコルテッツに迫る、「パリを去るときにはパリは燃えていなければならない」「パリは燃えているか?」と。

そして、その日が予め決められていたかのように、四年間の月日を経てパリはナチスの手から解放される。その解放に至るまでのわずか二週間の緊迫した日々を描いたのがこの作品だ。なんとしても驚いたのは、大パリ総司令コルテッツの心の動きと判断だ。すぐさまヒトラーの命令を遂行していたら、今のパリは無かった。エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館、ノートルダム寺院等々歴史的建造物はすべて破壊され価値ある美術品もすべて焼かれてしまっていたであろう。それを行わなかった人間としてのコルテッツの存在に驚かされた。ナチスはヒトラー以下鉄の掟で固められていたと思っていただけに、コルテッツのとった行動は意外だった。命令に背けば彼だけではなく、かれの彼の家族にも罰が与えられるという死の掟があったのだ。

ここで思ったのは、広島に原爆投下を遂行させた命令系統にも同じことがあったのか、否か?たった一発の爆弾で瞬時にして一つの街を消滅させるという悪魔の所業とも思われる戦術に携わった軍人たち誰一人としてコルテッツのようなジレンマに陥らなかったのだろうか。作戦上のどこかの段階で逡巡はなかったのだろうか。一人の工兵が爆弾を起爆させないように仕込むとか、爆撃機の投下装置が直前になって故障するとか、出撃の命令系統がどこかの段階で滞るとか。誰か一人あるいは複数の人間がコルテッツのように考えて行動していたら原爆投下はなかったかもしれない。そのときすでに日本は瀕死の状態で降伏目前であり、ほんの少しの時間稼ぎの間に戦争は終わっていただろう。そう考えると、コルテッツはいかに偉大だったか、勇気ある造反者だったと思わざるを得ない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-9-6 18:44:51 (425 ヒット)

知らない間にすごいミステリ作家が世に出ていた。

息もつかせぬ一気読みの醍醐味を久々に味わった。深読みすることなく、ただただストーリーに惹かれてページをめくっていった。冒頭の少女の誘拐事件からは想像もできなかった連続殺人に展開していくさまには怖ささえ感じた。それにしては主人公の少年の一途さが際立っている。いったいこの話の落とし所は何なんだ。
その答えはタイトルの「ラスト・チャイルド」に潜んでいたのだが、ちょっとだけクエスチョンマークがあるとすれば、13歳の少年の物語とラスト・チャイルドの物語の融合に若干の「隙」があるように感じた。ラスト・チャイルドの物語だけでも一つの作品になりえただろうに、なぜ少年の物語の結びつけた作品にする必要があったのか。良く言えば「一度で二度美味しい」作品には違いないのだが。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-7-12 11:31:19 (407 ヒット)

全世界で400万部の大ベストセラーになったという本作品。その実力のほどはいかに。

ナチスが台頭してきたころの、スペインとスペイン保護領のモロッコを舞台とする。そのころのスペインに関する情報は自分の中では全くなかった。枢軸側にいたのかそうでなかったのか、モロッコとはどんな国だったのか。そんな歴史の空白地帯を本作品は埋めてくれた。

内戦によって国がズタズタにされたこの頃スペインには、かつて世界の海をまたにかけた覇者の面影は露ほどもない。あるのは権力側とそうでないものとの悲惨な戦いがあるのみ。ナチスになびくのかイギリスに就くのかはっきりとせず混沌とした状況であった。

主人公シーラの破天荒な人生もスリリングでおもしろいが、この作品から伝わってくるのはそんなスペインとモロッコに住まう人々の危うくて綱渡り的な生き方だ。シーラはその一つの典型である、と見た。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-7-12 11:26:17 (438 ヒット)

ファイター・パイロットの物語。
あらゆる分野でのIT革命が進む中、戦闘機やそれらをめぐる兵器類もその例外ではない。音速を超えた中での空中戦を支えているのも電子技術と呼ばれているものである。ここに描かれているIT兵器はSFのものでも架空のものでもなく、いまある技術をかき集めたらこいゆう戦闘が可能であるということを示している。

もちろん、それを操る戦闘機乗りは訓練に訓練を積んだ超一流のものでなければならない。その超一流のパイロットと最新ITを駆使したシステムを備えた戦闘機の空中戦が見ものだ。
ちょっとしたミスも許されない国防の最先端にいる彼らの心意気をよく伝えている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-7-12 11:23:00 (399 ヒット)

ようやく終わった、というのが素直な感想。よくもまぁ、ここまで引き延ばしてきたものだ。

「水滸伝」「楊令伝」から比べると物語のメリハリに欠けるし、主人公の岳飛にしても、「水滸伝」「楊令伝」に登場する英傑と比べても、さほど魅力ある武将として描かれているわけでもない。「水滸伝」「楊令伝」から引き継いだ遺産と呼ぶべき数々の人間模様と岳飛の生きた時代背景のみがこの作品を支えてきたような気がする。

半ば自分に課したノルマのように17巻まで読み続けてきたが、これで一つ喉のつかえが取れた。と同時に、心のどこかにぽかんと穴が開いたという気もしないでもない。おもいっきり静かな幕切れがよかった点かな。

「岳飛伝」には二度目はないが、手に汗握り本を閉じ、今か今かと次巻を待った「水滸伝」「楊令伝」はもしかしたらもう一度読む機会があるかもしれない。あの英傑らの活躍にもう一度胸躍らせてみたい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-6-16 15:44:21 (449 ヒット)

少年マガジンで読んだ石森章太郎の「幻魔大戦」。SF度が高く、のめり込んだ覚えがある。だが、これから幻魔との戦いが本格的に始まるという時点で、連載は打ち切られてしまった。その後、再開されたとは聞いておらず、お釈迦になったものと思っていた。しばらくして、平井和正が描いた小説版があること知り、3巻まで買いそろえた。3巻までというのは、そこでマンガ同様、物語は終わっていたと思っていたからだ。

今、この感想文を書くにあたり、読み返してみて、ネットでいろいろ調べてみたら、小説には続きがあって、マンガも再開されていたことを知った。だが、マンガと小説とでは内容が異なり、独自にそれぞれの物語を形成していった模様。さらに、ネットで知る限り、小説は4巻目以降、3巻までとは違った毛色の路線になってしまっていたようだ。実質的に3巻までが、本来の、私が夢みた「幻魔大戦」であったらしい。4巻目以降は目を通しておらず、これからも読む気はない。物語の途中で、感想文を書くというのもなんだが、子供のころに夢中になって読んだマンガ「幻魔大戦」がとても懐かしい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-6-12 16:25:22 (441 ヒット)

最初に読んだとき、「そこにある危機」とは米国が麻薬によって汚染され多くの人命が失われていることを意味し、この作品はその供給元であるコロンビアのカルテルを殲滅させる作戦を描いた物語、との印象が強かった。しかし、いま、20年ぶりに読み返してみて、それとはまた別の「危機」が本当の主題であることに気付かされた。

最初読んだときは、物語の構成の複雑さと巧みな展開についていくのがやっとで、その危うさについては素通りしていたのだと思う。しかし、なんのことはない、それははっきりと作品の中で書かれており、それを主題とは思わずにサブテーマだと位置づけていた感がある。そして、それはもっと人間の根本にかかわること、国家の根源にかかわることだった。

我々の知らないところで様々な作戦が実施されること、それ自体が「いま、そこにある危機」であることを作者は問いたかった。秘密裏に遂行される戦闘行為の危うさは、ぎりぎりのバランスのもとでなりたっており、大統領が認めた特殊作戦といえども、何が正しくて、何が間違っているか、その任務にあたる者は、特に上位のものは、たえず自分に言い聞かせながら行動しなければならない。

ここで描かれているのは、悪者退治のため他国に侵入し、殺人を犯すこと。それは、戦争なのか、ならば殺人は罪には問われない。しかし、秘密裏にそれが行われていたとしたら、それは犯罪にあたるのか。殺人と合法的な対テロ作戦をどうやって区別するのか。その微妙な線引きについてを問うた物語でもある。

この物語で、軽歩兵シャベスが登場し、あの有名なフレーズがささやかれる。
「夜はわれらのもの」


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-6-1 10:49:49 (473 ヒット)

この頃はまだアフガンのムジャヒディンが米国とそんなには仲が悪くなかった。むしろ、ソ連がアフガン侵攻するなか、米国がムシャヒディンに武器を供与しており、従って、アラーの神はまだ米国に対して寛大な時代だった。

また一方では、核軍縮に向けて米ソ交渉が行われていた時代でもあった。米ソの核兵器を合わせると地球上の文明を数回も破滅に追いやるほど双方は核兵器を保持し配備し続けてきた。どちらかが誤ってボタンを押してしまったら、その1時間後には取り返しのつかない結末を迎えることは必至だった。膨れ上がるばかりの予算の軽減と、お互いに少しは頭を冷やそうとの故の交渉だが、それでも、相手を抹殺するくらいの量はたっぷり残される。緊張緩和と軍縮路線は着々と進んでいたが、微妙なバランスで核の均衡が保たれていた。

さらに、相手国に先手をとることと、相手国の兵器を無力化させることを目的として、SDI構想も進められていた。衛星による監視はもう当たり前のこととなって、次は衛星を利用した先手攻撃の研究がなされていた。まるでSFの世界を地で行くような話。核軍縮交渉はお互いのSDI戦略の進捗状況を探り合いながらの駆け引きでもあった。

そのような時代背景、舞台背景をモチーフとして、この作品は描かれている。そして、それらが横軸ならば、縦軸をなすのが米国が30年以上にもわたって運営管理してきたソ連国内のスパイの物語である。米ソ双方のスパイ合戦はなかなかの見もの。そしてそれを操るCIAとKGBの読み合いもまた面白い。かすかな兆候から背景と全体像そして、解決策まで読み解くライアンはさすがだ。相手をペテンにかけるアイデアは痛快だ。

この物語でメアリ・パット・フォーリが颯爽と登場。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-24 13:50:05 (407 ヒット)

この頃は今と違ってまだテロが複雑化、混迷化していない時代だった。
この作品にはハイテクも軍艦も潜水艦もスパイ合戦も多くは登場しない。その分、ライアンとその家族についての記述が多い。むしろ、この作品はライアンと彼の家族の物語といえる。
ライアンは人生を左右する事件に巻き込まれ、やがてテロリストの目はライアンの家族に向けられる。家族を守るために闘うライアンの活躍に手汗握り胸躍らせた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-11 13:26:58 (435 ヒット)

ネット上の評価にはかなりばらつきがある。

日本では「その女アレックス」が先に出され本書が二冊目に出版された。だが、本国では本書が先で「その女アレックス」がその次の物語。「その女アレックス」がおもしろかったので、本書を手に取ったのがほとんどではないかと思う。自分もそのうちの一人。

日本での「その女アレックス」に対する評価はかなり高いものが目立つ。それと比較しての二作品目という意識がはたらくのかもしれないが、酷評は多い。実存するサスペンス小説を模した連続殺人を入れ子にした物語の構成=トリックが安易で陳腐過ぎるというのが酷評の主な主張。ただただ残虐さと性暴力の異常さに辟易した、との意見もある。

たしかに、残虐さと性暴力に関しては、過剰にすぎるという感が否めない。「悲しみのイレーヌ」という邦題にも違和感がある。それらを差し引いたとしても、刑事ものの小説としては並み以上の作品でないかと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-11 13:24:48 (679 ヒット)

読みだしはやや硬い印象を受ける。訳し方のせいなのか、物語の入り方のせいなのか、ハードボイルド的な硬さではなく、主人公ピルグリムの語り口がそうさせるのかもしれない。

諜報員ピルグリムの手腕は切れがあって、冒頭から物語に一気に引きずり込まれる。方や、悪者テロリストの人物描写やテロの背景と準備段階の物語は緻密でトム・クランシーの作品を彷彿させる。数多くの挿話が出てくるが、そのどれも物語の主題とつながってくる。ある意味出来すぎ感がないでもないが、第一級のエンターテイメント間違いなし。クライマックスは最終章の直前という定石もはずさず、静かな幕切れを迎える。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-5-6 20:52:59 (797 ヒット)

本作品は三回目。今の自分の年齢からして、四回目を読むことはないだろう。

クラークことジョン・ケリーの若かりし頃の物語。数年ぶりに呼んだが、やっぱりおもしろかった。読み応え十分。若き日のジャック・ライアンもボルティモア市警のエメット・ライアン警部補の息子としてちらっとでている。

度重なる悲劇から立ち直るケリーに心が揺さぶられる。腕っ節が強く、頭も切れ、人間愛に富んだケリーは世の男性の象徴ともいえる。そんなケリーだけでも主役が張れるのに、ケリーのようなつわものがごろごろしている本家ジャック・ライアンシリーズはどれだけのものだったか。
物語の背景もてんこ盛り。ヴェトナム戦争、CIAとGRUのスパイ合戦、性暴力、麻薬問題、船乗りの矜持。そのどれにもケリーがかかわっているからすごいの一言。
トム・クランシーの作品は高水準の物語ばかりだが、この作品はとりわけ中身が濃い作品だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-4-22 15:08:56 (405 ヒット)

探偵コーモラン・ストライクシリーズ第二弾。
前作から比べると、筆力が数段アップしている印象を受ける。舞台が彼女のホームグラウンドである出版界というせいもあるのかもしれない。もっとも、あのハリー・ポッターの生みの親だから、乗ってくればこれくらいが当たり前なのか。

異色の作家の猟奇的殺人をめぐってコーモラン・ストライクが捜査を開始する。前作にも登場した助手のロビンとのかけ合いもよくできている。異色の作家が残した作品「ボンビックス・モリ」に焦点が当てられ、その出版をめぐっての事件との相を呈してくる。その内容は破廉恥で奇天烈きわまる。そこに登場する主人公もそうだが、殺された作家がジョン・アーウイングの作品に出てきそうな登場人物を彷彿させる。そう感じるのは私だけだろうか。荒唐無稽な人生観と妄想的なセックス願望で彩られた主人公は哀れで情けなく感じ、滑稽にさえ思える。猟奇的殺人事件でありながら、おどろおどろしさを感じさせないのはそのせいだと思う。

コーモラン・ストライクシリーズを二作手にしたが、方や芸能界、方や出版界、が舞台となっていて、どちらかといえばセレブでやや派手目な世界を描いている。サスペンスとしては庶民の生活から離れた華やかな舞台のほうが話題を呼ぶのかもしれない。だが、かのJ・K ローリングの作品でなかったら、はたしてベストセラー入りしたかどうか、はなはだ疑問である。彼女の作品だから読んでみようと思った読者が大半ではなかろうか。彼女の作品でなかったら、邦訳されていたどうかもわからない。私も彼女の作品として紹介されていたから興味がわいた。彼女は覆面で勝負したと言っているが、実際はそんなことできるわけもなく、ハリー・ポッターの作者の作品として読まれている。ならば、J・K ローリングの名前で出したほうがよかったのでなかと思う。探偵コーモラン・ストライク、シリーズ第二作目はなかなかの出来であるが、その点がややひっかかる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-4-22 15:03:27 (378 ヒット)

J・K ローリングがロバート・ガルブレイス名で出した探偵小説。はたしてその実力はいかに。

スーパーモデルがマンションの一室から転落死する。それは自殺なのか、他殺なのか、探偵コーモラン・ストライクがその謎に挑む。

死亡したスーパーモデルの取り巻き周辺が浮世離れしている連中ばかりで、庶民とかけ離れた生活を送っている。そして、主人公の探偵コーモラン・ストライクも超有名なロックスターを父に持つ。なんか出来すぎのような設定に最初は白け気味。

事件の謎を追って、コーモランは彼女と関係のあった芸能人、有名人への聞き取りを開始する。バカでかい図体のわりには捜査は基本に忠実で、メモをきちんと整理して、推論をすすめていく。聞き取りを進めていくなかで、スーパーモデルとそして彼女と関係のあった人々の生活があぶり出されていく。みんなまともなことを言っているように思えるが、誰かが嘘をついている。そしてほんのわずかな綻びから事件の真相へと迫っていく。

J・K ローリングはあえて古典的な探偵小説に挑んだのか、あるいはもともと探偵小説を描きたかったのかわからないが、この一作からすれば、アガサクリスティには遠く及ばない気がした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-3-19 16:47:30 (475 ヒット)

冒頭から、はっちゃかめっちゃかの駆けっこが続きやや食傷気味。肝心のミステリーの醍醐味が味わえるのは後半に入ってから。

遺伝子操作ウイルスの拡散を狙った悪とダンテの神曲を融合させるという無茶ぶり気味な設定をダン・ブラウン得意の博識な力技を使ってドラマ化している。日本のテレビ番組にあるようなご当地ミステリーの国際版といったところ。映像化を前提として書かれた作品の印象を受けた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-3-12 9:27:54 (382 ヒット)

ストーリーテラー策におぼれる、というのが第一印象。

コロンビアのコカインシンジケート撲滅がコブラに託された任務。
綿密に練られた準備段階はスパイ大作戦を彷彿させる。目的のためには何が必要で、それにはどんな作戦がいって、敵を知るためにはどうすればいいか、そのための組織作り、そして武器と要員、そのための兵站・・・。という具合にネズミ一匹も漏らさない用意周到な作戦に死角はない。

ただ、あまりにも事がうまくいきすぎる。さまざまなファクターを検討していたにせよだ。もし、このシュミレーション通りにいくならば、現在のアメリカのコカイン、覚醒剤問題は別の局面を迎えていただろう。そうは問屋がおろさない現実を踏まえると、本作品の軽さ、安易さが目立ってしまう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-3-9 11:58:04 (429 ヒット)

日本がどぶ沼にはまっていったあの時期を少年少女たちの成長譚とからませて描いている。
主人公は戦前戦中戦後を経験してくなかで、生きることと生きていることの本質を学びとっていく。どんな境遇にあっても人間らしく生きることの大切さをこの作品は示してくれている。人はえてして自己のエゴむきだしな行動をとってしまうことがある。ふり返ってみると自分の人生はそんなことの繰り返しだったようなきがする。そんなときこいう人間愛に満ちた作品に出逢うと、それらを反省し、これからは少しはマシな人生をおくってみようかな、と思ってみたりもする。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-3-7 16:44:25 (480 ヒット)

ラドラムの作品は初めて、さていかに。
舞台がスイスやチューリッヒというのに新鮮味を覚えた。

秘密結社が世の中を動かしているというそら事はよく聞く話だ。
冒頭から引き込まれるが、場面の切り替えが早すぎて、というか、飛んでいるような気がして、挿話の間隔を埋めるのに苦労する。いったい何が進行しつつあるのか、この先どう展開するのか、まったく読めない。なんとなく事件の影に秘密結社の存在がみえてくるのだが、それと連続殺人がどう関わっているのか、その目的は何なのか、事件に巻き込まれた主人公同様読み手にもすっきりとしないまま、話は進んでいく。
第二次大戦中も、その後訪れた冷戦のときも、政治家や世界的な大企業のトップを操り、ときには内戦を起こさせて邪魔者を排除したりして世の中を動かし続けてきた秘密結社の所在が少しずつ浮き彫りにされてくる。

そこまでは、ついて行けたのだが、物語の終盤になって秘密結社の悪魔の所業が見えてくるにいたって、一気にトーンダウンしてしまった。なぜ悪魔の所業をここに持ってくる必要があったのか。秘密結社との闘いだけでは物足りないと作者は思ったのか、それともこれはうまい組み合わせだと思ったのか。それゆえに、話の持って行き方が複雑で凝ってしまった感が否めない。
映画007の台本になるような物語だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-3-5 19:49:34 (373 ヒット)

「中原の虹」で知った張作霖という人物。
清国の末期、梁山泊のように現れた張作霖と彼が率いる馬賊。歴史的背景と張作霖が果たした役割、そして彼が乗った列車が爆破された事件、これらのことをすべて書き連ねれば膨大な量となってしまう。この作品では、あえて列車爆破事件だけに的を絞っている。列車の出発から、爆破まで、まるで読み手がその列車に乗っているかのような臨場感。その間いくつかの挿話が挟まれ、だんだんと目的地に向かって進んでいく列車の動きとリポートの書き手である志津邦陽陸軍中尉が「張作霖爆殺事件」の真相を探っていく過程、そして読み手の心の時間軸がうまい具合にリンクしている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-3-3 18:19:01 (395 ヒット)

「悲しみのイレーヌ」を先に読んでおきたかったのだが、なかなか順が廻ってこなくて、本書を手にとった。フランスが舞台というのは新鮮に感じる。最近、アイスランド、スイス、スウェーデンといった北欧ミステリーが目に留まるようになってきた。それが、たいがいが面白いものなので(もっとも邦訳されるからにはそれなりの内容のものではあるのだろうけど)、北欧でもミステリーというのは人気があるのかなぁと思ってしまう。

さて、この作品。
良い意味でも、悪い意味でも、騙された感がぬぐえない。
一人の女性が連れ去られ、拉致され、暴行を受けひどい目にあわされる。しかし、その女はとんでもないシリアルキラーだった。起承転結でいうならば、起から承へ向かう際に若干の論理的破綻を感じる。暴行を受けているアレックスの心理描写が百パーセント被害者のそれであるため、いかなり彼女がシリアルキラーの本領を発揮することに違和感を覚える。

捜査官は前作「悲しみのイレーヌ」の事件をかなり引っぱっていて、本作品にもその辺が度々出て来る。同じ捜査官が登場するシリーズ物であっても、これだけ前作のことを引きずっている作品はそんなに多くはないと思う。前作のエピソードはさらりと流して、本題に入って行くのが常套ではないだろうか。しかし、主人公である捜査官は執拗に前事件のことを回想する。それは「悲しみのイレーヌ」を読んでいないものにとっては、迷惑な話だ。その「イレーヌ」に対する執着が全編を通して出入りして、アレックス事件が成り立っている。それが、シリアルキラー事件になお一層暗い影を落とすのに役立っているようだ。「イレーヌ」を排除しようと思えば、それなしでも本作品は成し得たであろうが、あえて、「イレーヌ」にこだわり続けたからこその作品だとも言える。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-2-21 18:22:13 (412 ヒット)

アーナルデュル・インドリダソン、三冊目。
この作品はなかなか奥が深い。

舞台はアイスランドのレイキャビク。クリスマスを迎えた老舗のホテル。サンタクロース姿のドアマンの変死体が発見される。

捜査を通じて掘り下げられる被害者の過去と主人公である刑事の過去。そして事件に関わる登場人物の過去。過去を徹底的に調べ上げて事件の真相に迫るというやり方に本作品の醍醐味はある。過去のどこかの時点に手掛かりとなる何かがあり、それがいつのまにか「今」の事件に収束されていく。

自分がアイスランドに抱く夜の暗いイメージが作品の印象とうまく合致して、読んだ後も哀しげな余韻が残るミステリー。日本でいえば高村薫かな。


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