投稿者: hangontan 投稿日時: 2023-4-8 16:58:39 (61 ヒット)

著者は当時ワシントン・ポストの記者で、ちょうど、ソビエト崩壊のそのときモスクワに赴任していた。グラスノスチとペレストロイカ真っただ中のソ連を目の当たりにし、幸運にも、その終焉に立ち会うことになった。記者としてこれにも勝る機会はめったにないだろう。その直後に書かれたせいか、推敲のための時間がとれなかったのか、少しまとまりに欠ける感がある。それでも、ゴルバチョフから始まったソ連の変体の模様と混沌は十分に読み取ることができる。

日本版はそれから十数年たって発行された。崩壊後のロシアは苦悩の連続で、それを納める形で出現したプーチンによって、またさらなる変体を遂げようとしている。日本版序文にはその辺の諸々のことに触れている。曰く、クレムリン主体のソビエト主義の復活。これが、ウクライナ進攻にまでエスカレートしていくとは。つくづく、ロシアという国には民主主義というものが根付かないものなのかと思わされた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2023-3-8 9:50:07 (68 ヒット)

1991年ソビエト崩壊によってロシアはどうなったのか、人々はどんな生き方をしてきたのか、周辺の国々はどうなったのか、それを知る手掛かりが本書にはある。ゴルバチョフのぺロストロイカ以降、知っていそうで知らなかったロシアの実態が、インタビューを受けた様々な国々、人種、職業、階層の人々の生の声によって語られる。

だが、なんかあまりピンとこない、というか信じられない。本当にこれが今のロシアなのか、近代民主主義国家の姿を呈しているが、実態はそれとはかなり隔たりあるようだ、ロシアに民主主義は育たないのか、それとも似合わないのか。

本書はロシアのクリミア侵攻(2014年)前年に出版されているが、本書から読み解く限り、それは必然であったようにさえ思えてくる。ソビエト解体から20年間、人々が当初思い描いた幸せは万民に降ってはこなかったし、西洋とは等しくならなかった。そこに登場したのがプーチン、そして、ウクライナへの攻撃。ロシアはいったいどこに向かおうとしているのか、人々の思いはこれからどう変化していくのか、興味は尽きない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2023-3-8 9:44:31 (68 ヒット)

昨年のロシアのウクライナ侵攻に触発されて手に取ったということもあるが、自分の興味の流れから辿り着いた一冊でもある。キリスト教の色合いが濃いウンベルト・エーコの小説がその発端で、以後、十字軍、トルコ文化へと導かれ、そして行きついたのが本書であった。

日本の歴史年表には「クリミア戦争」と、たった一行載っているだけで、名前だけは知っていても、それが歴史的にどういう意味があったのかは何にも知らなかった。本書では、実に詳細に、膨大な史料を駆使して、順序だてて、それに関わった国々の事情なども精査しながら、戦争の実態を描いている。かつ、一つも漏らすことがないようにと調べ上げたエピソードが柔軟剤のような役目を果たしていて、飽きのこない歴史絵巻、ノンフクションでありながら、大河ドラマのようなスケールの大きな読み物となっている。

訳者あとがきに「戦闘の現場に戦争報道記者と戦争写真家が登場したのは初めてであった」「国民世論が戦争遂行にとって決定的な役割を果たすことになった」とある。翻って、今般のロシアのウクライナ侵攻ではネットが重要な役割を果たし、居ながらにして瞬時に遠隔の地の状況を知ることができ、全世界の世論の醸造に役立っていることを想うと、歴史の不思議な巡り合わせに感慨を覚えずにいられない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-12-29 9:58:14 (72 ヒット)

ネット上では概ね好評だが、中には★一つという手厳しいものも見うけられる。
それほど読み手によって感じ方が異なる作品だということだろう。私自身、ハテナ?と思いながらもページをめくっていったのも事実である。

小説の醍醐味は作者が紡ぎだす虚構の世界にどれだけ読み手が入り込めるかにあると思うが、その点、この作品には読み手が許容する範囲をはみ出しすぎる、言葉は適切ではないかもしれないが、あまりにも荒唐無稽、拙速、刹那的なストーリーが徹頭徹尾貫かれている。それを、どう捉えるか、捉えられるかが、評価の分かれ道となるのであろう。

しかし、他のどの作品にも共通している、「トルコ」を描き出すという点では、この作品もその例外ではない。今回の主題となっている「恋」の描き方は多少変則的ではあるが、トルコという国のリアリズムをうまくはめ込んだ虚構の世界に浸ることが出来た。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-12-14 10:39:33 (92 ヒット)

オルハン・パムク、四冊目。今回の主人公は呼び売り商人。「ボザ」というトウモロコシから作ったトルコの伝統的発酵飲料を、天秤棒を肩にかけ、「ボーザー、ボーザー」と呼び声を発しながら、イスタンブルの街を練り歩く。
主人公、その親、そして子供達、そして親類縁者にまつわる物語。1950年代から数十年間、世界のどの国もそうであるように、トルコもの激動の時代を迎えた。そして、ギリシャローマ時代から西欧とアジアとを繋ぐ要衝でもあったスタンブルも急激な発展と変貌を遂げる。

イスタンブルの変容は、極端な西欧化は伝統的文化の軽視と排除をもたらす、そして伝統的なもの、失われたものへの「ヒジュン(憂愁)」、これはこれまでに読んだ作者の作品を通して描かれた不変のテーマでもある、ボザ売りの主人公にも大きな影響を及ぼす。彼自身の数奇な恋愛体験とイスタンブルの変容がうまいぐあいに交錯し合って、作者独特のトルコ社会を映し出している。
また主人公の「呼び売り商人」への想いは私の商売「越中富山の薬売り」にも通ずるところが多々あって、変貌を遂げていく世の中で一つの業を続けていく姿勢に共感を覚えたのも事実である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-11-2 12:20:31 (91 ヒット)

オルハン・パムク、三冊目。その内容は、いずれもトルコとイスラムにとても固執している。本書で出てくるのは、「政治的イスラム」という聞きなれない言葉。イスラム教が多数を占めるトルコにおいて、政教分離が内包する危うさを問うている。国家としてはイスラムを前面に押し出さないことを政治信条としているが、それに従うことは個人的にはイスラムの教えと矛盾することが多々ある。トルコ人の多くはその辺を曖昧にしながら暮らしている。しかし、政府の直截的なやり方になじめない人がいることも事実で、そういう人々は「政治的イスラム」として自分を主張する。彼らの中には反政府的な行為をとる者も出てきて、またそれらに対抗する輩も出現する。本書はトルコ辺境の地、まだ「トルコらしさ」が残っているとされるカルスという小さな町で起こった出来事を通して、トルコとイスラムについて深く考えさせる。
一文が長く、また二人称なのか三人称なのかよくわからずに読んでいて、はたとそれに気づくこともあった。邦訳の仕方によるものなのか、原文のニュアンスをそれがうまく伝えているのかわからないが、前に読んだ「イスタンブル」と同様な「憂愁(ヒジュン)」が感じられた作品であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-11-2 12:19:55 (65 ヒット)

「憂愁(ヒジュン)」、イスタンブルへの想いを作者はこう表現していて、本書では頻繁にこの表現が使われている。
訳者はトルコ語でいうところの「ヒジュン」の言い回しに苦心したのかもしれない。「憂愁」をそのまま英訳すると「メランコリ」となる。だが、この自伝を読む限り、どうも「メランコリ」ではしっくりこない気がする。「ヒジュン」は「ヒジュン」なのであり、本書全体に漂っている雰囲気を表している。それが、感じられただけでも、この本を読む価値があったというもの。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-9-24 5:37:21 (85 ヒット)

図書館をぶらついていて、初めてトルコ人による本を手に取った。イスラムを背景とした小説としても初めて。ウンベルト・エーコ以来、このところ宗教を題材とした作品に惹かれる。ヨーロッパからトルコ、ペルシャの歴史を語るとき、宗教なくして成り立たない気がする。

オスマン・トルコのスルタンに仕える細密画の職人集団の物語。語り手が次々と変わる構成は作品に入り込むまでかなり苦労する作品が多いが、この作品はそんなことはなく、歴史的、宗教的素地がなくても、わりあいすんなりと入っていける。謎解きの要素も手伝ってか、ぐいぐいと引き込まれ読ませてくれる。

主題となっている伝統のトルコ細密画、何十年と描き続けた職人は、目を酷使するため、しまいには盲目になる人もいたとか。そして、それこそが、名人の証として尊ばれたという。そうまでして描かれた細密画とはいったいどんな絵なのか、とても興味のあるところではある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-9-5 9:55:50 (131 ヒット)

「バウドリーノ」から始まったヨーロッパ詣で。
その後、「十字軍物語」「パックス・ブリタニカ」ときて、今本書にたどり着いた。「ローマ人」の物語から始まった歴史エッセイ(著者はこう定義している)の最後を飾る作品となった。曰く、「ローマ人の物語」の中ではほんの少しか触れられていないギリシャに対して失礼きわまりない、と思ったことが本執筆の発端だったとか。物語はスパルタとアテネを中心とするギリシャの都市国家の盛衰を、その時々に現れる名将を通して描かれている。スパルタとアテネの文化的相違に「ははん」となり、両国の攻防戦に手に汗握る。まるで三国志を読んでいるみたいな気。

最期はマケドニアのアレクサンドロス大王にかなりのページを割いている。アテネ、スパルタの自滅ともいえた歴史的空間に突如現れたアレクサンドロスはまさに必然的出現ともいえる。そして、その東征。大国を撃破しながらの大進軍だとの認識があったが、実は弱っちいペルシャを配下にして廻っただけだった。

さて、著者最後の歴史エッセイとなった本書の末尾に「十七歳の夏―読者へ」お題して著者の言葉が添えてある。その中の一文が心に響いたので書き留めておく。

***あなた方が書物を読むのは、新しい知識や歴史を読む愉しみを得たいと期待してのことだと思いますが、それだけならば一方通行でしかない。ところが、著者と読者の関係は一方通行ではないのです。作品を買って読むという行為は、それを書いた著者に、次の作品を書く機会までも与えてくれることになるのですから。中略 ほんとうにありがとう。これまで書き続けてこられたのも、あなた方がいてくれたからでした。中略 最後にもう一度、ほんとうにありがとう。イタリア語ならば「グラツエ・ミッレ」。つまり、「一千回もありがとう」***


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-9-5 9:48:27 (84 ヒット)

1897年、ヴィクトリア女王即位60周年記念祭の記述から始まる。
このころ大英帝国は絶頂期にあり、世界各地に植民地を持ち、まさに帝国の権威をほしいままにしていた。本書では、大英帝国の光芒史を描くのではなく、事情が異なる様々な植民地での苦心譚やそこに派遣された人々と現地人との触れ合いを通して、帝国の栄華と苦悩を描いている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-8-3 11:19:55 (73 ヒット)

満州時代の上海が舞台の日本版「狼男」ファンタジー。
主人公の敵となる現地の悪者どもとの活劇が大半を占める。それが、あまりに漫画チックで、ちょっと残念。遥か昔にさかのぼる、昼間の大君と月夜の狼のなれそめ物語自体は悪くないのだが。さっと読めるので、体調を崩しりして、病院のベッドで読むには向いているだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-8-3 11:18:37 (80 ヒット)

ウンベルト・エーコの「バウドリーノ」つながりから手に取った。
「ローマ人の物語」でもそうだったが、作者はまるで見てきたように歴史を語っていく。歴史探求と好奇心の追及はたいしたものだ。これまで抱いていた「十字軍」への認識を大幅に書き換えてくれた。学校では「十字軍遠征」についてはほんの二、三行で終わってしまい、歴史年表でそれを確認するくらい。大人になってから、こういった書籍で勉強するのもよいものだと思った。学生時代、私はいったい何をやっていたのだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-7-14 9:24:28 (77 ヒット)

著者はスコットランド出身。グラスゴーで過ごした貧困の少年時代をモチーフとして物語を膨らませ作品に仕上げたという。
完成までに30年を要し、出版に際しては30社以上から断わられたという。それが英語圏で100万部突破の話題作となったというから、出版を拒否した出版社はどんな基準でこの作品を捉えていたのか、そこが一番興味ある点。
邦訳の良さもあるのだろうが、主人公を取り巻く社会的背景と、登場人物の内面描写はすなおに読み手に伝わってくる。哀しくて、重い内容だが、どん底に生きる主人公らの矜持が随所に描かれていて、テーマとは裏腹の心地よい読後感をともなって、本作品への好印象につながった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-7-14 9:23:29 (87 ヒット)

ウンベルト・エーコ、二作品目。前回手にした「薔薇の名前」よりかははるかに読みやすい。十字軍の史実半分、ファンタジー半分、そしてちょっとしたミステリーの味付け。「薔薇の名前」同様、キリスト教とその文化史が素地にあるとさらにおもしろく読めたと思う。これを機に十字軍の物語を紐解いてみようという気にさせられた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-6-19 15:26:49 (71 ヒット)

極上の娯楽作品に出会うことも本読みの醍醐味、この作品にはそんな言葉が当てはまる。冒頭、漫画風の乗りでぐいぐいと引き込まれていく。次第に風刺のきいたテーマが入り込んできて、一時の浅田次郎を彷彿させる物語展開。「悪もん対いいもん」の単純な構造かと思いきや、複雑なスパイ戦と情報戦を呈してくる。天使役の「マリア」も登場するが、浅田次郎プラスアルファとしてはやや類型的な展開となったのはちょっと残念。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-6-19 15:26:12 (99 ヒット)

著者の作品六作目にして、ようやくアイスランドの地名、人の名前、捜査官である主人公のバックグラウンドに違和感なく溶け込めるようになってきた。それも理由の一つなのか、物語にすーっと入っていける。これまでの作品を通して主人公を含めたアイスランドの社会背景はおぼろげな印象であったが、それでもサスペンスとして読むには十分な作品であった。ここにきて、バックグランドが自分の中で明瞭になってくると、より作品群への親しみも増してきた感がある。アイスランドという未知な世界の物語だが、自分の中のアイスランド像を膨らませてくれた一連の作品となった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-6-6 15:44:12 (83 ヒット)

明治維新の動乱を勝海舟の視点から描いた作品。
小説的な内容を期待して手に取ったが、どうも当てが外れたようだ。文献からの引用、訳が多く使われており、論文的な意味合いが強い。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-6-6 15:43:11 (91 ヒット)

日本史の中では、いわゆる戦国時代が群雄割拠した三国志的な印象があった。しかし、江戸時代末期から明治維新にかけては、それに優るとも劣らない三国志があったといっても過言ではない。まず、テンポが格段に速い。今日明日の動き、決断が未来の日本を決める。その時間軸上にそれぞれの藩と勇士が落としどころを求めて蠢いている。そしてそれは怒涛の勢いとなって見事に新時代の幕開けへと収斂されていく。しかも、戦国時代には無かったものすごい外圧がかかっている。もはや死に体となっていた幕府だが、それに対して着実に手を打っており、これもまた新時代への一つの流れとなっていった。
本書はその中でも、主に鍋島藩の動きに軸を置いて描かれている。また、作者が歴史学者ではなく、かつて日本登山界の重鎮であり、あの山学同志会を率いていた第一級の登山家であることにも興味がもたれる。幕末から明治維新の概要について知るにはうってつけの書だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-4-26 18:47:18 (83 ヒット)

こんな事実は初めて知った。長州藩が下関を通る外国船を砲台でぶっ放していたこと、そしてその反撃に連合艦隊(フランス、イギリス、アメリカ、オランダ)が結成され、長州藩と一戦を交えたこと。連合艦隊と戦うための武力を長州藩が備えていたことの驚き。時代は待ってくれないというが、時代を見越した長州藩の先駆的行動は恐れを知らぬというか、いやはや大したもんだ。これがまた倒幕、維新への礎となっていくのだから、激動の時代というのはただ一つの事象が引き金になるのではなく、様々なものが必然的有機的に働いてうごめいていたことの証左であろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-4-26 18:46:08 (86 ヒット)

学校の授業ではただ五、六行で終わっていたように思うし、またそれだけの知識しかなかった。だが、こうしてそれだけをクローズアップしてみると、江戸幕府末期の「もがき」の一面であった感が募った。主として張本人である井伊直弼とその腹心長野主善の視点から語られている。脇役も多数登場するが、次はその脇役を主人公として描かれた本を読んでみたい。歴史にはいろんな角度から読み解く面白さがある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-4-26 18:45:37 (77 ヒット)

幕末から維新にかけてのトリビアを会津藩中心に描いた本。敷居も高くなく、激動の幕末をさらっと見渡すことができる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-4-26 17:52:41 (92 ヒット)

かなりの長編。半分程まで読み進めて、返却期限が来たので一旦図書館に返却した、その再読。今回は一気に読み込んだ。ソ連崩壊前後の青春群像。ネット上では評価が高いものばかりだが、私にはどうにもなじめなかった。物語としては中盤あたりで一つの幕が降りている。それだけならまだ★三つだったかもしれないが、後半に入ると、前半の物語をカバーするというか隙間を埋める挿話が散りばめられていて、それが、時系列でもなく、かつ場当たり的散漫的に描かれているものだから、頭の中で整理することに気がいってしまい、物語全体を追って楽しむことが出来なかった。それにもう一つ、これが当時としてはごく普通の青春群像だったのか、それもひっかかった。もしそうだとしたら、ソ連時代、人々はとても人道的とは言えない生活を強いられていたことになる。はたして実態はどうだったのか、気になるところではある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-3-29 18:36:46 (108 ヒット)

朝刊に連載されていたということなのだが、はたして評判はどうだったんだろう。ネット上では高評価のものが多いが、私はそうは思わない。「芥川賞作家」中村文則はどこにいってしまったんだろう。何がこうも見苦しい内容の作品を彼に書かせているのだろう。そう思わずにはいられない。高評価を与えている人たちの気持ちもわからない。私の方が異端なのだろうか。
ただ、見どころがないわけではない。それはポーカー賭博の場面。はらはらドキドキする心理戦を見事に描き出している。この路線でずーっと通していたなら、もっとましな作品になっていたと思う。新聞連載という枠がそれを許さなかったのだろうか。次回作に期待。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-3-29 18:36:09 (111 ヒット)

副題に「会津藩士・秋月悌次郎」とある。
以前からちょっと気になっていた「会津」。確固たるイメージがあるわけでなく、自分の中ではもやもやとしたものがいつもくすぶっている、そんな「会津」を知るうえでの端緒になればと思って手に取った一冊。

幕末から明治への移行期を主題とした小説はそれこそ山ほどあるが、この作品は一人の会津藩士の視点からそれを捉えている。秋月悌次郎は昌平坂学問所に進み、当時日本一の文士と言われたほどの逸材。そんな彼が会津藩主松平容保の信を得て維新期の会津藩の下支えとなり、戊辰戦争、会津戦争を乗り切っていく。読んでいて、まるで講談を聴いているかのような心地よさに浸る。まさに秋月悌次郎こそが維新の立役者だ。悌次郎無くして維新は語れない。そんな作品に仕上がった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-3-29 18:35:27 (105 ヒット)

短編集。文字通り女性がウソをつく場面をいくつか載せている。
短編集としてはよく纏まっている方だと思うが、「ウソ」が最初からわかってしまっているというのは推理小説好きの私には、いまいちという感がぬぐい切れなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-3-29 18:34:52 (94 ヒット)

実在したポーランドで生まれイスラエルに移り住んだユダヤ人のカトリック神父をモデルとした作品。イスラエルにはユダヤ教、ロシア正教、キリスト教、イスラム教が混在しているらしい。「イスラエルのユダヤ人カトリック神父」にはいささかビックリ。イスラエルはユダヤ人の国で、当然彼らの生活基盤はユダヤ教にあるとばかり思っていたからだ。中東、東欧には世紀が始まる以前から現在に至るまで流浪の生活を強いられてきた人々は少なくない。そんな人たちの一面を切り取り、宗教や人種、国家を超えた普遍のものを、うまく表現できないのがもどかしい、主人公とその関わりのある人々との交流を通して描こうとしている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-3-29 18:34:04 (86 ヒット)

一月に入ってから、同じ著者の「緑の天幕」を読んでいたが、図書館の返却期限内で読み切れなくて、一旦返すことにした。おもしろいのか、どうなんだか、よくわからない本だった。長編ではよくあるパターン、じっくり読んで味がでてくる、そんな気がして、もう一度読み直すことにした。この際、作者の作品をいくつか読んでみようと思って、手に取ったのがこの作品。
フランスで最も権威のある文学賞の一つである「メディシス賞」をとったとのことだが、自分的にはなんともピンとこない小説であった。ソ連時代の世相は、女性の視点からの、なんとなく伝わってくる。しかし、主人公の女性の数奇な一生を描いたわりには、抑揚が無いというか、淡々と描かれ過ぎていて、物語としての醍醐味に欠ける。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-1-17 11:31:56 (116 ヒット)

「三体」三部作の最終章。
前二作よりもSF度がかなりアップしていて、ついていくのに一苦労。はてな?という場面もしばしば。そこはサクッと読み飛ばして、本筋のみを追っていく。物語は、「スリー・ボディ・プログラム」を片一方に置きながら、宇宙の真理に迫りつつ、人類存続への道程が綴られている。
全体的には、時間軸、空間軸とも前2作品を遥かにしのぐ壮大なスケールで描かれる抒情詩。そこで描かれるアイデア手法には度肝を抜かれるという言葉がぴったし。いずれにせよ、全世界を席巻した中国発SFをようやく読み終えて、自分的にはほっとしたというか、肩の荷がおりたという感じ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2022-1-17 11:31:20 (102 ヒット)

懸賞金稼ぎの探偵コルター・ショウの第二弾、今回の主題はカルト。
題名から「山の本」と思って手に取ってみたが、実際はそうでもなくて、ちょっとがっかり。いくら山ブームとはいえ、日本語タイトルの付け方にはもう少し配慮して欲しい。
軽めの仕掛けがポツポツ出てくるのは、初めてジェフリー・ディーヴァーの作品を手にする人へのサービスなのかもしれないが、どうだろう?と思う場面もある。ただ、前作品でちょっとだけ触れられていたショウの本当の敵に関する伏線も散りばめられていて、次回以降の成り行きが気になるところ。これでは、どうしても次の作品を読まねばならないだろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2021-12-18 11:16:47 (99 ヒット)

30年ほど前になる。いわゆる「満州帰り」という方の話をいくどか聞いたことがあった。その内容はおしなべて、「とても良い暮らしだった」「お手伝いさんもいて、贅沢三昧、よい時代だった」「ところが、戦争に負けた途端にお手伝いさんを含め満州人の様子が手のひらを反すようにがらりと変わった」「命かながら、引き上げ船に乗って帰国した」「裸一貫から、がむしゃらに働いて人並みの暮らしができるようになった。それは大変だった」、というもの。
以来、満州では日本人はみな良い暮らしをしていて、終戦を境にその生活が激変した、という漠然とした印象が私の中にはあった。

しかし、本作品を通して、その曖昧な私の概念はがらがらと崩れ落ちた。実際は、そんな良い暮らしばかりだったわけではなかった、開拓団として入植してきた人々然り。もともと満州に対する歴史的認識に乏しかったので(ほぼゼロに近い)、ここで語られることはまるで歴史の講義を受けているかのような感があった。

満州という国は単に満州一国で完結する話ではなく、ドイツ、ソ連、イギリス、フランス、イタリア、そしてアメリカ、もちろん日本も含めて、当時の各国の時代背景と密接に結びついている。本書はそういう満州国の歩みを小説という形で知らしめてくれている。

学校で習うのは、史実上の点だ。こういうことがあたった、満州事変とは、盧溝橋事件とは、蒋介石がどうした、ナチスドイツは、ムッソリーニは、ポツダム宣言とは・・・。作者もあとがきで記しているが、歴史は点と点が線になり、それが面へと発展し、しまいには空間となる(戦争の形態を模して)。いわば、いくつもの事象が有機的に結びついて歴史を形成していく。それは当然今にも通ずることなのではあるが、満州はそれがとても密に、凝縮された時代だったといえるのではないか。そして、悲惨な末路に至った我が国の大戦への認識もまた新たなものとなった。


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