投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-9-15 17:55:46 (334 ヒット)

「KATANA」とは現代の刀狩、すなわち米国の銃砲規制に与えられた作戦名。年間3万人もの市民が銃の犠牲になっているアメリカ。これはそれだけのテロがあるのと同じことを意味する。武器を持つことは建国以来アメリカの憲法に認められた市民の権利。しかし、銃がなければこれだけの犠牲者を出すこともないと考えるのは平和ボケした日本の田舎物の考える妄想だろうか。なにしろ、自分の身は自分で守らなければならず、またそうする権利があるとするアメリカ。そんなアメリカから銃を一掃することは、夢物語に等しい。しかし、テクノロジーの進歩がそれを可能にした。「命を繋げる銃」の発明である。人を殺すことなくダメージだけを与える銃、しかも銃把には登録人認証システムが組み込まれており、登録人その者のみが発砲可能であり、誰が撃ったのか被害者にはこれも微細な認証マーキングが残されるようになっている。

この「命を繋げる銃」を巡って物語は展開する。登場するのは国際軍事コングロマリット、米国情報機関、テレビ局のリサーチャー。事件の解明役となるのが国際軍事コングロマリットのエージェント崩れの自称“派遣組”の兵藤。体形やちゃめっけたっぷりのキャラクターはヒロ・ナカムラそっくり。そして、キーマンとなるのが記憶をなくしたヴィンス。彼がまた、特殊能力を発揮する。頭に描いたもの、また記憶の底にあるもの、見たもの正確に書き上げてしまう。これがヒーローズのアイザックを彷彿させる。さらに、キーとなる最新テクノロジー「ジオタグ」。これはデジカメで撮った被写体の認証システム。たとえば鳥の写真を撮って、それを検索にかけると、ネット上の鳥図鑑の中からその鳥を選び出し、その鳥の名前がわかるという仕組み。さらに、ウェブ上の同じ鳥の画像を認識しそれを抽出してしまう。何時何処で撮られたのかも一目瞭然。記憶を無くしたヴィンスは、自分の描いた精巧な絵をデジカメで撮って、無くした記憶の断片に迫ろうとする。
テーマや最新テクノロジーの創出はおもしろいと思うのだが、国際軍事コングロマリットや米国情報部が出てくる割には深みやスケール感に乏しい。B級映画やテレビドラマの原作としてならまぁまぁの作品であろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-9-13 18:01:44 (689 ヒット)





登山口から大日小屋までが3時間10分。剱は雲に隠れて見えない。足も軽く、順調なペースでここまで来た。奥大日へと足を向ける。中大日、七福園を過ぎると、秋の花が咲いていた。小さく可憐なタテヤマリンドウがあちこちに。この辺の稜線歩きは実に楽しい。草原で寝ころび、一休みして、いざと、立ち上がったとき、例の心臓発作にみまわれた。心臓の早鳴りと全身虚脱感、いつもいきなりやってくる。これが起こるともう一歩も動けない。伝家の宝刀「六神丸」を口に含んで、様子をみる。ゆっくりと体を起こし、だましだまし先を行く。鎖場を過ぎ、最低コルに出てからの登り。ここまでカタツムリ歩き。さらに進んで最後の登りにさしかかったとき、どこから来るともない恐怖感が全身を包む。あと20分も歩けば山頂なのに。残念だがここから引き返すことにした。大日小屋までなんとか歩き切ったが、冷や汗たっぷり、吐き気とめまいが襲う。あとは下りだけだが、心臓はまだ不整な動き。小屋泊りも考えたが、運を天に任せ、降りることにした。
登り4時間、下り3時間40分。なんとかこの発作の対処法を考えねば。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-9-12 6:12:57 (415 ヒット)



群馬県東吾妻町の農園、Oさん宅を訪問した。
農業大国の群馬県であるが、時代の流れかこの地も農業後継者は少ない。昭和の時代、高地野菜で栄えたこの地域も、平成にはいると急速に農業就労者の高齢化が進んできた。とともに後継者難で、農業の担い手が無くなり、休耕地が目立つようになってきた。せっかく先人が苦労して開墾して出来た土地なのに、とても悲しい話だ。

Oさんの作るトマトは完熟が売り。ここで食べる完熟トマトの味は絶品。鶏肉や白身魚と一緒に煮て食べるとなおうまい。その秘訣は土作りにあるらしい。研究熱心なOさんの土作りにかける情熱は並大抵なものではない。常に最高のものを求め、挑戦し続ける姿勢に頭が下がる。そんなOさんが、今年新たに挑戦したのがミニトマト。ちょうど収穫のときに出くわすことが出来た私は幸せものだ。ケースには今摘んできたばかりのミニトマトがぎっしり詰まっていた。艶があり、張りのある果実は見ただけで味の保証付き。まさしく食べる宝石。口にすると想像以上の甘みと、食感で、思わず笑みがこぼれ出る。「未熟の青いうちは漬物にしてもいけるはず」と、Oさんは言う。いくつになっても青春を感じさせるOさん。薬を商売としているが、それを通して人生の機微と人の感性に触れる場面が多々とある。薬屋家業の楽しさはそんなところにもあるのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-9-8 5:49:09 (380 ヒット)

最近ノッテいる池井戸潤の作品を手に取った。どんな作家にも旬という時期があると思うのだが、その間の充実ぶりが作品に現れている。文章に迷いが無く、飾りもしない素直な表現。読んでいて心地よい。企業小説とミステリーとファンタジーを融合させたような内容で、浅田次郎と東野圭吾と石田以良を足して3で割ったような文章と読後感。噂は真実だった。

今自分が見ていること、感じていることが現実なのか、それとも夢の中なのか、誰もが感じたことがあると思う。そんな感覚をうまくモチーフに取り込んで作品に仕上げている。

時は昭和38年、東京オリンピックに沸く、昭和のよき時代。舞台は経営が行き詰まった従業員100人足らずの運送会社。40年前の夢とも現ともつかない世界に、他界してしまっている主人公の父親となって、入り込んでいく。

なかでも象徴的で物語の牽引役となっているのが、運送会社の配送車のボンネットトラック、BT '21号車。そのトラックを使って行われている悪事の真相に主人公の父親が迫っていく。陰惨で凶悪な事件のわりに、ちょっと抜けたところがある悪者。最後にはほろりと涙する場面も出てきて、浅田次郎の作品を彷彿させる。ミステリー仕立てにしなくても良い作品に仕上がったのではないかと思った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-20 6:14:14 (605 ヒット)





今年も富山市水橋地区の中学生が配置薬の実習を行った。参加した生徒は水橋中学、三成中学から合わせて17名。お盆の時期に合わせて帰省している薬屋さんが先生役。生徒たちを伴って水橋町のお得意さんを訪問する。お得意さんも心得ていて、生徒達が来るのを楽しみに待っていてくれる。夏から秋に変わりゆく今の時期、「薬の町水橋」の風物詩となっている。この伝統行事が終わる頃、薬屋さん達は再び旅に出る。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-19 6:33:58 (412 ヒット)

芸術性漂う表紙カバーがこの作品には重荷とはならない。読後に余韻が残るような重厚な作品ではないけれど、王道を行く本格推理小説として読み応え十分。

神酒に仕込まれたトリカブトの毒による殺人未遂事件。いつ誰がどんな方法で毒を入れたのか、その謎解きにページの大半が注がれる。「探偵が事件を解決できるのは作者が探偵に耳元でそっと囁くからだ」言われてみればそんな気もする。そんなそしりを免れるべく、作者はあらゆる視点から事件を推論できるようにもくろんだ。すなわち対象となる人物の視点によって事件が動くように仕組んでいる。物語の最後にもその点について登場人物の言を借りて作者は述べている。あらかじめそれぞれの視点や行動を用意しておいて、それらをガチャガチャポンとしてしまえば、元の要素はなかなか解明しにくい。しかし、作る側はそれがわかっているから、話を右に左に持っていっても、最終的には元の要素に辿りつくことが出来る。読者はガチャガチャポン後の姿しか見ていないので、どのような筋道でそれが出来上がったかを推論することはまず不可能。そうなると、いきおい、作者の一人舞台となって、読者乖離となる危険性もはらみがちだが、本作品では、そうならないように、そのぎりぎりをいきながら読み手との駆け引きを保とうとしている。一つだけ難を言えば、後から出てきたフランス女性がいかにも簡単にガチャガチャポンを解いて行くところ。いくら事実に基づいた推論であっても、ちょっとね。本格推理小説の大御所もうら若き女性には甘いようだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-16 18:12:43 (742 ヒット)

息子と連れだって剱岳に行って来た。息子と山へ行ったのは彼が中学2年のときが最後。息子といる時間が楽しくてうれしくて、幼少の頃からあちこちの山へ連れまわった。かみさんとのときもあれば、小生とのときも、また家族でキャンプしての山もあった。どちらかといえば、かみさんと一緒の山が多かった。自分は盆暮れ正月は山仲間とうつつをぬかし、休みをそれで使い切ってしまっていたからだ。そんな自分のことをかみさんはいつまでも根に持っている。

今回は息子と二人だけ、14歳の挑戦から7年の月日が過ぎた。あのときとでは自分の気持ちが随分と変わった。数年前の父の死が大きく影響しているのだと思う。自分が無に帰するときの息子の気持ちを考える時間が多くなった。子供が幼少の頃、自分らと共に過ごした時間は、子供にとって有意義な時間であっただろうが、親にとってもとても大切な日々であったと思う。しかし、いくら思い出を積み重ねても、死んでしまったら、その時はすべて無になってしまう。そうなると残されたもの側の思い出だけが唯一の存在していた証になる・・・。

初日 
馬場島から伝蔵小屋まで5時間、大体予定通り。水場のことがわからなかったので行動水含め9リットルの水を担ぎあげた。案の上水場がなく正解だったが、ビールを冷やすのに困った。しかたなく、草むらの陰に放置して夕方まで待った。先週かみさんと白山に行ったとき、午後からの時間を持てあましていたので、今回はテント本を持参した。池井戸潤の「オレたち花のバブル組」。最近ハマっている池井戸潤。読み終えたころ、ビールを開けると冷たいとまでは言えないが、ほどほど飲めるころ合いにはなっていた。小屋では2リットル800円の水が飛ぶように売れていた。テン場は我々含め10張りほど。

二日目
西にはまん丸い月が残る。流星群でも見られないかと目を凝らしてみたが、人工衛星が引いて行くだけで、普通の夜空だった。本峰まで3時間、空身でも意外と時間がかかった。小学生を伴ったグループに抜かれてしまう。早くも秋の兆しが漂う稜線。マツムシソウ、ウサギギク、トリカブトの群生が目を和ませてくれた。ナナカマドの実も色づき始めている。
快晴の山頂、居場所がないくらいの賑わい。祠にお賽銭を入れ形ばかりのお参りを済ませ、早々に移動する。長次郎谷側にやや下った岩のベンチに腰掛けて眺望を楽しむ。7年前、剱登頂後息子と縦走した山々に思いをはせる。下山は慎重に、無事テン場に到着。ラーメンをすすって腹ごしらえをする。だが、帰りの水が心配。なにしろ、息子の消費量が半端ではない。

小屋を後にしてから、足を引きずりだした息子。7年ぶりの山としてはよくやった方だと思う。その痛みをこらえながらもゆっくり、ゆっくり下山する。天候は下り気味。松尾平手前からザーザー降りの雨となる。カッパを被るとき、最後の水を飲み干した。「お父さんも飲む?」と聞いてくれたその一言が無性にうれしかった。「お父さんはいいよ、お前全部飲みな」。その時の息子は7年前をそのままスケールアップしたような姿だった。あの時と同じ、一つの思い出となった。ちょっとだけ違うのは、家に帰ってからビールを酌み交わしたこと。飲みながら、双方の想いにあの時とは違う何かをお互い感じていた。








投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-12 18:14:10 (666 ヒット)

1986年の夏、K2に起こったに悲劇。そこで何あったのか、この本にはそれが記されている。また著者クルト自身と彼のパートナーのジュリー・チュリスとの荘厳な山の物語でもある。

読み始めてまず驚いたのが、1986年にK2に挑んだときのクルトの年齢。なんと54歳。その歳でK2に臨めるものだろうか。同じ歳ですでに隠居を決込んでいる自分にはそれだけでも驚異的かつショックな話。K2を剱に置き換えて、こんなことをしている場合ではないと思うことしきり。

当時と言えば、メスナーやククチカの動向が常に登山界の話題となり、トモ・チェセンが新進気鋭のクライマーとして頭角を現し始めてきた頃。そんな中にあって、彼らから見ればクルトのようなおじさんクライマーも懸命に山に挑戦していた。そこに引き付けられた。

登頂まで若干の紆余曲折はあったにせよ、二人で念願のK2に立ったときは至福の瞬間だった。クルトはその『若干の紆余曲折』を遭難の兆候とらえて記述している。登山の目標はただ山頂に達することだけではなく、無事下山することも含んでいる。登山全体を捉えたとき、『若干の紆余曲折』が致命的な結果をもたらす要因となることもあり得る。今回の場合、クルトはそれを示唆し、その予兆を感じていた。特にK2のような8000メートルを超えるビッグクライムとなれば一つの綻びが全体の成果を左右する危険性を秘めている。「あのとき何故あんなことをしたのか?」だが、いくら用意周到に臨んだとしても、何もかも予定していた通り完璧にいく山などあるわけもない。その時々に応じて最善の策と思えたことをやっていたつもりでも、それが結果から見れば、そうでなかった場合もあり得る。

8000メートルを超える高所での過酷なビバークを経て、次々と倒れていく仲間たち、その中には一緒に登頂を果たしたジュリーも。それぞれの悲惨な状況をクルトは冷静に観察し、淡々と綴っていく。飾らない文章がよけい臨場感を際立たせている。まるで目の前でそれが起こっているかのように、自分が彼らと一緒に狭いビバークテントの中にいるように。疲労困憊し立つ力もなく体を横たえ、涙目でクルトを見つめている自分がそこにいる。今まさに死に行く彼らをどうしてやることもできない。自分らが進むだけ。彼らを後にしてクルトは下り続ける。そしてついに希望のテントが見えてくる。一緒に登り、同じ時、同じ空間にいて、極限の世界を究めながらも生還した者と残された者、その違いはなんだったんだろうと思う。双方とも彼らは彼らの山をやってきて、結果、そうなった。それしか言えないような気がする。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-12 17:57:28 (501 ヒット)





毎年恒例の「富山のくすりPR作戦 in 立山駅」。富山県配置薬業青年連合会が行った。立山黒部アルペンルートの玄関口立山駅に降り立つ登山者や観光客に富山のくすりのPRを行う。今年は東日本の大震災の影響で春先の利用者は激減したそうだ。特に外国からのお客さんや団体さんの出足が振るわわなかったとのこと。それでも、夏になって、客足もだいぶ戻ってきいるらしい。梅雨明け後からは好天が味方し、また8月に入ってからは山の季節とばかりによい天気が続いている。「とてもよかった」と、山の思い出とともに富山のくすりとの出会いもお土産に持って帰っていただいた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-10 9:06:10 (608 ヒット)

かみさんと連れだって花の白山へ行って来た。山一面花だらけ、さすが花の白山。ハクサンフウロが山のどこにでも顔を出していた。2年越しの白山には一応けりがついたが、来年もまた訪れたいと思う、今回出会わなかった花もあるし、辿ってみたい道もできたし。

初日、砂防新道を経て南竜ケ馬場キャンプサイト 3時間
ハクサンコザクラ、ハクサンフウロ、ミヤマハハコグサが辺り一面。クロユリも顔を出す。
二日目、トンビ岩を経て室堂(コバイケイソウ、イワギキョウの群落)から御前峰。お池巡りをしてから展望歩道を下る。5時間半














投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-8-7 19:47:02 (404 ヒット)

『ロング・グッド・バイ』に気をよくして手に取った二冊目。この作品も村上春樹氏による“新訳”。小気味よいテンポで、最後まで一気読み。ウイットの効いたフィリップ・マーロウの名台詞が随所で炸裂する。ピンチのときでもマーロウの口からは一刺しが放たれる。それを聞かされた方の悪党もさすがに「減らず口は止せ」と言わんばかりの応対。この期に及んでもまだ気障な台詞を吐かなければならないマーロウ。作者もこれを楽しんでいるのだろうが、この作品ではちょっと度が過ぎるとの印象を受けた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-7-12 19:26:03 (641 ヒット)









富山へのトンボ帰りの中日、涼を求めて大日岳へ行って来た。酷暑の群馬から比べれば富山はまだまし。夕方からのしのぎ易さが断然違う。山頂付近に吹き渡る涼風は何物にも代えがたい。喘ぎながら登り、熱く火照った体にはこれが一番。こんな涼しさを肌で感じながらの縦走もよいもんだ。そう思った今日の大日だった。キイチゴの赤と夏のサクラが印象的だった。登り3時間45分、下り3時間。今日の獲物・ススタケ3本(極太)


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-26 19:07:12 (446 ヒット)

スコット・トゥローはおもしろい、中高年の星だ。
彼の作品を十代、あるいは二十代の若者が手に取ったとき、どう捉えるだろうか。それどころか、最後まで読み切れるだろうか。彼の作品はある程度人生経験を積んだものが読んでこそ、その良さが、より実感できるのではないだろうか。自分の学生の頃と重ね合わせた場面が随所にあった。自分の初恋のころのほろ苦い思い出、なぜあんなぶきっちょだったのか。二十代の頃、自分は本当に何も考えていなかったのだな、と。

事件はスラムのビル街で起こった。チンピラに襲撃され、一人の老女、ジューンが射殺された。一見して、ジューンは何らかの事件に巻き込まれたかのような印象を受ける。が、逮捕され告訴されたのが、その息子であるナイルであった。はたしてナイルは無実なのか、迫真の法廷劇がこの作品の一つのみどころ。

この裁判の判事を務めるのがソニー・クロンスキー。彼女は被告人と旧知の仲であり、また証言台に立つ彼の父親のエドガー(州の上院議員)、そして今は分かれたが殺された元妻のジューンとも深い縁がある。さらに、ナイルの弁護人であるホビー・タトル、彼もまたソニーと青春の一ページを過ごした仲。そして、法廷の傍聴席にはソニーの元恋人で、今は新聞にコラムを書いているセスがいる。期せずしてこの裁判がもとで再び相まみえることとなった彼ら。一見、出来すぎた話のように思えるかもしれないが、スコット・トゥローの場合は一味も二味も違う。

1960年から70年にかけてのアメリカはベトナム戦争のさなか。ニクソン大統領の疲れ切った灰色の顔がテレビ画面に映しだされ、人種差別はまだ色濃く残り、若者は皆マリファナに陶酔しきっていた。エドガーとジューンは「闘争」に明け暮れる。一方、セスはエドガー夫妻の子供であるナイルのベビーシッターをやりながら、学業に励む。恋人同士のセスとソニーであるが、セスのあまりにも熱く濃い想いをソニーは受けとめられなくなる。そんなおり、セスにベトナム戦争への徴兵状が届く。ソニーは平和部隊に志願し、二人は別れ別れになる。一方セスは兵役から逃れるべくカナダへの逃亡を企てる。ことのきジューンとエドガーが一計を案じ、セスの逃亡に力を貸す。セスと一緒に逃亡生活をおくることを決意したのが、彼の親友のホビーの恋人であった。25年前の出来事と今回の殺人事件がどう関わり合うのか。トゥローならではの綿密で一分の隙もないストーリー展開に引き込まれ、読む時間も忘れてしまう。

物語は法廷で再会したセスとソニーの二人のそれぞれの語りで進められる。25年の間のかつての同士たちの歩んできた道が語られる。そして、物事を複数の視点から読み解くというトゥローの姿勢はこの作品でも重要なウエイトを占めている。当然、裁判自体もそのような視点から描かれている。同じ証人、証言でも視点が異なれば、その事件の見方そのものも変わってくる。ここでは、犯人が誰かということよりも「どこで何が起こったか」を「解明する」=「作り上げる」ことに重点が置かれている。証人が決して嘘を言っているわけではないのだが、検察あるいは弁護士の質問の仕方、切り口によって、その証言のもつ意味合いが違ってくる。裁判とは「真実」の追究ではなく、「そこで何が起きたのかを想定し」その「つじつまを合わせること」の追求ともいえるようだ。

「推定無罪」「立証責任」「有罪答弁」そしてこの「われらが父たちの掟」を立て続けに読んでみたが、どれをとっても読み応えのものあるものばかり。重層な物語の構成、きめ細やかな描写力、ウイットの効いた表現を散りばめた含蓄のある文章、そのいずれもが卓越している。何辺でも読み返したくなるような面白さ。その中にあって、この作品は頭一つ抜きん出ているように思える。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-24 18:34:06 (459 ヒット)









梅雨寒という言葉があったような、なかったような。今年は梅雨に入ってから蒸し暑い日が続く。特に、ここ二三日、台風の影響もあってか、フェーン気味の生ぬるい風が吹いている。そして、バケツをひっくり返したようなゲリラ雨。その熱帯性気候につられてか、我が家のハイビスカスが一気に咲き出した。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-22 18:34:48 (471 ヒット)

苦節7か月、待った甲斐があった。去年の11月に3かけらのニンニク片を植えた時はダメでもともと、という軽い気持ちだったが、芽が出て、茎も太くなって、だんだん育っていくにつれて、欲がでてきた。はたして地中のニンニクはどんな具合なのだろうか。そんなふうに思いつつ、いつの間にか春が過ぎ梅雨になっていた。葉っぱも少し茶色くなってきたので、そろそろ掘り時と思い、今日掘り起こしてみた。まぁ、びっくり。真っ白な大ぶりの塊がしっかりと付いているではないか。思わず笑みがこぼれ出る。よく育ってくれた、さてどんな風にして食べようか。採りたてのニンニクうまいだろうな。とりあえず電子レンジで15分。醤油とカツオブシでシンプルにいこう。今日のビールは旨いぞぉ。


一かけらでこの大きさ、たまりません















投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-19 18:06:37 (701 ヒット)











今日はサンデイ・ホリデイ。たまにとれた日曜の休日。一カ月ぶりに早月尾根に出かけた。1800mを過ぎたあたりから雪を拾う。ところどころ夏道が出ているが、ほとんどは左の斜面の残雪を行く。伝蔵小屋の脇には一張りのテントがぽつねんとあった。小屋付近はまだ雪がたっぷり。2400mへの登り、左手の斜面にもべったりと付いている。この残雪にルートをとって上を目指す。2400〜2600は夏道7割、残雪3割とアイゼンを履いては非常に通りづらい。脱ぐのも面倒なのでアイゼンのまま2600mまで行く。この辺りからガスが巻いてきて行く手の視界が効かなくなった。ここから引き返すことに、一か月前が小屋までだったので、一歩前進した。
今日は日曜日とあって、普段はお目にかからないいろんな人に出会った。金沢から来たという、グラビアからそのまま飛び出してきたような山ガール。毎週来ているという、富山の65歳の男性。しかもこの方は日帰りで早月尾根を平気でやってのけるつわもの。大いに見習いたいと思うのだが、思うだけで・・・。それから登山道に土嚢を積んでくれている青年。彼のおかげで下りがうんと楽だ。噂には聞いていたが、こんなイケメンとは。半分だけ毛が生え換わって来たライチョウ君にも会えたし、獲物はなかったけれど、楽しい山登りだった。小屋まで3時間20分、2600まで1時間。あと400mが難関だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-15 21:13:56 (877 ヒット)



富山市内を車で流していたら、新鮮な光景に出合った。閑静な住宅街の一角の駐車場で、軽トラックから野菜を降ろして並べている青年君。トラックのボディにはファミマのロゴがあり、荷台にはファミリーマートの商品が積まれている。ファミマの新しい商売の展開かと思い、興味があって、青年君に根掘り葉掘り聞いてみた。商品はファミマの商品だが、移動販売をやっているのは経営コンサルティング会社だという。そして、青年君はその社員。30分くらいで一つの場所を終え、一日5か所廻るという。売り上げは、聞くのもはばかれるくらいの額だった。野菜がよく売れるという。「売り上げは少ないけど、とてもやりがいがあります」という青年君の真面目な態度と、明るい笑顔がとても印象的だった。なかなか売れないときほど買っていただいたときの感激は大きいものだ。小生は幕の内弁当、430円也、を買った。そのうち近所の奥さんもやってきて、楽しそうに買いものをしていた。こういう商売は本当に大変だと思う。別れ際、青年君に励ましの言葉を残してその場を離れた


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-15 5:19:20 (501 ヒット)





クジャクサボテンが開花した。挿し穂から三年目にしてようやくその花をみることができた。やや白みがかったピンク色は、かき氷のイチゴミルクそのもの。香りはいやらしくないほのかな甘み。月下美人ほどの強烈さはない。これで十枚ほどの挿し穂のうち、二鉢が咲いたことになる。残りも楽しみだが、花芽が全然付いていない。今年中には無理かな。

去年秋咲いたもの


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-13 18:11:37 (554 ヒット)

今年もまたユスラウメの実る季節がやってきた。去年と比べ木も一回り大きくなり、実もたわわに成っている。山菜を一通り食べ終えた今頃に実を付けてくれるこの木はとてもよい子だ。サクランボに勝るとも劣らない甘酸っぱさに酔いしれている。






投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-13 5:53:02 (359 ヒット)

読み終わって最初のページを何気なく見てから納得。
最初のページにはこの作品が法律事務所に勤務する主人公のある事件に関する報告書である旨が記されている。だが、そんな冒頭の報告書の一ページがどんな意味を持つのか深く考えるわけでもなく、さらっと流して本文に入っていった。なんのことはない、彼はこの報告書を通して彼自身の「有罪答弁」をやっていた。最後まで読み終えてようやくそれに気付くなんて。

しばらく読み進んでも事件の真相が漠として掴めない。どんな事件が起こっているのか。いったいどうことなんだ、と、次のページをめくりたくなる。そのうち事件は二転三転するのだが、それは視点の違いからそうとれるだけ。しかし、どの筋立てが本当なのかはなかなか読み取れない。読み手は気付かないまま別の違った推理に導かれてしまっている。それでいて陳腐な技巧に走るわけでもない。全部で30の章で構成されているが、その一つ一つをとっても立派な作品として読めるから不思議だ。事件を追って行きながら、実は人間を描いている。トゥローは最初の作品からこの点で一貫している。読み返しにも耐えられる推理小説といえる。というか、推理小説という枠ではくくりきれない不思議な魅力が彼の作品にはある。とにかく読ませてくれる作家だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-5 21:12:55 (895 ヒット)


余裕をかますT


フィナーレを行くK

1988/6/11、初めての錫杖の感動を今も忘れない。新緑と空の青さ、渓流の水しぶき。あの時の自分にもう一度戻りたい。いやいや、年寄りは昔の思い出をよすがに生きるのみ。そんな思いがせめぎ合う。

前回の錫杖の岩登りは2002年の6月だから、実に9年ぶり。そしてホンチャンもその時以来。今回選んだルートは、中央稜P2右岩壁左ルート。今の自分の力量を鑑み、かつ、ホンチャン再開の手始めとしては妥当なところであろう。

1P:30m 3級 リードY
北沢に残る雪渓を詰め、階段状の草付き斜面を登り切ったところにあるテラスで登攀準備。左手の浅いルンゼを少し登った所からスタート。3級よりはやや上の感触だが、久々のホンチャンのリードは緊張感でいっぱい。体も固く、喉もカラカラ。心臓もバクバク。落ちてはいけないという恐怖が先に立つ。とても登攀を楽しむどころではない。やっとかっとで30mほど登ったところにあるビレイ点に這い上がる。よく見るとその10m先にもしっかりとした支点があったのだが、まるっきり見えなかった。先を伺う余裕など全くない。

2P:45m 4級上 リードT
その10m進んだ地点からは、正面から右手にフェース、左にチョックストーンのあるチムニーが望まれる。チョックストーン直下から一旦右に出て、再びルンゼ状の右壁を行く。このあたり、ところどころ濡れていたり、壁が立っていたりして、ルート的には4級上ではないだろうか。Tは滞ることなくすいすいロープを延ばす。45m、目いっぱい上がったところがバンド状になっていて、ビレイ点がある。

3P:40m 3級 リードT
実質的登攀は下部2ピッチで終了。ビレイ点のあるバンドから上部は岩質が異なっているような感触。傾斜は緩やかでホールドやスタンスも豊富。だが、ピンやクラックもあまりなく油断は禁物。

4P:30m 2級 リードK
フィナーレを飾ってKが行く。階段状の草付き交じりから松の木を分けながら一登りする。着いたその地はさながらパラボラアンテナの焦点。前衛壁から烏帽岩、本峰の眺望が素晴らしい。しばし、達成と勝利の喜びに酔いしれる。

最終ピッチのみクライムダウンで降り、あとは懸垂下降、3ピッチ。取り付きに降り立って仲間同士固い握手。帰路お目当ての山の幸を収穫しながらてくてく歩く。大体予定通りの行動時間で登山口に到着。お互いの無事と健闘を讃えあって再びの握手。登攀時間3時間半、下降時間2時間。今日の獲物:コシ、ゼンマイ、ウド(極上)


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-3 5:46:45 (513 ヒット)



昨年の秋にばっさりと枝を切り落として、すっきりしたサザンカ。その根元に置いてあった鉢植えのテッセンがこのサザンカに取り付いた。枝がまばらのため、光が差し込み、上に上にとぐんぐん伸びる。根っこは鉢を貫通し地面にくい込んでいる。鉢の直径十センチからは想像もできないくらいの成長ぶり。ジャックと豆の木の物語を彷彿させる。五月の天候不順でなかなか蕾が開かなかったが、6月の声をきいてようやく開花し始めた。道行く人からは、「これはトケイソウ?」と度々尋ねられるのだが、そのたびに「テッセンです」とキッパリ答えている。たしかにパッと見、トケイソウに見えなくもないけれど、これは立派にテッセンです。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-6-1 20:46:16 (351 ヒット)

スコット・トゥロー、第二作目。
第一作同様、一人の女性の死から始まる。前回は同僚の弁護士、今回は弁護士の妻。前回は脇役として登場し、被告人サビッチの弁護を務め事件をうまく乗り切った弁護士スターンが今回の主人公。そして、今回もまた名脇役が登場する。

物語は二つの流れが同時進行していく。一つは突然の妻の自殺の原因と真相を探ろうとする主人公の物語。もう一つは義弟の先物市場での違法取引をめぐり、彼の弁護人として事件の真相を解明しようとする主人公の物語。読みながら、この二つのストーリーに何か関連性があるのではないかと推理するのだが、なかなかそれが読み取れない。もっとも、主人公はそんなことは頭にはないのだが。二つの物語はゆっくりと進む。右に左に曲がりながら、時には停滞しながら。しかし、終盤に来て、ついにその二つの流れが一つに結びついてしまう。

この作品で名脇役を演じたのは義弟のディクソン。読み手には端から彼が違法取引に関与しているとは思われない。ふてぶてしさを前面に出しながらも、まるっきりな悪人ではない。それどころか何か裏があって、それを表に出さず、一人矢面に立とうとしている、そんなふうに思えてしまう。実際、そんな風に描かれている。

また、ここで扱われている犯罪自体はそんなに凶悪性はなく、どこにでもあるような話。それよりも、その謎解きもさることながら、それが起点となってスターンの家族に巻き起こった悲劇の顛末という意味合いの方が強い。加えて、50代後半にして妻に先立たれた男やもめの性的葛藤もかなりの行数を割いて興味深く描かれている。つまり、作者は物事を一つの側からだけ見るのではなく、物語に様々な要素と視点を与えている。そして読者にそれらについて考えさせるのが実にうまい。加えて、誰もが抱いている心の内面を素直に途上人物に反映させている。この辺の複合的な物語の構築の仕方がトゥローの最大の魅力である。

前作でもそうだったが、この作品でもアメリカの裁判制度に興味がわいた。スターンはディクソンが起訴される前から彼の弁護人に選ばれている。犯罪を起訴するか否かを決定する「大陪審」があるからだ。スターンと相手側となる検察官や検事との複雑な駆け引きもこの作品の見どころの一つ。さらには弁護人であるスターンも大陪審での証言を巡って、弁護人を立てなければならなくなる、というからややこしい。アメリカで弁護士の数が多いのは「訴訟の国」だからとばかり思っていたが、そうではなかったようだ。その一面もあるのかもしれないが、起訴前にこういったやり取りが行われるがゆえに(州によって異なる)弁護士が必要になるのだろう。「あなたは犯罪の被告人として訴えられる可能性があるから、起訴される前にその審議を行います」ということになる。検察側で立件後、それが起訴するに値するか大陪審で審議、そして起訴後の公判となる。つまり大陪審には捜査機関としての位置付けがある。日本では起訴するべきかどうかは検察側の仕事(公訴権は行政にある)、という認識があるだけに、この大陪審制度は興味深く映る。

いろいろな面が複合されて出来上がったこの作品に対しては、コメントもなかなか一言では言い表しにくい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-5-30 18:00:21 (462 ヒット)

庭にいくつか花を植えておけば、季節ごとにいろいろ楽しめる。特に春から夏にかけてのこの時期は、次から次にいろんな花が咲いてきて、お楽しみの季節。朝夕庭に出でみると何かしらの発見がある。一番目につくのが雑草。見つけた時に取るようにしているのだが、きりがない。今の時期だとバラの蕾や葉っぱの様子が気にかかる。油断をするとアブラムシが取り付くし、葉っぱも病気になりやすい。種を蒔いてから二葉が出て、その後移植した朝顔も気になる。このところの天候不順で成長が遅い。
今朝はシャクヤクが開いて来たので摘んできた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-5-29 18:30:33 (438 ヒット)




開花直後

早すぎる梅雨前線と時ならぬ台風2号の接近で、富山の天気はぐずつき模様、というか今日に至っては荒れ模様。開花直前の我が家の花達も足踏み状態が続いている。雨が好きな花達も、日照不足では本来の勢いがない。そんな中、家に取り込んである花はいくらかマシと言える。先日花開いたデンドロもその一つ。満開までは数日かかると思っていたが、今すべての花芽が開花した。まだ幼さが残る十代の少女のような雰囲気。これまで2年以上も待った甲斐があった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-5-28 19:33:57 (729 ヒット)


攀じるM氏

先週土曜に引き続き、本年度二回目のクライミング。今日は南砺市桜ケ池にあるクライミングセンターで楽しんできた。予定では錫杖岳の岩場に行くはずだったが、梅雨空と台風接近の影響で天候がすぐれないため、この施設に場所を変更した。今日は大安とあってか、目と鼻の先にあるクアガーデンでは野外で結婚式と披露宴が行われていた。メンデルスゾーンの「結婚行進曲」が野山にこだまする。それを背中に浴びながら登るのもまたおつなもの。ドームの半分が開け放たれクライミング場は、そこがある里山と隣接する周辺施設とうまくマッチしている。

高さ15m、前傾壁のクライミングボードはなかなか手ごわい。数歩登るとすぐに手がパンパンに張ってくる。上部ではさらに傾斜がきつく、一手登るのも容易ではない。途中休み休みしながら、なんとか登りきる。そんなことを3回も繰り返していたら、しまいには指先が痙攣し固まってしまい、いうことが効かなくなってしまった。久しぶりに味わう肩から先の疲労と麻痺感。

仲間と交代しながらクライミングを楽しんだ後は、事故を想定しての救助訓練。小生は事故者になって上部でぶら下がる役。仲間の一人が助けに登ってくる。だが、安全確保や事故者搬出のための手際が悪く、要領を得ない。もたもたしているとすぐに小一時間は過ぎてしまう。そのうち、ぶら下がっている私はハーネスで締め付けられた太ももから下が痺れてくる。ハーネスが当たる背中の部分にも体重がかかり、圧迫を受け痛みが出てくる。これが訓練でなければ、迅速な措置が求められることを痛切に感じた。

山にはいろいろな要素がある。歩くこと、荷物を担ぐこと、攀じること、生活すること。それ自体とても楽しく、またそれらすべて総合しての山がある。会心の山を夢に描きながら日々の山を楽しんでいきたいと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-5-28 5:20:00 (679 ヒット)



シラー・ペルビアナという。去年あたりからいつのまにか庭に生えてきたのだが、昨年はついに花を見ず。葉っぱの形状がオーニソガラム・アラビカムに似ているので、それなら植えたことがあるので、その球根が残っていたのかなと思っていた。今年になって花芽が伸び始め、その立ち方もやはりオーニソガラムそっくり。だが、花が開いて驚いた。想像もしていなかった青い、星型の花びらが出現した。はたして、なんていう名前なのだろうか。ネットで「紫の星みたいな花」で検索。すると、「シラー・ペルビアナ」がヒットした。まさしくその花であった。散りばめた夜空の星のごとく、とても気に入っている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-5-26 6:16:44 (694 ヒット)

このデンドロ、まるで木に花という実が付いているくらいタワワに花芽が育ってきた。うちにやってきたのは2年以上も前。すでに花が終わっていたが、咲けばもうけものという程度に思っていた。翌年、株が充実してきて花の予感があったのだが、葉っぱの鑑賞だけで終わった。やっぱりそんなもんだろう。それでも艶のある緑の葉っぱはなかなか見応えがあった。そして去年の暮、花芽らしき「できもの」が茎のあちこちに付いてきた。これがまた全然大きくならない。本当に花芽なのかと、訝った。それが、五月に入ってから少しずつ育ってきて、気温の上昇とともに、中旬ごろから急速に大きくなり始めた。そして、ついに花開。眺めるたびに笑みがこぼれてしまう。美味しいものに出会ったときと似たような感覚。まだ咲き始めて5日ぐらい、満開までしばらく時間がかかりそう。それがまた楽しみの一つでもある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-5-25 18:57:13 (495 ヒット)









ようやくニンニクの茎を食べる時がやって来た。ニンニクの欠けら3つを植えてから半年、順調に育ってくれた。たった3本だが、とてもうれしい。ベーコン、玉ねぎと一緒に炒めて、朝食のおかずに。残るは地中のニンニクのみ。これも掘り起こすのが待ち遠しい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2011-5-22 19:29:39 (469 ヒット)

なかなかよく出来た推理小説。大ベストセラーになったのもうなずける。導入部から最後の謎解きまで一分の隙もない。一気に深みに落とされた後は、そのままずーっとその淵から抜け出せない。
下巻の公判部分のやり取りも見ものの一つだが、中盤にかけての主人公とその周りの役者達とが織りなすドラマに引き込まれる。そして、まさかそんなことあるのか、もしかしたらそうなのか、と案じながらページをめくっていると、やはりというか、唐突に主人公に嫌疑がかってしまう。その瞬間がクライマックス。

「推定無罪」とは「疑わしきは罰せず」の意味かと思っていたら、どうも違うようだ。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」の意味とのこと、この本に接し初めて知った。

序盤からどうも引っかかっていたのがアメリカの検事制度。それがドラマの重要な要素の一つとなっている。どうやら、検事は市民の選挙で選ばれるようだ。読み進むうちになんとなく想像はつくのだが、日本の裁判制度に固着していると違和感は否めない。それと、大きな見どころである陪審員制度による裁判。この物語によると、陪審員はその裁判の判事が選ぶことになっている。あらかじめ用意された幾人かの候補者の中から選ぶのであるが、その選び方が予想していたのとは違っていた。すなわち、くじなどで無作為に選ばれるのかと思っていたが、判事がその裁判に関する自分の予見に合致する意見を持つ陪審員を選ぶことになっている。不当な偏見を持っていることが明らかな者を除外するという意味合いがあるのかもしれないが、判事が抱いた判断に近い陪審員を選ぶことも可能。小説の中では判事と陪審員候補者との事前のやり取りが描かれ、不思議に思った。審理をコントロールするということなのかもしれないが、これが公正な裁判といえるのか。それとも、それほど判事の権限が強いということだろうか。市民の代表たる判事という位置づけは日本のそれとはずいぶん違うようだ。。


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