投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-11-8 17:45:05 (433 ヒット)

伊藤計劃がプロローグを書いて、その後を円城塔が補筆し作品として完成させている。
といっても、伊藤計劃が書いたのは冒頭の30枚程度で、作品全体からすればほんのわずかにすぎない。ただ、伊藤計劃がこの作品の構想中にどれだけ円城塔とセッションを重ねていたのか、そこのところが気になる。伊藤計劃への追悼という意味合いもあるのだろうが、彼の意志を継いで、彼の分も、と綴っていったに違いない。

小説としてはとんでもなく面白い。読んだ後も、その作品の中の世界観が大きな球のようになって、いつまでも漂っている。小説の範疇としてはSFに入るのだろうが、それよりもマジックリアリズム(もっと細かい分野でいえばスチームパンクなるものがあるらしい)が色濃い作品だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-11-6 18:13:56 (401 ヒット)

この本は息子の本棚から拝借してきた。
一押しだと息子は言うのだが、さてさて。

読み終えて本を閉じたときにはじめてこれが「ホラー文庫」の作品だと知った。
単なる推理小説のたぐいだと思って読み始めたのだが、行き先がてんで見えてこない。知的好奇心をそそる様々な科学分野のトピックの応酬にぐいぐいと引き込まれていく。そしてそれらが本筋のネタへと違和感なく収束していく。もしかしたらこれは本当に在りなの?と思ってしまうくらいリアルな印象を受ける。それほどこの作品の完成度は高い。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-11-1 18:16:12 (438 ヒット)

半沢直樹のテレビ版を見てからは初めての池井戸潤。
テレビドラマもかなりおもしろかったので、本で読んでみるといくらかその残像が残っているかと思ったが、そんなことは全然なかった。やっぱり池井戸潤は読んでおもしろい。
今回の舞台は、東京第一銀行長原支店。ここでも銀行の内側がえぐりとられている。一見、短編集のような構成だが、挿話の一つ一つに主人公があり、それぞれの人生がある。そしてそれらが有機的に見事に結びついている。バンカーの矜持と悲哀を描いてみせる、それこそが池井戸潤の真骨頂だ。それを十二分に堪能させてくれる作品となった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-10-24 17:50:04 (441 ヒット)

この本は息子の本棚から拝借してきた。
息子曰く、読み終えて手で膝を打つこと間違いなし。

まぁ、とにかく読んでみよう。
なんか「海辺のカフカ」と似たような雰囲気。村上春樹と作風が似ている。おとぎ話とミステリーの融合とでも評すべきか。組み込まれている挿話の連続体でこの作品は成り立っている。その挿話一つ一つがとても短いのだが、それはそれとして一つの物語として十分読める。そして、その挿話には仕掛けが施されていて、言わば、ミステリーの伏線として機能している。そして、読み終えたとき、その挿話がジグゾーパズルのピースとなり、一つの物語が形作られているのに気づく。

読後感としては、中の中くらいの作品だと思うのだが、そのところを息子に話したら、伊坂幸太郎は伏線を散りばめておいて、最後にそれを「回収」していくのだと言う。だから、妙な話が出てきたらそれが伏線だと思えばよい、と。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-10-22 6:09:11 (439 ヒット)

1930年に書かれたこの作品。その後映画にもなって、ハードボイルドの古典とも言われているらしい。「ハードボイルド」、その昔は「行動派ミステリ」と呼ばれていた時代もあったとか。なるほど、言い得て妙である。登場人物の設定が古典的なら、事件を追っての物語の顛末も古典的。さすがに時代を感じさせる作品だが、そのわりに残る読後感はさすがと言える。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-10-18 17:51:52 (397 ヒット)

この小説は息子の本棚から拝借してきた。

文庫本のカバー表紙には、白地に黒文字で、こう書いてあるのみ。
なんともシンプルなデザインである。

ハーモニー
伊藤計劃


(harmony/)
Project itoh



最初は作者の名前をどう読むのか、わからなかった。
息子から聞いて初めて知ったのだが。
言われてみれば「Project itoh」の意味も納得できる。
そして、作者の運命を知ったとき、その意味の深みに気付かされた。

伊藤計劃 2009年3月没、享年34歳。

SF小説に冠される名だたる賞を獲得したこの作品。SFというよりはファンタジー、ファンタジーというよりは心のうちをさらけ出した独白に近い印象を受けた。そういう意味では限りなく文学的なSF小説と言える。使われているSFの手法は先に読んだ藤井大洋の「Gene Mapper(full build)」 と似ている。現代技術の延長線上の未来技術によって世界が築かれている。想定外のSFではなく、もしかしたらそんなことも可能かもしれないと思わせるSF度。逆にいえば、あらゆる分野において現代の技術革新のスピードがすさまじく速く、SF的要素もその先に内包されても不思議ではないと簡単に思えてしまう。
加えて、現代社会を覆いつくしている「やさしさ」が全編を通して漂っている。昔のSFとはSFの質が随分変わってきたんだなぁ、と思うことしきり。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-10-7 6:06:52 (494 ヒット)

当初、雑誌に掲載されていたときの題名が「吸血鬼の精神分析」。単行本として出版される際に「吸血鬼と精神分析」と改題された。間に入る一文字によって、作品のイメージが大きく異なる。読んでいくうちに、その一字違いが大きな意味を持つことに気づく。連続する殺人事件の犯人は誰なのか、その人物が登場したとたんにピンと来るものを感じた。本の題名がオリジナルのものだったら、それが単なるひらめきではなく、すぐさま確信に至っただろう。

連続殺人という事件=事象を上下左右、裏表という様々な視点からみた推理がなされていく。その探偵役を担うのが「カケル」。連続殺人には見立てがなされており(本文中では「徴」と表現されている)。その見立てをカケルが解いていく。その分析、推理方法は京極堂を彷彿させる。だが京極堂ほどバッサリ切れ味鋭くはない。というか切り口に若干の違いがある。さらに、同じ事象に対して何度も何度も違う考察がなされていくので、わけがわからなくなる。それなら、なんでもありになってしまうだろう。そう思ってしまう。本格推理小説の大御所である著者なのだが、彼の作品にはそういう、ややくどい面があるのも否めない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-10-2 4:20:53 (471 ヒット)

この本は息子の本棚から拝借してきた。
本書は昨年電子書籍個人出版という形で世に出て、たちまちベストセラー、今年になって文庫本化された。
えらい時代が来たもんだと実感する。「電子書籍」が「リアル本」となって、そのことが再びウェブ上で語られる。かくいう小生もググってみて驚いた。自分の知らない世界がここにもまた一つあった、自分の知らないところで世の中は動いているんだと痛感した。それはモヤモヤとしてはっきりとは表現できないのだが、何か新しい事が興っていることを感じさせるのに十分であった。もし息子の本棚を覗かなければ、この本には出逢わなかったであろうし、新しい波に気付かなかったであろう。

さて、内容は。
近未来を描いたSF。しかし、「拡張現実」といい「蒸留植物」といい、想像を超えたSFの世界というより、今ある最先端のバイオテクノロジー、コンピューターテクノロジーのイノベーションにより、もしかしたらそういう世界がくるかもしれないという、手に届きそうなテクノロジーを駆使したSFといえる。
最初はそのテクノロジーの世界に入り込むのに苦労した。これが、若い世代なら、マニュアルなしでIT家電を操られるように、すんなりと小説の中に入っていけるのだろう。中盤を過ぎたあたりから、なんとなくその世界に慣れてきて、ストーリーに集中することができた。
作者は「ハイスピード・ノベル」と呼んでいるが、「電子書籍」の読者にはまったりとした文章表現が好まれない傾向にあることを意識して、きびきびとしたストーリー展開を試みたのだろう。ノンストップサスペンスを意識して、それとは違う趣でということなのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-9-29 4:31:23 (418 ヒット)

司馬遷が記した「史記」を初めて目にしたのは高校の図書室でだった。何をどう読んだのかは全く記憶にないが、図書室の大きな机に向かって、細かな字で書かれた分厚い本に挑んでいたことを覚えている。思えば中国の壮大な歴史物語に興味を抱くようになったのはこれがきっかけだったように思う。
以来、いつか再び「史記」を手に取ってみようと思いながらもなかなかそのときが巡って来なかった。その期間、実に40年。奇しくも、「大水滸伝」から始まった北方謙三の作品繋がりでようやく今読むことになった。

北方謙三の超人気シリーズ「大水滸伝」の出版社は集英社、これでおそらく集英社はかなり稼いだに違いない。出版業界の内幕なぞ知る由もないが、この白熱ぶりを他の出版社が手をこまねいてみているはずもなかろう。当然わが社にもと企画を練っていたに違いない。「大水滸伝」に匹敵するか、それ以上の集客力があると思われる中国の歴史物語といえばやはり「史記」が図抜けている(「三国志」はすでに角川春樹事務所から出されているが、過去のものとなりつつある)。そこに目をつけたのはいかにも角川春樹事務所らしい展開であったような気がする。今回は「史記」の本家著者司馬遷とともに生きた漢の第七代皇帝劉徹(武帝)を描いた「武帝記」となっているが、オリジナルの「史記」は中国の始まりからの歴史が記されており、小説の題材は無限にあるといっても過言でなない。はたして、「北方史記」が「北方大水滸伝」のようになっていくのかどうか、その点が気になるところである。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-9-14 4:43:23 (486 ヒット)

題名から「花酔い」「アダルト・デュケーション」「ダブル・ファンタジー」のような性愛描写濃厚な作品を想像したが、そうではなかった。それはそうであろう、本作品のオリジナルは数社の地方新聞で配信掲載されたものだった。まともにあれほどの濡れ場を朝刊紙に載せるのはさすがに難があろう。そこをあえてやってもらいたかった、という思いもあるのだが。
なんとなく作者の自伝的小説に思えなくもない。しかし、「放蕩記」というにはそれほど波乱万丈なストーリーというわけでもない。作家である主人公とその母との絆を描いた物語。いつのころからか母に対する違和感というか、反骨を覚え始めてきた主人公。主人公の想いを綴っているが、母と主人公の両方の視点から見られるようにも書かれている。が大人になって初めてわかる母の愛。新聞の読者には大方満足のいく出来具合であろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-9-12 5:23:30 (604 ヒット)

この小説のほとんどは、濡れ場(ちょっと古いか)と会話から成り立っている。
「花酔い」でもたまげたが、今度のはもっと刺激が強かった。

主人公の高遠ナツメは脚本家。冒頭からいきなりデリバリー君との絡み合いで始まる。そして、起承転結を絵で描いたような「承」。舞台の演出家と交わされるメールのやり取りが秀逸。ワクワクドキドキ、ぐぐっと引き込まれていく。あとはなんとなく惰性のような気もしないでもない、それくらいこのメールのやり取りはスリルがあった。
村山由佳の作品がおもしろいのは、女性が描くエロ小説という側面が強いが、それだけではないのは読んでみればすぐわかる。まず文章に気負いがない、日本語がしっかりしている、奇をてらったストーリー展開もない、会話が実に生き生きとしている、そしてその会話、物語ともに筋道が通っている。その会話、その行為にはwhyがり、doがある。しかし、このての小説は、読者の年代層によって捉え方に大きな差があるのではないだろうか。そんな気がする。もっとも、オジサン組みに入る小生には十分満足のいく作品だった。

ネット上の書評には女性からの投稿も多く、主人公の生き方を支持する内容のものがけっこうあったのは意外だった。どちらかといえば、こういう濡れ場オンリーの小説は女性にはネガティヴに受け止められると思っていたので。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-9-9 18:09:35 (452 ヒット)

息子の本棚から借りてきた。
題名から、メリル・ストリーブ主演の映画「アザーズ」を連想させる。
本作品を読み進んでいくうちに、あながちその思いは的外れではなかったような気がしてくる。死人がいつの間にか身の回りに紛れ込んでいるという設定は、映画「アザーズ」となんとなくダブってしまう。手軽に読める学園ホラーミステリー。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-9-8 20:06:25 (410 ヒット)

村上春樹翻訳の海外書は何冊か読んではいたが、彼のオリジナルとしては初めて。
第一感としては、荒唐無稽、スティーヴン・キングの作品を彷彿させた。日本で評判となり、世界的な支持を受けたという作品、という印象はまったくなかった。ストーリー的な破綻こそないものの、感動を呼ぶ作品とはとても思えない。それなのに、なぜ、それほどのベストセラーとなりえたのか。とても不思議だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-9-7 5:44:00 (459 ヒット)

先に読んだ「イラクサ」がよかったので、手にとったみたのだが・・・。
前作品ほど私の心に響くものはなかった。

自らのルーツを織り込んだ自伝的小説、というふれ込み、それはそうかもしれないが、だからどうなんだ、という印象。「事実は小説より奇なり」という例えがあるが、そんな奇想天外、波乱万丈な人生がごろごろしているわけではない。著者のルーツもやはり普通の人々の物語であった。その時代に起きたであろう極ありふれた人間模様。それを短編小説として、またそれらを連ねて、一つの作品としただけのはなし。事実を元にしているだけに、それに縛られるかっこうとなり、小説への広がり、創造性に難があるように思えた。それから比べると先に読んだ「イラクサ」の方が、単純に小説として入っていけただけに、おもしろみはあった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-9-6 4:43:15 (421 ヒット)

アリス・マンローの作品は初めて。
最初に感じたことは、短編集の中のそれぞれの作品の書き出しの唐突さ。

「何年もまえ、あちこちの支線から列車が姿を消す以前のこと、そばかすの散った広い額に赤みがかった縮れ毛の女が駅にやってきて、家具の発送についてたずねた」

「アルフリーダ、父は彼女のことをフレディーと呼んでいた。二人はいとこ同士で、隣り合った農場で育ち、それからしばらく同じ家で暮らした」

「ニナは夕方、高校のテニスコートでテニスをした。ルイスが高校教師の仕事をやめてから、ニナはこのコートをしばらくボイコットしていたのだが、あれからもう一年ばかりたち、友だちのマーガレットーーーこれもまた教師だが、お決まりで型どおりの退職だった、ルイスの場合とは違ってーーーに説得されてまた使うようになったのだ」

「ライオネルは自分の母親がどんなふうに死んだかを語った。母親はけ化粧品を求め、ライオネルが鏡を持った。『一時間はかかるわよ』と母親は言った。」

「ヴァンクーヴァーのホテルの部屋で、若いメリエルは短い白の夏用手袋をはめている」

「あたしのことそう呼ぶのは、やめたほうがいいかも」とクィーニーは言った。

「フィオーナは親元で暮らしていた。彼女とグラントの大学のある町で。その家は出窓のある多きな家で、グラントには豪華であるが散らかって見えた」

アリス・マンローは2005年のタイム誌で「世界でもっと影響力ある100人」に選ばれている、とか。「短編小説の女王」とも呼ばれるだけあって、この短編集はなかなかおもしろかった。
著者70歳にして出した短編集だが、その中の一つ一つの作品が人生のテーマを暗示させてくれて、なおかつすべての作品の完成度はかなり高い。そして、最終に収められている物語は老いというテーマを、哀しさとせつなさだけで覆うのではなく、ほんのりとした甘さが漂う作品となっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-21 5:33:32 (406 ヒット)

あとがきで、「欲望に忠実になると、人生は間違いなくしんどい。そのしんどさに耐えられる心と、生じうる結果に対して落とし前をつける覚悟のある者だけが、自らのほんとうの望みに忠実になることを許される」、と著者は書いている。
まったくだ。「しんどさに耐えられる心」はともかくとして、「生じうる結果に対して落とし前をつける覚悟」がないから、悶々とした日々を送ることになる。登山の心構えにも通じるような教訓。「一歩踏み出す勇気」が人生にも男と女の間にも必要なときがある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-20 5:18:19 (411 ヒット)

村山由佳の小説は初めてだ。パラパラとページをめくってみると、なにやらあやしげな場面が・・・。
東京の老舗呉服店と京都の葬儀屋の両夫婦との間に繰り広げられる官能的な世界。冒頭に出てくる着物に関する蘊蓄はなかなか興味深い。先に宮尾登美子の「錦」を読んでいたせいか、すんなり入って来た。
エロ小説といえばそれまでなのだが、性愛への受け取り方がやはり男性作家のそれと若干ニュアンスが異なる。なんとなく男側の立ち居振る舞いに草食系な匂を感じてしまう。
先に数冊読んだ中村文則の作品よりかははるかに印象に残る作品であるのは間違いない。やっぱり小説は読まれてなんぼ、おもしろくてなんぼ、だろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-19 5:32:51 (526 ヒット)

著者自身あとがきで「掏摸(スリ)」の姉妹作品と述べている。だが、ストーリー性、内容とも「掏摸」から比べると格段の差。「掏摸」でストーリーテラーの仲間入りをしたかに思えただけに残念。「掏摸」の資産を活かしつつ、「掏摸」以前の作風に回帰しようと試み、しかし、それが中途半端に終わっている。「掏摸」で見せたスリリングな世界はもちろんない「遮光」のような澱も漂わない。それともあえて中村文則はそういう曖昧な作り方をしてみたのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-18 5:55:03 (435 ヒット)

中村文則を読んでみたいと思ったきっかけは、彼がNHK朝のラジオ「すっぴん」のゲストとして出演していたことだった。そのとき初めて中村文則を知った。そこで取り上げられていたのが本作品の「掏摸」。水道橋博士が番組のパーソナリティーとして中村文則を評して、まだ若くして芥川賞をとって順風満帆の彼に対して、「今は何をやってもうまくいっていると思うけど、これでいいんかなと思う時がきっと来る」と年寄りの小言のように話していた。それに対して中村文則の反応は「自分はまだそんなに苦労していないから、そんな気持ちはわからない」と。
この作品は、彼の小説の中でもっともストーリー性があって、かつミステリー仕立てになっている。だが、そこに描かれているいくつかの挿話がやや唐突な感じがする。挿話自体の完成度は高いのだが、その繋がりに若干の違和感が感じられる。
その違和感を埋めるための続編があるのではないかという気もした。実際、最後はそれをうかがわせる終わり方。テーマとしての拡張性もあり、そういう意味でも続編を期待させる作品であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-17 5:00:06 (389 ヒット)

中村文則デビュー作。
自分が読んだ中では6作目、これが一番おもしろかった。デビュー作にして注目されたのもうなずける。著者得意の心理描写が秀逸。ある日、ひょんなことから銃を持つことになった青年の心の動きが実にうまく描かれている。心理面だけでなく、一つ一つの事象の描写もうまく、臨場感のある作品となっている。その後の著者のテーマの一つとなってくる「悪意」の片鱗も見うけられるが、それが主題となっているわけではない。初めて彼が世に出てきたときに、次の作品を期待したのは当然のことであったであろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-13 5:13:55 (403 ヒット)

著者十一作目。十年で十一作だから遅筆の方だろう。
この作品も存在感が薄い。一気読みできるのだが、二、三日して思い返してみても、何も覚えていない。中村文則の作品はどうも当たり外れがあるようだ。五作目にして芥川賞をとったのは、やや早すぎたのではなかろうか、そう思われてしかたがない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-10 19:28:28 (428 ヒット)

中村文則の作品は三冊目。
「土の中の子供」「悪意の手記」そしてこの「遮光」。中村文則はおそらく誰もが持っているであろう心の悪の部分をさらけ出している。しかしながらその悪は忌みする対象として描かれているのではなく、うまく表現出来ないが、その悪の部分に対して、しいては主人公への共感を生ませることに成功している。それは著者自身の物語であるかのようなオリジナルな世界で、奇をてらって作りこんだ作品とは感じさせない、天性の文学力を感じる。
「土の中の子供」「悪意の手記」「遮光」は三部作のように思え、同じ主人公が語っているような気がした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-8-9 5:39:42 (388 ヒット)

「土の中の子供」を読んで、中村文則のどこがおもしろいのか、これは何冊か読んでみなければ、と思って手に取ったのがこの作品。
作品的にはこちらの方が先に書かれている。観念的な世界はどちらも同じだが、「悪意の手記」の方がわかりやすい、というかストーリー性がいくらか加味され、取っ付きやすい。
作品は三つの「手記」からなっているが、特に最後の手記にそれがよく現れている。
全くチンプンカンプンだった「土の中の子供」よりはおもしろいと感じた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-7-23 6:17:42 (430 ヒット)

題名の通り、血の涙というものがあるのならば、この物語はまさしくそれであろう。
『大水滸伝』『楊家将』ともに、三国志や項羽と劉邦の物語のような覇権を争う英傑の物語ではなく、そこに生きる武将の目から見た国の在り方を問うている。それが『楊家将』ではきわだっていて、武門という宿命を背負った英傑の生き様が描かれている。
「楊家将」で無念の涙をのんだ「楊家」が再び宋の先鋒として遼と対峙する。たとえ「死に兵」とわかっていても、戦にしか生きる糧をみいだせない男たちの物語。それを男の美学とでもいうのだろうか。前作で楊業は無念の涙をのんだが、今回はその息子たちが血の涙を流す。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-7-20 7:55:58 (418 ヒット)

今年になって、北方謙三の『大水滸伝』を読みはじめ、「水滸伝」全19巻、「楊令伝」全15巻、そして「岳飛伝」ときて、これは第5巻目が出たばかり、そこで追いついた。「岳飛伝」が何巻まで続くのかわからないが、一旦『大水滸伝』はおあずけ。

本作品は『大水滸伝』の出発点ともいえる物語。「水滸伝」以前の遼と宋との戦が描かれている。『大水滸伝』は基本的には英傑の活躍物語だが、国の在り方にまで話を広げ、それがある意味壮大なスケールの基盤ともなっている。しかし、その一方で、どこに話の落としどころを見出すのかという、やや冗長的な物語となっているのも否めない。

その点、本作品は話が単純。英傑の生き様と戦闘場面が主題となっている。宋の武門としての「楊家」の武勇伝、対する遼の名勝耶律休哥との宿命的な戦いは読みごたえ十分。「水滸伝」で華々しく散っていった楊志の原点がそこに描かれていた。なるほどそういうことだったのか、と思わせる場面がちりばめられている。皆は「楊家将」と「水滸伝」、どっちを先に読むかは分からないが、自分のように先に「水滸伝」を読んだものにとっても興味深々の物語だった。
圧巻は壮絶な楊業の最期。くやしさ、やるせなさ、無念さで胸いっぱいになった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-7-15 16:17:04 (502 ヒット)

自分は高校まで本とはあまり縁がなかった。国語は体育とならんで苦手分野。中学生の頃に読んだ本はSFの「宇宙のスカイラーク」のみだったような。理科や算数は知る楽しみや、解く楽しみがあってそれなりに好きだった。そういう意味では英語も理科や算数の延長線上にあって嫌いではなかった。だが、国語にはそういう要素は全くなく、したがって教科書にも無反応。国語のテストの「正解」に首をかしげた。

しかし、高校からは古文や漢文が入ってきて、そちらには興味を抱いたが、現代国語にはやはりとっつきにくかった。元来へそまがりの自分は、一番苦手なものに挑戦してみようとの思いから、本を読んでみようと、手にとったのが石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」だった。どういう理由からその本を選んだのかは覚えていないが、多分題名の格好よさに引かれたのだと思う。以来、理解できぬまま、理解しようとの一心で本読みに入っていった。ただただ読んだ本の冊数だけが高校生活の証となった。それが今にまで高じている。しかし、それと、文学への理解とはまた別の問題。この作品はその自分の苦手な分野の作品なのだろうと思う。

芥川賞をとった作品だが、それほどの作品なのだろうか、と思ってしまう。
作者にとってこれが5作目の小説という。年齢もまだ若い。たしかに、無駄の一切を省いた簡潔な文章は読みやすい。短編ということもあって1時間もあれば読み終えてしまう。心の底の独白というか作者の観念は十分に伝わってくる。だが、そこに芥川賞のインパクトがあるかと問われれば、やはり疑問と言わざるを得ない。読み終えて、2、3日たって、どんな話だったかまったく覚えていない。ただ読んでいるときは、引き込まれて読んでいたことは確かなのだが。そんな印象しか残らない本だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-6-24 21:38:49 (388 ヒット)

宮尾登美子の作品は一服の清涼剤のようなものだ。

作品中によく出てくる「裂」という言葉。「きれ」なのだが、小生は子供のころから布切れのことを「きれ」と言っていたが、こういう字だとは初めて知った。なるほど、辞書には「織物の断片」とある。
龍村平蔵(作品中では菱村蔵)の年代記。といっても、彼のことを知ったのはこの本を読んでから。明治から昭和にかけて、西陣に新風を吹き込み、織物を芸術の域まで高めた人物。「龍村の帯」といえば、知る人ぞ知る帯なのだそうだ。

その帯からこの物語は始まる。宮尾登美子にしては珍しく、男が主人公。といっても、脇を固めているのやはり女。吉蔵の妻のむら、おめかけさんのふく、ともう一人、吉蔵を慕って押しかけ付き人となった仙。吉蔵の織りなす豪華絢爛の織物と同様、彼女らが縦糸にも横糸にもなり、物語に彩りを添えている。

それにしても吉蔵の「錦」にかける執念は凄まじい。それが本作品の一つのテーマとなっているのだが、そこが作者独特のやわらかな文章で綴られているものだから、今一つ迫力が伝わってこない。仕方がないと言えば、それが宮尾登美子の世界なのだから、そうなのだけれども。だが、宮尾節はやっぱりいいなぁ。心が落ち着くというか、一息つかせてくれるものがある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-6-22 16:40:20 (739 ヒット)

どうやったら数学が小説になるのか?
小難しそうな題名だが、読んでみるとおもしろい。

「無限」についての簡単なレクチャーからユークリッド幾何学の初歩をわかり易く小説の中で解説。まるでパズルを解いていくような楽しみがある。中盤からは、集合論や連続体問題も出てくるが、こっちはちんぷんかんぷん。

人が物事にどうやって確信がもてるのか。感覚的に、観念的に確信を得たと思っていても、実は無意識のうちにその事象を論理的に証明しているのかもしれない。数学的な思考と普段の生活との関わりについて再認識させられる。

主人公である大学生の数学の講義が彼の人生に指針を与える。主人公はふとしたことから、インド人数学者の祖父がかつて涜神罪に問われて拘置所に留置されていたことを知る。修正第一条との整合性をめぐる判事と祖父とのやりとり。論理的に証明できない神という存在は信じないとする祖父。自分なりの思考で得た結論をなぜ発言してはいけないのかと。神の存在が自明の公理であるかのように思ってきた判事にはその考えが理解できない。

数学的思考につて、祖父は判事にとくとくと語る。その物語が本筋の入れ子となって、本筋と見事に融けあっている。

ノンフィクションとして、サイモン・シンのように数学指南書という形をとっても、それなりの作品となったであろう。ひところ話題になった「白熱教室」を観ているような気がした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-6-21 18:23:32 (415 ヒット)

自分の選ぶ本には偏りがある。たまには息子の本棚から、と思って手にとった。
ネット上では賛否両論の書評が飛び交う。

深夜、コンビニにリンゴを買いに行ったきり、主人公の前から姿を消したガールフレンドを追ったミステリータッチの物語。いったいどこへ行ったのか、どうしていなくなったのか、事件にでも巻き込まれたのか、そういう読み手の心の内をしっかり掴んだ物語の運び。軽妙な文体は読みやすく、予定調和にも陥らず、助長的なところもない。論理的破綻もなく中心線が通っている作品だ。

話の展開が全く読めない。もしかしたら、これは「LOST」なのかな、と思わせられたことも。主人公の追跡劇とガールフレンドの失踪劇が交わるまでの物語がうまく作られている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2013-6-19 18:10:07 (433 ヒット)

手嶋龍一としては三冊目。
だんだん小説が、はまってきて、完成度は高い。先の二作品と比べると雲泥の差がある。第二次大戦のとき、ポーランドにいた外交官杉原千畝が、ユダヤ人がナチスドイツの迫害から逃れるために出した日本への渡航ビザ。そこから現代へと繋がる壮大な物語。
金沢が舞台となっているのにも親近感を抱く。それも、単に金沢の風情の表面を取り繕っているのではなく、その奥深さまでさりげなく引き出しいるのには感心した。作者の絵心もなんとなく漂ってくる。
おそらく綿密な取材をもとにした作品なのだろう。さまざまな挿話が全体に生きている。
NHKのドラマになる日も近いかも。

手嶋龍一の本
「外交敗戦」
「ウルトラダラー」


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