投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-4-13 18:00:48 (494 ヒット)

メキシコの麻薬シンジケートとパキスタンのテロリストの思惑が一致し、手を結ぶ。アメリカのタスク・フォースがそれに立ち向かう。しかし、それぞれの物語を構築しながら随所で絡ませていき、一つの物語に仕上げるのに苦労している。

いずれのテーマもこれまで作者が描いてきて得意分野のはずなのだが、しっくりと来ない。まず、主役の書き込みが安易で定格的。ジャック・ライアンシリーズでおなじみのクラーク、ジョーンズィー、シャベスといった主役も張れる脇役がいない。それらしき人物は登場するのだが印象が薄い。メキシコの麻薬シンジケートの内情も描写不足。ドン・ウインズロウの「犬の力」を読んでいればその差歴然。テロリストの悪だくみも陳腐で迫力に欠ける。

作者に期待するのは、スリルと臨場感のある大活劇と感情移入できる人物描写。そのいずれもこの作品からは見えてこなかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-4-10 18:31:36 (564 ヒット)

フィリピン、マレーシア、インドネシアに近接する島嶼国テオマバル(架空)で、内戦に巻き込まれた日本人女性3人の奮闘ぶりを描く。

背景として本文には「モスレムの多い島ではあるが、中東などとは違い、インドネシアやマレーシア同様かそれ以上に現地化した、穏健なイスラムが信仰されている。その内容はイスラム布教以前からあったヒンドゥー教や、祖霊崇拝のアニミズムと融合しているケースも多く、戒律や生活習慣は、独自のものがある。また十六世紀になって入ってきたカトリック教徒や、その他の人々とも格別摩擦も起こさず共存している」とある。

リゾートホテルの襲撃から命からがら逃れ小舟で漂流して辿りついた行き先でのサバイバル劇のくだりからは、この本の題名も手伝って、なにやらミステリーっぽく、「LOST」の雰囲気満々。はたしてこの物語は「ゴサインタン」のようなファンタジーになっていくのか、はたまた「女たちのジハード」のようなしたたかな女性の奮闘記になっていくのか、しばらくは先が見えてこない。

そのうち、内戦にイスラム過激派の武装集団も登場してきて今世の中を騒がせているISが頭をよぎる。
内戦とまたそれに翻弄される島の人々との交流を通して、3人の女性一人ひとりがそれぞれの生き方を見出していく。

題名の「コンタクト・ゾーン」とは3人が訪れた島のことで、それが彼女らにとっての自分探しの接触点だった、という意味にとった。
篠田節子は女性の弱さ、しなやかさ、したたかさ、たくましさ、を描くのがとてもうまい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-4-6 18:47:38 (423 ヒット)

今ならば「ジハード」という言葉を本の題名に使うのはちょっとはばかられるかも知れない。9.11以後、「ジハード」という言葉には神経質にならざるを得ない。

ただ、この小説において、「ジハード」には「聖戦」という意味合いなど全くなく、奮闘とか努力といった意味になるのだと思う。ただ単にゴロ合わせがいいから使われたのだろう。「女たちのジハード」、良い響きで、読む気をそそられる題名だ。これが「「女たちの奮闘」とか「「女たちの努力」という題名だったら興味がわかなかったかもしれない。

さて、物語はテンポがあって小気味いい。しかも痛快な筋立て。第一印象は「女性版半沢直樹」といったところ。バブル後のOL達の生活を軽妙なタッチで描いている。5人のOLが悩みや困難に直面しつつそれぞれのやり方で奮闘努力しながら前に向かって進んでいく。あと味すっきりとした読後感。

読み終えてから、表紙カバーになにげなく目をやると、カラフルなトマトが描かれていた。そのトマトに物語の中で登場するOLの名前「risa 、yasuko 、saori 、noriko 、midori」がラベルしてあった。表紙絵の遊び心に座布団一枚。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-3-11 19:05:15 (442 ヒット)

熊谷達也「まほろばの疾風」続きで手にとった。

梁山泊と宋軍との戦いを彷彿させる。もちろん蝦夷が梁山泊で朝廷の征東軍が宋軍。

東北の人にはそうでもないのかもしれないが、桃生、小田郡、多賀城、名取、胆沢、衣川など拠点となる地名が多数出て来て、地理的地勢的背景が分かっていないと、度々繰り広げられる戦に今一入り込めない。

梁山泊同様、朝廷軍が軟過ぎて、簡単に蝦夷の作戦にはまってしまう。蝦夷は百戦百勝。それでも朝廷は数を頼りにおろかな行為を繰り返す。蝦夷を治めたとされる坂上田村麻呂すら最後には蝦夷の雄アテルイの戦術にはまってしまう。
闘わずしていかに勝利を治めるか。それを突きつめた蝦夷側に大儀があったようだ。

年号や事象ばかり暗記するのではなく、そこに至った過程を探り考えることが歴史を学ぶことの醍醐味。中学、高校の「日本史」も、もっとそうゆことに重点を置いて授業をしてもらい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-1-19 19:08:52 (428 ヒット)

熊谷達也、4冊目。今回はなんちゃって伝奇小説。

霊峰出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)に伝わる旧盆の護摩焚きにヒントを得ている。
この作品にも触れてあるが、出羽三山神社の由来というか歴史はかなり複雑。神仏ごっちゃにした三山信仰の歴史をわかりやすくひも解きながら、それらとうまく絡み合わせたミステリーとなっている。

だが、話の筋が七合目にくるまで全然見えてこない。終盤に来てようやく物語性が出てくるが、それまでの組み立てがゆっくりすぎて、この作品はどっち傾向なのか戸惑いがち。さらにこの作者にありがちな予定調和の話の筋と締めくくり方に、またがっかり。
熊谷達也は自然描写や土俗的、民族的にかかわる表現や物語の描き方は得意で読ませるものがあるが、男女間の機微や物語性に関しては定型的な面が否めなく、全体としてちぐはぐで、作品としてのバランスに欠ける。そこのところを割り切って読んだ方がいいのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-1-7 18:30:41 (436 ヒット)

熊谷達也、三冊目。今回は短編集。だが、一遍、一遍の出来にむらがある。

東北に根っこをはやした作者の根性に敬意を表する。中でも興味を惹かれるのはマタギやオオカミ、クマをモチーフとした作品群。ハイテクスリラーや法廷劇では味わえない楽しみが熊谷達也の作品にはある。「生」あるいは「生きている」ことを実感させてくれる物語。辺境の地に根差した、人としての生きざまが描かれている。

最初に「漂泊の牙」を読んだとき。これはもしかして、というひらめきがあった。山間僻地を舞台とする物語なら、もしかして「富山の薬売り」もどこかで登場してもおかしくはない。ひらめきというよりも、ちょっとした期待感。自分が傾倒した作者なら、江戸時代から300年以上も続いている我々の商売についても共振してくれているのでないか。そう思っていた。

そして手に取ったこの短編集。富山の薬売りをモチーフとした短編が収められていた。その作品を「皆白」という。全身白毛でわれたツキノワグマ(ミナシロ)とマタギと越中売薬の物語。短編集としては上等の出来とは言えないが、わが意を得たりということで★三つとした。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-12-31 17:49:30 (473 ヒット)

熊谷達也、二冊目。先に読んだ「漂泊の牙」がおもしろかったので、熊谷達也をまとめて読んでみることにした。

蝦夷の星「アテルイ」の物語。前作ほどのインパクトはない、というよりもややがっかり感が強い。全体を通しての筋立ては悪くはない、冒頭から受ける印象は期待感十分。だが、こまかな章単位の物語に予定調和が目立つ。会話、特に男性と女性とのやりとり、に違和感がある。山の描写や物語性に比べて交わされる現代口語調の「くだけた」セリフはこの作品ではアンマッチにしか感じられない。

はじめてアテルイの物語を読んだが、他の著者の作品ではどういう話になっているのか興味がわいてきた。次は高橋克彦の「火怨」でも読んでみよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-12-27 17:25:39 (406 ヒット)

熊谷達也、初めての一冊。

もっとハードボイルド的な作品かと思っていたが、そうでもなかった。

そこにあるのは、雪、雪、雪そしてまた雪。ニホンオオカミとサンカをモチーフとしたミステリー仕立ての作品。巻末に添えられている参考文献の多さに驚く。その数々から著者のバックグラウンドがうかがい知れる。

絶滅したとされているニホンオオカミをいかに現代に引っぱり込むか、そこが本作品の興味の的。雪山で繰り広げられる追跡劇にページをめくる手が進む。ちょっと遊びが過ぎるのではと思わせられる筋立てもあるが、そこはすれすれの線でそうならずに済んでいる。

新田次郎文学賞を獲った作品だけのことはある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-12-21 19:13:51 (449 ヒット)

原題が「Limitations」、出訴期限法、日本でいえば公訴時効にあたる。

15歳の少女が同年代の学生らから集団レイプされた。しかもその模様は犯行者の手によってビデオ撮りされていた。しかし、それが提訴されたのが出訴期限の3年を過ぎた4年目。第一審では厳しい実刑判決が下されたが、出訴期限法をもとに上訴された。

犯行自体は卑劣で情状酌量の余地がないものだが、3年の時効切れをもって原判決を覆すことができるのか。そこが本作品の核となっている。主人公の上訴裁判所裁判官は原判決に一定の理解を示しながらも、本件に際しての「出訴期限法」の解釈について吟味する。はたして上訴審判決はどうなるのか。厳密にいえば3年の時効は過ぎているのは間違いない。しかも、未成年の場合の時効は1年と定められている。それすらも大幅に超えている事案。

物語を読み進みながら被告側原告側になって考えをめぐらす。法律の解釈の仕方と真実と正義との天秤が右に左に揺れながら次第に一つの方向に向かって収斂していく。あっと驚くような仕掛けやドラマがあるわけではないが、自分だったらどう考えるか、どの道を選ぶか、そんな楽しみを十二分に与えてくれる作品である。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-12-17 18:27:25 (478 ヒット)

法廷サスペンスを得意とする彼の作品には、はずれがない。これまで手にしてきたどの作品もそうだったし、本作品もその期待を裏切らなかった。

おもしろいのは、判事の汚職事件を暴きだすのに使っている手法。収賄容疑で起訴された弁護士を囮として泳がせ、それに連なる汚職判事らを一網打尽にしようとする計画。FBIを駆って大々的に仕組まれる囮捜査が見どころの一つ。

囮にされた弁護士はいわゆる「救急車追い」といわれていて「Personal Injuries」を専門に扱っている。決して世間からはいい目では見られない役柄だが、彼には彼なりの言い分があり、彼の生き方がある。捜査する側とされる側の法律家同士の物語が錯綜し、重層さを増し、物語的には単なる囮捜査をテーマとしたサスペンス一辺倒で済まない構成となっている。

FBIの機器専門家が次々と出してくる盗聴装置とその手法はチープ過ぎてホントかいなと思わされるものもあるが、囮となる主人公の役者ぶりがお見事。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-12-12 20:27:06 (405 ヒット)

昔の推理小説は単純にして明解。
犯人を突き止めるこつは犯人になりきって考えてみること。ブラウン神父は彼が解決したいくつかの事件を振り返る。彼は現場のわずかな手掛かりから犯人を特定し、動機と犯行の手口まで見破ってしまう。その手際のよさが何とも小気味いい。
探偵小説の楽しみの基本の基がつまっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-12-4 21:01:30 (416 ヒット)

いわゆる伊坂幸太郎が世に出た作品。この作品によって伊坂幸太郎は一躍注目を集めることになり、各方面から絶賛された。という評判につられてというか、そこまで人気の作品とはいかなるものか、期待を大にして手にとってみた。

しかし、期待したほどの内容ではなかったので、がっかり。まだ先に読んだ「ラッシュライフ」の方が話が単純でおもしろかった。本作品に使われている「トリック」そのものはなるほどと思わせ、登場人物の心情描写も合格ラインには達し、物語的にもうまくまとまっている。けれど、何かものたりない。それはやはりトリックの仕込みと軽さに要因があるのだと思う。それが本作品の売りということであれば、それまでの作品としか言いようがない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-11-29 20:25:32 (430 ヒット)

「回る因果は糸車」という言い回しがあるが、この作品はそれを絵に描いたような本。

複数の挿話の筋が重なりつつ進んでいくというパターンは珍しくはないが、この作品では一つ一つの挿話の始まりと結果がリンクしあうように出来ている。一つの挿話が成り立つためにはもう一つの挿話が必要で、その挿話はまた別の挿話がないと成り立たない。そうやって複数の挿話が円を描くようにしてつながっている。作品の中に出てくるエッシャーの騙し絵はその象徴だ。

まるで手品みたいな構成は読んでいて小気味よい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-11-22 18:46:41 (427 ヒット)

木曽義仲が生きた時代背景については、先に「木曽義仲」(松本利昭著)を読んでいたので、大体のことは掴めていた。なので、本作品にはすんなりと入っていくことができた。

近年、日本史研究が進み、私たちがガッコウで習っていたのと違う解釈がなされた場面にしばしば出会う。源氏についても、義仲賊軍、頼朝官軍という定説が怪しくなってきている。

本作品は概ね松本利昭氏の木曽義仲像を踏襲している。話の筋も松本氏の「木曽義仲」に沿って進められる。源氏の本流でありながら、「嫡嫡」でないための苦悩が義仲にはあったようだ。ゆえに「嫡嫡」の頼朝とは違った生き方を選ばざるを得なかった。

倶梨伽羅峠で平家に圧勝してから、京に入るところまでは勢いに乗った感がある。しかし、京に入ってから、後白河法皇と頼朝にいいようにやられ、あれよあれよという間に行き場を失っていく。何がどうなっているのか分らぬまま、気がついてみれば賊軍にされてしまっていた。そうなれば落ちていくのも早い。本当に一瞬を駆け抜けた武将だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-11-12 17:39:03 (533 ヒット)





私が商売に赴く上州下仁田町の栗山という地区には今井性が多い。というかほとんどが今井さん。この秋に訪問した時、その今井さんからおもしろい話を聴かせてもらった。今井四郎兼平という武将の墓が、この部落にあるのだそうだ。なんか聞いたことのある名前だが、聞くと、木曽義仲の腹心であったらしい。

木曽義仲といえば、今富山県の小矢部市がさかんに大河ドラマで彼を取り上げてもらおうと、市民をあげて招致運動で盛り上がっているところだ。木曽義仲で富山と上州のこの地とが結びつくとは思ってもみなかった。

木曽義仲のことは倶梨伽羅峠での合戦のことぐらいしか頭になく、これは一つ彼につてもっと知ってみようと思って手にとったのがこの一冊。

小説のような、そうでないうような。いうなれば作者の木曽義仲への想いを綴った覚書とでもいえる作品。彼が活躍した時代は、天皇と上皇と法皇、公家と武士、平家と源氏、それらが複雑に絡み合って、混沌極まりなく、武士の時代への過渡期であった。そんな中で、木曽義仲の果たした役割は非常に大きい。なのになぜ賊軍といわれなければならなかったのか。作者はそうではないのだ、彼こそが時代を変えた偉大な武将なのだ、と想いを述べている。小矢部市での木曽義仲大河ドラマ招致運動の発端となった出来事も本書に触れてある。

木曽義仲自身と彼が生きた時代背景を知る入門書としてはとてもよい本だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-10-1 6:39:55 (421 ヒット)

ルーサー・ブリセットの「Q」繋がりで手にとった一冊。
「Q」も難解だったが、この作品はもっと難解だった。
中世イタリアの僧院で起こった連続殺人事件を描いた推理小説。「Q」同様キリスト教の歴史的素地がないとついていけない。逆に言うとそちら方面に興味がある者にとっては読みごたえのある作品となるのであろう。巻末にその辺のところを補充すべく長い解説が添えられているが、それを何度も何度も読み返してみてやっと少しだけこの作品の持つ世界観に追いつくことができた。それでもそれは作品から漂う言わば「匂い」を嗅いだだけに過ぎず、はやり物語を完全にものにしたとは言い難い。
よくわからないけど有名な画家をの絵を観ているようで、退屈なクラシック音楽を聴いているような感じ。そんな楽しみ方もまた本読みにはあるのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-9-28 11:53:56 (453 ヒット)

1938年生まれのフォーサイス先生は今も精力的に新作を出し続けている。常に最先端の話題を提供し目立たなければ気がすまないようだ。
西欧世界に基盤を置くイスラム教徒が組織とは無関係に行うテロが現実に起こっている。これを『ホームグロウン・テロリズム』というのだそうだ。本作品では、ネット上の「説教者」の呼びかけにより一市民が変質してテロに及んでしまう。その「説教者」を「追跡者」が狩っていくという設定。おまけにソマリア海賊の真実も添えられていて、おもしろさてんこ盛り。
物語の中で大活躍するのが無人偵察機。これが悪者を追って縦横無尽に飛び回る。なんでもかんでも空からお見通し。これでは、いとも簡単に事件が解決してしまう。もうちょっと、はらはらどきどきの展開が欲しかった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-8-21 18:06:57 (462 ヒット)

訳者あとがきによると・・・
『小説刊行から遡って1994年、イタリアのアーティストや活動家や悪戯好きが集まり、ひとつのプロジェクトを起動させた。誰でも自由に参加できて、決まりごとはたったひとつだけ。各人が作ったものをルーサー・ブリセットの名前で発表すること。・・・やがて主旨に賛同する人々の輪は各国にひろがって参加者は百名を超え、そして当初の予定通り、五年後にプロジェクトは幕を閉じる。その締めくくりとして発表されたのがこの小説だ』

舞台はローマカトリック教会の腐敗が進んだ16世紀の欧州。宗教改革と農民戦争の渦中にあったドイツから話は始まる。宗教改革で有名なルターが冒頭に登場する。私の知っているルターは教科書で出てきた「改革者ルター」であり、通り一遍の知識しかなく、彼が宗教改革の引き金になった、ということぐらい。本作品ではそのルターを脇に置いといて、下層市民と農民の闘争と権力者と宗教者の闘いを泥臭く描かれている。

最初、時系列が行ったり来たりするので相当理解に苦しむ。だから、読み返しが何度も必要になる。そのうちそれが中盤になるとだんだん話も見えて来て、物語の行く先に興味がわいてくる。

難解といえば難解な作品。16世紀の欧州についての素地がまったく無ければ眠たくなる作品だと思う。何回も何回もうとうとしながら、やっとのことで読み終えた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-8-17 19:06:04 (425 ヒット)

富山市立図書館には蔵書がなく、購入依頼を申請していたら、それが通ったそうで、図書館から連絡が入った。

1994年に書かれ1995年に文庫化され出版されたが2013年に再文庫化。
ラノベというカテゴリーの定義はなんとなくわかるようで曖昧、びみょう。漫画をみている感覚で読みすすむ。軽いギャグがツボにはまる。「図書館戦争」的ライトSF、という言い方が一番あっていると思う。
ひょんなことから女子高生が宇宙飛行士に抜擢される。打ち上げ場所がソロモン諸島。
落語のような最後の落ちで締めくくり、シャンシャン。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-8-16 18:15:45 (461 ヒット)

かみさんとこの作品をシェアしたが、かみさんの評価はいま一つ。

写真はそれを撮った者の人生を追体験することができる。

そこにある一枚の写真は子供を写したものだったり、風景だったり、彼の家族だったりする。そこに映っているものは単なる被写体にしか過ぎないが、それを撮影した者はそこに何かを感じてシャッターを押したはず。他の誰かが後にその写真を観たとき、その者は撮影者の心境を読み取ることが出来るはず。写真にはそういう一面もあると思う。

主人公は整形外科医。そして彼の趣味は写真を撮ること。彼は整形外科医としての名声を得るばかりでなく、写真家としても独自の境地を切り開いていき相当の評価を受ける。彼の撮った子供や家族の膨大な写真。それは「記憶の保存」、まさしく本作品の題名に繋がって来る。

今でこそ胎児の出産前検診が可能だが、この物語の出発地点である1964年頃はまだそれが確立していなかった。たとえそれがあったとしてもこの小説のような悲劇は起こり得ることだろう。
急に産気づいた妻の出産に立ち会うことになった整形外科医。必死になってとりあげた子供はりっぱな男子。だが、妻のお腹の中にはもう一人。その子も無事とりあげたが、彼女は先天的障害を持って生まれてきた。そこで整形外科医は考え、迷う。結局彼は施設にその子を預けることにし、信頼のおける看護師に女児を託した。そして、妻には残念ながら女児は死産だったと告げた。

そのことが整形外科医を一生悩ませ、苦しませる。一つは施設に預けてしまったこと、そして一つはそれを妻に内緒にしてしまったこと、そしてまた娘は死んだことにしてしまったこと。すべては時間が解決してくれると整形外科医は思っていたのだろう。いつかは妻に真相を話そうと機会をうかがっていたのだろう。だが、それができぬまま時間だけが過ぎていていく。心の奥に刺さったままの小さな『トゲ』が妻との微妙な距離感を生んでしまう。夫婦というものは不思議なもので、妻は夫の『心のトゲ』をいつのまにか自分の中に内包してしまう、それが何なのか分からないうちに。そして、それが夫婦間のわだかまりへと進展していく。

一方、施設へ預けられたはずの娘は、実は頼まれた看護師が手ずから育てる決心をして、整形外科医の前から姿を消す。娘は看護師の愛情に育まれ、ダウン症というハンデがありながらも、心配された心臓の不調も現れず、すくすくと育っていく。その看護師もまた女児の写真を撮り続けていた。そして秘かにそれを整形外科医に送っていた。

物語は整形外科医の突然の死で急展開。妻と娘、娘と息子の対面と触れ合い。

メモリー・キーパーの娘はこれからどんな人生を歩んでいくのだろうか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-8-10 17:36:54 (378 ヒット)

「まかて」という名前には???と思ってしまう。なんか意味があるのかな。
第150回直木賞のこの作品はすっきっりとした時代劇だった。
歌人中島歌子の人生をその弟子が紐解いていく。

語り口が今風なら、物語の運びも今風で、とても読みやすい。やっぱり時代が作らせる作品というものがあるのだなと実感する。
水戸藩士と会津藩士の区別も知らない小生であったが、天狗党VS諸生党の物語を軸として、水戸藩の立ち位置と苦労ぶりが垣間見えた。そして、幕末の混沌としたやや男ばかりが目立つ中にあって、歌人中島歌子が水戸藩がらみで描かれている。そういうことだったのか。と、うなることしきり。

一つ心にぐさっときたのは、歌を詠うときは命がけであらねば、ということ。

君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ

萩を彩った表紙カバーが秀逸。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-8-9 16:31:12 (444 ヒット)

J.G.バラード、「スーパー・カンヌ」に続いて二冊目。こちらの方が先に出されている。

本作品も成熟社会の狂気が主題となっている。
題名からコカインが醸し出す魅惑の世界を思い浮かべるが、コカインが全面に出た物語ではない。ただ、コカインが人間を変える媚薬なら、狂気こそが成熟した社会に漂うどうしようもない狂気の世界から人間性を取り戻す処方箋と位置付けられているこの物語からすれば、社会を変える象徴としてコカインという題名はなるほど、と思わせる。

舞台はジブラルタルとコスタ・デ・ソル。いったいそこはどういう場所なのか、どこにあるのか、この作品を読んで初めて知った。どうやらそこには夢のようなリゾート社会があるらしい。

成熟社会における実験的試みが物語のキモとなっており、この作品もSF的な雰囲気が漂っている。退職者コミュニティーに暮らす悠々自適な人々。なかには50歳を前にしてその社会に入ったものもいる。何もしようとしない人々。何もしなくても暮らせる現実。閉ざされた社会で無限とも思える単調な生活の繰り返し。はたしてそこには生きている実感があるのか、そこに生きる価値があるのか。それで人間といえるのか。
無気力社会に投じられた狂気が人間の本性と本能を呼び起こす。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-8-6 18:16:32 (395 ヒット)

その題名に魅かれて手にとった一冊。
カンヌとはあの映画祭のあるフランスのカンヌ。本書はそのカンヌの先進的ビジネスパークを舞台にしたサスペンス。
全体的にはSF的なニュアンスが漂うが、それは現実離れしている話の筋立てからくるものかもしれない。成熟した社会に生きる人間にとって、狂気こそが最大の癒しになり、それが明日を生きる力の源にもなる。とある医師が起こした惨殺事件の真相を突きとめようとする青年の物語。
結末がない終わり方はいろいろな想像を掻き立てるが、自分的には主人公の青年もまたそれとは意識しないまま狂気の徹を踏んでしまった、と思われた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-7-16 21:00:36 (525 ヒット)

なんでこんな題名になったのか、分からない。

後から出された「冷血」を先に読んでしまっていたが、「冷血」に通じるテーマが「太陽を曳く馬」に組み込まれていた。「冷血」を読んだとき微妙な違和感というか唐突さを覚えたが、これで納得できた。もし「太陽を曳く馬」を先に読んでいたならば、すんなり「令血」に入っていけただろう。

青森のドンの外腹として生まれ東大を出てから漁業に就き、そして仏家になるという「晴子情歌」「新リア王」で描かれた福澤彰之の人生はかなり数奇な道を辿っているが、それは非凡であたったとしても異質なものではなかった。だがその子秋道には明らかに異質なものが感じられる。彰之が初めて息子秋道と逢ったとき、私はそこに異質なものを感じとったが、当然父である彰之もまた同様であったであろう。

その異質さの行く先に待っていた事象は起こってしまってからは最初から予見できたかのように思えてしまう。決してその予感があったわけではないのだが。その起こってしまった事象はその異質さ故のことだったとしても、その事象自体を消すことはできない。息子の異質さを感じながらも、その異質さを外側からしか観ることのできない父。それが起こってしまってからも、やはり外側から観続ける父。

そこに、高村作品常連の合田雄一郎の物語が絡んで来て、なおさら複雑な構造に。

青森三部作の三作目にして最難解な作品となった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-6-23 18:33:33 (558 ヒット)

本作品のテーマはメキシコ麻薬戦争。

メキシコの麻薬戦争は二つの側面からうかがい知れる。一つは麻薬カルテル間同士の縄張り争いであり、いま一つはメキシコ政府とアメリカ政府による麻薬カルテルの取り締まりからくる紛争である。しかも、そこにアメリカの中南米における反共支援の思惑が絡み合っているというところが、メキシコ麻薬戦争の構造をより複雑にしている。イラン・コントラ事件の真相は定かでないが、かいつまんで言うと、アメリカがイランへの武器輸出で得たお金がニカラグアの反共勢力への資金として使われた、ということらしい。メキシコ麻薬戦争にもそれと類似した側面があるようだ。遡ればベトナム戦争でアメリカが犯した悲劇にも通ずる点がある。

本作品にはその複雑なメキシコ麻薬戦争がアメリカの一捜査官を主人公として実にリアルに描かれている。カルテル間の抗争は暴力的で非情、かつ凶悪にして残虐。相手を蹴落とすためには手段を選ばない。警察や連邦捜査官との癒着は公然の事実。金を取るか鉛を取るかの選択を迫られたとき、たいていの者は金を選ぶ。そうでなければ鉛、すなわち死があるのみ。仲間の裏切りには容赦ない鉄槌、対立カルテルに嵌められた場合にはすかさず報復。いともあっさりと死人の山が築かれていく。本作品はそんな場面の連続である。

メキシコ麻薬カルテルの運用形態はメキシコトランポリンと呼ばれる。メキシコで直接麻薬を製造するではなく、中南米の国からアメリカへの流通ルートをカルテルが握り、そこでの商売のリベートがカルテルの取り分となる。つまり商売を成り立たせるようにしてやるから、その管理料をよこせというもの。いやなら取締まられても知らんぞということ。ライバルのカルテルルートを使うのなら、取締まられように仕向ける。そこでカルテル間の抗争が生まれる。完璧を期したはずの取引きなのに、なぜその現場に捜査官が待ち受けているのか?仲間からの密告なのか、ライバルカルテルの仕業なのか、鼻薬を効かせたはずの役人の裏切りなのか。メンツをつぶされたカルテルの狂乱ぶりはすさまじく、そこには当然拷問と処刑がついてまわる。

そして左翼ゲリラへのアメリカの対応。キューバを喉元に抱えているアメリカとしては、近場にこれ以上共産勢力がはびこるのは何としても阻止したい。それが麻薬カルテルといえども、反共勢力となるならばそれらと手を組む場面もあり得る。マネーの他に武器がカルテルを通して反共勢力に届くという仕組み。そこでは内戦が起こり、多くの犠牲者が生まれる。アメリカの人権侵害も見え隠れする。

日本に住む我々にとっては、メキシコ麻薬戦争は対岸の火事のようにみえる。それにしても、アメリカはなんと悩める国なのだろう。世界中の紛争を相手にしながら、国境を接するメキシコ麻薬戦争からは一時も目を離せない。手を緩めれば麻薬カルテルは勢力を広げ続け、アメリカ国内はたちまち麻薬に蹂躙されてしまう。それから比べれば、現在日本と韓国、中国との軋轢から生じている諸問題は児戯に等しいとも言える。

この本を読んでいる最中、6月21日に富山県内で実施された『薬物乱用「ダメ。ゼッタイ。」普及運動』に参加することになった。偶然とはいえ、その符号の一致に驚くばかり。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-6-19 18:42:27 (491 ヒット)

上下併せて1450ページにも及ぶ大長編。
だが、その長さは少しも感じさせない。読んでいて、面白くて、楽しくて、終わりに近づくころには、なんともこの作品から離れがたく、もっともっとこの物語に浸っていたいという気分にさせられた。

題名から、最近読んだ「図書館戦争」と私の好きな魔女物(「魔女の刻」アン・ライス著)とダブらせて手にとった一冊。「魔女の刻」は妖艶でミステリアスな現代風の魔女の物語であったが、この作品は「魔女」という言葉から連想される魔術的な意味合いとは全く無縁の物語である。

一読みしてファンタジーを予見させるが、実はこの作品はファンタジーの名を借りた本格文学作品だ。仮想の国の「図書館の魔女」を主人公として、三国志やローマ帝国の興亡のような隣国間の権謀術数がくりひろげられる。だが、図書館の魔女が武器とするのは「言葉」。そしてその言葉こそがこの作品のテーマともなっている。漢文的で古語的な言葉と文章使いと現代風な口語調の言い回しが、簡潔でよどみない文章と併さって、妙な心地良さを覚える。物語の筋立て自体も並はずれたものがあるが、言葉と文章の力がまさしく魔術的な力をもって読み手を釘づけにしてしまう。

大ベストセラーの予感とともに社会現象になる可能性をも秘めている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-6-13 18:17:47 (433 ヒット)

先に読んだ「晴子情歌」が母と子の心の通い合いならば「新リア王」は父と子の対話。

青森についてよくわかってない。私との関係といえば、学生時代に八甲田山にスキーに行ったこと、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」を読んだこと、我らが売薬仲間に青森に行っている者がいること、お得意さんで青森出身の方がおられること、原子力船「むつ」の母港であったこと、核燃料再処理施設があるらしいこと、私の好きな高橋竹山がいたこと、地吹雪ツアーがあること、シジミの産地であること、大間のマグロが有名なこと、白神山地があること、リンゴの産地であること、おいしいニンニクがとれこと・・・。ざっと思いつくのはこんな具合。

そんな青森のことを再認識させてくれた一冊。
青森にもドンと言われた権力者がいたことを知ったことも一つの驚き。

1970年頃から1980年前後の日本の政治がどんな状況でどう蠢いていたかがよくわかる。政治家の考えと仕事の「いろは」、永田町の思惑、国政と地方自治のダイナミズム。当時の政局も実名を挙げて「解説」してくれている。1980年前後といえば、自分は世に出たばっかりで、自分のことだけを考えるのが精いっぱいのとき。他方、都会との差を埋めようと必死だった青森がそこにあった。いや、青森だけではなく日本中がそんなことで湧いていたのだろう。ただ、当時の自分には目に入ってこなかっただけのことで、言われてみれば幸せな奴だったのかもしれない。

青森の一政治家の目を通して語られる今のTPPにも繋がる農業問題と3.11後に急に進路を変え始めた当時の原子力行政。それは原子力発電所、核燃料再処理施設の誘致とそれに伴う漁業権の保障であり、新幹線を引っぱってくることであり、米農家への支援策である。しかし、主人公である青森のドンはそれらを単なる地方への利益誘導としてみていたわけではなく、それらが本当に青森県民の為になるのか、しいては日本の国の為になることなのか、ということを常に考えながらやってきた。そうやって築き上げてきた40年の長きに渡る政治家人生の邂逅でもある。

当時から原子力の脆弱性は当時から専門家だけではなく政治的にも認識されていたことが垣間見える。それにもかかわらず、電源三法を金科玉条として、日本中の至る所で誘致合戦が繰り広げられた。それがもたらした結末を今になれば誰でも知っているが、2005年に高村薫がそれを本作品を通して伝えていたことは驚くばかり。

今は仏家となった息子に自分の半生を語り聞かせ、息子はその時々に於いて己の居た境遇と重ね合わせまた自分の歩いてきた道の断片を父に語る。「晴子情歌」で母が子に綴らねばならないことがあったのは母親としての子に対する情からである。本作品で父が子に語ったことは政治がらみの事ばかりであるが、40年間政治一筋に生きてきた男にとって他に何が息子に語れよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-6-5 18:32:04 (393 ヒット)

近未来のイスタンブルを舞台にした物語。
大変読みづらく、なかなか話が見えてこないのは、いっぱい出てくるトルコ人の名前になじめないのと、トルコの風習とイスタンブルの歴史が全くわかってないからだと思う。

冒頭からのSF的な入り方には先を期待させる予兆があったのだが、物語の核をなすいくつかの挿話を繋いで取り囲んでいる「イスタンブル」の物語が壮大で、混沌としすぎていて、なかなかその世界に入りこめなかった。頭で理解しようとしているからだと思うが、邦訳ものとしては文章を楽しむということも難しく、話の筋だけが生命線なのに、それについていけないとなると、やっぱりおもしろくない。

ボリュームも相当あり、何度も何度もウトウトしながら、なんとか読み終えたというのが本当のところ。
ただ、イスタンブルが持つざわざわとした混沌と鼓動は感じ取れたと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-5-26 18:52:12 (341 ヒット)

最後の最後に来て、題名の意味が腑に落ちた。

起承転結という言葉があるが、「転」の部分の変化が劇的でかつそこから物語が一気に加速する。
それまでは穏やかな、というかつばぜり合いのような物語の運びに思われ、ややじれったさも感じられる。

だが、その散漫とした物語の中に事件解決のための様々な布石が散りばめられていた。それとは気付かせないところが貴志祐介のすごいところ。さらりと描かれている「起」と「承」に騙されてはいけない。はっきり言って、自分はこの部分は眼中になかった。
“布石を回収していく”その見事さはさすがだ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2014-5-23 20:20:31 (481 ヒット)

原題が「XO」

美人で歌唱力もある当代きってのミュージシャンから届いたファンレターへの返事の末尾に「XO」と記されていたなら、それを受け取った熱狂的なファンは舞い上がってしまうだろう。もしかしたらそのファンはとんでもないことをしでかすかも知れない。それがこの作品のモチーフとなっている。

邦題を原題と同じく「XO」とするかどうか、出版社はおそらく悩んだに違いない。「XO」としても、消費者へのインパクトは十分であり、それなりの部数はさばけたと思う。それをあえて「シャドウ・ストーカー」としたのには、それなりの勝算があったからなのだろう。

それにしても「シャドウ・ストーカー」という題名はこの作品の中身をうまく言い表していると思う。「シャドウ・ストーカー」という言葉から連想する不気味でもやもやとしたガスみたいな事件を、ちゃんとした物語として世に出した、という感じがして、この邦題はこの作品にはドンピシャだと言える。

キャサリン・ダンスの事件だが、大御所リンカーン・ライムも登場し、ファンサービスも怠りない。


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