投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-2-20 17:52:26 (405 ヒット)

キロ・クラス潜水艦を描いた小説の第二作目。
前作「ニミッツクラス」で登場したキロ・クラス潜水艦を巡って、アメリカと中国が対峙する。
中国がキロ・クラスをロシアから購入し太平洋に配備する。それを脅威と感じたアメリカが新たなキロ・クラス配備前に破壊するという、やや強引な筋立て。なんで配備しただけの潜水艦を破壊するのか、ましてや運搬途中や、製造途中のものを闇に葬り去るという設定がどうにも納得できない。キロ・クラスを仕入れただけの中国は何も悪いことをしていない、そんな設定が唐突に思えるのは私だけではないようだ。事実、あとがきに、本作品の作者にアドバイスをしたというアメリカのジョン・ウッドワード提督は以下のように述べている。『本書でくりひろげられる事件は、はじめのうちは受け入れがたいかもしれない。七隻の潜水艦の納入を防ぐために、アメリカがロシアや中国に対してこのような行動をとることがありえるだろうか、という点がである』『浅く考えるなら、無鉄砲な過剰反応に見えるかもしれない。だが、熟慮すれば、さほど乱暴なことではなく、論理的であるとわかるはずである』

いくらなんでも、潜水艦を配備しただけでアメリカ善、中国悪、というこのシナリオは強引すぎるだろう。彼の国が準備中のロケットをそれが論理的だからといって脅威とみなし、アメリカが破壊することがあるだろうか。そんな行為にも等しい前提だから、かなりひっかかるものがある。

だが、その思いを途中で断ち切って、軍事ミステリーとして読むには快適な作品だと思う。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2016-2-19 18:12:37 (437 ヒット)

アメリカの原子力空母がそれを囲む戦闘群の中にあって、いともたやすく潜水艦の魚雷によって撃沈されてしまう。そんな衝撃的な冒頭から物語は始まる。

空母戦闘群は航空母艦に加えて、それを援護する潜水艦や駆逐艦、哨戒機などから構成される。その完璧な戦闘群の弱点を一隻の潜水艦がついてくるということは想定外だった。ましてアメリカの空母戦闘群といえば、世界最強にして、他国のそれをはるかにしのぎ、追随を許さない。空母がそこにあるだけで対象国ににらみをきかせることができる。そこにキロ級潜水艦一隻で挑むとは敵ながらあっぱれというもの。

もしかしたら、いや万が一にもありえないと思うのだが、もしそれが現実になったらと思うとぞっとする。空母を撃沈した敵国潜水艦の正体をつきとめるまでがなかなか読みごたえがある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-12 17:37:36 (428 ヒット)

この作品で福井晴敏は池井戸潤とともに同じ年に江戸川乱歩賞をとっている。

この小説には、符号、記号、鍵となる言葉がしばしば出て来る。果てはブックカバーのイラスト。読み終えるまで、それがなんであるか気にも留めていなかったが、読み終えてから本を閉じた瞬間に作品内の符号との一致に気付かされ、一本取られた気分になった。

米国の傘の下にある我が国の防衛構想が抱える矛盾とジレンマを背景にしたテロの物語。この作品が書かれたのが1994年、あまたある符号の中には、そのときに読んだ際には気付きもしかったが、今読み返してみると、はっきりと浮き上がってくるものもある。それを予見したというかモチーフとした本作品は20年前も今も少しも色あせることがない。それは、その年月の間日本の防衛構想は少しも進歩しておらず、矛盾を抱えたままであることを意味する。たとえば、「辺野古」が一つのキーワードとして描かれているが、今これを読んでいる時点で、現実の「辺野古問題」は重大な局面を迎えつつある。

最初に読んだときの内容はすっかり忘れてしまっていて、まさかこんな内容の本だったとは思ってもいなかった。安倍政権において安保法案が可決され、辺野古問題が耳目を集める中で、今この本を再び手にした奇妙な符号一致にまた驚かされたのであった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-12-6 17:57:14 (473 ヒット)

満州のことを知るなら、清のことを知れ、清を知りたければ、中国の歴史を知れ。

かみさんはこの題名を「ナカハラノニジ」とのたまった。
ユン・チュアンの「西太后秘録」を読んでから、昔読んだことのあった「蒼穹の昴」「珍姫の井戸」を再読し、そして待望の本作品。

文句なく面白い。先ずは読んでみるに限る。
清国の滅亡とともに中国五千年の永きに渡って続いてきた王朝支配の末期を浅田節にのせて綴っている。主人公は張作霖と袁世凱。もちろん脇役も固い。

うまくできているのは、清の礎となった女真族が長城を越えて征服王朝となり明王朝にとって代わる物語が清王朝終焉の物語と重ね合わせて描かれている点である。清国を築き上げたアイシンギャロの勇士たちの苦悩と清国の最期を間際にして列強から食い物にされまいと必死の抵抗を試みる人々の心の内がうまい塩梅で描かれている。そして、やや唐突にさえ思え、独立独歩の道を歩む馬賊の張作霖が文字通り暴れ馬のように物語の中を縦横無尽に駆け巡る。

自分がほとんど知らなかった清王朝の勃興と中国王朝の最期はこんなであったかと、私の中の中国の歴史認識が上書きされた一冊であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-11-25 18:23:11 (392 ヒット)

これまでは真山仁の比較的新しい作品群を読んできた。ここにきて、ようやく彼がブレイクするきっかけとなったテレビドラマの元となった本作品を手にした。あれだけ世間を騒がせた作品とはどんなものなのか、さて・・・。

プロットの仕込みや物語の展開は申し分なく、すぐれたエンターテイメント作品と言える。だが、それ以上のものではなく、心に染みいる余情に欠ける。それはこれまで手にしてきた作者の作品すべてに共通する点だ。また、最後の詰めも甘い。鷲津の亡父が知り得た謀略が終盤になって明らかにされるのだが、そこのところの説明が不親切とうかおざなりというか、手抜きという感じがした。
同じ金融をモチーフとした作品を描いた池井戸潤とはやや趣が異なる。当然といえば当然のことなのだが、自分としては池井戸の作風に魅かれるものがある。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-11-14 18:26:19 (465 ヒット)

再読。「蒼穹の昴」の続編というよりはスピンオフ的な作品。珍妃は、清朝の皇帝光緒帝の妃の一人。義和団の乱の最中、紫禁城内の井戸の中で死んでいるのが発見された。その事件が列強の間で大問題とされ、真相を突き止めるべく調査団が結成される。妃とは正室ではなく側室のことで、側室が殺されたことがなぜ列強にとってそんなに驚くべき事件なのか、まずそのことに躓いてしまった。それでも物語は進んでいく。時代の立役者たちが証人として登場するが、一つとして同じ話はない。はたして、真相はどうなのか。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-11-2 17:36:46 (482 ヒット)

再読。ユン・チアンの「西太后秘録」を読んでいて、数年前に読んだ浅田次郎の「蒼穹の昴」を思い出した。

いつか読む機会があるだろうと思って捨てられずにとってあった本の中の一つ。こんな巡り合わせでもなければ、もしかしたら永遠に読むこともなく、他の本同様、本棚に葬り去られてしまっていたかもしれない。

中国最期の王朝となった大清国を舞台にした物語。世界中で起こった歴史のダイナミズムは中国にも影を落とし始める。歴史というか時の流れの持つエネルギーにはたびたび驚かされる。その目に見えないエネルギーは、日本では様々な摩擦を生させながらも明治維新へと導いていく。一方、中国にあっては、アヘン戦争に始まる列強による干渉がじわじわと国をむしばみ始めて来て、長く続いた王朝による統治も終焉を迎えようとしていた。そんな避けようのない流れの中で、洋務運動から立憲君主制の擁立を模索し清王朝は延命を図ろうとする。そこに時代のエネルギーすべてを呑みこんだ西太后があって、彼女を軸とした内紛が物語の横軸となる。

そして物語の縦軸をなすのは、二人の幼馴染の男子の成長と彼らの運命の綾。片や、貧民の子として生まれながらも宦官となって西太后に引き立てられ少しずつ階段を上がっていき、仕舞には宦官として最高の位に上がる。片や、郷士の子として生まれ、科挙を主席で突破し、順調に官僚の階級を昇りつめる。

本作品は、この縦軸と横軸を見事に交差させて、スケールの大きなエンターテイメントに仕上がっている。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-10-27 18:10:58 (449 ヒット)

スウェーデンの作家の作品はステーグ・ラーソンの「ミレニアム」以来。「ミレニアム」は至極のミステリーだった。それ故に、彼の次の作品を読んでみたかったのだが、ステーグ・ラーソンは「ミレニアム」執筆中に帰らぬ人となってしまった。

一方、この小説ははちゃめちゃコメディ。久しぶりにこんな作品に出逢った。浅田次郎の「きんぴか」以来かもしれない。ちょっとだけマジックリアリティの匂いがしないでもないが、全編、ユーモアと風刺にあふれ、一ページに一回以上は必ず笑わせてくれる。

1961年、南アフリカ生まれの少女、ノンベコが主人公。ちょっとお堅い題名だが、中身は「ノンベコと愉快な仲間たち」といったほうがふさわしい。スラムに育った少女に災難が次々と降りかかってくる。それもおバカな脇役たちが運んでくるのだが。ノンベコはその災難をさらりと福に転じて乗り越えていく。その小気味よさたるや、痛快そのもの。

作者はコメディに仕上げているが、扱っているテーマは人種差別問題、核兵器、君主政、ファシズム、共和制、共産主義と多岐にわたる。それらを「ノンベコと愉快な仲間たち」が繰り広げるドタバタ劇で表現している。

物語が始まってすぐ、学校にろくに通っていないノンベコが計算をやってのける場面が出てくる。95掛ける92を問う問題だ、これをノンベコが次のように計算する。この解の導き方がさっぱり分からなかった。

「95は100から5、92は100から8を引いた数でしょ。5と8を足して100から引くと87でしょ。そして5かける8は40でしょ。87と40で8740よ」


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-10-13 17:29:05 (481 ヒット)

トム・クランシーは2013年10月1に亡くなった。享年66歳。
本作品は彼の遺作となってしまった。

「レッド・オクトーバーを追え」が世に出たのが1984年。以来、実に30年の長きに渡って私はジャック・ライアンを追い続けてきた。それもこれで終わりとなった。30年といえば私の半生に匹敵する。デビュー作からこれほど長く付き合って来た作家はトム・クランシーただ一人である。

初期の頃、まだ冷戦時代を舞台にした作品群は本当におもしろかった。ほとんどは2度読んだ。ライアンと仲間たちが好きだった。マルコ・ラミウス、クラーク、シャベス、ジョオーンズイー、マリオン・ディグス、グリーア、メアリ・パット、エド・フォーリ、アーサー・ムーア、ダン・マリー、ロビー・ジャクソン、スコット・アドラー、アーノルド・ヴァン・ダム、アンドリア・プライス、マンキューソ、セルゲイ・ゴロフコ、サー・バージル・チャールストン、チャールズ英国皇太子、みんないい奴らばかりだった。もう一回、三度目を読んであのときの興奮に浸りたい。

さて、本作品。題名通りに米露が正面からぶつかり合うわけではない。ソ連のクリミア侵攻に危惧を抱いたアメリカがちょっかいを出す、というくらいの物語。それにしても、この小説が書かれたのが2013年、実際にソ連がクリミアに侵攻したのがその翌年の3月。いやはやトム・クランシーの慧眼には恐れ入る。その背景にいかなるものがあったのか、テレビニュースの解説員が説いてみせていたが、どれも素人の自分でさえ考えつく薄っぺらで底の浅いものばかり。しかし、この小説にはそれらよりもっと深く、面白みのある物語が描かれている。フィクションであってもトム・クランシーが語ればいかにもそれらしい話になる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-9-30 18:42:45 (429 ヒット)

小説を読んでいて、登場人物の動きや顔の表情をどのくらい具体的に頭の中で描いているだろうか。動きは文章中の描写からかなり映像化していると思うが、泣いているとき、笑っているとき、怒っているとき、顔の具体的な表情、たとえば眉の動き、顔の色、口の動きはどのくらい頭の中で映像化しているだろうか、ほとんどあいまいだと思う。また、登場人物の背格好、顔の作りの隅々はどうだろうか、これもある程度のイメージらしきものはあるが、詳細となるとかなりあいまい。

というようなことがこの本には書かれている。挿絵も豊富で、本の内容を想像するのを補佐してくれる。ある意味、実験的なおもしろい本だ。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-9-5 20:49:00 (421 ヒット)

「九戸政実」と言われても知っている人はそう多くはいないと思う。「南部氏」も同様。この小説に出逢うまで、存在はもちろん名前さえ聞いたことがなかった。もしかしたら、東北の地にあってはアテルイ同様伝説的な人物なのかもしれないが。

アテルイから安倍貞任、藤原清経そして平泉王国まで、延々と東北の地に根付いてきた中央、朝廷への意地。平泉は無念の幕を閉じたが、その火は南部の地に受け継がれていた。そして豊臣秀吉の時代になって、九戸政実を擁して再び燃え上がることになる。

向かうもの敵なしの九戸政実。東北の地にも秀吉の影がちらつき始めてきた。南部家は時代の趨勢に従って秀吉側につくことを決める。しかし、九戸政実は東北の意地を貫き通し、一族も敵に回して秀吉との対決を決意する。

その壮絶な最期はもちろん感動ものだが、物語全体を通して描かれる九戸政実の生き様に胸のすく思い。ただ戦上手なだけではなく、人物の大きさと懐の深さはまさしくヒーローここにありといった感がある。東北の地の雄になるだけならそれも叶ったであろう。しかし、時代はそれを許さなかった。

安倍貞任らが目指した陸奥独自の国造りのため朝廷と文字通り距離を置いていたように、九戸政実も東北の地への秀吉の干渉を由としなかった。

ここしばらく一連の東北作品を読んでみて、地方分権、道州制の呼び声は何も今に始まったことではなく、平安時代からずーっと根付く地方に見られる一つの構図だったことに気付かされた。

それは中央から見下ろした地方、という考えが一方にあって、それに抗する意地ともいえる。今大阪で気炎を上げている橋下氏の思いもそれに似たものかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-31 17:47:51 (442 ヒット)

作者のデータ・マイニングをテーマとした作品が出されてから、まだいくらも経っていない。つねに旬なテーマで挑戦しなければ読者はついてこない。そんなあわただしい世の中になった。

今回のテーマは「ドローン」。今やハッキングとドローンとデータ・マイニングはテロリストと推理小説家にとっては必需品になった観がある。しかし、ただドローンや無人攻撃機を登場させただけでは目の肥えた読者は満足しないだろう。

今回の作品はその辺に苦労した跡が見うけられる。布石したいくつものプロットがあとから生きて来るように仕組まれている。データ・マイニングがこの手の小説では当たり前のこととなった今では、本作品においては空気を吸うがごとく捜査の基本中の基として扱われている。作者のデータ・マイニングをテーマとした作品を手にしたときは、これはすごいことになっている、と目から鱗の衝撃だったが、今では作品の中でさらりと描かれている。

確かに推理小説としてはよく出来ている。旬なテーマ探しもいいが、もう少し人間に趣をおいたずしりと重い作品を読んでみたい。作者の初期の頃の作品にはそれがあったような気がする。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-18 6:06:49 (390 ヒット)

ユン・チアン、三冊目。

歴史の真相はその渦中またはその直後よりしばし時間を置いた方がほうがより明らかになるようだ。あたりまえか。

「ワイルド・スワン」「マオ」では目からうろこの話ばかり。自分の知らなかった中国を描いていてとても面白かった。だが、この作品は期待外れに終わったようだ。題名にあるようにこれまでは表になっていない裏話を中心に構成されている。訳し方のせいもあるのかもしれないが、なんか学術書を読んでいるかのような硬いイメージ。裏話とくれば興味津津のはずなのだが、ふーん、そうなのか、だからどうした、で終わってしまう。前二作は作者自身にまつわる話を盛り込んでおり、迫力と説得力があったが、この作品ではそれが感じられなかった。膨大な資料から抽出した秘録のわりには上滑りの感が否めない。

浅田次郎の「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」をもう一度読んでみたい気になった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-17 6:31:36 (453 ヒット)

平泉についての参考図書第四弾。

平安から中世にかけて武士が台頭してきた必然と、その中心となった源平の争乱を中心にして解説している。将門から頼朝まで、この時代はまさに戦天国。なんでこう戦ばかりの時代だったのかと思うことしきり。将門の時代までは一人の豪の者がいればそこに郎党が集まり戦に勝って地方の勇となりえた。だが、将門のときもそうであるが、ただ武力を頼りにした戦いでは限界が見え始めてきたのもこの頃から。清盛によってそれは一つの頂点を迎え、頼朝もまた奥州合戦を経て新境地に至る。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-16 6:30:26 (386 ヒット)

東北陸奥関係の小説がらみで手に取った。
平将門、名前は知っていてもどんな人物だったのかてんで覚えがない。
そんな将門と彼の生きた時代背景をざくっと知るには手ごろな一冊かもしれない。ただ、セリフ回しが口語調しかもタメ口が多いのにちょっと違和感を覚えた。登場人物が多すぎるせいか、人物の書き込みが薄いのは否めない。なんとなく落ち着きのない文章使いも気になった。
中世に入ると小説の挿話としてはどうしても平氏と源氏の存在がはずせない。武士の時代の黎明期、京から離れた関東でも歴史的な抗争が繰り広げられていたことを今初めて知った。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-14 6:13:16 (365 ヒット)

鷲津がリーマンショックのその時、その場所にいたらどんな手に打って出たか。そんな設定の物語。

アメリカの投資銀行と老舗超優良企業を股にかけたマネーゲームに鷲津が参戦。アメリカの投資業会の神とも呼ばれる人物との駆け引きが見もの。保身のためなら政府も操り自国民をも犠牲にする守銭奴に牙をむき、アメリカを買いたたく。鷲津の痛快な一手一手が極上のエンターテイメントを生む。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-12 18:25:50 (433 ヒット)

平泉についての参考図書第三弾。

平泉の全貌が明らかになったのはごく最近のことらしい。中学生のとき、社会科の授業で習ったかと記憶するのだが、そのときはまだ詳しくは分かっていなかったことになる。新幹線や高速道路建設のための現地調査で埋蔵物が発掘され、また新しい文献の出現で日本の歴史は再定義される場面がしばしばあるが、平泉もまたその例外でなかったようだ。

本書は近年各所で発掘された埋蔵物を重要な考察材料の一つとし、平泉と周辺文化を再構築して、最新の平泉の見方を示している。それまで想定されていた以上に平泉文化は奥が深いことが明らかになった。その勢力は津軽や北海道にまで及び、湊を擁して海外との取引を行い、仏教への深い思いを示した仏閣の建造と街づくりの姿が見て取れる。それは西の京とは一線を画した東北の一大文化圏ともいえる。

安倍貞任と藤原経清の代から累々と受け継がれていく蝦夷魂の系譜も本書を読めば一目了然。朝廷の内紛劇も微妙に東北の地に影響を及ぼすが、平泉はうまく乗り切り独自路線を歩んでいく。しかし、平氏と源氏の織りなす国家の仕組みの大転換という大波には逆らうことはできなかった。いやがうえにでもそれに巻き込まれ、本当に一瞬にして王国は崩れ去ってしまった。あれだけ強大で盤石な国家だと思われたのに、あっという間の没落。歴史の流れの持つエネルギーはすさまじい。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-8-9 18:57:40 (445 ヒット)

平泉についての参考図書第二弾。

平泉と琉球をアジア的スケールで捉えている。中央(京都)からみれば、双方とも辺境の地というイメージが先に立つが、大陸との貿易を営んでいたという観点からみれば、双方とも単なる日本の一地域という枠組を超えた一国家と位置付けることが出来る。同時期に宋は琉球、平泉と交易を行っており、架空とはいえ、「水滸伝の梁山泊」と日本との関わりも真実味を帯びてくる。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-7-27 16:56:39 (452 ヒット)

東北を舞台とした歴史小説を何冊か手にしてみると、少しはその時代背景も知ってみたくなって、本書を手に取った。本書は日本の中世を様々な角度から紐解く全12巻からなる研究図書の第一巻目。膨大な量の文献と最新の発掘調査から推考された「中世のかたち」は目からうろこが出るものばかり。玄人向けの研究書ではなく、一般人向けに分かりやすく書かれた解説本。にわか歴史愛好家には、蘊蓄のバックボーンが確立されたような気になった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-7-24 17:24:44 (462 ヒット)

はじめての志水辰夫。志水辰夫が北方健三、船戸与一らと同時代にデビューした作家ということをこの作品を読み終えてから知った。1980年代を飾った本格冒険作家の一人だったらしい。

ネット上の評価はかなり厳しいものが目立つ。だが、自分的にはなかなかおもしろかった。
読み始めてすぐ、はて?と思わされる。この物語はいったいどこへ連れて行ってくれるのか。ページをめくるごとに自分の予想は外れまくる。息を呑むのも忘れるくらいめまぐるしく動く展開に引き込まれ、気が付いてみると、最初に想像していたものとは全く違う物語に進展していた。中盤以降も目が離せず、一気読み。本読みの醍醐味を堪能させてくれた作品だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-7-18 18:26:07 (481 ヒット)

野尻抱介、二冊目は「大学読書人大賞 2013」に輝く本作品。
近頃の大学生に支持される、ウケル、作品とはどんなのだろうか、興味がわく。テンポが速く、軽いノリは先に読んだ「女子高生リフトオフ」と同様。荒唐無稽な筋立てだが、SFっぽさは一応クリアしている。

「ピアピア動画」はもちろんニコニコ動画のパクリ。ニコニコ動画のへヴィーユーザーでもある作者が、ニコニコ動画への賛辞も含めて書き上げたライトSF小説。ネット社会をごちゃごちゃした蘊蓄を並べたてて語るのではなく、魅力的なことの本質を捉えて、それをうまくSF小説に仕上げている。

ソフトフェアのオープン・ソース化は研究開発のテンポを飛躍的に向上させた革新的な手法で、ネット社会の恩恵を十二分に受けた分野の一つ。加えて、本作品ではオープン・ソース・ハードウエアも登場する。言われてみれば、自分が知らなかっただけのことなのかもしれないが、それもまるきし現実味がないわけではない。工作機械とは無縁の世界に生きている自分だが、ネットを使ったこういう手法は、自分の商売にも何かしら可能性があるのではないかと思わされた。

ピアピア動画から得られる資産を駆使して次から次へと嘘のように物語が展開していく様はまるでゲームの中を垣間見ているよう。そんなところも今の学生に支持される由縁なのかもしれない。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-7-8 16:47:03 (472 ヒット)

時の総理大臣、安倍晋三のルーツは東北の安倍氏だという説がある。中世の初期、安倍氏は陸奥に強大な勢力と堅固な基盤を持つ一族であった。安倍時頼のとき朝廷との戦となり、前九年の役で源氏に敗れた。しかし、一族は全滅を免れ、安倍時頼の子、安倍宗任は伊予に配流となる。その係累が今の安倍氏へと続いている、らしい。安倍時頼が目指したのは楽土、すべては民のための国造り。そんなルーツを祖先に持つ安倍晋三氏が、総理大臣の任に就いたのもさもありなんと思われる。しかし、「蝦夷の戦は守るが掟」とされていたにもかかわらず、今、首相がやろうとしている安保法案はどうにもそれとは逆の方向に向かっている面も否めない。ここは今一度先祖の教えをよーく噛みしめて事に当たってもらい。

物語は安倍時頼から始まり、子の貞任と娘婿の藤原経清らを中心に展開する。前九年、後三年の役を経て、奥州藤原氏の物語へと推移し、藤原泰衡の死で幕を閉じる。クライマックスは第三巻の結末、安倍貞任と藤原経清の壮絶な最期。その後も出羽の清原氏と源氏との攻防はあるものの、それは小波にも似たようなもの。そして時代は経て、物語は奥州藤原氏の栄華へと移っていく。清衡、基衡、秀衡、泰衡へと陸奥は独自路線を歩み、平泉を中心として東北に一大国家を築きあげる。それは平安の頃より長年蝦夷が夢見た理想の国の形でもあった。しかし、盤石に思えたそんな時代も、もっと大きな時代のうねりに呑みこまれてしまう。朝廷の複雑怪奇な権力争いとあいまった平氏の盛隆と没落、代わって源氏の台頭。平泉が義経を迎えたばかりに辿ることになってしまった悲運の始まり、目に見えない糸に導かれた運命。だが、藤原泰衡は「蝦夷の戦は守るが掟」を貫き通す。頼朝に敗れる形にはなるものの、陸奥に戦を持ちこまない手に打って出る。ここに一つの時代が幕を閉じる。

「火炎」「風の陣」「炎立つ」と読み進んできて、本作品の第五巻に至り、平氏、頼朝、義仲、義経が舞台に上がってくると、興味は単純に東北に寄せる思いから平安から中世に至る時代そのものへと移ってきた。しばらくはここにハマってみよう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-26 18:29:26 (444 ヒット)

東北に興味を魅かれるようになったのはいつの頃からだったろうか。

たぶん「晴子情歌」に始まる高村薫の青森三部作を読んでいた頃からだと思う。東北、それもその最北端に巨大な勢力と権力を持つ豪族がいたというのが驚きでとても新鮮だった。青森に豪族がいてもなんら不思議ではないのだが、それまで東北史については皆目というかゼロに近い認識かもっていなかった。ただ漠然と地理的なイメージの青森が頭の中にあっただけ。

加えて、山の本繋がりでマタギ作品に出会い、それが熊谷達也に繋がり、「アテルイ」へと繋がっていった。「アテルイ」は高橋克彦の東北シリーズに繋がり、「火炎」、そして今「風の陣」に辿りついた。

一方、北方謙三の「大水滸伝」では、宋の時代、梁山泊と奥州藤原氏の交易の場面が一つの物語を形成し、物語全体を支えていた。もともと奥州藤原氏の栄達に疑問というか興味があって、長い間自分の中にくすぶっていて、いつかそれを見極めたいと思っていた。そこにきての「大水滸伝」、ますます自分の中に占める奥州のウエイトは重くなっていった。

さらに、高橋克彦氏の伝奇小説「総門谷」シリーズは以前からお気に入りの一つで、そこに登場する坂上田村麻呂らが生きた時代に入ってみたかったということもある。「火炎」「風の陣」を読み終えて、もう一度「総門谷」を読み直してみたいと思っている。

さて、「風の陣」 
4巻まではほとんど京を舞台に物語が展開する。蝦夷でありながら京に食い込んだ道嶋嶋足に物部氏と坂上苅田麻呂を加えたチームが、京の公卿、朝廷、藤原仲麻呂らと権謀術数に富んだやり取りを繰り広げる。中盤からは怪僧道教も登場し、朝廷の権力闘争に複雑さが増してくる。5巻に入ってから物語は一気に加速。蝦夷は朝廷とは一線を画した独自路線を貫くという思いを秘めつつ、表面上は朝廷に恭順する姿勢を見せていたが、朝廷のあまりにも蝦夷を蔑視した言動と理不尽な上から目線の態度に、ついに堪忍袋の緒が切れる。プライドを傷つけられた蝦夷は鮮麻呂を中心に決起を図る。

「火炎」の前哨戦となる物語。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-21 19:35:09 (458 ヒット)

一昔前に大きな話題を呼んだ大ベストセラー、遅まきながら読んでみた。

森村誠一にも特攻隊をモチーフとした作品がいくつかあるが、それらはどちらかといえばオーソドックスな作りで、ある意味森村節に染まっているともいえ、それはそれとして一つのエンターテイメントとして十分楽しめるのだが、この作品はそれらとは異なる新鮮な筆致が印象に残った。

同じ情景を切り取っても、書かれる時代によって、作家の生まれ育った時代によって、描き方が変わってくる、自然にその時代に合った作品に仕上がってくる。時代が欲している作品が生まれてくる蓋然性と必然性を感じた。

森村誠一作品の感想でも触れたが、今現在、戦争を経験した人は高齢に達し、その方々から直接その体験談を聞くことはだんだん難しくなってきている。一次情報ほど貴重なものはなく、かといって、それを得ることが困難となれば、二次情報としていかに後世に残していくかが問題であり、この作品はそういう意味でも卓越した作品といえる。

最後の大どんでん返しには一本取られたかな、って感じ。

文庫版には私が敬愛してやまない児玉清さんの解説が載せてある。ラジオでよく耳にしていた、作品にたいする興奮と自分の気持ちを素直に表現する児玉さんの口ぶりが蘇ってきて、感慨もひとしおであった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-16 20:33:29 (482 ヒット)

小説はあくまで作りものであって、そこに書かれていることが必ずしも現実のことであるとは限らない。ということは頭でわかっていても、社会現象をモチーフとしている作品ではある程度の真実性がないと面白みも半減してしまう。

本作品は文字通りインドが舞台。高性能水晶発振器の素となる高純度の水晶原石採集をモチーフとした物語を通してインド社会とインド人そのものに焦点を当てている。本当にこれが真のインドの姿なのかと思わされる場面がこれでもかこれでもかと言うくらい出てくる。作者自身がインドに赴いて肌で感じた体験が基になっていると思うのだが、ここまでインドという国は不可解な文化を内包しているのかと思ってしまう。

私がインド訪問した頃なら、それは30年も前のこと、作品で描かれているインド人社会の不可思議さは素直に頷くことができた。自分もそれを目の当たりにしたことがあったからだ。しかし、本作品の時代設定はかなり現代に近い。冒頭に書いた小説の原則が正しいとするなら、当時私が感じた不可思議さが今も変わらないということになる。

篠田節子は我々が理解し得ない文化がそこに存在することをさらけ出し、その文化との共存をテーマとした作品が得意だ。アウトカーストとして生きる部族民の悲惨な生活が生々しく描かれ、理解するという言葉が不遜に思えてしまうほどの現実がそこにあることを思い知らせてくれた。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-12 18:35:22 (495 ヒット)

クリフトン年代記第四部。
原題が「Be careful what you wish for」、なのに何故こんな邦題になってしまうのか。読んでいれば原題の方が話の筋に合っているような気がする。確かに海運業がモチーフとなっているということに被せたのだろうけれど・・・。邦題からはいかにも順風満帆のようなイメージが思い浮かぶ。しかし、物語的にはこれまでの三部同様ハリーとエマ、ジャイルズの前には時化や大きなうねりが待ち構えている。

ハリーらをなんとしても貶めようとする悪役の執拗な攻撃が今回の主脈。何度叩きのめされてもただでは起きない悪役。きわどいタイミングで生き逃れ、また次の企てを繰り出してくる。ハリーらはそれらに対して多くの人たちの支えと自らの知恵によって立ち向かう。

はらはらどきどき、どうなっていくのか、そして胸のすくような大逆転劇はエンターテイメントの極みだ。

そしてバリントン海運の運命をかけた大型客船の処女航海。ハリーとエマ、ジャイルズは無事乗り切ることができるのか。やっぱりここは「Be careful what you wish for」だろう。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-8 18:18:22 (457 ヒット)

クリフトン年代記の第三部。
第一部、二部を読んでからしばらく時間がたっている。どんな話だったかうろ覚え。自分の書いた前二作の感想を読んだり、ネットでの書評をみたりして、ちょっと復習してから本作品に臨んだ。やはり、読みだしたら止まらない。

相変わらず読者心をくすぐる筋立て。ハリーとジャイルズは次々と降りかかる難問をうまく切り抜けていく。ジャイルズの選挙戦、法廷や国会の場面での手に汗にぎる攻防とかけ引きは見もの。ふとした偶然から物語はまた別の枝分かれが出来てしまう。著者自身も話の展開を決めて書いているわけでもなさそうな気がする。当然読者も先が読めない。

第三部からは、ハリーとエマの子供たち、セバスチャンとジェシカ、の物語が加わって、年代記は次世代へと引き継がれていく。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-6-1 20:50:38 (439 ヒット)

今、巷を席巻している一番の話題は「ドローン」。

トム・クランシーの作品の中で原爆製作過程を描いたものがあった。そのときは「こんなに簡単に作れるものなのか」と思ったものだ(プルトニウムやそれなりの設備、工作機械が必要ではあったが)。それから幾年もたたないうちの「ドローン」の出現。IT技術の進歩がそうさせたのか、他の技術革新が著しいのか、無線操縦飛行機は小型軽量化しその進化は著しい。しかも安価で誰でも手に入れることができる。それをテロに悪用しようと思えば出来ないことはない。
当局がこれに警戒を示しているのも無理のない話。

本作品ではドローンの代わりにアメリカの無人攻撃機が悪者に利用される。中国がサイバー攻撃によってアメリカ側の操縦を無力化し、テロの道具としてアメリカに攻撃を仕掛ける。

いわゆる「脅威」の対象としての中国を取り上げ、これまでの「イスラム悪役」「ホームググロウン・テロリスト」路線とは一線を画している。

物語を形成するバックグラウンド(中国のサイバー部隊)の物語と描写が緻密で、トム・クランシーの面目躍如といったところ。ふむふむと引きつけられるようにして読んでいく。これでこそトム・クランシーと思うことしきり。ライアンと中国総書記とのホットラインでの読み合いも見もの。

ジュニアを取り巻く物語もライアン・シリーズに馴染んできて、クラーク、シャベスにメアリ・パットも登場し、CIA要員のはらはらする物語も加わって、おもしろさてんこ盛りの作品であった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-5-29 5:53:38 (469 ヒット)

しばらくトム・クランシーを読んでいない間に、ぞくぞくと作品が出されていたようだ。しかも、トム・クランシーは2013年に他界してしまっていた。もうジャック・ライアンとはお目にかかれないのかと思うと残念でたまらない。先に読んだ「テロリストの回廊」をはじめとして、今は残された作品を読むばかりとなってしまった。

「ザ・キャンパス」シリーズが始まってから、それまでジャック・ライアンシリーズで培ってきた「資産」がうまく生かし切れていなかった。その点が面白くないなと思っていたが、クラークやシャベスらの登場場面が多くなってきて、オールド・ライアンファンには待っていた展開となった。
特にクラークの活躍がすごい。ジャック・バウワー張りの不屈の闘志がぐいぐいと物語を引っぱって行く。ライアンとキールティの大統領選の物語も絡めて、ファンサービスもたっぷり。
ただ、終盤にきて、悪役があれよあれよと崩れていく物語の安易さが残念だった。


投稿者: hangontan 投稿日時: 2015-5-16 20:35:25 (524 ヒット)

前作で頭にガツンと大衝撃を与えた「図書館の魔女」。はたして二作目はいかに。

「初夏の黎明に吹きおろす山風はさえざえとした気流に水分を孕み、頂を覆う這松の新緑あざやかな葉叢に一つの鈴をつけるように露を結びながら低く重たく谷間に這いおりていく」
という出だしから物語は始まる。これが本当にファンタジーなのかと思えるくらい、あまりにも文学的すぎる言い回し。

地域設定はなんとなくヨーロッパ風なのだが、中国の史実を伝えているかのような、なんとも不思議な世界だ。たくみな話術と緻密で破綻のない筋立て、波乱万丈で躍動的な展開。詳細な情景描写と心理描写、すべてにおいて高田大介の作品は度を超えている。

最初はカタカナで書かれた登場人物の名前がなかなか頭に入ってこない。はて、こいつは「いいもん」だったか「悪もん」だったか。今回新たに設定された舞台と人間模様もかなり複雑。その辺を作者得意の容赦ない書き込みでたんたんと描いている。どうしてこんなにも次から次とすらすらおもしろい文章が湧きでてくるのか・・・それを楽しむのも高田大介の魅力の一つ。

一進一退で進んでいく物語は、終盤に来て一気に終結へと加速度が増していく。詰めの書き込みはさらに筆圧が上がる。たたみ込ませる展開は京極堂を彷彿させる。そういわれれば、京極堂が現れなくなってから久しい。彼の活躍もまたみてみたいと思うのだった。


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